第25話 紀子の自殺要因
その人!
私たちは思わず顔を見合わせました。初台御殿をウロウロしているあの黒衣の老婆!でもそれを刑事さんたちに話すにはまだ早いと、雅美さんはすぐに切り替えて、加納刑事に、
「あ、それはそうと、二十六年前の事件なんですけど」
「ちょっと待った。朝日奈さん。その前に、今度は私の番です。あなたはなぜ今度のことと関係があると言うのですか」
しょうがないねという顔を私に向け、雅美さんは説明し始めました。
「それは、こうです」
私たちは加納刑事と仁科刑事に、改めてこれまでの経緯と、その結果として二十六年前の山嵜紀子焼身自殺事件に辿り着いたことを掻い摘んで説明しました。加納刑事と仁科刑事は「ちょっと失礼」と言って中座し、少ししてから加納刑事だけが戻って来ました。
「朝比奈さん、色々教えてくれてありがとう。今度はあなたの知りたいことに答えましょう」
「紀子さんは何のために私の家に来たのでしょうか」
加納刑事は、当時のことを回顧するような表情を見せ、ゆっくりと、
「わかりませんが、おそらくですね、会長、つまりあなたの祖父にあたる方ですね、彼に線香の一本でもあげたいと逗子から来たのではないかと思います。実際に、社長、あなたのお父さんですね、彼が当時そのように話していましたしね」
「父が?」
「ええ。ところでその前にですね、彼女には二人目のお子さんがいましてね」
「二人目」
私の相槌に加納刑事は私の顔をしばらく見つめて、それから雅美さんを見やって、
「静馬氏でしたかね、社長さん、彼の言うには死産とのことです」
「死産」
「ただね、葬式やりますよね、死産でも」
「ええ」
「誰もやっとらんのですよ。社長が外聞を憚って、里子に出されたかもしれません」
それは、寺岡支店長の意見と合致します。でもここで新たにわかったのは、紀子さんが出産している可能性と、二番目の子が里子へ出された可能性でした。加納刑事は続けました。
「で、えっと、紀子が初台御殿へやって来た目的ですよね。何しろ当時家にいたのが社長さんだけ。正確にはお手伝いさんがいたが、買い物などで外出していていなかった。お父さんが言うには、突然彼女がやって来ていきなり自分の体に火を付けて庭で暴れたと言うんですわ」
「いきなりやって来て。。。」
「当時、彼女は気が触れていたというから、そんなこともあり得たというのが結論です」
そう言って苦虫を噛み潰したような顔をしました。何故、苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろう。
「刑事さんはそう思っていないんですか」
返答する代わりに、加納刑事は世の中はつまらぬものだらけだという顔で渋面を作っていました。そしてこう言いました。
「刑事ってのはね、変わった性格で、爪楊枝で重箱をつつくように、些細なことでも粗探しをするように疑問点を持つんですよ。私の場合はね、“もし自分だったら”って良く考えるんですよ。でね、もし自分が紀子だったら、いくら気が触れたと言え、いきなり家へ行くのかなと。朝比奈家への当て付けなのかもしれん、いやいや、だと言え、自分に火を付けて勝手に自殺するかなと。もし、あなたが紀子さんだったら、どうですか」
もし私が紀子さんだったら。その言葉が私の心を刺しました。でも雅美さんはそんな私の気持ちとは裏腹に、事件の核心に迫ってやるという顔で、
「そうすると、何か別の意図や目的があって紀子さんが来た可能性が高いと」
雅美さんの質問に直接答える代わりに、加納刑事は、
「それは、頑なにお父さんはそれを否定なさいました」
雅美さんは、「またしてもお父さんかあ」という表情を見せ、
「何故紀子さんは気が触れたのでしょうか」
「ううん、紀子さんの親類には叔父に当たる方が一人おられましてね。その方が言うには、紀子さんから電話があって『もし自分に何かあったら息子を頼む』と言って来たそうです。思い詰めている様子だったと言っています。だから、あなた方がよくご存知の逗子で何かがあってそれが気を病む原因となったのかなというのが、今のところの結論ですがね」
