第三章 過去との追究

5


 時間的には九時を過ぎていて、街を出歩く人は余り居ない筈だ。

 一体……誰だろう。

 旅介とリエは外に出て、見知った人と目が合った。

「漸く……来てくれましたか……」


「げっ!」


 リエの顔色が悪くなり、旅介は唖然としていた。

 その人の鋭い銀色の瞳がリエを睨んでいた。

 銀色の長い髪が風で揺れ、和風なメイド服が月明かりで鮮明に見えた。

 その人は……確実に怒っている。

「香さん!」

「旅介君も来てくれましたか。なら丁度良いです。さてと、どう言う事か説明して貰いましょうか、リエ。少なくとも……言い訳は通用しませんから、そのつもりで」

 そう言って、香は二人に近付く。

 この人は時森家のメイド長の香さん。何故か怒っている。

「さて、リエ、私が此処に来た理由……分かる?」

 「リエ」? この二人は知り合いだったの。

「……えっと……ですね」

 リエさんはニコヤカにしていたが頬に汗が流れた。

「リエ、私は曖昧な返事が欲しい訳ではないのですよ。はっきりと言って下さい」

「嫌だな、香……さん。連絡した、じゃ、ありませんか。通信で……」

「えぇ、通信は届いてました。通信の内容はこうです。『今日の夜、二人共、家で夕食を食べますから、ご心配は要りません。このリエが責任を持って面倒を見ます』と言う内容でした。そして……私は」

 香は溜息を吐いた。

「そう、それ。何が問題なの。現に私が面倒見て上げているじゃない」

 と、リエが状況報告をする。

「リエさんに、香さん。止めましょうよ。こんな所で喧嘩は……」

「旅介君は黙っていて下さい。私は非常に怒っているのですから。もう知り合いであろうと、なかろうと、引っぱたく勢いで怒っています」

 えーそんなに。

 いくらなんでも叩く事ないと思いますが。

 リエさんの連絡にどんな問題があったのか。

「香……さん。目が怖いんだけど」

「『さん』なんて、他人行儀は止めて下さい。聞いていてムカムカします。ふう……リエ、私からの返事を待たず、勝手過ぎじゃ、ないでしょうか?」

 あっ、そう言う事か。

「……返事ねぇー香の返事はいつも怖いからなぁ。はは」

「さっきから『怖い、怖い』と連呼するのも止めて下さい。聞いていると不愉快です。とても、腹が立ちます。そう、リエの顔面を殴り飛ばす程です」

 香は拳をリエに向け、ニッコリと微笑むのだった。

「止めてよ。顔に痕が残るじゃない。どんだけ私を叩きたいのよ、殴りたいのよ、ぶっ飛ばしたいのよ! 私になんの恨みがあるのよ!」

 リエは香に怒号を浴びせる。

「そうですね……山程ありますね。聞いてみます、これから貴女の恨み話を……凄く長くなりますよ」

 香が怖い目でリエを見て、ふっふふふと笑いを零した。

「……嘘だよね。私って、そんなに香に迷惑を掛けていたの。私はちゃんとしているよ!」

「ふっふふふ! 此方の返事を聞かないのに……『ちゃんとしている』ですか。ふっふふふ、笑わさないで下さい。リエは相変わらずですね」

 ふっふふふとお嬢様風に笑い、リエを小馬鹿にする。


 この二人の関係は……一体?


「香、キャラ……違くない」

「……くっ! とにかく帰りますよ。静お嬢様も連れて帰らないといけませんから。旅介君、早く支度して下さい」

 そう言い、香は踵を返す。

「ちょっと、待って、香!」

「なんです? リエ」

「今日は私の家で面倒を見させてくれる。今日は遅いしね……だから、お願い、します。香」

 必死でお願いをするリエは頭を下げた。

「はぁ、私は許可しませんよ。リエ、私は時森家のメイド長として、家の者の安全も守らなければならないので、貴女の申し出を受ける訳には参りません。悪く思わないで下さい」

