第24話 異国の荷運び夫

 山憂炎から話をもらい、今までで一番肖子偉もびっくりするような美味しい包子を作ろうと意気込んでいた凛風だったが、事はそう円滑には進まなかった。


 ――ごめん阿風、厨房の責任者から当日にぶっつけは駄目だって言われてしまったよ。それで、前もって包子の味を見たいって。


 翌日また来た山憂炎は、申し訳なさそうにそんな事を言ったのだ。

 それは当然で、一理あると思ったので特に不愉快には思わなかったし、舌の肥えているであろう貴人たちの口に入る物なら味付け一つに格別気を使うのも頷ける。

 幸いにも母親の白紫華は包子の出前に反対しなかった。

 なので昼間から堂々と皇城へ行く事にも理解を示してくれている。店を一人で忙しくさせてしまうのは忍びないが、猫の手も借りたい時はご近所さんに助けを求めると言っていたので、とりあえずは安心だ。


 そう言うわけで、事前審査とも言うべき味見をしてもらうために、凛風は後日早速と皇城まで包子を持参していた。


 もちろん男装だし、包子は祖父楊叡の仙術仕様の冷めない岡持ちに入れてある。

 金兎雲に乗って皇城近くに降り立って、そこから山憂炎から教えられた東門へと歩いた。広い皇城内には厨房が幾つかあるが、東門からが当日調理を担当する厨房に一番近いそうだ。

 食材などを運ぶ商人たちもほとんどが東門からの出入りになるだろうとも言っていた。


 彼からは城への出入許可証としての玉牌を渡されていたのでその札状の牌を見せると、門衛と言う職業柄見た目がいかめしいひげの中年門衛たちは、物珍しそうに玉牌と岡持ちを提げた凛風を見つめてきた。

 そうすると厳めしさが薄れどこか愛嬌を感じさせる。

 事前に話は通されていたらしいのだが、門衛たちの話によればどうも山憂炎は自分で何事もこなしてしまうので、誰かに遣いを頼んだりする事がほとんどないらしい。

 故に彼が発行した通行牌が珍しく、しかも玉でできた牌など高価に過ぎてより一層興味をそそられたらしかった。更に言えば玉牌の表面に刻まれた文字は、その僅かな彫りに金箔を押しこんだ仕様になっている。滑らかで柔らかな白に精緻な金の文字。誰が見ても贅沢品にしか見えない。


(何事も全部一人でしちゃうのは、まあ仙人だし、この前は二日連続で店に来たし、じい様みたいに距離的な融通が利くのかも。それにこの通行証にしても、こういうちょっとした物とか扇子とかにしかお金の使い道がないのかもしれない)


 全くその通りで、彼が自分の仙剣で空を渡ることはまだ知らないながらも凛風はそんな風に思った。金銭面にしても山憂炎は不要な浪費を好まないので使いどころが余りなかったりする。

 厨房の責任者に会いたいのだと告げると、門衛の一人が先に立って案内してくれた。

 敷かれた石畳は一つ一つが大きく、両側が高い白塀に囲まれた直線通路は馬車がすれ違える幅はある。


(似たような景色ばっかで何か迷路みたい……っていうかまさに迷路だよこれじゃ)


 日頃から通路を行き来している兵士や官吏たちはよく迷わないものだと感心すらして、門衛の後ろを大人しく歩いた。

 少し開けた場所に出て、「ここだよ」と示された先は当然と言えば当然ながらくりやだった。


「何か、台所一つ取っても皇城って場所は造りが豪華なんですね。貴族の屋敷かと思いました」


 そんな感想を口にすれば門衛はハハハと気さくに笑った。

 厨房の責任者は女性で、門衛の男性より少しだけ年嵩に見え、やや太めの体つきも相まって貫禄を感じさせた。

 ぐつぐつと沸騰する大鍋や赤く燃え盛る幾つものかまどを横に熱々の包子を食してもらえば、彼女は硬くなった餅のように頑固そうな顔で唸りながら、あっと言う間に一つを平らげた。

