5-04 父襲来

 

 梅雨が明けて、気温がグングン上がった土曜日の昼前。


 〈ピーンポーン〉


「宅急便かな?」


 結衣がドアフォンのモニターを確認しに行った。


「お兄ちゃん、やばい。なんか変な人がいる」


 〈ピーンポーン〉


「変な人?」


「うん。髪がボサボサで髭ボーボーなの」


「髭ボーボー? なら男性ってこと?」


 気になって俺もモニターを確認しに行くと、確かに髭だらけのいかにも不審な人物が映っている。


 通報案件?


 いやちょっと待って。女性ばかりのこの世界では、男性の変質者ってまずいない。男性には補助金が支給されるから、金銭目的の犯罪も滅多にない。


 ってことは……うん。


「「お父さん!?」」


 結衣も思い当たったのか、ちょうど声が重なった。


 〈ピーンポーン〉


「とにかく出てみよう」


 モニターを見ながら、通話ボタンをONにする。


「……もしもし。お待たせしました」


 普段は結衣に出てもらうんだけど、相手が男性なら話は別で、俺が対応することにした。


『よかった。誰もいないのかと思った』


 見かけを裏切る、スピーカー越しでも若々しく響く男性の声が聞こえた。


「すみません。出るのが遅くなってしまって。それであの、大変失礼なのですが、どちら様でしょうか?」


 一応確認はしないとね。


『ああ。分からないか。結子から聞いてない? 降星だよ。武田降星。つまり、君の父親だ』



 *



「いやぁ、日本って治安がいいのをすっかり忘れてた。もうさ、空港からここまですっごいジロジロ見られちゃって、どうしようかと思った」


 うん。リビングで改めて父さんの姿を眺めると、よく職務質問されなかったなと思うくらいに怪しいことこの上ない。


 髪はボサボサで顔の大半が隠れている。髭も無精髭というには多過ぎるくらい野放図に伸びている。それだけでも十分にインパクトがあるのに、服装も結構ヤバい。


 ヨレヨレになった長袖のTシャツに、ポケットが沢山付いたキャンプベスト。同じくポケットだらけのカーゴパンツ。

 背中には使用感溢れるヘタレ気味のバックパック。そして腕には、大きめの縦長の段ボール箱を抱えている。


「なんでこんな格好を?」


「僕さ。あちこち世界中を旅してきたんだけど、身綺麗にしていると必ず誘拐されそうになるんだよね。だから最初は防犯のためにあえて汚くしてたんだ。でも、段々この格好が楽になっちゃってやめられなくなって」


「でも日本だと悪目立ちするかも」


「だよね。それはさすがに肌で感じた。着いて早々になんだけど、シャワーを借りてもいいかな? 結子に会う前にさっぱりしておきたいんだ。こんなんじゃ百年の恋も醒めちゃうからね」


 どうぞどうぞと父さんを風呂場へ案内し、母さんにメッセージアプリで連絡を取る。


『父さんが家に到着しました。今は入浴中です。母さんの帰りは何時頃になりますか?』


 送信してすぐに、ピロンと返信が来た。


『もう来ちゃったの? 出来るだけ早く帰ります。なんでも好きなデリバリーを取っていいから、ご飯を用意しておいてくれる?』


『了解です』


「結衣、出前を取っていいって」


「本当? 何がいいかな?」


「好きなのでいいって言ってた」


「じゃあ、贅沢だけど久々にお寿司とかいっちゃおうか?」


「いいんじゃない? 俺も酢飯が食べたい気分」


 ウキウキとしながら、結衣が出前を注文した。あとはいろいろ待つだけだ。


「でもびっくりしたね。いきなりあの格好なんだもん」


「今更だけど、成り済ましじゃないよね?」


「それは大丈夫だと思う。だってほらこれ」


 結衣が指し示したのは、父さんが抱えていた段ボール箱の中身だ。お土産だっていって渡されたので、早速開封してみたんだけど。


 観葉植物かな?


