第2話『世界に否定された私―葉月:Side―』

 小鳥たちのさえずりによって、自分の意識が徐々に覚醒かくせいし始める。

目を開けると、そこにあったのは私の部屋だった。たぶん机で眠っていたみたいだ、腰と首がジンジンと痛い。でも――


「…………あれ?」


 今いるこの状況にどうにも納得がいかない私がいた。だって私の記憶が確かならば、私は風花ふうかと一緒に学校からこの家に帰る途中だったはず。だけれど私が忘れ物をして、私が1人で教室にプリントを取りに行った。だから今ここにいることと、私の記憶の辻褄つじつまが合わない。


「でも私……プリント取りに行ってー……取りに行って……?」


 そこからの記憶がなかった。教室までたどり着いたのかも、もしくは途中でなにかあったのかも覚えていない。確かなことは間違いなくここは私の部屋で、目を覚ましたらここにいたということ。自分の疑念をぬぐうように辺りを見渡していくけれど、やっぱりそれは間違いなく自分の記憶にある私の部屋と同じだった。内装や置いてある家具の位置、小物まで自信を持って同じだと言えた。じゃあ、なぜ私はここにいるのだろうか。カーテンを開けてみれば、これでもかと言わんばかりの一つの雲のない青い空が広がっていた。私の記憶の中では、最後の空はオレンジ色の夕焼け空だったはずなのに。


「もしかして気絶して、いままで……?」


 ううん、それなら机で寝ていたことがおかしくなってしまう。流石に気絶した人を机で寝かす薄情はくじょうな人なんていない。それに普通に考えて昨日の放課後から今まで気を失っていたなら、いくらなんでも救急車を呼ばれて病院のベッドの上で眠っているはず。そうじゃないのなら、どうして私はここに――?


「――お姉ちゃーん? いつまで寝てんのー? 朝ごはんできたよー」


 この意味不明な状況に困惑している最中、妹がいつもの調子で私を呼びに来る。とりあえず私もいつものように返事をしつつ、ここがやはり私の家で、私を置いてけぼりにしていつもの生活が続いていることを確信してしまう。私は変な夢でも見ていたのだろうか。あまりにも記憶の流れが不整合になっていて、怖くなってきていた。しかも妹のあの対応から考えても、私が気絶していたという説は消えてしまったようだし。


 とにもかくにも今このままワケのわからない状況に混乱していてもしょうがない。とりあえず風花に会って、昨日のことを訊いてみよう。私の記憶の中で最後に会った人は風花だ。だから何かこの状況を打開する情報を持っているかもしれない。私はそんな希望を抱き、部屋着から制服に着替えて学校へと向かう準備を始めた。


「――風花、おっそいなぁー……」


 いつもの待ち合わせ場所。だけれど、時間になっても風花が現れない。もちろん風花が何かの理由で遅れていることも考えて、体感で5分くらいは待っているけれど、それでも来なかった。いくらなんでも遅いし、もうこのままでは遅刻ギリギリの時間になってしまう。特に携帯にも連絡は入っていないけど、もしかしたらもう風花は先に行っているのかもしれない。私はそう考え、1人で学校へ向かうことにした。教室に行けば、休みでもない限りは確実に会えるはず。むしろ最初からそうすればよかった。朝会までの時間や、休み時間――話を聞ける時間はいくらでもあるのだから。私は自分の選択に少し後悔しつつも、遅刻確定がそこまで迫っている状況なので走って学校へと向かった。



 なんとか遅刻はまぬがれることはできたけど、教室にはさらに私を悩ませる種があった。まず風花がいない。遅刻ギリギリということもあってか、ほぼクラスメイト全員が揃っている中で、彼女の姿が見当たらない。私ならこの中でまず一番に風花を見つけ出せるぐらいの自信があるのに、彼女はどこにもいなかった。というかそもそもの話、風花の席がまるごとそっくりそのまま消えてしまっているのだ。風花は廊下側の一番後ろの席。そこには机も椅子も置いてなく、だけれどその隣には席があるので、そこだけ1人席というなんとも違和感のある形になっていた。『まさか、いじめ!?』と一瞬考えたけど、クラスメイトの私に対する反応を見るにそれはないと思った。だって、いじめている子の親友に対しての接し方があまりにもいつもと何ら変わらなさ過ぎるから。私が遅刻ギリギリだったのをみんな『寝坊かぁ?』なんて茶化してくる。もちろん私がいじめられているわけではないし、その茶化しくる子たちがいじめてない可能性だってある。でも他の人たちの反応を見ても、とくに私の反応を見て楽しんでいるようなわけではなさそうだ。ただまだ確実にいじめではないと決まったわけじゃないし、私はクラスメイトたちを警戒しつつ、このいつもとは違う状況に困惑しながらも自分の席に座って朝会が始まるのを待っていた。


