第32話 変わりゆくもの変わらないもの1

「いや、いや、さすがは阿風だね。君なら深い幽谷に棲む幻獣さえ手懐けられそうだ」

「……別に手懐けてないですよ」


 称賛を口にしつつも顔を扇子で覆った先で笑いをかみ殺す山憂炎に、凛風はバツが悪くなって唇を尖らせた。


「えー、あー……なあ山太師、これでうちの子偉はもう大丈夫なのか?」


 凛風とのやり取りを間近でしかと目撃していた肖子豪だが、最後の一押しがほしいというか、微妙に疑いを残したままに訊ねれば、長年色々な個性を見てきた仙人はそんな心配はさもあらんと内心同情しつつ、自らを扇子で仰ぎ微風で前髪を揺らした。


「心配しなくても、彼のような人間は一度心に決めた主君の意向には背かないものですよ」

「……一応訊くが、そいつの主は間違いなく小風だよな」

「そうですね」

「ああそうだぜ!」


 肖子豪の問いに肯定する山憂炎へはともかく、何故か自慢げに胸を張る黒蛇に凛風は目を据わらせた。


「何で私? 冗談も大概にしろ」

「おお、その冷酷な口調がまたそそる。昔いたっつー鬼将軍もかくやじゃねえ? さすがは俺の姐御天女! 何かあれば遠慮なく命令してくれ! いつどこで何やっててもあんた最優先で参上するぜ!」

「姐御天女って、何……」


 変な木像や石像にありそうな呼び名で呼ばれ凛風は益々青筋を浮かせたが、相手に悪意がないだけに怒るに怒れず胸中が些か荒れながらも、まあ実害はたぶんないので放置すると決めた。


(あっても私の心が擦り減るだけだよ……)


 かつての本物の鬼将軍は苦笑を浮かべ、当時の彼の激烈ぶりを唯一知る楊叡は「知らぬが仏」と遠い目をした。


 ここで、黙っていた肖子偉がようやく動いた。


 手を伸ばして凛風を横から抱き締めて黒蛇をちょっと睨むようにする。

 その場の皆は彼の大胆さに驚いて目を瞠った。


「ら、雷凛風を変なあだ名で呼ぶのは私が許さない」

「んだよあんた。布だるまっつーか小動物は引っ込んでろよ」

「小動物!? ならばそなたは黒蛇どころか黒ミミズだ!」


 義賊黒蛇、ならば響きや印象はそれなりだが、義賊黒ミミズ、となれば微妙だ。

 凛風は思わず不憫な目で黒蛇を見やった。

 それがいけなかったのか黒蛇は肖子偉を明らかに敵認定の目で見た。

 悪徳皇子成敗云々の時とは眼差しの種類は異なり、どこか子供同士の対抗意識のようなものだったが。


「喧嘩売ってんのか!? まっどうせまた無様に俺様から逃げるしかできねえだろうけどな」

「そなた……!」


 大いに自覚している実力差を揶揄され男として恥辱に頬をわななかせる肖子偉だったが、その時凛風からするりと頬を撫でられた。

 思わずドキリとした肖子偉が見下ろせば、凛風は穏やかな眼差しでいる。


「落ち着いて下さい。黒蛇がまた向かってきたら私が地の果てまでぶっ飛ばしますから!」

「……そなたは女子おなごだろう」

「あはは、女だって時には男以上に強いんですよ? むしろ男とでも思って下さい」


 仕種一つさえ無自覚タラシな凛風がさらりと豪語すると、少し向きを変えた肖子偉が困った子供にするようにこつりと額を合わせてきた。

 その表情は不服以外の何者でもない。


「そなたは私にとって大切な女子おなごだ。だからそなたが自分を男扱いするのは、私が嫌だ。こんなにも可憐な面差しをしているし、自身が男の目を惹く女子だという自覚をもっと持ってほしい」

