第28話 残滓


「真、お主は何故あの狐を庇った。秋人は分かる、あの男の目論見は愚かと断言出来るが、それでも理解は出来るものだ。しかしお主は何を思って狐の味方に回っているかが、己には分からぬ」

 豊前坊はからんころんと一本下駄を鳴らしながら、大黒に近づいてくる。


「はっ、単純なことだよ。俺はただハクに生きていてもらいたいから庇った。俺が思ってんのはハクと一緒に生きたいって、ただそれだけだ」

「……つまりは狐に懸想をしていると?」

「言い方が古いけどまあその通りだ、なんか文句でもあるのか」

「……ふむ」

 大黒の言葉の後、豊前坊は何かを思案するように両目を閉じ、次の瞬間には大黒の視界から消えていた。


「……っ!!」 

「愚かっ、極まりない!」

 後ろから豊前坊の圧のある声が聞こえると、大黒は姿を確認する前に転がりその場から離れた。

 そしてバッと起き上がって声のした所を見ると、豊前坊が刀を振り下ろした姿と地割れでも起きたかのように粉々になった地面が目に入った。


「どんな風に刀を振ったらそんなんになるんだよ……!」

 大黒は圧倒的な暴力の跡に戦慄していたが、豊前坊は取り合わず、一歩で大黒との距離を詰めると再び刀と一緒に言葉を投げかけてきた。

「お主は九尾と一緒にいるということの意味が分かっているのか!」

「ああん!? 知らねぇよそんなこと!」

 正面からの攻撃にはさすがに大黒も対応することができ、豊前坊の刀を木刀で打ち払う。

 そして一合、二合と斬り結びながら、お互いに言葉をぶつけあう。


「九尾の狐は害獣だ! 見つけたら即刻処分せねばならぬ! そうしないと世が滅ぶからだ! それに味方するという事はお主は世界を敵にするという事だぞ!」

「承知の上だよ! 誰が敵になろうと俺はハクの味方であり続けるって決めたんだっ!」

「ならばお主は秋人以上の悪となるっ! その罪は到底見逃せぬぞ!」

 豊前坊は大黒の喉を突きで狙いながら叫ぶ。

 大黒は首を横に倒してそれを避けようとするが、回避が間に合わず肩が抉れてしまう。

 だが大黒は自らの傷に構わず前進し、豊前坊の頭を目掛けて木刀を振り下ろす。

 それよりも早く刀を引いた豊前坊は木刀に刀を合わせ、二人は間近で刀と頭を突きつけ合わせる。


「見逃してもらわなくて結構……! お互いが許せないからこうして殺しあってんだろうが……! それに大黒家の犬として罪の無い人間を殺しまくったお前に罪がどうとか言われたくないんだよ……!」

「己の罪は認めよう! だがそれは他の罪を許す理由にはならぬ!」

「そうかい……! 相変わらず頭固いんだなお前は……!」

 お互いに渾身の力で刀を押し合っているが、少しずつ大黒が押し負け始め、地面に足がめり込んでいく。

(重いっ! 全然前に進める気がしねぇっ! でもちょっとでも力を緩めると全身がバラバラになりそうだ……! どうにか拮抗してる今の内に打開策を考えないと……!)

 大黒は歯を食いしばって、出来る限り前のめりの姿勢になる。

 だがその瞬間、豊前坊がふっと力を抜き大黒はつんのめってしまう。

「ヤバっ……!」

 そして体勢の崩れた大黒の腹に豊前坊の足が深く突き刺さり、大黒は屋敷を囲む塀に激突して瓦礫の下敷きとなった。

「ふん」

 豊前坊は鼻を鳴らし、大黒の血が地面を染めていく様を静かに見つめる。


「……っ、………………」

 大黒はすぐに起き上がろうとしたが、ダメージの限界を超えた大黒の体が、強制的に意識をシャットダウンし目の前が真っ暗になった。


 ――――すると、意識を手放したはずの大黒の頭の中に知らない記憶が流れ込んできた。


『もうやめて下さい! 私はこんなこと望んでいません!』

 時の権力者の非道な行いを誰かは必死になって止めようとしている。だが、権力者は聞く耳持たず、それがその人物の幸せになると思って無辜の民を虐げる。


 それは純も把握していなかった妖化薬の副作用。


『もう大丈夫、貴方たちが餓えることは今後無くなるでしょう』

 誰かは飢餓状態の貧民に自分の食料を譲っている。自分も昔、飢えていた所を助けて貰ったことがあるから、と。


 妖化薬に込められた霊力から起こる記憶の逆流。


『どうして……、どうして私が討たれなければならないのですか……! 私はただ、貴方と共に生きられればそれで満足していたのに……!』

 誰かは涙を流して愛した者に訴えかける。しかし保身に走る人間が妖怪の言葉に耳を傾けるわけも無い。


 どのような薬にも、元となる材料というものが必要だ。

 そして純が作る薬の殆どは、九尾の狐の遺品から抽出した霊力を元に作られている。

 それはいずれ兄が熱を上げている九尾の狐と相まみえた時、少しでも九尾の狐について知っておいた方が有利に事を進められるからだ。

 だが、それが今回思いもよらぬ効力を発揮した。


 大黒が見ているのは妖化薬の材料になった妖怪、つまりはハクの記憶。


 何度も変えようとした。何度も諦めようとした。出来るだけ目立たず、慎ましやかに生きようとした。だけど結局、最後には人間に討伐される悲しい妖狐の記憶。

 

 自分が生まれなかったら、なんて何度考えたか分からない。

 人間の醜さを目の当たりにして、何度失望したか分からない。

 そのたびに思い出されるのは優しくしてくれた人間たち、そして誰かを好きになった時に感じる幸せな気持ち。


 ハクは決して聖人君子のような性格ではない、自らに攻撃してきた相手には容赦なく反撃するし、その命を奪う事にもためらいはない。

 だが、優しくしてきた人間にはそれ以上の優しさを持って接する。困っている人間がいたら放っておくことが出来ない。

 そんなハクの包み隠さない心の内側。それを盗み見てしまった大黒は、ゆっくりと目を開けて小さく呟く。


「……今度こそ、ハクは幸せにならなきゃいけない。ああ、今更誓うまでも無いが、誰でも無い俺がそれを成し遂げてやる」

 過去の出来事とはいえ、好きな相手が涙を流していた。

 ずっと笑顔でいてほしいと願った相手、その相手が悲しみに明け暮れていた。

 それは、大黒が限界を超えて立ち上がる十分な理由となる。

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