第24話 開戦

 ブォォン、と一台の車が山道を疾走している。

 明らかに法定速度を超過しているその車は、古風な家の門の前でドリフトしながら停車した。


「……うぇっ。……気持ち悪い」

「大丈夫ですか兄さん。ほら、私に掴まって下さい」

 停車した車の後部座席からは、顔面蒼白な大黒と心配そうな顔で大黒を介抱している純が出てきた。

 純に手を引かれて這い出てきた大黒は、車から出た途端にその場に崩れ落ちた。


「はぁっ……、はあっ……、うっ」

「いや、情けないっすねー。そんなんで前当主に勝てるんすか?」

 地面に手を付いてえずいている大黒に声をかけたのは、運転席から出てきた女性。

 赤みがかった髪をして粗野な雰囲気を纏うその女性は大黒に対し懐疑的な目を向ける。


「ブレーキを一切踏まずに山道を爆走されたら誰だってこうなるんだよ……、何ともない方がおかしいんだ……。ていうかお前は一体教習所で何を習ってきた……」

 大黒は純に背中をさすられながら弱弱しく反論する。


「そりゃあ、お兄さんが出来るだけとばせっつったからっすよ。あたしはお兄さんの要望通りに最速で大黒家に戻ってきました」

「ありがたいはありがたいけどな……。はぁー……純、そろそろましになってきたし大丈夫だ。ありがとう」

「駄目ですよ兄さん。まだ顔色が悪いです。もう少し休んでいきましょう? そうだ! 膝枕をさせて下さい。そうしたらもっと回復するかもしれませんし。どうぞ一時間でも二時間でも私の膝をお使いください」

「話聞いてた? そんな事してたらここまで急がせた意味が全くなくなるんだけど」


 大黒は自分から離れようとしない純を無理やり振りほどいて立ち上がる。

 そして、車に凭れながら眼前の門を睨みつけた。

「相も変わらず、見た目だけは立派な家だな」

 小さく呟く大黒の声色には隠し切れない嫌悪感が宿っていた。


 栃木県の山の中、舗装もされてない道を登りきった所に大黒家は存在する。


 山を一ヵ所だけくり抜いたようなその家は、広い範囲を塀で囲まれていて、中の様子を窺うことが出来ない。


 そして正面には見る者を威圧する荘厳な門。うっかり迷い込んでしまった遭難者も、この家にだけは近づこうとしないであろう。

 ハクが連れ去られてから五時間後、大黒たちはそんな大黒家の正門の前に到着した。


「あー……、あたし生きて帰れんのかなぁ……」


 赤髪の女性はポケットから取り出した煙草に火を付け、気だるげにこぼす。

 それを聞いた純は赤髪の女性を一瞥し、冷たく言い放つ。


「お前が死んでも悲しむ者は誰もいない。安心して死ね」

「ひでぇっ! こんな時くらい優しい言葉をかけてくれてもいいじゃねぇっすか!」

「お前は優しくされてやる気を出すような性格をしていないだろう。ならば言うだけ時間の無駄だ」

「確かに今更当主に優しくされても気味悪く思うだけっすけどねー。でも部下の死を悲しむ姿勢くらいは見せて欲しかったっす」

「そうだな、じゃあお前が死んだら涙の一つでも流してやろう。……これで満足か」

「いえ……、まあ当主にそういう期待をする方がおかしかったっすね。なんかすいません」

 赤髪の女性はがっくりと肩を落とす。

 そんな二人の様子を見て大黒は優しく微笑んだ。

「案外ちゃんと当主やってんだな。大黒家を出ていった俺がこんなこと言うのもおかしいけど、なんか安心したよ」


 純が大黒家当主になったのは大黒が九尾の狐を探しに京都に行った後だった。そのため、大黒は純が当主としてどのような振る舞いをしているのか知らなかったし、そもそも知る気も無かった。