 ここでお眼鏡に適わなければいくら山憂炎が推したとしても配膳はされない。

 決して恥じるべき料理を作ったつもりはないが内心ドキドキしていると、相手はにーっと大きな口で犬歯を見せて笑った。歯並びは良かった。


「これは大した品だね。中々この味は出せないよ。宜しい、一品追加だ」

「ありがとうございます!」


 ホッとし、褒められて嬉しい凛風も負けじとパッと顔を輝かせれば、女性は頬を染め「嫌だわ~旦那と子供がいるのにあたしったら」と言ってバシバシと凛風の腕を叩いた。


「コホン、ところで当日も今日みたいな熱々の状態で持って来られるのかい?」

「それは大丈夫です」

「そうかい、それなら皇太后さまへも太鼓判を押せるってもんさ。山太師には希望通り話を進めると伝えておくから、当日も頼んだよ」

「はい、こちらこそ宜しくお願いします」


 帰りは待っていてくれた門衛と共に、心なし弾んだ足取りで戻った凛風の目に入ってきた東門が見えてくる。

 持ち場に戻る門衛にお礼を言って、凛風はそのまま真っ直ぐ門に向かって歩いた。


 立派な門構えを潜ろうかという時、荷の検分が終わり入城を許可され入って来た一行とすれ違った。


 何気なく視線をやれば、幾つもの酒甕さかがめを乗せた荷車が数台、それぞれ荷運びの男たちに牽かれている。馬を使わないのは速度が出て段差などで上下した際に万が一にも酒甕が割れないよう配慮しているからだろう。それだけ高級な酒に違いなかった。宴に必要なのかそれ以外の飲酒用かはわからないが、皇城では酒など日持ちする物は多めに購入して保管しておくのかもしれない。

 出る者と入る者。


(――ん?)


 凛風は思わず足を止めると、一人の荷運びの青年を凝視した。

 その青年は長い黒髪を肩口で一つに括り邪魔にならないよう背に流している。


 黒々とうねる髪質はまるで蛇のようだ。


 彼一人だけが褐色肌で明らかにこの国出身の人間ではないようだが、人種と言う観点からだけではなく、視界の端に通り過ぎただけでも見逃せない存在感を放っていた。


 地味な色の庶民の合わせを着ているが、凛風の目は誤魔化せない。

 ただ普通に荷車を牽いているように見えて隙がないのだ。


(只者じゃない……? それにあの人どこかで見た覚えが……)


 彼の仲間の男たちも中々鍛えられているようだが、凡人の域は出ない。

 だが、彼だけは――……。

 不躾ぶしつけに見ていたせいもあるだろう、視線を感じた青年も足を止め半分だけ凛風を振り返った。


「あ? 何か用か? 異国の人間がそんなに珍しいか?」


 どこか皮肉気に歪められた口元に、凛風は自分の態度が相手に酷く不愉快な誤解を与えているのだと悟ってちょっと慌てた。


「あ、いや、ごめんなさい。珍しいのはそうだけど、随分と鍛え抜かれた良い体してるなーと思って」


 一瞬、息を詰まらせたような間があった。

 ちょっと見開かれた緑色の瞳が凛風の中の記憶に引っ掛かる。


(この目……知ってる気がする)


 とは言え、異国人を初めて見たわけではない凛風にとって、すぐには特定できるものでもなかった。


「…………どうも」


 青年の声に我に返ると思ったままを口に出す。


「武芸をやるには凄く理想的な体付きだと思う。腕だけ見ても筋肉もしなやかで柔軟性もありそうだし、きっと無駄な肉がないのでは?」

「……いやそれはどうか知らねえけど」

「ふむふむ本当に凄くいい! どんな修練をすればあなたみたいになるんだ?」

「……さあ。適度な食事と運動じゃね?」


 彼は生粋のこの国の人間よりも鼻が高く顔の彫りも深い。

 好みの問題もあるが美男と言って差し支えなかった。

 それよりも凛風は武芸者として、青年の服の上からでもわかる見事な肉体を純粋に讃えた。野生の黒いヒョウが人間になったらきっと彼のような容姿をしているに違いないと、そんな風にも思った。


(子豪兄さんが見たら、絶対自分の隊に勧誘しまくるよ)


 いきなり知らない少年から興奮気味に自分の体を絶賛されれば誰だって警戒する。しかし正直どう反応するのが無難かと青年が思案しているなど微塵も気付かない凛風は、継続して目を輝かせた。


