01 目覚めると、そこは最終決戦でした。

「うーん。ママぁ?もう朝ですかぁ?」

 至福の安眠を妨げられ、檜渡 瑠娜(ひわたり るな)はご機嫌斜めという様子で瞼をこすった。ついでに、華の女子高生には似つかわしくない程の巨大な欠伸をかます。

「ふわぁぁ。ねみゅい。今日は休日だよぉ」

 どうやら、意識はまだ半分以上が夢の中にあるようだった。ぴたりと接着された瞼を開眼する素振りも見せずにごろんと反転。気持ち良さそうに寝返りを打つ。だが、いつものふかふかなベッドとは異なる感触に顔をしかめた。巻き込んだつもりの掛布団の感覚もしない。

「はれ?硬い?」

 口の端から涎を垂らしながらぼんやりと薄く目を開いた。ぼやける視界に映る景色は薄暗い。

「なんだぁ。まだ夜だよぉ。ひどいですよママ。私の布団、返してください」

 周囲の暗さに安心したのか、寝心地など意に介さず再び眠りにつこうと試みる瑠娜。少し肌寒いのか、ぶるっと震えた後に自らの膝を抱えた。もふりとした感触と共に、温もりを感じる。

「あ、お布団だぁ」

 目を閉じたまま、にんまりと幸せそうに笑う。意識がどんどんと薄れていき、次第にすーっすーっと深い吐息が漏れ始めた。体がぷかぷかと浮き上がるような心地の良い感覚に包まれ、吐息が寝息に変わっていく。

(あぁ、幸せ。でも、今日って何かあったような・・・)


――が、ふとあることを思い出して飛び起きた。


「今日は、インターハイだ!」

 瑠奈は、私立谷峨昌西(やがまさにし)高等学校に通う学生であった。三年二組、身長百四十八センチ、出席番号十六番。弱小ではあるが女子ソフトボール部の副部長として、三十名程度の部員を頼れるエース兼部長の服部 美琴(はっとり みこと)と手を取り合い纏めていた。美琴はともかくとして、瑠娜自身は決して実力があるという訳ではなく、単に三年生の部員が二人しかいないため副部長の任に就いているのであるが、天性の運動音痴が災いして年中補欠選手だった。公式戦では一度もベンチから立ったことが無いのだ。だからと言って後輩からの信頼が皆無ということはなく、持ち前の明るさと面倒見の良さからむしろ慕われていた。トレードマークである兎のゆるキャラ『ルナモッチー』のヘアピンをいつも装着しているため『ピョン吉先輩』、『うさちゃん先輩』、『ラビ先輩』など、思い思いに愛称で呼ばれ、その愛くるしい容姿も相まって下校時や休日は皆のアイドルとして引っ張りだこであった。いわば、谷峨昌西女子ソフト部の歩くマスコットキャラクターである。クールビューティーで最低限度の言葉しか発さず、常にツン成分の鎧に身を包んだ美琴に『ソフト部に瑠娜が居てくれて本当に良かった』とデレさせた逸話は、後輩たちだけでなく部活に関係のない同級生間でも谷峨昌西ローカル伝説の一つとして語られていた。もちろん、今回のインターハイ地区予選も瑠娜は補欠であった。しかし、高校生活最後の大きな大会。試合に出場するしないは関係なく特別なゲームであることは間違いなかった。そのために、前夜は気合を入れて夕方の十八時に布団に入ったのだ。準備は万端である。

(さぁ、かかってこい青春最後の一大イベント。絶対に爪痕を残してやる。補欠だけど。)

 と、瑠娜は自分の顔の前で拳を握りしめて気合を入れた。のだが、

「はれ?」

 瞳に飛び込んできた巨大な『何か』を認識して、ゆっくりと拳を下した。半開きのままの口を閉じることも忘れて周囲を一瞥した後、再度確認の意味も込めてじっくりと見回した。

