04 権力のグリム 最強ロリババ登場です。

「ふわぁ。随分と立派に見えるものですねぇ」

 ルナは鏡に映る自身の姿に、感嘆の声を漏らした。黄金色で壮観な胸当てと腰当て。金属製ではあるが、可能な限り軽量化されたそれは、俊敏なルナの動きを阻害する心配は無さそうだ。腹部等に無駄な鎧を装着していないのは、動きやすさを重視したためだという。その上から、深い漆黒のマントを羽織る。足首に届くほどの長さで、両の肩口にはおぞましく、さも魔王らしいドラゴンの頭蓋骨を模した装飾が施されていた。首から下げたネックレスの先端には、漆を塗ったように輝く濃紫色の飾りが装着されている。球体状のそれは、何かの魔道具なのだろうか。イヤリングにも同様な球がみられた。

 ルナの言葉通り、現在の見た目は只者でない雰囲気を放っていた。ただ、魔王かといわれると、あまりにも小柄で可愛らしい・・・・

「何をおっしゃっているのですか。初めから御立派でございますよ」

 背後に回り、寝起きでぼさぼさであったルナの髪を櫛で丁寧にとかしながら、召使の女性が言った。穏やかな笑顔が特徴的な美人で、頭部から生えた三角形の耳とメイド服のスカートを力強く持ち上げるふさふさの尻尾が彼女の種族を物語っていた。

「ありがとうございます。メアリーさん」

「『さん』だなんて、おやめください。魔王様らしく、メアリーとお呼びください」

 魔王直属の召使として働く、狐人族の女性。名をメアリーといった。幼少期は裕福な貴族の家庭で育ったのだが、血で血を洗う親族との後継ぎ争いに敗れ、『九尾の大妖怪』になれなかった悲しい過去を持つらしい。家から追い出され、死にかけていたところを魔王軍に拾われたのだと、身支度を手伝いながら自己紹介をしていた。八本に分かれた尻尾は、それぞれが意志を持っているかのようにゆらゆらと揺れていた。

「はい、では、遠慮なく。メアリーさっ、おっと、メアリー。実はね、成り行きで魔王になってしまいましたが、今になって私ごときにそんな大役が務まるのかと不安になってきまして・・・・」

 他人に髪をすかれるという、なんとも言えない心地よい感覚を堪能しながら、相談を持ち掛ける。それを受けたメアリーは、目を丸くした。

「まぁ。御謙遜を。昨日の前魔王様との死闘、とても素晴らしいものでした。目で追うこともできない程の圧倒的な速さと、一瞬の隙も見逃さない集中力。しかも、勇者まで倒してしまわれるとは。あれ程の力を手に入れる為に、どれだけの努力を積み重ねてこられたのか、私程度では想像もつきません。それに、少なくとも私は、貴方様が魔王になられて喜んでいるのです。前魔王様はとても大きく、性格も厳格な御方でしたから、御召し物を着る手伝いをさせて頂いたり、髪を結ったり、こうして楽しくおしゃべりをしたりということがかないませんでしたので」

 そう言ってメアリーは、器用にルナの髪をくるくると編み込みながら、鏡越しににこりと笑った。ルナも若干恥ずかしそうに笑い返す。穏やかな空気が流れていた。

「それにしても、あの体格差をひっくり返してしまわれるとはさすがに驚きました。やはり、齢六つにして、エンシェントダークドラゴンを一人で討伐されたというのは、本当なのですね」

「へ?」

 エンシェ? ドラゴン?

 聞き慣れない単語と、謎の逸話。嫌な予感がして、ルナの笑顔が引きつる。

「あ! 申し訳ありません。これから忠誠を尽くす御方のことが気になりまして、ガゼル様から、ルナ様の過去を教えていただいたのです。御気分を害されましたか?」

「え? いや、そういう訳では」

「なら、良かったです。涙無くしては語れない壮絶な人生・・・・とても苦労をされてきたのですね」

 眉毛を八の字にして、少し涙ぐむメアリー。一体、ガゼルにどんな嘘を吹き込まれたというのか?

