第2話 求婚

「ずっと前から好きでした! 俺と結婚して下さい!」


 大黒の言葉を聞いた九尾の狐は困惑していた。

 言っている言葉の意味は分かるが、それをこの場で発した意味が分からず困惑していた。

 九尾の狐は傾国の美女と謳われる美貌を持つ妖怪である。そのため、人間妖怪問わず求婚された経験は数え切れないほどある。

 だが過程を一切なくして、一足飛びに求婚されたのは初めてであった。

 九尾の狐は困惑したまま言葉を吐き出す。


「あ、あの私と貴方は初対面ですよね?」

「ああ、そうだ。自己紹介がまだだったな、俺の名前は大黒真。近所に住む大学生だ。ぜひ俺と結婚して欲しい」

 大黒は相手の警戒を解くために、最大限にこやかな表情を作って話す。

「どうもご丁寧に、私は見ての通り妖怪白面金毛九尾の狐、現代ではハクと名乗っています。……いや、そうじゃなくてですね、初対面なのにずっと前からとか結婚とかどういうつもりなのかと」

「そうだな……聞きたいこともあるだろうし、俺も色々話したいことがある。よく会話するのは夫婦円満のコツだしな。立ち話というのもなんだし俺の家に行こう」

 ハクはすでに夫婦になった気でいるこの気持ち悪い男に着いていっても大丈夫だろうかと悩む。

 いっそ逃げてしまおうかとも考えたが、大黒はよほど鋭い感覚でも持っているのか隠形していた自分を見つけた。

 だとすると、逃げてもまた追ってこられる可能性が高い。それならばここは一旦付いていく事にして、自分の事を諦めさせるのが一番であるという結論を出した。

「分かりました、付いていってあげる事にします。ですが勘違いしないように、私は貴方の求婚を受け入れたわけではありません」

「ありがとう、後半はちょっと聞き取れなかったけど」

「貴方の耳は飾りですかっ!」

 自分に都合のいい発言しか聞こうとしない大黒に、ハクは付いていくと言った事を後悔し始める。

「じゃあ俺の家に向かうんだけど、その尻尾って見えなくすることとか出来る?」

「当たり前です、普段は本来仕舞っているものですし」

 ハクはそう言って伸ばしていた尻尾を自分の中に収納する。

「おお、そうなってるのか。これで街中歩いても怪しまれないし大丈夫そうだ。言っとくけど俺が尻尾嫌いで見えなくしろって言ったんじゃないから! ただ人に見られたら厄介なことになるかもってだけで、いやハクが厄介って言ってるわけじゃなく!」

「どうでもいいです、行くなら早く行きましょう。後、呼び捨てにしないで下さい」

 ハクは意味が分からないことで焦りだした大黒を冷ややかな目で見つめ、とっとと動けと促した。

「よし分かった、こっちだハク」

 その耳は本当に飾りか、飾りなら引き千切ってやろうかと思ったハクだったが理性を総動員してどうにか自分を抑える。

 そんなハクの殺気に気づかず、大黒は何が楽しいのかへらへらしながら歩いている。 


「いやー、でも九尾の狐と本当に会えるとは。噂を信じて探し回ったかいがあったってもんだ」

「噂?」

「ん? ああ、確か四、五年前くらいか、昔暴れ回った九尾の狐が転生して京都にいるって噂が陰陽師の間で流れてな。正直半信半疑だったが、九尾の狐と会いたい一心で毎日京都中の妖力を感じるところをくまなく探してたんだ。最終的にこんな近くで会えるとは……。これが運命ってやつだな!」

 五年前と言ったら確かに自分が転生して年だ。ばれないように立ちまわっていたつもりだが、自分程の大妖怪の存在を隠しきるのは自らの力を持ってしても不可能だったという事だろう。

 前半部分に関してはそう思って納得できた。ハクにとって聞き捨てならなかったのは後半部分である。

(私は今ストーカーを告白されています……! 転生してからは一度も感じていなかった恐怖と言う感情が心の底から湧き上がってきてるのを感じます……!)

 大黒は自分の一途さ、熱心さをアピールしたつもりだったが、逆効果。誰であろうと好意の無い相手からされるつきまとい行為は怖い。

大黒の好感度は初対面からガンガンと下がっていく。もはやハクの中の大黒の存在はそこらの雑草以下のものとなっていた。

 雑踏の中を進む大黒、その歩幅は明らかにハクに合わせている。そんな細やかな気遣いさえ大黒がやると癪に障るものでしかない。

 殺気に気づかないくらい浮かれている大黒は、もちろんそんな感情にも気づかない。

「あ、陰陽師って言ったけど俺はハクを祓いに来たんじゃないから! むしろハクのためならあんな連中まとめて敵に回せるっていうか!」

「さっきからなんなんですか、その弁解は。そんなこと言われても言われなくても、あなたに対する感情は変わりませんよ」

「本当か、良かった。誤解されたらどうしようかと」

(……絶対に逆の意味で捉えていますねこの男! 本当に焼き殺してしまいましょうか!)