《おはようございます。瑠娜様》

 無機質な女性の声が頭に響く。

「え?」

 脳の処理が追い付かずに、ただ茫然とした。目の前に広がる光景があまりにも非現実的であったからだ。だだっ広い空間に、どんよりとした濁り気のある空気が蔓延している。何十本もの石造りの太い柱が遥か上空一面に敷かれた漆黒の天井を支え、窓から見える外の景色はひどく荒れていた。唯一の光源である等間隔に設置された燭台の炎は濃緑色で薄気味が悪い。何よりも、離れたところにわらわらと屯っている生物。明らかに人間ではない見た目をしていた。寝ぼけた瑠娜の頭でも自室では無いことだけはすぐに分かった。寝起きドッキリにしては、あまりに手が込み過ぎている。

 全く知らないはずの景色。であるはずなのに、なぜか瑠娜はこの景色に見覚えがあった。いつ見たのだろうと首を傾げる。すると、

「ナに、モのだ?」

 地を這うような重低音だった。瑠娜がそれを『声』だと理解するのには数秒かかった。さらに、その発信源が眼前の巨大な『何か』であることを認知するのに数秒。

「えぇっと、まだ寝ぼけてるのかなぁ。あはは」

 瑠娜は、誰に向けたわけでもない困ったような笑顔を作り、頭をかいた。

(何この展開? 夢? 夢だよね?)

 そんな自問に対して回答が返ってくることは当然なかった。

「きサまは、ナにものだとキイているのダぁぁ!」

 しびれを切らしたのか、『何か』が大声を張り上げた。どすんっと、とてつもない爆音が響き『何か』の一部が一瞬高く持ち上がり、再び同じ場所に落とされた。地面が抉れ、空気が激しく振動する。土煙がぼうっと立ち込め、床の破片が飛び散ってこつんと瑠娜のおでこに当たり「いたっ」と小さく呻いた。そこで初めて、目の前に振り下ろされた樹齢云千年を超えるありがたい神木の様な塊が『何か』の足に当たる部分であることに気付いた。

「ひぃっ」

 あまりの迫力に引きつった悲鳴をあげる瑠娜。それとほぼ同時に、周りからもざわざわと声があがった。

「魔王様。落ち着いてください。魔王城が壊れてしまいます」

「なんなのだ。あの兎人族は?」

「どうやって侵入してきたんだ?」

「気を付けろ。勇者の隠し玉かもしれんぞ」

「魔王様が動揺しておられる。それほどの強敵という訳か・・・」

「あんな弱そうなの、俺でも簡単に殺れるぜぇ。ひゃははは」

「魔王様。勇者は虫の息です。そのような兎に構うことなく、止めを刺してしまってください」


(魔王? この人が?) 

 瑠娜は意図的に上げまいとしていた視線を、恐る恐る上昇させた。体長二十メートル位はあるだろうか。あまりにも巨大すぎる体に強靭な八本の腕。鋭利な牙を携えた虎を連想させるような顔面。体中に刻まれた傷跡は歴戦の戦士であることを物語っていた。その魔王が見つめる目線の先、そこには恐怖でペタリと座り込む瑠娜の他に四人の人間がいた。その内の三人は倒れて気を失っており、彼らを庇うような形で立派な白銀の鎧を装備した青年が剣を構えている。青年は満身創痍のようで今にも膝をついてしまいそうであった。立っているのもかなり苦しいのだろう。足はがくがくと震え、魔王に向ける剣先はふらふらと定まっていない。だが、その表情だけはまだ死んでいないようであった。瞳の奥には、熱い信念が宿り魔王をきっとまっすぐ睨みつけている。命を賭してでも守るべき使命がある。守るべき仲間がいる。守るべき世界がある。口に出さずとも、そう語っているようであった。

(この人が勇者? で、周りを囲む化物みたいな人たちは魔王の手下?)