 白い陶器製のポットに四角い木の支柱が立ち、その支柱に巻き付いたツルから、艶々とした滴形の葉っぱが生えている。厚めの葉は明るめの緑色で、ツルの先端には十本くらいの緑色のさやが束状になっていた。


「これがどうかしたの?」


「これ、海外から持ち込んでるのよね? 植物を海外から日本へ持ち込むのって、証明書や輸入検査、それに税関の検査も必要なの」


 へえ。そんなに大変なのか。


「結衣、やけに詳しいね」


「えへっ。だって、以前調べたんだもん」


「社会の課題かなんかで?」


「そんなところ。で、わざわざ手間をかけて持ち込んだ植物がこれなら納得っていうか、お父さんのお仕事に関係があるものだから、本人かなって」


 仕事関係?


 ヤバっ。プロフィールに父親の職業は「会社員」ってあった。でも知っているのはそれだけで、どんな会社なのか俺全く知らないじゃん。


「えーっと。父さんの仕事と、この植物にどんな関係が?」


「お兄ちゃん、ボケてるの? 大ありじゃない。あっ! もしかしてこの植物の正体が何か分からないから、変な質問をしてるのかな?」


 この植物が何なのかはもちろん分からない。それ以外も分からない。でもここは、そういうことにしておこう。


「うん、ご明察。これって何?」


 元から観葉植物に詳しくないというのもあるけど、初めて見る気がする。


「これはね。ラン科バニラ属の多年草。蔓性植物のバニラです」


「バニラ? ってあのバニラ? お菓子作りに使う」


「そう。お菓子に使うのはバニラビーンズだけどね。あるいは、それを原料に作られた香料。お父さんは『プリンの愛好と普及を推進する世界委員会』の職員になったでしょ? だからこのバニラも、日本じゃ買えない特別なものかもしれないね」


 何そのやけに長い勤務先名。それに、そもそも会社なのそれ?


「または、ちょっと前まで勤めていた貿易会社関係かな? それもありそうだけど」


 あ、やっぱり会社員だったこともあるんだ。日記帳が間違ってるわけじゃなかった。


 《リアルタイム更新をモットーにしております》


 ごめん。疑ったわけじゃないんだ。ちょっと焦っただけ。最近は面倒で日記帳を見ていなかったけど、時々チェックしないとダメかも。


「ふぅん。じゃあこの緑色の『さやいんげん』みたいなのがバニラビーンズになるの?」


 俺が見たことのあるバニラビーンズは、製菓材料のコーナーで売っているもので、黒に近い濃い茶色で乾燥してシワシワしていた。


「そう。でも香料にするには、天日干しや熟成と発酵を繰り返す工程が必要で、凄い手間と時間がかかるの。それに、収穫自体がもっと熟してからだからね。たぶん数カ月先になると思うよ」


「へぇ。結衣はもの知りだね」


「ふふん。プリン関係のことならお任せ下さい」


 その後も結衣の蘊蓄うんちくを聞いて、30分くらい経っただろうか。濡れ髪からポタポタと水滴をしたたらせながら、父さんがリビングに戻ってきた。


「いやぁ。久しぶりに髭を剃ると、なんかスースーして落ち着かないな」


「うわぁ。お父さん、やっぱりお兄ちゃんのお父さんなんだ。でも床がびちょびちょ」


「おっと、ごめんごめん。うっかりしてた」


「もうっ、お父さんったらぁ」


 結衣が混乱して、ちょっと変な日本語になってる。でも、そうなるのも分からなくもない。


 だって、さっきとはまるで別人だ。


 髭を剃り、長い髪を無造作にかき上げながら拭いている姿は、アルバムで見た写真より少し年齢を重ねていた。


 武田降星。現在アラフォー。水も色気も滴りまくる超カッコいいイケオジ。そしてこの人が、俺と結衣の父親なのか。

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