「え、いやーハハハそんな大袈裟な」

「頼むから」


 至近から懇願されて、ねだるようにじいいい~っと少し潤んだ目で見つめられ続けて、


「え、えと…………はい」


 凛風は妙に気恥ずかしい気分で小さくこくりと頷いた。

 告白して少し積極性が出たのか、いつもよりほんのちょっとだけ堂々とした肖子偉は満足そうにはにかむと額を離す。

 凛風の中に、彼から花丸をもらえたような、そんな嬉しい気持ちが込み上げる。


「ずりいな! 俺にも姐御天女とおでこコツンさせろよーーーーっ!」

「彼女に近づくな」


 黒蛇が伸ばした手を肖子偉が払いのけているが、黒蛇は凛風との約束通り煩わしい相手と思っているはずの肖子偉を睨みながらも、怪我をさせるような手は出さない。

 一方、三人の可笑しな光景を傍目にしていた肖子豪が目頭を揉んだ。


「何故か今の小風は子偉の横でちゃんと女子に見える……」

「ふふふ、あの二人は関係良好のようですね。まあ阿風に自覚があるのかはわかりませんけれど」


 同じ所を眺めていた山憂炎が微笑ましそうにやや首を傾けた。


「なあちょっといいか」

「ええ」


 肖子豪は少し池の方へと山憂炎を促した。

 ほど近い畔に二人並べば、今はもう静かな水面が二人の姿を微かな揺らぎの中に落とし込む。


「はー、すげーよな小風は。あんな扱いづらいだろう男をあっさり従属させるとは……」

「まあ、あれも良縁の一種ですよ。子豪殿下も人望で負けないように諸々を頑張りましょうね?」

「ははっ何だよそりゃ」


 怒って噛み付くでもなく苦笑いを見せた肖子豪は、ふと真顔になった。


「――俺は、途中までな」


 山憂炎は、彼も表情を薄くした。

 ちらと凛風たちの方を見やったが、向こうの若者たちに会話内容は聞こえないだろうと見越して肖子豪が今の台詞を口にしたのだと察した。


「今は俺が出張るのが適してると自分でも思うから太子になって、必要なら皇帝にもなって、腐敗を正し理想の国ってやつに近付くよう努める所存だ。だが、それは道を敷く事と同義だと思ってる――子偉のために」

「殿下……」

「弟は、今は自覚も自信もないが、そもそもあいつは向いてるんだよ。成長する時間がまだ足りないだけだ。山太師も薄々……いやわかってて俺と子偉に目を掛けてくれてるんだろ?」

「……お見通しですか」

「俺を誰だと? 堅苦しいのは性分じゃないのに、弟のためなら喜んで太子にだってなる第一皇子様だぞ?」

「……それは失礼をしました」


 山憂炎のふっと笑う声に肖子豪も小さく口元を緩めた。


「ところで前々から思ってたが、山太師って俺にだけ厳しくないですかー?」


 真剣な雰囲気から一転し、難癖上等のジト目を向けられた山憂炎は、上機嫌に仙剣を再び出現させ掲げてみせた。


「ふふ、これは僕の悪い癖ですけれど、軍属の人間相手にはついつい厳しくなってしまうんですよね。それにまあ、仮にもこれからの国を背負って立つおつもりの子豪殿下に甘さは禁物では? たとえそれが一時的だとしても」

「そ、れはまあそうだが……もうちょっと優しくしてくれても……」

「これでも僕は殿下を評価しているんですよ。国の膿を絞り出し治国するのは容易ではありません。厳しく接するのは当然です。……それに前は猫可愛がったら何故か避けられるようになってしまったので、同じてつは踏まないようにと思いまして」


