ほんとうの

4章 1

 他愛もない談笑をクラスメイトと続ける秋山玲。

 昨日見たテレビのこと、今朝の新聞に書かれたこと。あるいは日常生活で起こったことなどなど。


 話し合いが続けば話す内容はなんでもいい。そんな授業開始までのほんのちょっとの時間を玲は過ごしていた。そうでもなければやっていられないほどに、月曜の学校は誰もが憂鬱なもの。玲たちだけではない。教室の中を見回せばほとんどのクラスメイトがそれぞれ談笑をしていた。つまりは教室全体が騒がしい。その騒がしさを上回る音を出して、教室前方の扉が横に引かれた。


 HRの時間になって先生がやってきたんじゃないかと、クラス中の視線が扉に集まる。しかし入ってきたのは男子生徒だった。


「おう、山中セーフセーフ。もうちょっと遅かったら遅刻確定だったな」

「いやさ、目覚まし時計が壊れちまってさ。

 カーチャンに起こされなかったらまだ寝ていたよ」

 静寂は騒乱に逆戻り。

 入って聞いた男子も他の男子の輪に加わって、けれども。遅れて入ってきたもう一人の姿を見つけるなり静寂が訪れた。


 先生が入ってきたから、ではない。

 入ってきたのは少女。このクラスに在籍している少女。

 少女は静まり返った教室の中をうつむきながら自分の席へと向かう。俯いているのはそうでもしないといろんな方向から飛ばされて来る視線が怖いから。それと、進路上を足で邪魔されてもすぐに気がつくように。転ばされて笑われたくはなかった。

 無事に自分の席へとついて引いた椅子の上においてあったモノを、指先が刺さらないように摘んで引き出しの中にしまいこむ。


 そこまでしてようやく腰を下ろした。


 その少女の名を玲は知っている。水無月留美。

 少女が教室に来てからの雰囲気に飲まれそうになりつつ、挨拶をしようとしていたのに、体が動かなかった。声が出なかった。首の動き以外のすべてが玲の意志の外にあった。まるで自分の体ではないかのように、なにもできないまま見ていることしかできない。椅子を引いた彼女が椅子の上に置かれていたなにかを摘み取るのは分かった。それがなんなのかまではわからなかった。


 一体この世界はなんなんだろうか。

 なんでボクは自分の意志で動けなくなっているのだろうか。


 そう考えているさなかも勝手に体は動いて、いまは午前中の授業を受けている。

 首から上は自由だったが、授業中で自分よりも後ろの席の留美の席へ振り返るのは困難。


 休憩時間になると彼女は速攻教室を出て行ってしまって、授業が始まる直前まで帰ってこない。そして戻ってくるとそれまで騒がしかった教室に再び沈黙が訪れる。この異様な雰囲気に質問を投げつけたいのにそれすらできない。


 表情さえ作られて、いなくなってからクラスメイトと談笑を始める始末。

 昼休みも同様に、始まると同時にいなくなる。なにも持たずに出ているから購買で買ってどこかで一人で食べているのかもしれない。それなら一緒にと、出来る限りの力を込めて体を動かそうとするが、どれだけ声なき声で唸ってみせても結果は変わらなかった。


 腕の一本も動かせない結果に心の中で誰かに怒りをぶつけた。懇願した。お願いだからボクの体をボクに返してください、と。その言葉を聞き届ける人はいない。

 午後の授業になって教師の目を盗んで玲の席へと振り返ってみてわかったことがある。丸められた紙がいくつも彼女へと投げつけられていた。体や頭部、正面の少女からは顔面へと。あえて考えなかった言葉がある。せめてそうじゃないと。

 結果としてそれは自分の甘さを再確認させるだけだった。


「おい水無月。なにやってんだおまえ」

 男性教師が玲の周りに散らばる紙くずを見つけて、近づいていく。

 あぁ良かった。先生が気づいてくれたのなら

「散らばらせて遊ぶのは構わんが、片づけは自分一人でやれよ。

 クラスメイトに迷惑をかけるんじゃないぞ」

 それだけ言うと先生は教壇へと戻っていってしまった。


 あぁ、そうなんだ。顔を黒板へと向きながら、先生の話は何一ついまの彼には入ってこない。これは、この世界は彼にとっての現実なのか。いつか見た固くドアが閉じられた部屋。どうして彼女はいろんな夢を見続けているのだろう。それらは彼女にとって都合のいい夢だったり、破壊衝動の伴った夢だったり、誰かと一緒にいたい夢だったりと。


 彼女は本当の、現実の世界に絶望をしていた。

 このひどく陰湿としたイジメのある世界を。


「だから殻に閉じこもってしまった。この家の、この部屋で」


 学校が終わって、早々に出て行ってしまった留美にそれでもなんとかして追いつきたかったが、体が動き出したのはクラスメイトとの談笑が終わってからだった。もちろん彼女の家がどこにあるかなんてわからない。学校を出てみてわかったが、そもそもここがなんという街なのかも玲は知らなかった。


 見知らぬ土地で、足が勝手に動き出してくれたおかげて迷わずに自分の家らしき家へと戻ってこられた。。

 母親らしき人物に挨拶をして2階の自分の部屋までたどり着いて、そのころには体の自由も戻っていた。部屋には見覚えがあった。置いてある家具などは違っていたが、部屋の作りは全く同じ。ただしカーテンは開けられているし、いまくぐったドアも自在に開け閉めできる。


「そうだ。体を動かせるなら」

 携帯電話を取り出して、電話帳を探して留美のアドレスを探して、見つからないので今度は机をあさって連絡網を発見して電話をかけようとして、指が動かなくなる。

 どれだけ力を込めても指先が少しも動かない。

「なるほど。留美さんに干渉しようとすると行動が制限されるってわけで」

 苦笑するしかない。

 しかたがないので携帯電話をベッドの上に落として、一階へと降りてそのまま靴を履いて外に出ようとしてまたフリーズ。


「そんなにボクに余計なことをさせたくないのなら、四六時中行動を制限すればいいのに」

 誰かに向かって不満を漏らす。

 諦めて靴を脱ぐ。また部屋に戻ってベッドに横になる。


「留美さん……ボクになにを見せたいんだい?

 ボクに……なにをして欲しいんだい?」


 答えを聞かせて欲しい人物はいない。 

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