 ルナは、気になって尋ねてみた。

「あのぅ。ガゼルさっ、えっと、ガゼルは何と?」

「はい。生まれたばかりの頃に、同種族からその非凡なる才能を疎まれ迫害を受けてこられたと。齢二つにして、群れから追放され、この過酷な魔界をずっと一人で生き抜いてこられたのですよね。力無き種族でありながら、生きる為に両親を殺しその血肉を喰らい、外道に手を染め、立ちはだかる者は全て跡形もなく葬る・・・・その内に、気付くと獣人を超え、最強の魔人になっていたと聞きました。ガゼル様も、かつて危ないところを救っていただいた恩があると、感謝しておられましたよ」

(・・・・話、盛り過ぎでしょ!! 私、いつの間にか両親食べちゃってるし! 外道って何!? もっと具体的に教えてくださいよ! というか、こういう設定でいくなら、まず私に伝えておいてください。うっかり変なことしゃべっちゃったら大変ですよ)

「おや、少し暑いですか? 部屋の温度を下げましょうか?」

 だらだらと冷や汗を流すルナを気遣うメアリー。

「いいえ。全然。むしろ、適温です」

 ルナは、慌てて平静を装った。

「そうですか。まぁ、とにかく自信を御持ちください。貴方は、生まれながらにして最強であった歴代の魔王様方とは異なる背景を持っておられます。弱小種族に生まれながらも、自らの努力で最強になられた唯一無二の魔王なのです。弱きを知り、同時に強きも知る、稀有な存在。もっと誇るべきです。王座に君臨する者として、貴方ほどの適任者はいないと思います。心配せずとも、すぐに皆が慕うでしょう」

「・・・・ありがとうございます。少し、自信が湧いてきた気がします」

 誤って転生させられたこと、自らの生い立ち、そしていつの間にか創りだされていた数々の武勇伝。自身を形成するあらゆる情報が、嘘で塗り固められていくことに不安を覚えながらも、既に取り返しのつかない所まで来てしまっていることを実感した。

(今更、全部嘘でした。なんて、口が裂けても言えないですよね・・・・とにかく、メアリーの言う通り、自分を信じてやってみましょうか)

 ガゼルと、メアリー、そしてまだ見ぬ数多の部下達による、胸焼けをするほどの期待を背に、『頑張るぞ!』と意気込んだ。駄目だったら、その時に考えればよい。とりあえず今は、目の前のことから順番に乗り越えていくのだ。ルナは、心の中で力強く頷き、ガッツポーズをする。と、不思議と力が漲ってきた。今なら何でも出来そうな気がする。そうルナは思った。

「そういえば、メアリー?」

「はい。何でしょう?」

「メアリーのレベルってどれくらいなんですか? 参考までに教えてもらえませんか?」

「はい、構いませんが・・・・笑わないでくださいね。実は、まだステータスレベルは三百十六でございます」

(前言撤回です! やっぱり私に魔王は無理でした)

 世界最速の前言撤回記録を打ち出した。単純計算で、二十四倍。あと、どれだけの年月を過ごせば一介の召使に追いつくことができるのだろうか。メアリーは恥ずかしそうに頬を赤らめている。ルナにとっては途方もない数字だが、彼女にとってはそうでもないらしい。膝から崩れ落ちそうになるのを踏ん張り、「へぇー。そうですかぁ。悪くはないですねぁ」と、震える声で芝居を打った。

 そうこうしている間に、身支度が整ったようで、メアリーがルナの肩をぽんぽんと叩いた。

「はい。完成しましたよ」

「わぁ。凄いですね。ありがとうございました」

「いいえ。御手間をとらせました」

 綺麗に編み込まれたまるで一つの芸術品のようなハーフアップに、ルナは満足しているようであった。顔を左右に捻り、ちらちらと横目でチェックしながら、「おぉ」とか「へぇ」とか、感激の声をあげる。