 このサイズの魔王がいても狭さを微塵も感じないほどの広大な空間を挙動不審に見渡してから、徐々に状況を理解していく瑠娜。ぼうっとしていた思考が急激に鮮明化されていく。そして、見覚えのある景色の正体を思い出した。

(ここ、魔王城だよ! ド〇クエで見たのと同じだ! しかもこの状況、間違いなく最終決戦・・・・ラスボスのシーンだよね? 勇者と魔王による世界の命運を賭けたタイプの。だって、勇者さんの持ってる剣、なんか光ってるし。というか、勇者さん劣勢ですよね。ここから逆転できるんですか? 負けちゃうよ。誰か、ベ〇マかけてあげて! このままじゃ。世界が滅ぼされちゃうよ)

 そして、何より、

「私、絶対に場違いですよね」

 瑠娜は自分が巻き込まれた局面を的確に把握すると共に、この場で最も不必要で不自然な存在が他ならぬ自分であることを悟った。



―――


「君は、一体何者なんだ?」

 勇者は魔王から視線を外さずに尋ねた。肩で息をするその姿から、かなり消耗していることが分かる。

「うぅぅ。そんなの、私の方が聞きたいですよぉ」

 瑠娜は涙目になりながら頭を抱えた。

 自分が何の為にここにいるのか。どうやって実家のベッドから移動したのか。そもそもここは日本なのか。インターハイはどうなったのか。疑問は腐るほどあった。

「どうして、こんなことになったのでしょうか?」

 何か心当たりがないかと記憶を遡るが、何度試みても(そういえば、昨日の晩御飯は大好物のエビフライだったな・・・)等の全く関係の無いものしか引き出すことが出来なかった。

 すると、先ほどと同じ機械のように単調な女性の声が聞こえてきた。

《貴方は、檜渡 瑠娜様。転生者です。職業は無職。ステータスレベルは壱。種族は兎人族。装備品は『純白の胸部さらし』のみです。保有スキルは、ノーマルスキルが『回避性能強化壱 レベル壱』、『聴覚向上 レベル壱』、『跳躍距離補正 レベル壱』、『危機探知能力向上 レベル壱』、『運気上昇 レベル壱』、『穴掘り名人 レベル壱』、『発情期 レベル壱』、『寂しがり屋 レベル壱』、『抜け毛 レベル壱』、エクストラスキルは未習得、ユニークスキルが『草食動物の生存本能』になります》

 瑠娜は突如聞こえてきた声に驚き、ぎょっと身を強張らせた。

「転生、者?」

 恐る恐るといった様子でそろりと頭上を見上げるが、もちろん、そこに声の主はいなかった。

《はい、転生者です。瑠娜様がおられた世界とこの世界は全くの別物。瑠娜様にとってこちらの世界は異世界という事になります》

「でも、私まだ死んでないはずですよ。こういうのって普通、交通事故で死んだり、殺人犯に殺されたりしてから起こるものなんじゃ・・・」

 瑠娜は、決してアニメやラノベなどのサブカルチャーに詳しい人間ではなかった。それでも、一般常識程度の『転生モノ』というジャンルに対する知識は持ち合わせているようであった。

「お、おい。急にどうしたんだ? 大丈夫か?」

 魔王の一喝時とは異なるざわつきが起こり始めていた。どうやら、例の女性の声は瑠娜以外には届いていないようである。勇者もその周囲の化物たちも、緊張した面持ちで瑠娜の様子を伺っていた。

 まぁ、突然出現した謎の少女が天に向かって独り言を紡ぎ始めたのだ。誰だって不気味に感じるのだろう。

《はい。正規ルートはそうなります》

「正規ルートって、私は違うってことですか? それに、貴方は誰なんですか?」

《私は、ナビゲーターです。この世界において、必要最低限の支援をさせて頂きます・・・それと、貴方がここに召喚された理由なのですが・・・》

「・・・」

 固唾を飲んでナビゲーターの言葉を待機する。正規ルートではない転生者。もしかして私は特別な存在で『とある偉業』を成し遂げるためにこの世界に呼びだされたのではないのか。そんな期待に心なしかうずうずとした。だが、その答えは非常に非情なものだった。

《転生対象者を誤りました》

「へ?」

 気付かないうちに胸に当てていた右手をさっと下す。今なんて?

