第4話 仮説
俯いて黙り込んでしまった大黒にハクは何も言いだすことが出来ず、ただ時間だけが過ぎていく。
ハクが話し終えて数分した後、ようやく大黒はハクの方を向いた。
「悪い。色々と考えが止まらなくなって」
「いいですよ。急ぎの用があるわけでもありませんし」
眉尻を下げて謝る大黒にハクは肩を竦めて返事をする。
「それで、そろそろ私の質問にも答えてくれる気になりましたか?」
「ああ、ずいぶん待たせちゃったな。えーっと、俺がハクに求婚した理由だったよな?」
「そうです。貴方の思考回路が私に理解できるとは思えませんが、理解する努力を放棄することはしたくないので」
「あれ? しばらくまともに話してたつもりだけど俺の好感度まだ戻ってない?」
ハクの辛辣な物言いに大黒はショックを受ける。
しかし、ハクはもう反応するのすら面倒になり、能面のような表情で話の続きを待っていた。
「まあいいや。時間はあると言質はとったし、これから仲をゆっくり深めていけばいいだけだ……」
「時間はありますけど私の堪忍袋はそろそろ限界を迎えそうなことは頭に入れといてください」
「ごめんなさい! すぐに話します!」
本気で睨んでくるハクに恐怖を覚え、大黒は体を竦ませる。
そして空気を変えるためにお茶を飲もうとしたが既に中身は無くなっていたため、そのままグラスを置き、居住まいを正す。
「ふぅ……、じゃあ話していこうか。さっき俺が大黒家と仲が悪いってのは言っただろ?」
「はい、殺したいほど憎んでいるとも」
「そ。だから俺にとって大黒家は敵で、大黒家の敵は俺にとっては味方だった。味方なんて俺が一方的に思ってたものだけど、それは居たくもない家で生きてくのに心の支えになってくれた。その中でも最たるものが九尾の狐だ。大黒家にとって最大最強の敵が九尾の狐だったからな」
大黒は後頭部を掻きながら訥々と語る。
「で、これもさっき言ったけど俺は九尾の狐について調べまわるようになった。そして一つの仮説を立てたんだ」
「その仮説とはどのようなものだったんですか?」
「九尾の狐の悪評は全て人間の創作で九尾の狐は善性の妖怪である、って仮説だ」
「それはまた……」
ハクはそこで言葉を止めたが、ハクが言おうとした言葉を大黒が引き継ぐ。
「分かってる。俺に都合よく考えすぎだって。まあそこは大目に見てくれ、九尾の狐が善いものだって資料もあったから何も無根拠ってわけでもなかったんだし」
「自分に都合の良いものだけ見ようとするのはどうかと思いますよ」
「ははっ、耳が痛いな。とにかくそうやって俺は自分に一番いい形で九尾の狐の本性を妄想し続けた。いつしかその妄想に恋愛感情を抱いてしまうほどにな」
「……会ったこともない相手に対してですか」
「むしろ会ったこともない相手だからこそかもしれない。現実で会わない限りその相手は自分の理想の通りのままだ。幻滅したり、喧嘩をしたりせずに想いを募らせ続けることが出来る」
笑顔で語る大黒を見てハクは、この人は根っからのストーカー気質なんですね、と思う。
「それから数年もした後……今から三年前だな、陰陽師の間である噂が流れ始めた。その噂の内容を要約すると、長い時を経て転生した九尾の狐が人間に復讐するために京都で力を蓄えてるって感じのものだった」
「荒唐無稽な噂ですね。まさか貴方はその噂を信じたのですか?」
「火の無いところに煙は立たない。陰陽師の学校じゃ初等部でまずこの言葉を教えられる。妖怪という生き物は噂から発生することもある、だからどんな信憑性の無い噂でも疑ってかかることが重要だと教師は言っていた。大人になるにつれ噂は噂だと馬鹿にするやつが多くなる教えだけどな」
けどこうして本当に会えた訳だし噂も馬鹿には出来ねぇよ、と大黒に言われるとハクも黙るしかなかった。