 香は背を向けた状態で強く言い切った。

 旅介は二人のやり取りを見て、汗をダラダラと流しっぱなしだった。

「香。全く、変わらないね。そう言う所は。この世に生きている限り、掟や規律を守らせる向上心は立派だと思うわ。だからと言って、人のお願いを無碍に扱うってのは、どうかと思うわ」

「無碍、ですか……」

「そうよ! 確かに、掟や規律は大事だけど……これより一番大事な物がある筈よ! それは、人の気持ちよ!」

「ふっふふふ!」

 香はふと笑いを零した。

「ふう~本当に相変わらずで良かった。『人の気持ち』ですか……前にも同じように言われた気がします。その時の私は……何をやったのでしょうか……リエは覚えている、のですか?」

 香は、リエに問い掛けながら振り向く。

「……私は……」

 覚えていると言いたげだったが、リエは噤んだ。

「まぁ……良いでしょう。覚えていようが……覚えていなかろうが……もう昔の事です。無理に思い出す事なんてないでしょう」

 香はふと微笑んで、空を見上げる。

「……香、ありがとう」

「何が、です? 別に礼を言われる事を言ったつもりはありませんよ。それより余計な事は言わないで下さいね。それも……また、掟に関わる事ですから」

「分かっているわ。時々、勘繰って来るから怖いけど……なんとか話を合わせているわ」

 リエさんと香さん、一体なんの話をしているのだろう。

「……はぁ、先が思いやられます。旅介君には、しっかりして貰わなければなりませんからね」

 香さんが僕を見た。

 何……一体、何を言えば良いのだろう。

「あの……何か」

「よい機会かもしれません。旅介君、少し話をします」

「はい……?」

 僕は意味も分からずに返事をしてしまった。

「香、何を言うつもりなの?」

「リエ、黙って居て貰える。折角、星が綺麗な夜に水を差す気ですか!」

 香は再び空を見上げた。

 僕も見ると、本当に星が綺麗だった。

「……うん」

 リエは頷くしかなかった。

「大した話ではありません。リエは……元は時森家でメイドをしていた。それだけの事です」

「へぇ~そうだったんですか。じゃ、リエさんは、僕にとっては先輩じゃないですか。なんで……辞めたんですか?」

 僕は問い掛けた。

「そうですね。リエ自身がやりたい事があると言ったから」

 香さんは馬鹿にするようにリエさんを見る。

「良いでしょう! 別に、私の勝手じゃない。店をやりたかったんだから」

「ふふ、本音を言いなさい」

「はっ?」

 香の言う言葉に戸惑った。

「言えないのなら、私が言いましょうか」

「えっ? だから……何を言うつもりなの?」

「貴女は静お嬢様の為にお店を開きたいと、礼司様が言っていましたよ。それも発明の手助けをする理由で……」

「はっ? 香……何を言って」

「さて、少し喋り過ぎましたか。私は屋敷に戻ります。リエのお願いは、一先ず受け入れます。旅介君、ちょっと」

 香さんは手招きをする。

「はい」

 旅介はゆっくりと歩み寄る。

「先程の話は……嘘、ですから」

「えっ?」

 香はリエに聞こえないように言った。

「香……さん、嘘って……リエさんの反応は本当のようでしたよ」

「そうでしょうね。リエ自身……記憶が曖昧になっているのでしょう。だが、静お嬢様の為に、店を始めたのは本当ですよ。昔から変わった物を見付けて来るのが得意だったからね」