「みんな席に着けー朝会始めるぞー」


 それから数分で先生がいつものように気だるそうにしながら教室へと入って来て、教壇へと立った。そして出欠を取り始める。これで風花の出欠もわかるし、もしいじめで席がなくなっているなら先生も流石にそのことに言及するだろう。


「――よし、今日は欠席は0だな」


 そんな淡い希望を抱いていた私がバカだった。無残にも先生までもがそんなことを言ってしまう。まさか先生もいじめに加担しているのかと疑ってしまうほど、私は今のこの現実に戸惑っていた。だってまるで風花が最初から『存在していない』みたいに扱われているのだから。でもいつもどこか気だるそうだけど、芯はちゃんと真面目でキッチリとしている先生が生徒にいじめをするなんてありえないし、そんなこと思いたくもない。じゃあ、そうだとするならば……もしかして風花は――



 その先は考えたくもなかった。もしそうだとしたのなら、私の記憶の中の『風花』という存在は一体何だったのかということになる。だって風花との思い出は山のようにある。夏休みに海に行ったり、夏祭りに行ったり、冬には初詣や温泉へ行ったり、他にもお泊りしたり――と数々の楽しかった思い出があるのだ。じゃあ、それは無かったことになってしまうの。そんなことあってほしくない。私はそんな考えを必死に否定し、それが間違っているということを証明するために友達に、この全ての疑いを消し去るための1つの質問をする。


「ねえ、ふーかってどうしたの?」


 心の中は恐怖でいっぱいだった。だってこの先、返ってくる答え次第では私は絶望させられるんだから。でも立ち止まっていたってしょうがない。私の大切な風花を、見つけ出さなきゃ。だけれど、そんな私の思いとは裏腹にどんとんと怪訝そうな顔になっていき、


「ふうか……? 誰それ?」


 そんな一番聞きたくなかった答えが返ってきてしまった。私はもう絶望が一気に押し寄せて、倒れてしまいそうになっていた。頭がどうにかなってしまいそうだ。みんなと私の情報があまりにも一致しなさすぎる。まるで浦島太郎にでもなった気分だった。さらに詳しく調べていくと、風花だけに限らずクラスの人数も風花を除いても私の記憶とは合っていなかった。そしているはずの人がいなかったり、別のクラスの人がいたりと所々違いが見られるようだ。そして何より困ったのは、さっきの質問した私の『友達となっている人』も名前が記憶中の『檜木ひのき和彩かずさ』ではなく、『木葉このは静香しずか』という全く聞き馴染みのない名前になっていた。顔も性格も、私との接し方も記憶の中のそれなのに、名前だけが違っているという本当にワケのわからない状態になっていた。そんな数々の些細ささいな違いが私の頭を悩ませ、頭痛の種となっていた。ただそれ以上に重大なこと、それは『風花が存在しない扱いになっている』という事実だ。この事実だけはどうしても私は信じることができなかった。あまりにも突飛過ぎて信じようにも信じられなかった。もっとも、私がその事実を信じたくないという思いがとてつもないぐらいに強かったのかもしれない。だって私の大切な風花が存在しないなんてこと、あってほしくない。だから私は1限が終わって、間の休み時間に先生に確認を取りに行くことにした。もし『木葉静香』がいじめる側について、私にそんな嘘を教えているのかもしれない。そんな薄っぺらい希望に私は賭けてみたかった。というより賭けなければならないほど、今の私は追い込まれた状態にあった。でも――


「篠崎……風花? いや……知らないな……」


 そんなちっぽけな希望は跡も残らないぐらいに粉々に砕かれて、散っていった。でもそれが完全なる真実だと知った今でも、私はその事実を信じる気がまるで起きなかった。むしろこれは悪い夢か何かなんじゃないかと思えてきた。あまりにも今の現状が非現実的すぎる。昨日まで一緒にいた風花が突然存在そのものが消えるなんてこと、まずありないだろう。全員の記憶まで改竄かいざんして、席をどこかへやって……なんてあまりにも手間がかかり過ぎてる。冗談にしてはやりすぎだ。だからこそ、これは『悪夢』なのだ。そして夢はいつか覚めるもの。だからきっといつか目が覚めて、覚めた先には風花がいるんだ。きっとそう。だから私は認めない。風花が存在しない世界なんて絶対に私は認めないんだから。

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