第4話 朝比奈重蔵-1
朝比奈重蔵。この日本において彼の名を知らぬものはいないでしょう。それは、不動産王の異名を持つまでに彼のビジネスが成功したためであると同時に、あともう一つ、この事件簿に記す意趣遺恨に満ちた事件に、意図せずして、根深く関わっているためと言って過言ではないからです。
そこでまずは、少し長くなりますが、朝比奈家とそれに関係する人物のご紹介をしておきたいと思います。まずは朝比奈重蔵から。
そもそも、朝比奈家というのは、一九六〇年代、神奈川県逗子市に住んでいた山嵜重蔵という農家の息子から事実上始まる新しい家柄です。一方、山嵜姓は戦国時代にまで遡ります。なんでも、戦をするときに駆り出された農兵であったらしく、大将の三浦義同(よしあつ)が北条早雲を攻めた際、敵兵を百人以上切り倒した功労から山㟢姓を賜ったという話なのですが、肝心の、戦をした時の記録や証拠となる武具などが全く残っていないため確証はなく、どこまでが本当でどこからが嘘なのか、もはやもう誰も証明できるものはいませんでした。また、農家といっても、父の佐吉と母みよが耕す近郊野菜栽培の収入と、息子である重蔵の給与収入とで、やっと生計を営むことができる程度の兼業農家でした。
父佐吉は一人息子の重蔵に農家を継がせる意思はなかったようで、重蔵が高校三年に上がる時、「これから農業は先細りするだけだから、お前は好きなことを見つけてそれに一生懸命情熱を傾けなさい」と言われたとか。そのように言われてもまだ高三、歳にして十八歳になるかならないかの年齢です。自分の生きる道を「はい、わかりました。それでは◯◯の道へ進みます」と、そうそう見定められる訳はなく、取り敢えず学校の勧める地元の不動産会社へ就職しました。
実はこれが人生最大の転機となるわけで、重蔵はその会社で、不動産仲介、土地開発、土地信託などの知識を、実務を通じて増やしていきました。大学へ進学してはいませんが、勉強が嫌だったり出来なかった訳ではなく、仕事が終わると宅地建物取引士の勉強をし受験資格を満たすとすぐに合格しました。
当時は、東京や大阪など都市部とその近県を中心に、農業を継がない家が格段に増えていました。農家を継がないと言うことは、農地をどうするかという問題、つまり土地の固定資産税をどうやって払うのかという問題を抱えることを意味します。さらに追い討ちをかけるように、“東洋の奇跡”といわれる、日本が世界経済の仲間入りを果たすほどの経済発展が土地の価格を急騰させました。これで、本百姓は多額の税金を納めなければならなくなったのです。
重蔵は二十三歳の時、父佐吉を亡くします。享年四十九。後を追うように母みよが二年後に亡くなります。こちらも享年四十九。これにより、代々山嵜の家は本百姓であったので、神奈川県郊外とはいえ莫大な税が跡取りの重蔵に襲いかかってきました。この時、勤めていた朝日奈不動産の社長、朝日奈紀行氏から適切な助言と多大な援助を得られていなかったら、おそらく重蔵は今の地位を築いていなかった、いや、そればかりでなく、土地も家も放棄し夜逃げ同然で逗子から姿を消すしかなかったといいます。
重蔵は紀行社長の助言通り、所謂、土地活用を行います。すると、今では当たり前の手法ではありますが、横浜や横須賀から程よい通勤圏であったために入居希望者が後を絶たず、大当たりしました。これで彼は、それまで父が得ていた農業収入の三倍以上を叩き出すことになりました。しかも、当座として支払わなければならなかった税金や土地活用の資金などはすべて紀行社長が援助してくれました。
そして重蔵はこの方法で、数ある地主の相談相手になっていきます。地主たちは地主たちで、重蔵の家も同じ問題を抱えていたわけだし知らない顔でもない。先祖代々受け継いできたこの大切な土地をどうするか相談に乗ってもらうには、重蔵はうってつけの存在だと思ったわけで、重蔵は二十代の若さで本百姓、名主、はては地元議員と人脈を構築していきました。と、同時に、紀行社長の存在は重蔵にとって絶大なものとなり、ことあるごとに紀行社長の助言や指導を受け続けていきます。
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