 香は再び空を見上げる。

「香さん、一体……何処からが、嘘ですか?」

「ふっふふふ、そうですね。リエが時森家でメイドをしていたのが嘘です。まぁ……旅介君をからかっただけですよ」

 笑顔で答える。

「香さん……からかわないで下さいよ。僕は記憶がないんですから……あんまり、混乱させないで下さいよ」

「あら、ごめんなさいね。それに……」

 香が言い終わると、リエが話に割って入るようにして声を掛ける。

「あの……お二人さん。一体なんの話をしているのよ!」

 一人残されていたリエが近付きながら訊いて来た。

「……リエさん」

「なんですか、リエ? 今、旅介君と話をしているんですよ。邪魔しないで下さい」

「けど……」

「『けど』じゃありません。全く、これだから……放っては置けないのですよ。旅介君には、これから頑張って貰わないといけませんね。さてと」

 香は歩き出す。

「旅介君、じゃお願いね。静お嬢様を」

「香。何処に行くの?」

「屋敷に戻ります。礼司様には私から報告して置きます。リエ、後の事は頼みましたよ。明日の夕方までには戻って下さいね」

 ニコッと微笑んで、屋敷に戻った。

 すたすたと足音がし、銀色の髪が風で靡き、その人の背中は闇夜に消えた。

「旅介君、香と……なんの話をしていたの?」

「……えっと、内、緒です」

 旅介は両手を前に出し左右に振った。

「えーっ、教えてよ」

「だ、だだだ、駄目ですよ……プライバシーは守らないと」

「……そう、だよね。はは、分かったわ」

 リエは頷きながら、呟いた。

「ふう~それにしても……」

 香さんの裏の顔を見た気がする。静が言っていた「……ぐっ! 旅介は、まだ来たばかりで知らないと思うけど……香さんって凄く怖いんだよ」と。

 しかし、香さんは、香さんなりに僕や静を心配してくれている。もしかしたら、母親以上の存在なのかもしれないな。

 だから、最後に「これだから……放っては置けないのですよ」と言った。

「心優しいじゃないですか、ねぇ、リエさん」

「……っ! 何?」

 リエは驚いたのか、胸を押さえていた。

「どうしたんですか? いきなり」

「……はぁ、いきなり声を掛けてくるから、ビックリしただけですよ。でっ、なんて言いました。さっき?」

 リエさんはさっきの事でかなり参っているようだ。気が抜けるぐらいに。

「えっと、心優しい人ですよね、香さんって、言ったんですけど」

「はぁ!? 旅介君……そんな事を思うのは今だけだよ。これから長く付き合えば分かるから。覚悟、して置いた方が良いよ」

 リエは何れ香の怖さが分かると言っているようだった。

「はは、リエさんまでからかわないで下さいよ。僕、これでも記憶がないのですから。不安になるような事は……」

「ふっふふふ、さぁ夜も遅いし、部屋に戻りましょうか。旅介君」

 リエは背伸びをし、店の中に戻ろうとする。

 そして、気になる事が一つあった。

「リエさん!」

「はい!」

「……えっとですね、忘れてないですか?」

 言い難いなぁ。

「何が……」

「いや、はっははは。やっぱり」

「旅介君……言うのを忘れていたけど。ごめんね。私の不手際のせいで、香に迷惑を掛けてしまって」

「いえ、まさか……香さんが来るとは思わなかったけど。あれで済んで良かったです」

 僕が気になっているのは、「二人の関係」についてだけど、詮索はしない方が良いだろう。

「さてと。旅介君。早く寝る準備をしないとね。今直ぐ準備するから、待っててね」

 リエさんが言うと、店の中に入った。

 入る所を見て、引き止めた。


「リエさん!」


「どうしたの……さっきから変だよ」

 リエは心配をしていた。

「やっぱり、僕……行きます。神聖塾に」

「えっ? 今から……止めた方が良いわよ」

 振り向いて、そう言った。

「いえ、今じゃないといけないと思うんです。静が寝ているなら、戦争の話を訊き出す事も出来ると思うし。それに……静を危険な目に遭わさずに済む」

 記憶の手掛かりはやっぱり自分で見付けないと。

「はぁ~何度も言うけど、今は危険よ。夜の道は……悪意だって出るんだから。それにしても一人じゃ危ないわ。さっきした話は、明日にしたらと言う意味で言ったのよ、分かって貰えるかな、旅介君」