他がどうであれ転生したという噂に関しては事実だったのだから。
「その噂を聞いた時は狂喜乱舞したなー、懐かしい。なんせ会えない、っていうより存在しないと思ってた理想の相手が現実にいるかもしれない可能性が出てきたんだ。そりゃ他の何を捨てても全力で探し回るさ。それから苦節三年! とうとう探し求めていた相手に出会えて思わず口をついて出た言葉が!」
「あれ、だったということですか」
「そう! まるでずっと好きだったアニメのヒロインに会えたような気分だった! 結婚の申し込みの一つや二つしてしまうさ」
大黒はバっと手を広げて、ハクと出会えた時の喜びを全身で表現する。
「経緯は分かりました。ですがこうして話していたら分かると思いますが、私は貴方の理想とする九尾の狐とはかけ離れたものです。存在が定かではなかった私を探し続けた執念とついには見つけ出した感知能力には一定の敬意を表しますが、そろそろいいのではないですか」
「いいって……何が?」
「幻想から卒業する時が来たということですよ。何年も頭の中の九尾の狐を想い続けたようですが、貴方の言う通り実際に話すと幻想も滅ぼされたでしょう。なので貴方も夢を見るのはやめて現実と向かい合うべきだと言っているんです」
ハクは諭すように言う。
その言葉は何も大黒から自分の身を守るために出てきたものではない。
ただでさえ現代は昔よりも妖怪と人間の婚姻に厳しくなっている。妖怪と恋仲になっている人間が居た場合、陰陽師を取り仕切っている陰陽協会が総出で二人の仲を引き裂こうとするだろう。
その上ハクは付き合った相手や国を滅びに導いていく傾国の美女、どちらか一つの要素だけでも茨の道を進むことになるのにその両方ともくれば大黒の破滅は必至。もはや普通の人生を送ることなど絶対に不可能と言える。
そのことを考えた上での忠告だったというのに、大黒の表情は晴れやかなものだった。
「おいおい、冗談だろ? 確かに俺は会ってしまうと幻滅することもあるって言ったよ、ハクに会うまでその不安を抱えていたことも認める。でもどうだ! ハクは俺の想像を超えて遥かに魅力的だった! 現実が幻想を上回ったんだよ。ハクは俺と離れようとしてるみたいだけど、逃がさないさ。俺はハクと結婚するって決めたんだ」
決意を込めた瞳で言い放った大黒を見て、ハクは鼻白む。
「わ、分かりません、何故ですか。私は貴方が思い描いていたようなものではないのですよ? 私は貴方の理想とは程遠い、善とも悪とも名乗らない中途半端な妖怪です。まだ心から悪逆を楽しんでいる妖怪の方がましだというものです。それなのに何故……」
「理想とは少し違ったかもしれない、でもきっとそれで良かったんだ。俺は初めから清廉潔白な相手よりも、苦悩しながらも善でいようとする相手の方が好みだと分かった。それにハクは俺には無いものを沢山持ってる」
「それは貴方よりは美貌や知性があるとは自負していますが……」
「そういう話じゃねぇよ! そこも持ってないんだけどさ! ……ハクは何千年経っても昔の自分の行いを悔いている、それに人間の醜い所を見ても未だに人間を愛することができる。そのどちらもが俺には不可能なことで、だから俺はこんなにもハクに惹かれるんだ」
真っすぐに自分を見つめて愛の言葉を紡いでくる大黒に、全く心を動かされなかったといえば嘘になるが、それでもハクは冷静さを失わずどうやって大黒をあしらうかを考える。
(今は何を言っても聞く耳持ちそうにないですね……、一度別の話題に切り替えてこちらへの注意がそれた時に逃げ出すのが賢明でしょうか)
ハクは心の中で大黒の前から姿を消す算段をつけ、リビングに着いた時から妙な気配を感じていた和室に目を向けた。
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