想いの一球(仮)

リョウ

第1話 全中、地方大会決勝


 ――2年前。

 中学野球界に激震が走った。


「7回裏、ツーアウトランナー無し。東名中学は未だこの投手ピッチャーからヒットを打てていません」


 強い陽光がジリジリと大地を照りつける。

 蒸し返すような暑さの中、マウンドに立つ背番号1を背負う少年。

 被ったキャップ帽のツバには少し泥が付いている。

 天を仰ぎ、帽子を取る。汗で光る腕で額の汗を拭う。


「これがラストバッターになるのでしょうか」

「9番ピッチャー、大山くん」


 ラストバッターのアナウンスが流れる。それに伴い、ネクストバッターズサークルから黒いヘルメットを被った大山がバッターボックスに入る。

 大山はバッターボックスに入るや、数回バットを振る。


「2対0。このバッターを抑えれば正邦中学は完全試合で全国大会にコマを進めることになります」


 投手は大きく振りかぶる。脚を前へと出し、全身をバネのようにしてボールを投げる。

 轟音を纏い、ボールはベースのいっぱいいっぱいを通る。


「ストライクッ!!」


 主審の手が上がり、ストライクコールがされる。


「ナイスボール」


 キャッチャーからボールが返され、ピッチャーはボールをグラブに収める。


「ふぅー」

「拓ちゃんー!!」


 深い息を吐き捨て、天を仰ぐ少年に大きな声がかかる。

 拓ちゃん、と呼ばれたマウンドに立つ少年は、声を聞いて微笑を浮かべた。

 三塁側のベンチから、体を乗り出すようにして声を上げている。中学の制服に身を包み、額には球の汗を浮かべている。

 投手は再度振りかぶってボールを投げる。


 アウトコースいっぱいから外へ逃げるスライダー。

 バッター大山はボール球に手を出し、ノーボールツーストライクになる。

 続いて投手は、高めに速球を投げ込む。危うく手を出しそうになるも、バットは止まりワンボールツーストライク。


 ――次で決める。


 投手は大きく息を吐き出し、ボールを鷲掴みにする。

 そのまま大きく腕を振り切る。

 チェンジアップだ。


「くッ」


 ストレートのタイミングでバットを振った大山は、ボールがベースを通過するよりもかなり早い段階でバットが空を切った。


「ストライクッ! バッターアウトッ!!

 ゲームセットッ!!!」


 画して、地方大会決勝戦を完全試合で纏めあげた正邦中学は全国大会へと駒を進めたのだった。

 驚きなのはその成績だ。全国大会までを1人で投げきり、その防御率は0.18。MAX134キロという中学生離れした投球を見せ、将来を有望された。

 だが、正邦中学は全国大会1回戦。マウンドに立ったのは、背番号10。

 エースナンバーを背負った拓哉がマウンドに上がることなく、試合は10対0で完敗した。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「おはよー!」


 俺こと山吹拓哉やまぶきたくやの部屋に、元気な女子の声が響く。


「あぁ、琴葉ことは。おはよう」


 彼女は角川琴葉かどかわことは。生まれた時から家が隣で、幼馴染み。ベッドから体を起こしながら、寝癖がついた髪を掻く。


「今日も今日とて起こしに来たよー」

「みたいだな」

「みたいだなって、待ってたでしょ?」


 朝のテンションとは思えないほど高いテンションで。琴葉は俺の机周りをいそいそと漁っている。


「えっちぃのとか無いの?」

「あるわけないだろ。毎日琴葉が来るのに」

「えぇ。私が来なかったら拓哉はえっちぃの持つの?」

「持たねぇーよ」


 ボーッとしていた頭がようやくちゃんと動き出す。ベッドから体を出し、部屋のクローゼットを開ける。


「あっ、着替えるの?」

「おう」


 既に着替えを済ませている琴葉は、俺の言葉を聞くや部屋から出ていく。

 それからトントントン、と階段を降りていく音がする。


「ほんと、迷惑かけてるよな」


 パジャマから制服に着替えながらそう思った。



 1階に降りると、エプロン姿の琴葉がテーブルの上に朝ごはんを並べていた。


「あ、着替え終わったんだね」

「あぁ。毎日ありがとな」

「いいんだってー!」


 手に持っていた味噌汁をテーブルの上に置くや、琴葉は俺に抱きついてきた。

 胸部に琴葉の体温が感じられる。

 少し柔らかなものを感じるが、それば気にしない。幼馴染みで発情するほど廃っていない。


「分かったから。離れてくれ」

「冷たいんだから」


 琴葉はそう言いながらも、俺から離れてくれる。


「はい、これで完成だから。席に着いて」


 白米を持ったお茶碗をテーブルに置き、琴葉席に着く。俺もそれに倣う。


「はい、いただきまーす」

「いただきます」


 両手を合わせてそう言い、食事を始める。


「ねぇ」


 そして直ぐに琴葉が口を開いた。


「野球、もういいの?」

「いいんだよ」

「で、でも」

「俺が野球なんてやってなければ……」


 口の中に入れた白米を一気に飲み込み、部屋の端にある両親の写真を見る。

 野球部の練習着を着た俺を挟むようにして、笑顔を浮かべた両親が立っている。

 全中を賭けた、地方大会決勝戦。

 俺が完全試合を達成したその試合を、観戦しに来ようとしていた父さんと母さんは、その途中で事故にあった。

 そしてそのまま帰らぬ人に――


「俺が野球になんてしなかったら父さんたちはッ」

「ご、ごめん。でも、私は待ってるよ。いつまでも」


 琴葉は甘く、優しい声音で俺に言った。

 心がごちゃごちゃと掻き混ぜられる。中三でたった1人となった俺を、琴葉と琴葉の両親は面倒を見てくれた。

 結果、俺は誰かに引き取られることなく家で生活が出来ている。


「うん」


 だから感謝してもしきれない。でも、野球だけはしたくない。幾ら琴葉の頼みだとしても。


「ごめんね。急に変な話しちゃって。さぁ、食べよ?」


 彼女はどこかから借りてきたような、貼り付けた笑顔を浮かべて言った。

 俺はそれに何も言わず、無言で食事を再開した。

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