 ちょうどその時、こんこんと扉をノックする音が聞こえた。

「ガゼルです。入室の許可を」

「どうぞー」

 扉が開き、ガゼルが一礼をして入ってくる。

「おぉ! 御立派でございます」

 大げさに両手を広げる。ルナは、少しだけ顔を赤らめてぼりぼりと頭をかいた。

「お待たせいたしました」

「うむ。良い仕事ぶりだなメアリー。御苦労であった」

「もったいない御言葉です」

「それでは、ルナ様。早速他の四天王の元へ向かいましょう」

「は、はい。と、その前に」

「いかがいたしましたか?」

「ガゼルのレベルっていくつなんですか?」

「私は五百四十三です」

 撃沈することは分かりきったうえで、それでも気になったため尋ねてみたが、案の定撃沈した。

 がっくりと肩を落とすルナ。その姿を見て、何かを察したガゼルは、「因みにグリムは四百八十九、ゴルダンは六百三十二です。ルナ様の足元にも及ばぬ不甲斐ない我等ですが、どうかお許しください」と、追い打ちをかける。その口元は、意地悪気にひん曲がっていた。

「さぁ、行きましょうか」

 無言でしょんぼりとするルナに、言葉をかけてから、さっと踵を返す。ルナは、「はい・・・・」と、短く答えその後ろに続いた。メアリーからしたら、自分の部下のステータスが予想以上に低いことに気を落としているように見えるのだろうな思い、ちらっと背後を振り返ると、想定通りそこには申し訳なさそうな表情を浮かべる彼女の姿があった。

(ごめんなさい。逆です)

 都合の良い勘違いが頻発する現状に心を痛める。誰にも聞こえないようにため息を吐いた。

「ルナ様」

 部屋を出る間際、メアリーが呼び止めた。ルナは「何でしょう?」と、振り返る。

「風格とは、その衣装のように着飾るものではございません。貴方の優しさのように自然と纏うものです。どうか、自信を御持ちください」

 優しく微笑み、頭を下げる。ルナも、軽く会釈を返し、先を行くガゼルを追って部屋を後にした。



――――――――――――


 禍々しい蝙蝠の模様が一面に描かれた扉の前に辿り着いたルナ達。上部の案内板には『権力の間』と、記されていた。この先に、四天王の一人がいるのか、と、緊張が高まる。大きく深呼吸をした。

 すると、隣に立つガゼルが、扉に視線を残したまま彼女に小声で話しかけた。

「そんなに気を張るな。お前の方が上の立場なのだ。何も臆することはない」

「はぁ。そう言われましても・・・・」

「あと、お前のステータスについてなのだが、グリムにだけは伝えておこうと思う」

「え? それ、大丈夫なんですか?」

「あぁ。奴は頭が切れる。いざという時には、力になるだろう」

「・・・・まぁ、ガゼルが言うなら、問題ないんでしょうね」

 そして、ガゼルがドアノブに手をかけた。

「あぁ、それと、奴は何百年もの歳月を生きている。子供扱いだけはするなよ」

「えっと。それは、どういう意味ですか?」

「見ればわかる」

 ぎいっと、開け放たれる扉。どんよりとした空気が全身を包んだ。

「これは・・・・研究室?」

 まず、視界に入ったのは、見たことのない不気味な装置の山であった。ごぽごぽやら、がちんがちんやら、ぷしゅーやら、それぞれが思い思いに音を奏でている。装置の中には、赤や紫、青に緑と、色とりどりの液体が満たされていた。臭くも無く、かと言って良い香りでもない独特の匂いが鼻孔を抜ける。

「下手に触れるなよ。中には、危険な薬品も含まれているからな」

「は、はい」

 ガゼルは、部屋の真ん中まで進んで立ち止まり、最奥の壁に立掛けられた漆黒の棺に視線を合わせた。なぜこんな位置に設置されているのかと思いながら、ルナも同じようにそれを見つめる。耳と澄ますと、微かにそこから寝息が聞こえた。

「おい。起きてくれ。お前に重要な話があるんだ」

 しばらくの沈黙。返事はない。ガゼルは、大儀そうに息を漏らすと、再び口を開こうとする。ちょうどその時、がたがたと棺が振動した。そして、間髪入れずに幼い少女を連想させる甲高い声が流れ出してきた。