 悪意? その言葉も何処かで聞いたような気がしていた。

「大丈夫です。リエさんは静の事をお願いします。香さんにも言われたでしょう。だから、お願いしますね」

 僕は確かめずにはいられない。


 僕は歩き出す。夜の街を。


「分かったわ。だけど無茶はしないでね。約束したでしょう」

「はい!」

 旅介は手を上げて振り、そのまま商店街を真っ直ぐ歩いて行った。

「『道標』が旅介君を導く。無事に帰って来てね、旅介君」

 リエはそう呟き、店の中に戻った。


『香の帰還』


 時森家の屋敷に戻った香は報告の為に礼司の部屋に居た。

 旅介と静を向かいに物貨屋に行った。

 しかし、リエの必死の説得により、二人を連れて帰る事が出来なかった。

「礼司様、ただいま帰りました」

 香は御辞儀をした。

「香か、どうじゃった。二人の様子は?」

 礼司は普段着ている着物の姿でソファーに座り、お茶を飲んでいる最中であった。

「おっ、おくつろぎの最中でしたか。申し訳ありません」

「良いのじゃ。それで、二人の様子は……?」

「はい、すいません。旅介君は変わりなく元気でした。静お嬢様は見る事が出来ませんでした。どうやら、リエの店の中に居たかと思われます」

 香は状況を見て、報告をした。

「そうか……いきなりじゃったからな。旅介君の身に何かあったのではないかと思ったが、何もなく良かった……」

 礼司は安堵し、お茶を飲む。


 香はリエからの通信を受け取り、礼司に伝えた。

 礼司は心配で、香に様子を見て来るように指示をした。

 その時の香は怒っていた。

「リエ、礼司様に心配をさせて、許しませんよ」

 とこんな思いで屋敷を出たらしい。


「しかし、凄いのう。これは」

 礼司は対極のマークが刻んであるペンダントを手にして呟いた。

「えぇ、静お嬢様が発明した代物です。これには通信機能の他に、これの持ち主が何処に居るのかが分かる発信器まで付いている。それもボタンを押すだけで、凄いと、私も思います」

 香が発明の解説をした。

「ふむ、静も似て来たようじゃのう。龍之介に」

「そう……ですね」

 香は嫌そうに言った。


 時森龍之介、時森家の領主だった者。十年前の戦争の後、行方不明になった。

 戦争の幕が下りた後、街の人全員で捜した。

 だが、見付けられなかった。

 だから、街の人達にとってはとても哀しく、ショックな出来事だった。

 静にはどう説明すると、時森家の家族で話し合いをしていた。

 礼司は落ち着くのじゃと言い、騒がしい雰囲気をどうにかした。そして、礼司は一言「静には死んだと伝えるしかあるまい」と結論を出したのだ。

 その結果は、静お嬢様は嘆き哀しんだ。

 それを見ていると、胸が痛くなるぐらいに。

 こうして十年が経ち、気持ちも落ち着いて、普通に暮らせるようになった。

 香自身、悩みを抱えていた。それは……

「香、どうしたのじゃ!」

「はい? 何か申し出ですか、礼司様」

 と言い、礼司はビックリしていた。

「……、はっ! 礼司様、すいません。大きな声を出して」

「まぁ、良いが……どうしたのじゃ。ボーッとして、ワシが話しても無反応じゃったし、何か悩み事とかあるのか?」

「いえ。そのような事は……。すいませんでした。あの、何かありますか?」

 香はメイド長の職務に戻り、礼司に訊いた。

「香よ、そんなに無理せんでも良い。疲れているなら休むと良い。そして、悩みや相談があるなら聞くからのう」

 礼司は優しく微笑んで、香を抱いた。

「……あっ、あのあの、礼司様。そのような……事は。勿体ないです。このメイド長の香、不足の至りの報告でした。本当に、申し訳ありません」

 香は礼司から離れ、頭を下げた。

「はぁ~香よ。もう良いと言っている。今日はもう遅いから、部屋に戻って休みなさい」

「はい。失礼します」

 香はそう言い、部屋を出た。

 礼司は深い溜息を吐き、ソファーにもう一度座り込んだ。

「旅介君にとっては、これも試練。これをどう進むかどうかは、旅介君次第じゃろう。そうだろう、神介様」

 そう思いながらお茶を飲むのだった。


 部屋を出た香は階段の方に立っていた。

「はぁ~失敗ですね。礼司様に合わせる顔がありませんわ。どうしましょう」

 香は考えていた。

 今、屋敷内に居るのは、礼司様と私だけ。

 二人の兄弟は仕事で居ない。

「考えても、仕方ありませんね」

 礼司様の信頼は仕事で返せば良いし。


 香はそう思う事にし、部屋に戻るのだった。

    

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