 勝手に自分が好かれていると思い増長している男より鬱陶しいものはない。長年、色んな男を見てきたハクの持論である。今の大黒はその論に見事に当てはまっている。

 我慢の限界というものを明確に感じ始めていたハクだったが、幸か不幸か、それが臨界点を超える前に目的地である大黒の家に着いてしまった。


「着いたぞ、ここが俺の住んでるマンションだ」

 大黒が指さしたのは、築五年にも満たない綺麗な外観をしている七階建てのマンションだった。

「貧相なアパートにでも住んでいるかと思いましたけど、殊の外住み心地が良さそうな所に住んでるんですね」

「そりゃあもう! こういう時のために招待しても恥ずかしくない部屋を借りたからな」

「貴方の妄想は飛躍しすぎだと思います」

 話しながら大黒はオートロックの扉を解錠し、エントランスへと入っていく。

 そのままエレベーターに乗り、六階のボタンを押して自分の部屋へと向かう。

「まあ、言ったように俺なりには頑張ったつもりだが、城とかで過ごしたハクにとっては物足りなくは感じるかも」

 エレベーターに揺られながら大黒は申し訳なさそうに言うが、その気遣いはハクにとってはお門違いのものだった。

「貴方は私をどう思っているのですか」

「どう思ってるって、好きだと思ってるけど」

「そういう意味ではないです。話している途中で割り込んでこないでください。私が言いたいのは、私はそこまで箱入りのお姫様じゃないということですよ。現代の一般的な生活水準や道理も分かっていますし」

ハクは腰に手を当て、大黒に自分の認識を改めさせる。

「へー、なんか意外だな」

「そもそも物足りないなんて感情は期待感がある相手にしか抱かないものです。私は貴方に欠片も期待をしていませんから橋の下の段ボールに招待されても物足りなさを感じることは無いです」

「うわっ……俺の評価低すぎ……?」

 大黒は口を両手で覆い隠し驚いた表情を作るが、ハクは呆れた目を向けるだけだった。


 大黒がふざけている間にもエレベーターは進み、目的の階へと到着する。

 六階の廊下を少し歩いた後、大黒はその足を止め目の前にある部屋の扉を開けた。

「ようこそ、我が家へ」

 大黒は後ろ手でドアを固定しながら、ハクを自宅へと招き入れる。

 ハクは執事みたいな真似をする大黒に冷たい視線を送りながら、大黒の自宅へと足を踏み入れた。

(……これは。いえ、今は気にしないでおきましょうか)

 大黒の家に入ったところで気になるものを感じたのだが、ハクは一旦そのことを頭の隅に追いやり、家の中へと目を向ける。 

「内装も中々立派ですね」

「そう言ってもらえると嬉しいな。安くて広い部屋を探し回った甲斐があるってもんだ」

 大黒は靴を脱ぎながら自分の努力が実を結んだことを喜ぶ。

 ハクも靴を脱いでリビングへと向かう大黒についていく。その途中で大黒の言った事に違和感を覚え、怪訝そうに眉を寄せる。

「……安いと言いましたがこの家の家賃はいくらに設定されているんですか?」

「月一万だ」

 大黒の発言と同時に二人はリビングに着いた。そして二人でも持て余すほどの広さがあるリビングや日当たりの良さそうなバルコニーを見てハクは一言。


「いえ、ここが一万はありえないでしょう」

 真顔で値段設定のおかしさを追及してくるハクに、大黒は口の端を吊り上げて自慢げな顔をする。

「ふっふっふ。ハク、世の中には事故物件というものがあってだな、ここもそういった家の一つなんだ」

「事故物件、聞いたことはありますね。人が死んだり、霊障があったりする家でしたっけ」

「そうそう。ハクはくびれ鬼って妖怪は知ってるか? 人に取り憑いて首吊り自殺させる妖怪なんだけど」

「縊鬼(いき)の事ですか?」

「そうそう。何年か前からそいつがこの家に住み着いてたらしいんだ。そんで入居する人間全員が自殺していくもんだから、その度家賃も下がり続けて今の値段に落ち着いたってわけだ。あ、くびれ鬼は俺が入居したその日に退治した」

 大黒は得意気に語るがハクはそれを称賛することなく、憐みの目を向けるだけだった。貧乏人は大変だ、とその目は語っているようにも見える。

「せせこましいですね……」

「節約が上手いと言ってくれ」

 大黒はハクの目にもめげることなく歓迎の準備を進める。

「適当に椅子に座っててくれ。飲み物は何がいい? 緑茶と紅茶とコーヒーと牛乳とジュースとビールとワインと焼酎と日本酒と」

「緑茶でいいです緑茶で」

 放っておくと延々と続きそうだったので、大黒の飲み物ラッシュを途中で遮る。

「初めての来客に勧める飲み物の中にアルコールが混じっているのはおかしいと思うんですよ」 

「俺なりに気を利かせたつもりなんだけどなぁ、妖怪って酒好きが多いし」

「否定はしませんが」

 大黒は作り置きしていた緑茶を冷蔵庫から取り出し、それを二人分のグラスに注いでハクが待つテーブルへと持っていく。


「口に合うかは分からないが遠慮せずに飲んでくれ」

 大黒はハクの向かいの椅子に座りながらそれぞれの前にグラスを置いた。

 しかしハクはグラスを眺めるばかりで一向に手を付けようとしない。

「どうしたんだ?」

 お茶を飲みながら首を傾げる大黒に、ハクは疑惑の眼差しを向けながら尋ねる。

「……あの、これ変なものとか入れてませんよね?」

「リビングからキッチン見えるだろ!?」

 さすがの大黒もこの冤罪を看過することは出来ず声を荒げる。

「もちろん一時として貴方から目を離すことは無かったですが、それでも不安なものは不安なんです」

「まだ出会ってちょっとなのにこんなに信用を無くしてるとは思わなかったよ」

「なんで思えないんですか。貴方の今までの行動を思い返してくださいよ」

 ハクの苦言にも大黒は肩を竦めるだけだった。

「大体俺が本当に何かを入れてたとしてもそれを素直に答えるはずがないだろ。そもそも九尾の狐にどんな薬が効くのかまだ試してないから分かんないし」

「そういうところですよ!」

 暗にこれから薬を試していくと言われ激昂するハク。

 だがこれだけ言うならこのお茶は本当に安全なのだろうと思い、恐る恐るお茶を口に含む。

 そして想定外の美味しさに驚いたが、そのことは表に出さないようにして話を切り出す。

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