「何じゃ? 今、魔法研究が行き詰まってイライラしておるのじゃが・・・・」

「邪魔をしてすまないな。お前にどうしても話しておきたいことがあるのだ」

「それは、わしの安眠よりも大切なことなのか?」

「あぁ」

「・・・・仕方がないのう」

 がたんっぎぃーっと、棺の蓋が開く。もくもくと灰色の煙が漏れ出し、棺の周りを覆った。ごくりと、ルナが生唾を飲み込む。

 現れたのは、黒と赤のカラーリングのドレスに身を包んだ少女、いや、幼女だった。身長は、百二十センチメートル弱位か。ルナよりもずっと小さい。腰まで伸びた艶々の金髪と、真っ白な肌がドレスに映える。唇の端からちらりと覘く八重歯は、幼さをより誇張していた。機嫌は、言うまでもなくよろしくないようで、きりりと吊り上がった眉毛と、真一文字に結ばれた口元がそれを示していた。

 ガゼル曰く、この容姿をして、何百年も生きているとのことだが、にわかには信じがたかった。

「で、何のようじゃ?」

 グリムは、腰に手を当てて、ガゼルをじろりと睨む。

「昨日のことなのだが、魔王様が敗れた。正式なる決闘においてな。つまるところ、新たな魔王が誕生したというわけだ。それが、この御方。名をルナ様と言われる」

 それを聞いたグリムは、一瞬目をぱちくりとさせたが、たちまちに眉根を寄せた。視線をルナの方に移し、じろしろと眺める。明らかに不審がっているようだ。

「ふむ。確かに、奴の魔力を感知できないところをみると、敗北したというのはあながち間違いではないようじゃの。じゃが、本当にこやつが魔王を? 奴を凌駕する程の実力があるようには、到底思えぬのじゃが・・・・」

 耳の先からつま先までを何往復もするグリムの視線。恥ずかしさと緊張から、ルナは一直線に背筋を伸ばしたまま固まっていた。

「本当に、お主が倒したのか?」

「は、はい・・・・一応」

 確かに、ルナが倒した。半分事故のようなものではあるが、嘘は吐いてはいない。

「ふーむ・・・・」

 顎に手を添えて、上目遣いでルナの顔を覘く。ルナは落ち着かないように、目線をきょろきょろと動かしていた。

「何を挙動不審にしておる? わしの目をしっかりと見よ」

「は、はい」

 そんな様子を見兼ねたガゼルは、決心したように目を閉じ頷くと、ゆっくりと口を開いた。

「で、ここからが本題なのだが。実は、ルナはレベルがっ」

「魅了(チャーム)」

 ガゼルの発言が終わるのを待たずして、紡がれる詠唱。

「そうそう、チャームって、えっ!? おまっ! 何のつもりだ!?」

「この方法が、一番手っ取り早いじゃろう? 少なくとも、わしよりも強ければ、この魔法は通用せぬからな」

「だから、それについて今から話そうと」

 右手で額を覆い、狼狽するガゼル。

「おい。大丈夫か?」と、声をかける。が、ルナは「はれ? はれはれ?」と同じ言葉を繰り返し、魂が抜けた人形のように立ち尽くしていた。視点も定まっておらず、心ここにあらずで、大丈夫ではなさそうだ。

「何か裏がありそうだとは感じたが、やはりな。話してもらうぞ。そこの兎。わしが命ずる。全てを包み隠さず話すのじゃ」

 むふふと、してやったりの表情を浮かべながら、ルナを指さす。ガゼルは、「そんなことせずとも俺が話すのに・・・・話を最後まで聞かない奴ばかりだな」とぼやいた。

 ゆらゆらと頭を揺らすルナの耳に、グリムの命令が侵入する。

『魅了(チャーム)』は、グリムが『権力』を冠する最大の所以である精神干渉魔法で、その効果は自分よりもレベルの低い対象と視線を交わすことで、言いなりにすることができるというものだ。まだ、三桁にさえ到達していない弱小ステータスのルナが、その呪縛から逃れることはまず不可能であった。ガゼルも、ここまで来ると完全に諦めたようで、成り行きを見守る姿勢だ。