《本当は貴方ではなく、老人夫婦の身代わりとなり暴走したダンプカーに撥ねられて亡くなった心優しい青年を最強の龍人族として転生させる予定だったのですが、区画整理により転生予定地と事故現場の座標がいつの間にかずれておりまして、それに気づかずに誤って当初の予定地で眠る貴方を転生させてしまったのです。最悪そこまでは良いとしても、まさか貴方が龍人族どころか純粋な人族に転生する素質さえ持っておられないとは・・・何とか、兎人族の体を形成することには成功しましたが、そちらに力を注ぎすぎてしまい、転生地点も始まりの街ではなく魔王城となってしまいました》

「何ですかそれは! 完全に単なる被害者じゃないですか! 今すぐ帰してください! ママの待つ暖かい我が家へすぐに!」

 半狂乱で頭部を振り回す瑠娜。さながら、某ロックバンド『マキシ〇マムザホ〇ルモン』を彷彿とさせるヘドバンのようであった。

《それは不可能です。あちらの世界での貴方の存在は既に別の瑠娜様として置換されました。後戻りをすると、一つの世界に二人の瑠娜様が存在することとなり、歪みに繋がります。歪みは徐々に肥大化していき、いずれ世界の崩壊をもたらします》

 それを聞いて、「うううぅぅぅぅぅぅ」と、さらに激しく乱れる。

「うわぁ。何か始まったぞ。離れろ。危険だ」と、魔王の手下たちは揃って数歩後ろに退いた。さすがの勇者も「くっ」と、一歩後退する。

 皆が恐れおののいているのも気にせず、瑠娜は、一通り喚き散らしたところで突然ぴたりと動きを止めて、ぽつりと呟いた。

「して、その轢かれた方はどうなったのですか?」

《転生は叶いませんでしたが、そのまま天国へと召されました。現在は悠々自適な死後ライフを送っておられることでしょう》

「それは、せめてもの救いですね。はは」

 がっくりと項垂れて乾いた笑い声を発する。瑠娜は、不思議とこの理不尽な仕打ちを受け入れてしまっている自分に愕然とした。前世に不満があった訳でもない。むしろ、かなり充実した日々を送っていた。毎日が楽しかった。

『スマイルでいきましょう』

 それは、瑠娜が幼いころから意識的に口癖としてきた言葉だ。この魔法の言葉は、試合に負けて険悪な雰囲気になる仲間を、失恋して落ち込む友人を、パパを亡くし悲しみに暮れるママを、何よりも自分を、何度も何度も絶望の淵から救済してくれたのだ。今回もきっと助けてくれるはずだ。何とかなるはずだ。希望が見つかるはずだ。

「スマイルでいきましょう!」

 瑠娜は、目尻に溜まった涙を拭うと、ぐっと小さく拳を握った。『覚悟を決めた』。そんな表情に変わっていた。

(天国のパパ。現世のママ。私は、異世界にて楽しく笑顔で生きていきます)

「スマイ? な、なんか唱えたぞ。魔法か? 警戒しろぉ」

 そんなどよめきの中、魔王は再び声を張り上げた。

「よくワカらヌが、キショクのワるいウさギだ。ガぜる! こいツをヤツざき二しろ!」

 魔王に指名されたのは、二本の捻じれた角を持つ魔人であった。ガゼルと呼ばれた魔人は、「承知しました」と、短く返答して前に出る。しなやかでスマートな歩き方、洗練された所作、びしっと決まったタキシード、その姿には気品が溢れていた。

