第63話 化け物

「ちょっと。もう1時間ぐらい歩いてない? いつになったら滝に着くのかしら?」

 圭太と腕を組んでご機嫌だった宇嘉が振り返って山吹に問う。山吹は高級腕時計に目をやった。どうやって手に入れたブツかは敢えて触れない。


「さすがお嬢様の腹時計は正確ですね」

 余計な一言で宇嘉の目に殺気が宿る。圭太にからめていた腕をほどくと2・3歩戻った。首を締め上げたいところだが圭太が見ているところでそんな醜態はさらせない。歯をギリギリさせながら文句を言おうとした宇嘉は異様な感覚にはっとして振り返る。


「なんか洞窟みたいなものがある」

 そう言って圭太がそちらに進む姿を見て宇嘉が叫んだ。

「圭太。そっちへ行っちゃだめ。戻ってきて」

 え? と振り返る圭太の耳に蠱惑的な声が聞こえた。


「あらあら。久しぶりのお客と思ったら4人も。しかもこんな若いオ・ト・コ」

 黒づくめの着物をまとって妖艶な笑みを浮かべる30前後の女性だった。

「坊や。そんな変な格好をしちゃって。せっかくの男ぶりが台無しじゃない。私とイイコトしましょう?」


 じっと見つめられて声をかけられた圭太はたちまちのうちに喉が干上がった。本来なら赤の他人に知られたら火が出るほど真っ赤になってもおかしくはないはずなのに、頭がぼうっとして女装がバレたことも気にならない。

「圭太。目を覚まして」


 宇嘉の鋭い声が圭太を覚醒させる。ふらふらと謎の女性の方に近寄ろうとしていた圭太は立ち止まった。

「小娘。邪魔をするなっ!」

 女性の手から何かが伸びる。宇嘉が難なく後ろに跳んでかわすとそれは地面に穴を穿った。


 女性の手から伸びているのは運動会の綱引きの綱ほどの太さもある白い糸。女性の着物の袖からいくつもの黒いものがあふれ出し糸を伝っていく。

「お前たち。あの女子どもは好きにしていいよ。私はこの素敵な殿御をたっぷりと賞味するから」


 妖艶な女は着物の裾を割る。太ももまでさらしながら笑みを浮かべて誘った。

「あんな小便臭いガキでは味わえない大人の女を体験したくはないかい? この世の極楽を味合わせてあげよう」

 着物の胸元をくつろげ豊かな胸乳をさらす。


 圭太は身動きができなかった。巨乳に気を取られている間に、いつの間にか手足に白い糸のようなものがからみついていたからだ。糸はべたべたしておりほどくことができない。その糸に引かれるようにして露出狂の女の方に近づいていってしまう。普通の人間ではないことは明らかだった。赤い口を開き舌なめずりをする女から逃れようとするが体の自由が利かない。


「ふふ。怖がらなくてもいいわよ。ちゃんと昇天させてあげるから。種が尽きるまでは可愛がってあげる。その後は食べちゃうけどね」

 この文脈だと食べるというのは経験豊富な女が未経験者である圭太と性行為をするという意味ではなさそうだ。


 歯の根が合わなくなりそうになりながらも圭太は気丈な声を出す。

「お、俺が目的なら、宇嘉達は関係ないだろう」

「私はあの娘たちには用は無いけど、子供たちも腹を空かせてるのさ。きっと骨しか残らないだろうねえ」


「やめろっ!」

「いいわねえ。そうやって他人を気遣うところ。ふふ。それじゃあ、私の言う通りにするかい。そうしたら一人ぐらいは助けてやってもいいわよ。どの娘にする?」

 女の嗜虐的な笑みを見て圭太はぞっとする。


「すぐにあの子娘たちのことなんか忘れさせてあげるわよ。人生で最初で最後の体験をさせてあげようじゃないか」

 このままでは童貞と命を奪われてしまう。なかなかの見事なおっぱいの所有者だったが、人ならざるものが相手となるとちょっと躊躇せざるをえない。


 糸に引き寄せられるのに精いっぱい抵抗しようとしていた圭太は不意に糸が切れて後ろにばたんと倒れた。受け身を取れずに後頭部をしたたかにぶつけてうめき声をあげる。体を丸めるとすっと柔らかい物が頭にそえられ、鈴のような声が降ってきた。


「圭太。大丈夫?」

 気づかわし気な様子で宇嘉が圭太の顔を見つめていた。

「宇嘉! 無事だったのか?」

 腕をつかんでほっとした表情を浮かべる圭太を見て、宇嘉は胸の奥が熱くなる。


「もちろんよ」

「だって、何か黒い変なのがうじゃうじゃと……」

「心配ないわ。ちょっと待っててね。人のものを奪おうとするあの年増に思い知らせてやるから」


 すっくと立ちあがると宇嘉は圭太をかばうようにして女の前に出る。

「おやおや。運よく我が子を避けることができたのなら、大人しく逃げていればいいものを。か弱い女子の身の上で何をするつもりかえ? 交合前の腹ごしらえに引き裂いて食うてやることにしようか」


 禍々しく口が吊り上がる様子を見ても宇嘉は鼻でせせら笑うだけだった。

「たかが年を経て僅かな力を得た下等な妖が聞いたようなセリフを言うわね」

「なんだと?」

「目の前の相手の実力も図れぬのがその証」


 痛む頭に手をやりながら、圭太は目の前のやりとりをハラハラして見守っていた。宇嘉がかなりの実力の持ち主ということは分かっているが、相手は人ではなく化け物である。怖くて仕方がなかったが一人で逃げ出すわけにもいかず、両手を握りしめ心の中で宇嘉の応援をしていた。その様子に気が付いたのか、宇嘉は誇らしげに胸を張る。

 

「人を食らおうが何をしようが、休暇中の私にはかかわりが無いけれど、我が背の君に働いた狼藉は許しがたいわ。特別に引導を渡して差し上げます。成仏なさいっ」

 その声とともに宇嘉は、いつの間にか、その手にしていた1尺ほどの小刀を鞘から引き抜いた。


 妖女は髪を振り乱すと甲高い叫び声をあげながら両手から太い糸を飛ばす。ひとつはかわし、ひとつは小刀で弾きながら宇嘉は女との間合いを詰めていった。浴衣に雪駄というおよそ素早く移動するには不向きな格好を気にもしていない。妖女の顔に焦りが浮かんだ。


 耳障りな叫び声をあげると妖女は着ていた服を引き裂くと同時に大きな網を飛ばす。宇嘉は手にした小刀を縦横無尽に振るって、自分の背丈よりも巨大な網を切り刻んだ。その隙に妖女の体は内側から裂けるようにしてめくりあがり真っ黒な禍々しい姿を現す。それは身の丈が人の倍もあろうかという絡新婦だった。


 体からこぶし大ほどの蜘蛛をボトボトと落としながら、軋んだ声を放ち絡新婦は宇嘉のことを睨みつけた。

「小娘がいい気になるなよ。この姿を現したからには負けはせぬ。生かしたまま手足を食らうてくれる。せいぜい良い声で鳴くがいいっ!」

 

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