 だが、誰も予想だにしない出来事が起こった。

《警告。チャームによる精神侵食を確認しました。対抗手段として、ノーマルスキル『発情期』を強制発動し、精神を錯乱状態にします》

 無機質なナビの声がルナの脳内に響いた。瞬間的にルナの思考がクリアに戻る。

「え? ナビさん? 何を言っ!? おひゅん!!」

 しかし、すぐに再び混濁した。だらりと脱力し、電池が切れたようにこうべを垂らす。チャームに掛かったにしては、あまりに不自然な反応をするルナを見て、ガゼルが心配し「おひゅ? おい、大丈夫か?」と声をかけるが、反応はない。

 グリムも、訝し気に目を細めた。

「ふむ? おかしいのう。きまりが浅かったか?」と、閉店後に電源が落とされたヒューマノイドロボット、ペッ〇ー君のように棒立ちとなるルナに近付く。真下から彼女の顔を見上げ、再度精神侵食を試みようとした。

 が、その刹那。グリムの細い腰にルナの右腕が回された。

「なっ! なんじゃ!?」

 突然のアクシデントに、驚愕する。と、同時に添えられた腕に力がこもり、ぐいっと引き寄せられた。ふわりとグリムの足が地面から離れる。二人の体がぴたりと密着し、拳一つ分くらいの近距離で顔と顔が対面した。

「貴様! まさか、謀ったな!」

「・・・・」

 二人の目が合う。対照的な瞳。罠にはまったと思いこみ、次に来るであろう敵の攻撃に怯える弱弱しい瞳と、いつもの呆けたものとは明らかに違う強烈な意志の籠った力強い瞳。にいっとルナの口元が吊り上がった。その表情の変化に、グリムは「ひぃっ」と、小さく悲鳴をあげる。

(や、殺られる!!)

 自分の傲慢さと不用心さを今になって後悔する。魔人は見かけによらないというが、こんなひょろひょろの兎に負ける日が来るとは。これほどの至近距離だ。本当に前魔王を倒した猛者だというならば、魔法の詠唱をする暇など与えてはくれないだろう。完全に『詰み』だ。――――と、敗北及びそれに伴う死を覚悟した。

 覚悟した、はずだったのだが。

「やぁ。僕は稀代の大魔王ルナ様だよ。高貴で美しい御嬢さん。僕の妃となってくれ」

「「はっ?」」

 同時にあんぐりと口を開けるグリムとガゼル。その目は揃って点と化していた。ルナはふふっと不敵に笑い、空いた左手でルナモッチーのヘアピンで留められていない方の前髪を掻き分ける。そして、そのまま唖然とするグリムのシャープな顎に優しく添えた。

「無言の了承、と、いうことかな?」

 妙にイラっとする自信に満ち溢れた言動。まるで、別人のようではあるが、残念なことに、幾分かこちらの方が『魔王』らしくはあった。

「貴様! 何のつもりかは知らぬが、わしを愚弄するつもっ、うぷっ!?」

 込み上げる怒りを抑えきれずに、激昂するグリム。だが、それは途中で遮られてしまった。

 グリムの血色の良い真っ赤な唇に、ルナの唇が無理矢理に押し付けられたのだ。ガゼルは、「おっと・・・・」と、見てはいけないものを見てしまったかのように、咄嗟に右腕で目を覆い、顔を背ける。さすがは、腐ってもジェントルマンだ。その一連の動作には一切の無駄がなかった。

「・・・・っ!?」

 グリムは数秒の間、自らの身に何が起こったのかを理解することが出来ずに、かちんこちんに固まる。しかし、すぐにかっと目を見開き、じたばたと暴れだした。

「んんんーーーーっ!!」

 たっぷりと怒気を含んだ唸り声をあげようとするが、口が塞がれているため、上手く紡ぐことが叶わない。ごすごすと宙に浮いた足でルナを蹴り、おまけにぼこすかと拳も浴びせるが、見かけ通り非力な彼女の打撃ではダメージになることは無さそうだった。くうっと自らの貧弱さを噛みしめ、今度は力づくで、剥がしにかかる。足の裏でルナの腹部を思いっきり押し、両手でルナの髪を鷲掴みにして、自分とは反対側に引っ張った。顔面の皮が頭部へ引き寄せられ、糸目になるルナ。

「ぷはぁ。はぁはぁ・・・・」

 さすがに両者の唇が離れ、グリムは荒い呼吸をしながら、眼前の変態を睨みつけた。その顔は酸素不足の為か、羞恥心によるものか、真っ赤になっていた。ルナは、つぅっと滴り落ちる涎の糸を恍惚の表情で眺めると、再び熱いベーゼをかまそうと顔を寄せる。グリムは、再び「ひぃぃ」と、短い悲鳴をあげる。

(や、犯られる!!)