「おい、四天王のガゼルが出たぜ。あの兎野郎がどんな豪傑かは知らねぇが、終わったな。四天王は魔王軍の精鋭部隊だ。その辺の輩が敵う相手じゃねぇ」

 げへへへと、手下たちの汚い笑い声が魔王の間にこだました。

 死角から近づいてくるガゼルの足音をしっかりと耳で捉えながら、瑠娜は全く別のことを思考していた。自分の体のことだ。なぜ、今の今まで違和感を抱かなかったのか不思議に思った。何度も視界の隅に映っていたはずなのに、何の疑問も感じなかった。まるで、それが普通のことであると脳が認識していたかのように。意識して見れば見るほど、記憶にある自分の体とは異なる構造をしていた。まず第一にこのフカフカの白い体毛。肘から先と、腰から下すべてが厚い純白で覆われていた。よく観察すると、長い毛と短い毛の二重構造となっている。暖かく、なによりモフモフであった。逆に、体の中心部分から肘の手前までは記憶にあるものと同じ人間のそれであった。ツルツルで体毛の一つも見えない。瑠娜は確認のために、毛で覆われた手で自らの顔部を触った。

「顔は、人間のままだ。あ、耳が随分と上の方に・・・長いですね。さすがは兎さん」

 続けて、手の平を臀部に移動させる。

「うわぁ。毛が柔らかい。気持ちいぃ。モフモフだぁ・・・あ、尻尾もありますね。丸い・・・」

 触診の要領で自らの体の変化を確かめたあと、ふとナビゲーターの言葉が頭をよぎった。

『装備品は純白の胸部さらしのみです』

 ちらっと自らの胸部に視線を移す。転生前から変化が見られない自己主張の少なめな相棒が包帯のようなもので巻かれていた。それ以外は、何も着ていない。おへそ丸出しの脇丸出し。そして当然のように、下半身にも装着している布なぞ存在していなかった。分厚い体毛に覆われているため、幾分か羞恥心は軽減されているように感じるのだが、一度その事実に辿り着いてしまうと急に恥じらいが込み上げてきた。これではただの痴女ではないかと、かつての世界の基準で考えてしまう。今更感は否めないが、瑠娜は咄嗟に右腕で慎ましやかな胸部を、左腕でフワフワの毛で埋もれた恥部を抑えるようにして隠した。

「うぅぅ。私は何て格好をしているのでしょうか。恥ずかしいですぅ」

 林檎のように赤面して、背を丸める。その時、ぴくりと耳が空気の擦れる音に反応した。

「っ!」

 ほとんど反射的な跳躍であった。すぐ背中側にはガゼルと呼ばれた二本角の魔人の後頭部が見える。どうやら、背面跳びの格好でガゼルの初撃をひらりと躱したようであった。ガゼルは驚いたように目を見開いていた。瑠娜が鎮座していたはずの地面に深々と埋まった爪を引き抜くと、自分の背後に着地した瑠娜の方をゆらりと振り返る。

「お前・・・」

 ガゼルは、ぎろりと瑠娜を睨みつけた。その眼光は獲物を狙う狩人のものであった。久々の好敵手との邂逅の予感に、にぃっと口の端を吊り上げるガゼル。瑠娜は、ぶるっと体を震わせる。そして、思わず叫んだ。

「こ、このケダモノさん! 私にナニをするつもりですかぁ!」

 胸と下半身を必死に隠し、顔を朱色に染めながらもじもじと身を捩るその姿はかなり背徳的な感情を湧き上がらせた。通常は、『獣』を意図するその単語に明らかに別の意味が込められていることをガゼルは察した。

