負け犬元刑事のおれが幕末で新選組のいじられキャラの腐隊士に?だったら、歴オタ知識で小説や漫画ばりに歴史改変してやろうじゃないか。俺じゃなく一緒にタイムスリップした最強クローン(警察犬含む)達が、だが

ぽんた

第1話凶行と捕獲

 まるで猫だ。四本の脚を折って鼻面を地面すれすれまで落とし、猫よりもはるかに大きく重い体を伏せて慎重に慎重に獲物に忍び寄ってゆく。月の光を受け黒いは肉食獣の輝きを発している。


 男は右の掌にアーミーナイフを握っていた。左の腕が女の細首に回され、アーミーナイフのぎざぎざの刃先が女の頚動脈の辺りに添えられていた。分厚く幅広で特殊な形をした刃は、やはり月の光を吸収して鈍い光を帯びている。それが一度生き物の体内に入るとすぐには抜けなくなる。内臓がぐちゃぐちゃに斬り裂き潰されてもなお、そこに留まることができる。


 女の唇が小さく動いた。そこには真っ赤な口紅ルージュが塗りたくられていた。淡い月の光にもかかわらず、それがやけに艶かしくおれのに映った。

(助けて・・・)女の口がはっきりそう形作った。


 狭い路地裏だ。人間ひと一人がやっと通れるほどの広さしかない。バブル期の遺産。雑居ビルの立ち並ぶこの辺りにはスナックやバー、キャバクラやホストクラブが消防法や公序良俗法などお構いなしに店を構えていたものだ。それがいまではみる影もない。多くの店が淘汰され、それどころかビルそのものがなくなった。それらの多くがコインパーキングへとかわっていった。いまはカラオケボックスやネットカフェ、ラーメン屋に昔ながらの場末のバーがまだ残っている幾つかのビルでほそぼそとやっている程度だ。

 

 物騒なものを振りまわす男は、いわゆるオタクだ。そしてニートでもある。現代社会の象徴ともいえるだろう。それがいきつけのネットカフェの女性店員に一方的な愛情を抱いた。不健康きわまりなく育まれたその愛情のゆきつく先は一つしかない。

 ストーカー行為。女性店員は幾度となく最寄の警察に相談した。が、お役所というところはそういう犯罪性のないものに対しては一個人の悩み事程度にしか扱わない。「パトロールを強化しましょう。つきまとわれたらスマホで撮影するといいでしょう」と玄関先でけんもほろろに追い返したろう。


 そんなこと、小さな子どもでも働く知恵だ。

 よくあることと済ませるには警官として情けないかぎりだ。

 男はこの夜ついにエスカレートした。そして警察が重い腰を上げたわけだ。

 虐めを知っていてみてみぬふりきこえぬふりをする学校と同じだ。警察も学校も、犯罪が起こってから、虐められた生徒が自殺してからはじめて動きだす。


 ネットカフェが入っているビルの路地、そこにおれたちはいる。男は惚れた女を誘拐した。が、車を手配しなかったばかりか一度も車の運転をしたことのない男は、女をネットカフェが入っているおなじビルの空き部屋に連れ込みそこに隠れていた。そしてこの始末というわけだ。


 おれは不法投棄されている冷蔵庫の後ろに身を潜めている。女性店員の捜索にあたっていた所轄署の警官が無手で交渉ネゴシエイトを試みていた。幸運にもその警官は沈着で名高いベテランの巡査長だ。そしておれたち・・・・のことも知っている。

 巡査長の時間稼ぎともいえる単調な説得が狭い路地裏にやけに大きく響いていた。


 相棒はおれの姿がよくみえていない。相棒の種族が近眼だからだ。が、おれたちには一種独特の意思疎通方が確立している。そしてなにより、相棒は野生の勘があり気配を感じることに長けている。むしろおれのほうがこういった明かりの乏しいところにおいてハンデがある。


 おれは掌を下に向けてゆっくりおいでおいでの仕種ジェスチャーをした。

 男は巡査長との睨みあいと不毛ともいえる説得のお蔭で注意力が散漫になってきている。

 女性店員の口唇はもう動かなかった。若いのに気丈な娘だとおれは感心した。


 おれは親指を立てそれを下に向けた。刹那、その気配を感じた相棒が伏せの姿勢から動いた。猫よりもすばやく力強い動きは、瞬時にして男との間合いを詰めた。そして、跳躍するとアーミーナイフを握る手首に噛み付いた。

「ぎゃっ!」男の口唇から短い悲鳴が上がるよりも早く、巡査長が飛び込んで女性店員を自身の方に引き寄せていた。おれもまたその後ろから一足飛びに飛び込んで間合いを詰めていた。男が取り落としたアーミーナイフを蹴り飛ばした。それは暗闇のどこかに飛んでゆき、ビルの壁にぶつかった音がした。おれは「待て」と一言だけ発すると、傷ついた手首と襟首を掴みそのまま背負い投げの要領で男を投げ飛ばした。男は空宙できれいな放物線を描いた。そしてどさりと地面に叩きつけられた。


 ささやかな人質救出劇が終焉を迎え、現場はその後始末でおおわらわだ。いくつものライトが灯された。それは暗がりに慣れたには明るすぎた。

「よくやった、相棒」おれは相棒の長い鼻面を撫でてから黒い毛に覆われたしなやかな肢体を抱きしめた。

「ふんっ!」相棒は返事がわりに一つ鼻を鳴らしただけであった。

 相棒はクールなのだ。


 おれの名は相馬肇そうまはじめ。京都府警刑事部鑑識課に属する鑑識課員。そして、おれの相棒は京都府警直轄犬のジャーマン・シェパードの兼定かねさだ号。

 

 おれたちは最高のコンビだ。

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