 即刻、「アイシクルトルネード!!」と、強力な上級魔法を唱えた。

「グリム! それは駄目だ!」というガゼルの制止は空しく空に消え、瞬間、前方に何本もの巨大な氷柱が現出した。それは部屋中の得体の知れない装置をばきばきと破壊しながら成長し、かつ氷漬けにしていく。そして、部屋の端まで辿り着くと強固な魔王城の壁を易々と貫き、廊下一帯をスケートリンクへと変えてしまった。外からは、メイド達のものであろうけたたましい悲鳴が響く。たった一言。それだけで、阿鼻叫喚の地獄絵図が完成した。――――だが、

「はぁ。はぁ。どうして、どうして、貴様は、そこにいるのじゃー!!」

 不幸にも、博物館の展示品と化したガゼル。その頭上、氷の嵐の被害を退け、できたばかりの冷たい足場に仁王立ちするルナを見上げて、声を震わせる。

「ふふふ。恥ずかしがり屋だね。でも、それくらいじゃじゃ馬なのが、丁度良い」

「ひ、ひぃぃ。サンダーアロー!」

 舐め回すようなルナの視線に、ぶるぶるとする寒気を覚え、雷を帯びた両手をルナの方へ突き出す。すると、目にも留まらぬ速度で、雷撃が発射された。飛んでいる蠅でさえ容易く打ち抜けるような神速の一撃。しかし、それでさえ、ルナを捕らえるには遅すぎるようであった。ルナが居たであろう空間を通過し、背後の壁を粉々に粉砕する。ぱらぱらと、破片が舞い落ち地面でバウンドした。

「なんでじゃ! 掠りもせぬというのか! この、化物め! サンダーアロー! サンダーアロー! サンダーアロー!」

 一心不乱に、魔法を乱唱する。雷の銃弾がグリムの視界に入る物全てを砕いていった。高速、いや光速で飛び回る一匹の小さな魔王を除いて・・・・

「ああああああああ!! サンダーアロー! サンダーアロー!」

 完全に、我を失い半べそをかくグリム。数分もの間、手を休めることなく上級魔法を打ち続けた彼女は、さすがに疲労したのか、詠唱をやめると膝からがくりと崩れ落ちた。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・」

 全身から汗を流し、肩で息をする。

「やっとで、大人しくなったね。子猫ちゃん。ふふ」

 ルナはざっざっと、ゆったりした足取りで、静かになったグリムに近付く。そして、すぐ傍まで辿り着くと、腰を落として彼女の肩に手を置いた。

「さぁ、行こうか? 僕等の愛の巣に。ね?」

 ばちこんっと、キザすぎる強烈なウィンクをかますルナ。だが、グリムはその瞬間を待ち構えていた。にやりと笑い、顔を上げる。

「さすがにこれは、避けきれんじゃろう。ビッグバンインパクト!!」

 ぱっと眩い閃光がほとばしり、続く衝撃。どごおおんっという、鼓膜をつんざくような爆破音。吹き荒れる熱風は、氷の柱は一瞬で溶解させ、部屋中にある全てを跡形もなく消し飛ばした。その後には、しゅうぅぅという蒸発音をあげ、白い煙が立ちのぼっていた。むわむわとした熱気が充満する。実験用の機械も、寝床としていた棺桶も、分厚い壁も、申し訳程度に配置されていた家具も、塵一つ残さず消滅した殺風景な空間。

 グリムは、「はは、ははは、はははは・・・・ありえん。もう、ついて行けぬわ」と、壊れたように笑う。そして、「インビジブル」と、小声で唱えた。瞬く間に、彼女の体が透過していき、そして、完全に可視できなくなった。

「あっれー? グリムちゃん? どこ行っちゃったのかなー? 出ておいでよ」

 ルナ以外、誰もいなくなった元『権力の間』に、魔王様モードの彼女の、癪に障るボイスがこだました。

 


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