「ケ、ケダモノだと! それに、ナ、ナニとは何だ!」

 ガゼルは、明らかに動揺しているようであった。

「な! それを私の口から言えと? どれだけ、私を辱しめるつもりなんですか!」

 さらに顔を赤くする瑠娜。

「お、俺はそんなつもりは・・・」

「ひぃ。近づかないでください。ケダモ・・・変態さん!」

「おい! なぜわざわざより直接的な表現に言い直したんだ!」

「いやぁぁ。犯さっ」

「やめろぉぉ!」

 瑠娜の言葉を途中で遮るガゼル。すでに、登場時の冷静なイメージは微塵も纏っていなかった。

「止まれ! その娘に乱暴するな! このケダモノめ!」

 ガゼルのすぐ近くで勇者が叫ぶ。

「何だと! 貴様まで・・・俺は別にそういうつもりは!」

「おいおいガゼルって、ロリコンだったのかよ」

「婦女暴行って酷すぎるだろう。悪魔かあいつ」

「四天王っていう位だから、どんな崇高なる魔人かと思ったけど、ただの変態か」

「目を合わせるな。ロリコンがうつる」

 勇者に続くように、周囲の化物たちからも罵詈雑言が囁かれ始めた。

「おい。待てよ。何でそうなるんだよ」

 ガゼルは、助けを求めるようにオロオロと周りを見渡すが、誰も顔を伏せて目を合わせようとはしなかった。

「何でだよぉぉ」

 ガゼルは頭を抱えて叫んでから、がっくしと膝をつく。そして、すぐさま気持ちを切り替えると「殺してやる!」と瑠娜へと襲い掛かった。

「変態が兎の少女を襲うぞ」などという身内からの心ない言葉はことごとく無視をして、長く鋭い爪を縦横無尽に振り回し魔王の命令だけを実行に移す。

 だが、瑠娜は「ひいぃぃ」と悲鳴をあげながらも、全ての攻撃をすんでのところで躱していた。兎人族特有の回避能力の高さと、瑠娜の持つスキルとの相乗効果により常軌を逸した動きを見せる。大切な部分を隠す腕の位置はそのままで、ひらりひらりと舞うように危なげなく猛攻を避ける様子には、まだ余裕さえ感じられた。

 まるで、実態の無い煙でも切り裂くような感覚に早くもガゼルは息を荒げていた。怒りの感情に半ば我を失っていたこともあってのことだろうが、明らかに疲労の色が濃く、次第に動きが鈍くなっていく。それとは反対に、瑠娜の息は全く乱れていなかった。

「なぜ、当たらないんだ?」

「なんで、私避けれてるんですか?」

 

 そんな二人のやり取りについぞ我慢の限界が訪れたのか、魔王が動いた。

「シツぼうシたゾ! ガゼる! キさまも、そのウさギとトモにコこでくたバレ!」

 魔王の激昂と共に、ぶわっという強い突風が巻き起こった。

「きゃ!」

 何事かと魔王の方を見る瑠娜。

「はれ?」

 しかし魔王の姿は見えなかった。視認できたのは巨大な拳。視界の全てを埋め尽くすほどの圧倒的な暴力。

――死んだ。

 という究極的な結論にいとも簡単に達してしまう程の圧力がそこにはあった。コンマ数秒後には瑠娜の華奢な肢体に到達する。兎人族の体は回避能力に特化している分、ずばぬけて脆いのだ。当たれば、間違いなく即死だろう。

 今の瑠娜にはこの攻撃を避ける術はなかった。魔王の拳があまりにも大きく、速過ぎるため、今から回避行動をとった所で完全に手遅れだ。死んでしまう。この世界のことをろくに知ることもなく。

(ママにもまだお別れを言えていないのに!)

 微塵も予期していなかった『死』という結末。瑠娜は『異世界転生』と聞いて、どこか楽観的な感情を抱いていたことに気付いた。ここにきて、『死』なんていうものはどの世界でも平等なのだと理解した。そして、恐怖が瑠娜の思考を埋め尽くした。

(嫌だ! まだ死にたくない!)

 と、心から懇願した。

(恐い! 恐い! 恐い! 恐い! 恐い!)

 それ以外の感情が瞬時にしてすべて消え去り、瞳から涙が溢れる。絶望が体を支配する。底知れぬ暗黒に精神が浸食され切った瞬間。希望の光が差し込んだ。

 ピロピロピーン、というこの状況に似つかわしくない音とともに時間が止まり、瑠娜の脳内にアナウンスが流れた。

《極限値の恐怖を観測しました》


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