 だがこうして横暴ながらも慕われている(ように見える)当主の純を見ると、妹の成長を喜ぶ兄としての面が出てしまう。

 しかし大黒の言葉を聞いた純は何故か焦り始め、大黒に詰め寄った。


「ち、違うんです兄さん! 普段はもっと絹でも扱うかのように優しく接しているんですけど、今は緊急時で私も心の余裕が無いだけなんです!」

「むしろお兄さんの前だからか、いつもより穏やかなんすけど。普段ならすーぐ四肢を捥いでこようとするじゃないすか」

「お前は黙ってろっ!!」

 純に怒鳴られ赤髪の女性は肩を竦める。


「おいおい、一応敵地の前なんだからもう少し静かにだな……っ」

 大黒がはしゃぐ二人に苦言を呈そうとしたところで、ギィィィと軋んだ音を鳴らしながら門が開いた。

 その瞬間、三人はそれぞれの武器を構えて戦闘態勢を取る。

「何やら騒がしいと思ってきてみればあなた方でしたか。おかえりなさいませ純様、そしてお久しぶりでございます真様」

 門の内側から出てきたのは生真面目そうな老人だった。

 スーツを着た老人は武器を向けられているのにも構わず、綺麗にお辞儀をする。

「久しぶりだなぁジジイ、とっくの昔に死んだかと思ってたよ」

「いえ、私は大黒家当主のお目付け役。せめて純様が一人前になるまで死ねませぬ」

 老人は頭を下げたまま大黒の軽口に返答する。


 会話の中で名前を出された純は不快そうに眉を歪めて、薙刀の切っ先を老人の頭に合わせる。

「私は腐った感性のお目付け役などいらない。私たちはそこの中に用があるんだ。今すぐそこをどくか殺されるかを選べ」

「純様と鬼川はともかく、真様を入れるわけには参りません」  

「ほう? それはあの男の命令か?」

 老人はそこで頭を上げて、大黒を真っすぐと見つめる。

「はい。私は秋人様より、真様を決して屋敷内に入れるなと仰せつかっております。もしも入って来ようとするなら命を取ることになるやもしれません。どうかお引き取りを」

 その言葉は老人なりの気遣いだった。もしもここで引き返すのならば見逃してやる、だからもうここには来るなと優しく忠告している。

 だが、全てを捨てる覚悟でハクを連れ戻しに来た大黒がそんな言葉を聞くはずも無かった。

「はっ、そんなことを言うってことは俺が何しに来たかは分かってんだろ。残念だったな、どんな言葉をかけられても帰ろうなんて思えない。むしろそっちがその気ならこっちも殺しやすくなって助かるよ」

「……そうですか。では、お覚悟下さい。純様と鬼川も真様を手助けするようなら、しばし取り押さえさせてもらいます」

 老人は少しだけ目を伏せると、スーツの内側に手を入れて三人に殺気を向ける。


 そして一触即発の空気が流れ互いに動こうとした所で、老人の首が横にずれてそのまま地面へと落ちて行った。

「……え?」

 予想だにしていなかった光景を前に大黒は呆けた声を出す。

 首を失った老人の体がバランスを崩し地面に倒れたことで、大黒は老人に何が起こったのかを把握した。

 老人の後ろには白髪赤目の少女が、ちょうど納刀を済ませた状態で立っていた。


(あいつがジジイの首を斬ったのか。……それにしては剣の残像すら見えなかったが、特殊な術でも使ってんのか?)

 大黒が訝し気に少女を見ていると、純と赤髪の女性が少女に近寄って行った。

「怜、偵察は終わったのか?」

「うん。書斎、秋人と二人。離れ、幽子。茶の間、三人。一の間、二人。二の間、一人。五の間、一人。土蔵、五人。道場、十人と九尾」 

 純に話しかけられた少女は、たどたどしい口調で大黒家のどの場所に何人控えているかを報告する。

 報告を聞き終えた純は一つ頷き、大黒へ向き直る。


「では兄さん、改めて紹介させてもらいますね。赤髪の方が鬼川綾女(きがわあやめ)、白髪の方が尾崎怜(おざきれい)。この二人は私の部下ですので、もし戦っている最中に見かけても殺さないであげて下さい」

「……斬りかかったら俺の方が殺されそうだけどな。ま、味方なら心強いよ。よろしくな」

 大黒は持っていた木刀をベルトに差し、鬼川と尾崎にひらひらと手を振る。

 それに対し鬼川は手を振り返したが、尾崎は大黒をじっと見るだけだった。


「とりあえず揃ったんなら行ってもいいか? そろそろ動かないと不安で仕方ないんだけど」

「もう少しだけ待って下さい。誰がどこに行くかを決めないと」

 今にも走り出しそうな大黒を純が制止する。

「尾崎って子の話だと、ハクは道場にいるんだろ? 俺はそこに行くよ」

「それはそうなんですけど道場は人数も多いので一人では危険です。騒ぎになればあの男も道場に向かうでしょうし……。私は私で行く所があるので兄さんと一緒にはいけませんが、この二人のどちらかを兄さんについて行かせます」

「いや、いいよ。俺は一人で大丈夫だ。純から貰ったものもあるし、何とかなるだろ」

「ですがっ……!」

 大黒は食い下がろうとする純を手で制し、自らが一人で向かう理由を説明する。


「心配してくれてんのは分かるけど、男ってのは好きな女の前ではカッコつけたいものなんだよ。悪漢どもに囲まれてる所を颯爽と助けたらハクも俺に惚れ直すはずだしな」

 大黒は不敵に笑ってベルトから木刀を抜く。

「それに戦いの方は純のおかげで何とかなりそうだしな。じゃあ俺は行くから、そっちも頑張れ」

 そう言って純達の横を走り抜けていった大黒の背中を、純は恨めしそうに見送った。



「……まあ、元気出してくださいよ。当主にはあたしらがいるじゃないっすか」

「そう。元気、出して」

 部下たちは口々に純を励ますが、純にはあまり効果が無く睨まれただけだった。

「うるさい。お前たちも早く行け。綾女は茶の間と一から三の間、怜は五の間と土蔵、私は離れだ。くまなく探せ、誰一人として逃がすな。皆殺しだ」

「はーい」

「了解」 


 そして三人も屋敷内に入っていき、大黒家との戦いの火蓋が切って落とされた。

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