「もしやどこかで軍務経験が?」

「はあ? あるわけねえだろ。俺は見るからに異国の人間だ。お役人方は異国人を駄馬以下だと思って扱う。俺みてえな人間を入隊させるか?」

「それは……責任者によると思うけど」


 そういう差別はこの国に皆無ではない。

 凛風が苦し紛れにそう答えれば、相手は嘲笑にも似た笑声を立てた。


「ハッ少なくとも皇都じゃ無理だろ」

「そんな、子豪兄さんのとこなら……」

「は? 誰だって?」

「あ、いや……楽しくもない事を話させてごめんなさい」


 殊勝な態度にか、青年は片方の眉を上げるとさっさと背を向けた。ひらひらとぞんざいに手も振ってくる。


「まっ別にあんたが気に病む事でもねえよ。んじゃな~美少年」


 向こうはこれ以上会話をする気はないようで、凛風もそこまでしつこくする気はなかった。

 一介の荷運び夫にしておくには惜しい逸材だとは思うも、彼には彼の生き方があるのだ。無理に軍へ推す事はできない。


(さすがに皇都には色んな人がいるなあ。あれなら行商の道中で山賊が出ても自分で撃退できそう。……ん? 山賊? 山賊、盗賊……――義賊……ってまさかね)


 一瞬黒蛇を思い出したが、もう通路の向こうへと小さくなった青年とその荷運び夫仲間たちから視線を外し、凛風は東門を出て帰路を辿った。





「あの時の奴だよな、あいつ」


 いつだったか義賊としての仕事中に邪魔をしてきた少年と、よりにもよってここで再会し、正直ギョッとはした彼だったが、あんな見ず知らず同然の相手にかかずら合っている暇はないのだ。

 一体どこの店の者なのかは知らないが、先日同様軽そうな岡持ちを手にしていたので配達の帰りなのだろう。


「でも何か変な奴だったな。まあもう会うこともねえだろうが」


 女性から主に色気方面で良い体と言われた事はあるが、さすがに武道方面で熱く語られた経験はなかった。

 しかも美少年とはいえ男から。

 それでも何となく気にはなって肩越しに一瞥すれば、少年はまだこちらを見ている。

 彼――黒蛇は珍しくも、ちょっと辟易とした笑みを浮かべた。


「くはは、とんだ熱視線だぜ。勿体ねえな、男かよ」


 いくら美人でも男には興味のない彼は肩を竦め、しかし次にはもう前を向いて仲間たちに追い付くと、後は目的のために気を引き締めるのだった。





 少なくとも雪露宮に居られるとは思っていなかったので、出前を無期限で中止した。

 長く牢獄に入れられるだろうと思ったのに、そうではなく雪露宮での謹慎処分が下されるのだと知った。

 随分と温い処断だと思った。

 だから、刑部が動いて宮に閉じ込められる前に自ら牢へと足を運んだ。

 謹慎するなら宮でも牢でも同じ事だったから。

 祖父黎国望は大いに驚いていたが、頑固にも居座る決意を見て取ると、苦笑いはしたものの無理に出て行けとは言わなかった。

 他の牢には自分たち以外の囚人もいたから、やっぱり布だるま化は必要でそうした。

 因みに、予備に布を持って来ていたので祖父にも布だるまを勧めたがあっさり断られた。

 意外と早く終わった牢獄生活は、夜中に見回りの獄吏が「布お化け~っ」と悲鳴を上げた日もあったが、概ね問題なく過ごせたので良かった。


 雪露宮に戻されてからは敷地内なら自由に出歩けるので不自由はない……というか以前とさして変わらなかったが、宴の当日に万全を期すための予行練習も兼ねているのか、既に昼夜を問わず警備が厳しく、人目の多さにはうんざりした。

 救いは兄の肖子豪が率いる隊も警護の一部を任されていたので、連日兄と顔を合わせられたことだろうか。


 そんな日が続いてとうとう今日は皇太后の生誕宴。


 当然ながら、雷凛風とはしばらく顔を合わせていない。


「白家の包子が食べたい……」


 宴の招待客も出席者もまだ誰一人として見えない早朝、雪露宮にある池を一望できる露台の手摺りに凭れ、朝靄が立ち込める蓮の池を見下ろす肖子偉は独りちる。


「……雷凛風、そなたに会いたい……」


 あの少女と出会い談笑した東屋あずまやは、今は早天の下、まるで幽谷のいおりのように幻想的な白い濃淡に包まれている。

 そんな様を視界に収めながら彼は柔らかく、どこか切なげに目を細めた。





 天気晴朗なりて絶好の宴会日和。

 日がすっかり高く昇った雪露宮は、皇太后へ挨拶をせんといつにない大勢の人が訪れ祝賀ムード満載だった。


 宴席では、やはり布だるまが一つ出現し、周囲から好奇の視線を集めていた。

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