第20話 弓矢

「ふぅー……、ありがとな。正直限界だった」

「いえいえ。しっかし強いですねぇあの娘。あれだけの攻防を繰り広げたのに息一つ乱れてない。うーん、将来が楽しみだ」 

「そうだなっ! 乱れてんの俺一人だからなっ!」

「旦那はその体じゃあ仕方ありやせんて」 

「どうだか、俺は全快でもあんたらについていく自信はねぇよ」

 大黒は息を整えながら、刀岐に悪態をつく。


 純はというと何故か二人を追ってはこず、遠巻きに様子を窺っているだけだった。

「追撃してきませんねぇ」

「あいつも今のままじゃあ埒が明かないと思ってるんだろ。持久戦に持ち込めばいいだけなのに、あれで短気な所があるからな」

 大黒は長年の付き合いから純の心情を正確に分析していた。

 純もこのまま剣戟を続けていれば、いずれ勝てることは分かっているが、一刻も早くハクを殺しに行きたいため、この戦いは出来るだけ迅速に切り上げたいと思っている。

(このままだと多分一時間……、いや二時間は粘られそう。あの女狐を殺すのにそんなに我慢はしてられないし、そろそろあれを使おう)

 純は攻め方を変えるため、二人とは逆側、自らが持ってきた武器を置いている場所に走る。

 大黒が作り出した結界のせいで、そのほとんどは用をなさなくなっているが、この状況でも使える武器が一つだけ残っていた。


 それは弓、純が呪術の次に得意としている武器である。

 大黒に持ってきたことを悟られないようにと、金属ケースに入れてきた弓と矢を取り出し、弓の状態を確認する。

 そして問題が無いことを確認し終えると、刀岐へと狙いを定めて右手を弦にかけた。


 その構えはあまりに流麗。


 射法八節に則った一連の動作は一切の淀み無く、見るもの全てを魅了する。


 武道に通じている者ほど、その美しさを理解してしまい、目だけではなく体全体を奪われる。


 それは射られる対象であっても変わらず、矢が頭を射抜くまでその場を動くことなく、純の射形に見惚れてしまう。

 傭兵のトップであり、武芸でも名を馳せた刀岐も例外にはなれず、矢が目前まで迫っても、棒立ちのまま、純の矢を頭で受け入れようとした。


「危ないっ!」

 刀岐の頭に風穴が開くことを防いだのは大黒。

 大黒は矢が中る直前に、刀岐の足を両手でとり、刀岐を後ろへ押し倒した。

「旦那、あれは……」

 刀岐は自分の身に何が起こったのか分からず、大黒に説明を求めようとする。

 しかし純がそれを待ってくれるはずも無く、再び矢を構えて刀岐を射ろうとする。

「こっちだ!」

 大黒は刀岐が純の構えを見ないように、掌で刀岐の視線を塞ぎ、木の裏側に来るように誘導する。

 純の矢は公園に植えてある程度の木など軽く貫通するが、他に遮蔽物の無いこの公園ではそこしか時間を稼ぐ場所が無かった。

 大黒も大して時間を稼げないことは分かっているため、早口で刀岐に状況を説明する。


「あいつの弓は綺麗すぎるんだ。綺麗なものをずっと見ていたいという人間の本能を揺さぶるほどにな。だからあんたは動けなくなった」

「なるほど……、とは簡単に言い難いですが目の前で起こってることですから受け入れるほかないですねぃ。旦那はなんで平気なんですか?」

「俺は昔っからあれを見続けてるからな、多少は耐性がついてるんだ。それでも少しは固まっちまうけどな。けど、好都合だ」

「何か作戦があるんで?」

 刀岐はうつぶせの状態で、自分の上を何本も矢が通過するのを見送りながら、大黒の作戦に耳を傾けようとする。

「ああなった時のあいつは集中力が凄まじい、自分と敵しか見えなくなってる。ここまで来たら俺の出番だ。これから二人で矢を躱しながらあいつに近づいていく。刀岐の射程範囲まで近づいたらあいつを俺の方に動かしてくれ」

「簡単に言いますねぇ、どうやってあれをくぐり抜けていくんですか?」

「うーん、俺が盾になってもあいつ矢曲げれるから意味ないしな……。…………なあ刀岐、空間把握とかは得意な方?」

「……? ああ、なるほど。それなら任せて下せぇ」

 刀岐は大黒の作戦を二つ返事で承諾し、お互い頷き合うと、木の陰から飛び出した。


(当たってなかった、だとしてもあの距離から私に向かってくるなんて無謀もいいとこ……!)

 五体満足な刀岐を見て純は心の中で歯噛みする。 

 そして、そっちがそのつもりなら、と木から出てきた刀岐に矢を放とうとした純だったが、よく見ると刀岐の様子が先ほどまでとは違っていた。


 刀岐は純が構えても動きを止めることなく、真っすぐ純へと向かってきている。 しかしそれは、大黒のように慣れたというわけでは無い。

 見るもの全てを魅了するなら簡単な話、見なければ済むだけの話である。

 そう、刀岐は目を瞑った状態で純の元へと走ってきていた。


(でも、目を瞑ったまま私の矢を避けれるかっ!)


