第二十八話 ひみつのこいびと
アラスターの事情聴取に応じたその日。
ゆりはナオトと別れた後、テオドールを介して初めて神殿にやって来た日以来会っていなかった神官長の下を訪れていた。先日の事件で浄化の儀式を行ってくれた礼を言うためだ。
「神官長さん、この度は助けて下さりどうもありがとうございました」
ゆりが丁寧に頭を下げると、神官長は軽く片手をあげて答えた。
「いえ、全ては女神の御心のままに。隣人を助け、女神の客人たる貴女に手を差し伸べるのは我々の責務です」
「この神殿に置いて下さっていることも、本当に感謝しています」
「そうですか。何か至らぬ点があれば遠慮なく仰って下さい。……テオドールから、貴女が何か仕事をしたいと仰っていると伺いましたが」
「あ、いえ、それは」
五十代位の白髪のナイスミドルに小首を傾げられ、ゆりは慌てて両手を振った。
「それはあの、神殿の待遇に何か不満があるとかではないんです! むしろ、突然やってきた私に過分な程で……。元々ここに来る前は働いてましたし、ただ一方的にお世話になるのも申し訳ないので何かお役に立てることがあれば、と思っていたのですが……」
ゆりの言葉に、神官長はうんうん、と首肯した。
「成る程。他の神官達から聞いた通り、ゆりさんは誠実で謙虚なお人柄のようですね」
「い、いえ、そんな大それたものでは……」
「ご謙遜を。神殿の隅から隅まで美しく磨き上げて下さっていることは存じております。……元々清掃を生業にしておられたので?」
幼稚園教諭、という職業がこの世界にあるかがわからず、ゆりは考えを巡らせながら神官長の問いに答えた。
「いえ、違います。幼稚園……幼児向けの教育施設で働いていました」
「
「あ……まあ、保育士の資格も持っていますけど、う~ん。
……就学前に集団で躾や教養を身につけるところです」
「幼稚園」という存在をなんとか説明しようとゆりが言葉を尽くしていると、神官長は顎に手を遣りながらしばし何かを思案し、やがてふむう、と答えた。
「ではゆりさん、私から貴女に仕事を紹介しましょう」
「えっ、本当ですか?」
「ちょうど貴女にぴったりな仕事があります。報酬は……それほど多くは出せないと思いますが、ここから歩ける距離ですし、住居はここに置き、通いで行って下されば良いと思うのですが」
如何でしょう? という神官長の言葉に、ゆりは一も二もなく飛び付いた。
神官長の紹介してくれた職場は、モルリッツの東地区にある教会管轄の孤児院だった。
孤児院と言っても、決して粗末な施設ではなく、一般の身寄りのない子供が生活する他、就学前――この国では十二から進学する――の子供に読み書きなども教えている。貴族の子弟が市井の生活を学ぶため、進学して寄宿舎に入るまでの期間を通いで過ごすこともあるそうだ。ゆりはそこで取り急ぎ週の半分程、手伝いをさせてもらうことになった。
そして仕事を始めて一月近く。
子供達の顔と名前も覚え、他の職員――ほとんどが教会から派遣されている神官や修道女――達とも打ち解け、ようやく働くことの楽しさをゆりが実感し始めた頃。
ひとりの栗毛の少女がキラキラした顔でゆりに話しかけてきた。
「ゆりせんせい!」
「ルーシアちゃん、どうしたの」
幼少の子供達の間では中心的な存在、ルーシアである。ルーシアは周りを伺うと、内緒話をするようにゆりに顔を近付けた。
「ねえ……。ゆりせんせいは、本当はおひめさまなの?」
「へっ?」
ゆりが素っ頓狂な声をあげると、ルーシアは至って真面目な顔で言葉を続けた。
「だって、
少女が言う「従者」とは、エメのことだった。
ゆりがこの施設に通い始めるにあたり、エメが着いて行く、神殿まで送り迎えをすると言って譲らなかった。
普段あまり我を通すことのないエメがそこまで頑ななのは、恐らく先日の事件のことを気に病んでいるのだろうとゆりは思った。ゆり自身も、まだ一人で街を歩くことに不安がないと言えば嘘になるので、とりあえず慣れるまでの間だけ……という約束で、エメの厚意に甘えることにしたのだ。
エメは最初一日中孤児院の隅に立っている日もあったし、朝ゆりを送って帰りに迎えに来てくれる日もあった。気配もなく影のように佇むその姿を気に留める子供はそれ程いなかったが、この観察力のある少女ルーシアはそれを見て何か勘違いしたらしい。
ちなみに、ナオトは最近ドーミオ経由でギルドの仕事を手伝っているとかで、あまり見かけていない。
「えっと、あの人は従者ではないよ」
「じゃあ、こいびと?」
「えっ? ……いや、友達? 保護者かな?」
想定外の質問になんと答えたらいいかわからずゆりが考えあぐねていると、それ見て取ったルーシアは「じゅーしゃで、ひみつのこいびとなんだわ」と全てを察した顔で頷いている。
う~ん困ったな、とゆりが苦笑いを浮かべていると、施設の正門の方から何やら歓声が聞こえてきた。
不思議に思ったゆりがルーシアの手を引いて玄関から前庭へ顔を出すと、門の周囲に子供達……だけでなく、職員の神官や修道女までもが集まって人だかりになっている。
「どうしたんですか?」
「……ゆり!」
人混みの中から聞き覚えのある声がしたと思うと、集まっていた人垣がサッと左右に割れて道ができる。その人の道の向こう――門の前で馬の轡を引いて立っているのは、黒の鎧を身に付けた、黒髪に獣耳の騎士だった。
「アランさん?!」
ゆりが驚いていると、黒髪の騎士アラスターは門前に馬を繋ぎ、超然とした態度で人の道の真ん中を歩いて来る。
そしてぽかんとした表情で立っているゆりの前に屈むと、自然な動作でゆりの手を取った。
「ああゆり、久しぶり。この間、ここで働き始めたと言っていただろう。ここの運営は評議会も携わっているから……巡回がてらに、寄ってみたんだが」
迷惑だったか?
そう言いながらゆりの手の甲に口付けると、割れた人垣から黄色い声があがる。
「い、いえ、迷惑ではありません」
「そうか。それは良かった」
――迷惑ではない。迷惑ではないけれど。
この状況をどう説明したらいいんだろう。
興味深々で二人を見つめる周囲の視線に、ゆりは心の中で頭を抱えた。
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