 それは誰の事だと後半部分は意味を測りかねたが、彼は長命な仙人様だ、きっと教訓的な何かが彼の中にあるのだろうと触れはしなかった肖子豪だ。

 とにかくは、不承不承ではあったが、肖子豪は弟と凛風と山憂炎の意向を受け入れて、黒蛇を見逃す事を自らに是とした。


 少し離れた場所では、もう一人の仙人がどこかホッとしたように肩の力を抜いて、水を被っても花を落とさず、人間たちを見護るように咲く庭の花へと静かに視線を落とした。

 そんな庭の花々は花弁に思いも掛けない滴を含み、キラキラと、より鮮やかさを増していた。





「なあ黒蛇、一つ訊くがお前のその装備はどうしたんだ?」

「あ?」


 山憂炎との話を終えた肖子豪は、凛風たちの方へと戻るなり気になっていた一点を質した。

 仙剣を仕舞った山憂炎は庭先を眺めていた楊叡を促して戻ってくる。


「どうしてうちの隊の装備を身に付けているんだ? まさか……殺めたのか?」

「んな面倒起こすかよ。ちょいと眠ってもらってるだけだぜ。ついでに強い酒も流し込んどいたからしばらくは起きねえだろ」


 鋭く指摘した肖子豪は黒蛇の返答にひとまずは矛を下ろしたようだ。

 それでも部下の誰かの身の上に決して嬉しくない災難が降りかかったと知れば、渋面を隠さない。

 それでも明らかに腹を立てているくせにもう黒蛇を斬ろうとしないのは、冷静になれと努めているからだろう。

 山憂炎がそんな肖子豪の肩に、まるでよく出来ましたとでも言うように手を置いた。


「んじゃー俺ももう帰っていいか?」


 髪を絞りながら黒蛇が誰にともなく呑気に問えば、肖子豪の肩から手を離した山憂炎が黒蛇の前に進み出る。


「君の仲間たちは無罪放免だけれど、黒蛇、君は別だ。一度はこのまま牢に入ってもらうよ」

「はあ!? 結局投獄かよー」

「仕方がないだろう。やり過ぎたのを反省させているからそれ以上の咎めは不要だと周囲に納得してもらうためにも、大人しく牢屋に入ってもらわないといけない」

「へーへーそうかい」


 不服そうに口を尖らせたものの、黒蛇は「わかったよ」と濡れた髪を荒っぽく掻き上げた。

 そういうわけで、刑部の建物まで連行される運びとなった黒蛇は、念のためと両手を縄で縛られた。

 やや不貞腐れているものの大人しく言う事を聞いているのは、もしかしたら解こうと思えば自力で縄抜けできてしまうからかもしれないが、そんな黒蛇は見るからに陶酔した目で凛風を見つめている。


「子偉、小風、後は心おきなく山太師に任せて着替えるなり何なりしろ。俺は黒蛇を部下と共に刑部に連行しなきゃならないからここで解散だ。いいな?」


 首肯する凛風が何となく黒蛇を見やれば、青年は一気に喜色を浮かべ縛られた両手首を掲げた。


「あんたにならいつでも縛られてえぜ!」

「…………」


 皆の面前で要らぬ発言を噛まされた凛風は、完全に聞かなかった事にしてそっと視線を肖子豪へと戻した。

 変な人に気に入られた感が半端ない。直接言われなくとも感じる、彼の深い所からの自分への傾倒、それが理解できずに正直げんなりとしていた。


(次にどこかで会った時は足蹴にはしないようにしよう)


 肖子豪のように気楽な友人としてならまだしも、そういう稀な意味での関係は御免だった。


「私もそれでいいと思います。彼女が感冒を得てしまう前に早く帰って着替えた方がいいですし」

「小風はそこの茂みに隠れてる兎雲で帰るんだろ? 上空の風は冷たいだろうから緑安までの長旅で風邪引くなよ?」


 さっきから金兎雲は人目を気にしてか目立たないよう茂みを利用して身を潜めていた。いつものようにどこかへ飛び去らなかったのは、いつでも凛風の呼びかけ応じられるようにだろう。


「あ、それなら大丈夫。父さんの家に寄るつもりだから。何かあった時のために着替えも置いてあるんだ」

「そうか、ならいいな」

「うん。子豪兄さんも風邪引かないようにね」

「おうよ。サンキュな」


 気さくに片手を上げて答えた肖子豪は、腕を下ろすや山憂炎と楊叡の方を順に向き、神妙な面持ちで左右の手を胸の高さで重ねた。


「山太師、楊仙人。下手をすれば火が回ってもっと酷い事になっていたかもしれない所を、本当に助かった。二人には警備担当としてこの場を借りて心から感謝する。……まあ計画を立てた山太師に言うのも何だがな」


 彼は二人へ順に頭を下げ丁寧に礼を取った。

 そんな兄の姿に倣ってなのか、肖子偉も兄の横に進み出る。


「山太師、楊仙人。兄上に重ねて私からもお礼を言わせて下さい。本当にどうもありがとうございました」


 皇子二人から頭を下げられて、山憂炎は少し後ろめたそうに視線を泳がせた。


「仙術も結構派手になってしまいましたし、雪露宮の出火についても正直二か所というのは僕の油断の結果でもありますし、殿下方から改まって感謝されると少々心苦しいのですけれど」

「全くだの。予定以上の水浸しについても、こやつが横やりを入れてくるから悪いのだ。罵詈雑言は投げつけても、感謝などとんでもない。それとわしにも感謝はいらぬ」


 よく事情が呑み込めず戸惑う肖兄弟に山憂炎は苦笑を向けた。


「本当にそこまで感謝されるほどのことはしていませんし、僕は仕掛けた側なのです。殿下方も余り恩に感じないで頂けるとこちらも気が楽になります」

「そうか? ならそうするが」

「お二人がそう言うのでしたら……」


 顔を見合わせつつも、皇子たちは彼らの意向に頷いた。


 その後、肖子豪は改めて短く皆に挨拶を告げ、黒蛇を連れて部下たちと去っていく。


「じゃあまたな~俺の姐御天女!」


 連れられていく黒蛇が肩越しに陽気に言って白い歯を見せる。

 凛風は折角の美男があれじゃあ勿体ないと微妙な心地で見送った。


 これで今回の騒動は、ひとまず一応の決着をみた。

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