 相手が動いていようと純のやることは変わらない。

 刀岐の腕をもってすれば、矢の動きが見えていて体も動くなら、矢をはじき落とすことも出来るだろうが、どちらかが欠けている状態では純の矢に対処することは不可能。

 純もそう思って、先ほどまでと同じように刀岐目掛けて矢を放つ。

 しかし、

「額っ!」

 刀岐の数メートル横を走る大黒が、刀岐の目の代わりとなって矢が狙っている場所を叫ぶ。

 大黒の言葉とほぼ同時に、刀岐の腕が跳ね上がり、刀で矢をはじいてしまった。 

(それならっ……!)

 それを見た純は、真っすぐ射るだけでは中らないと踏んで、矢に変化をかけ、刀岐の太ももを狙う。

「右太ももっ!」

 だがそれも、大黒の眼の前では無意味だった。

 大黒は純の矢を避けたり、弾いたり出来る反射神経は無いが、長年純の射形を見続けていたため、矢の軌道を見抜く動体視力だけは養われていた。

 刀岐の運動神経と大黒の動体視力、二人は二対一の利点を活用して、着々と純との距離を詰めていた。

 純は一瞬、先に大黒の足を止めるために矢を放とうとしたが、そんなことをしたら、その隙に刀岐が一気に迫って来る気がして、刀岐から狙いを変えられなかった。

 そしてじりじりと追い詰められ、とうとう矢を構える距離ではない所まで近づかれてしまった。


「くっ!」

 しかし、純にとって弓矢は遠距離攻撃のためだけの武器ではない。今のように近づかれた時のために、弓矢を使った近距離用の技も持っている。

 純は近距離戦に切り替えるため矢を短く持ち、矢尻で刀岐に応戦しようとした。

「目標目の前!」

 その純の足掻きも、大黒の掛け声で目を開いた刀岐の前では意味を為さなかった。

 刀岐はぱちりと目を開き、純が自分の頭に矢を突き刺そうとしているのを見ると、この戦いで初めて剣を抜いた。


 刀岐はきんっと甲高い音を立てて矢尻を切り飛ばすと、返す刀で純の首を狙う。

(抜いたっ!? 殺してはいけないのはこの人も分かってるはず……! でも、この殺気はっ……!)

 純は、避けなければ死ぬ、というのを肌で感じて全力で左に跳んだ。


「ナイス、刀岐」


 刃からはそれで逃げおおせたものの、逃げた先にいたのは大黒。

 大黒はこの戦いを終わらせるために、最後の締めに入る。

「解除」

 その言葉で公園を囲っていた結界が形を失い、今ここに術の発動が解禁された。

 大黒はポケットに忍ばせていた札を一枚取り出し、純の背中に手を当てる。


「木行符」

 大黒が取り出した札から勢いよく生えてきた木々が純の体を縛り付ける。

 術という攻撃手段を完全に頭から追い出していた純はそれに対応できず、地面へと体を打ち付ける。


「…………っ!」 

 純は痛みに顔を歪ませながら、なお、この状況を切り抜けようと、どうにかポケットの札へと手を伸ばそうとする。

 大黒は純がそこまでするのを見抜いていたように再び、

「生成、封呪結界」

 霊力の一切を遮断する結界を公園全体に張った。

「…………」

 縛られた体、封じられた術、未だ元気そうな刀岐、肩で息をしながらもしっかりと両足で立っている兄。

 その光景を見て純は、少しの間目を瞑り、自分の負けを認めるように仰向けに寝転がった。


「勝負あった、って解釈していいか」

「いいですよ、もうどうすることも出来ないじゃないですか。何ですか兄さん、念を入れ過ぎでしょう。どれだけ準備してたんですか」

「あんな大荷物持ってきたお前に言われたくねぇよ。まあ、俺だってお前相手にはどれだけ準備しても足りないと思ってた。……俺と静香があの場所を生き残った理由は偏に諦めの悪さによるものだったしな、徹底的にやらねぇと」


 大黒は純の事を今までと違う呼び名で呼んだ。

 静香、それは彼女が『大黒純』になる前に持っていた名前である。


「……懐かしい名前ですね。その名前で呼ばれるのは三年ぶりです」

 大黒はともかく、純の本当の名前を知るものは今や非常に少ない。

 実家にいる頃、大黒は純と仲良くなってからしばらくして教えて貰ったその名前を忘れないように、時たま使うことにしていた。

「ああ、『純』も『静香』ももう呼ぶことは無いんだろうと思ってた。忘れようとも、思ってた」

「……それなら、本当に私を捨てようとしてたなら、こんな回りくどいことをせず私を殺せばよかったじゃ無いですか。分かっているんですか兄さん、あれとずっと一緒にいるということは」

 純は大黒を睨み、九尾の狐と一緒にいることの危険性を伝えようとした。

 それは、大黒が既に承知していた事であり、ハクが既に忠告していた事である。

 しかし、自分の身を案じてくれる妹のために大黒は今一度、純にその覚悟を示す。


「分かってるさ、その覚悟もしてる。これから俺はハクに害をなす人間や妖怪をいっぱい殺すことになるだろう。俺の中の優先順位の一番上はハクだし、それを躊躇することは無い。……でも、実家とは縁を切ったとはいえ、過去はすべて捨てると決めたとはいえ、お前は俺のたった一人の妹なんだ。その妹を殺すことは俺には出来ないんだよ」

「…………兄さんは甘すぎです」

「その考えは古いぞ純、最近は男だって甘いのが好きなんだ」


 純は嬉しさと悲しさがない交ぜになったような表情で呟き、大黒はおどけるように笑った。

 

 その言葉を最後に大黒真と大黒純の兄妹喧嘩は幕を閉じた。

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