そう言ってまた加納刑事は苦虫を噛み潰したような顔になりました。
雅美さんがふっとため息を漏らしました。色々なことが分かり始めている。断片的に。しかし、分かっていくとその詳細に不備な点がいくつか新たに出てくる。この数日間、それの繰り返し。雅美さんがため息をつくのもわからないでもありませんでした。私は雅美さんの代わりに、
「あの、刑事さん、その叔父という方の実家がどこなのか、電話があったのはいつなのか、『今のところの結論』という意味を教えてくださいますか」
加納刑事は、お前は何者だという顔を私に向けました。そういえばさっきから視線は感じていました。私はドキドキしました。見られている時間が一分以上に感じられましたが、それでも加納刑事は最後には微笑んで、
「叔父さんはですねえ、『あいつは病んでおらんかった』と言ってます。『自分は毎日客商売してるから』と、お蕎麦屋さんをされてましてね、『表情や声で相手の様子や調子はすぐにわかる』と言うんです。電話があったのは彼女が亡くなる、つまり初台のお宅へ行く前の日です」
どうだ怪しいだろ?とは言わないまでも、そういう顔を加納刑事は隠しませんでした。雅美さんは閃いたという顔で、
「すみません、そうすると、紀子さんは何かある覚悟を決めていた。そして自分の身に何かあったら息子を頼むと実家へ連絡して、相当の覚悟で私の家へ来た。そしていよいよ目的が果たせなくなって観念して死を遂げたと」
私はその後を継ぐ形で、
「あの時、初台御殿には社長と紀子さんしかいなかった。どちらかが紀子さんに火をつけた」
加納刑事は何も言いませんでした。何も反論しませんでした。何という!社長が紀子さんに火を付けて殺した?驚いて何も話すことができなくなっている私たちを見て、加納刑事は付け足しました。
「あなたの尊厳のために言っておくと、これはもう自殺ということで片付いています。社長さんに罪はない」
「そうすると、紀子さんが自分で火を付けた?」
「結論は急がんほうがいいです」
「紀子さんがそうまでして思い詰めていたことって一体?」
「わかりません。何しろ、小さな息子と二人暮らしで。その息子もよう話さんかった」
結局、紀子さんの自殺理由はわからないままでした。でも、二十六年前に何が起きたのか、大体のことは整理できました。警察署の玄関まで送ってくれた加納刑事は帰り際に一言、
「そうそう、紀子さんの実家ね。蓼科ってことだけはお伝えしときます。教えるとまたあなた方行くでしょ?ほら図星だ。あと、代々木八幡の死体。なぜあんなに顔を滅茶苦茶にしたんでしょうね。それに、指という指、全部ですよ、炙っていやがった。身元を確認するのを遅らせるためだと踏んでますがね。でも身元を確認する時間は稼げる。厄介だ」
え?顔を滅茶苦茶にしたうえに、指を全部火で炙った?
「死因は撲殺ですよね」
と私が聞くと、刑事さんは、「いや」と答えました。
「違う?」
「殴られた後です。被害者は生きたまま炙られてます。ショック死です」
「ということは、最初に殴られた時、まだ生きていたんですか!」
「そういうことだね」
「いったいどういうこと?」と私。
「犯人は二人いるってこと?」と雅美さん。
「いやいや、結論は急がんほうがいいって言ってるでしょ。一度目の犯人が現場に戻って二度目の犯行を行った可能性もあるんだから。さ、もうお帰りなさい。念を押しておきますが、これはあんた方が背負うにはあまりにもデカ過ぎる。もう警察ごっこはおやめなさい、いいですね」
そう言って加納刑事さんは、警察の建物の中へ戻って行きました。
《最初に殴られた時、まだ生きていた》・・・
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