第61話 酔っぱらいの土産

「はあ、さすがに疲れました」

 風呂あがりの体にバスタオルを巻いただけの姿で宇嘉が横たわっていた。もちろんまだ履いていないので方向と角度によってはモロ見えである。何がといえば、エッチなビデオなら写るとモザイクがかかってしまう部分だ。


 その横に座った石見が手にトロリとしたものを取ると宇嘉の足首に両手を添えてもみ始めた。きゅっとしまった足首からふくらはぎ、膝、太ももと腫れ物に触るように慎重に筋肉をほぐしていく。ほとんど付け根まで進むとまた体をずらして足首の方に戻り最初から同じ作業を繰り返した。


 その間、宇嘉はクッションに頭を預け、場所の指示を出す傍ら、今日の体育祭の様子を話して聞かせる。体育祭のハイライトである各部対抗のリレーに出場した宇嘉はアンカーを務めて3人抜きで女子の部優勝を勝ち取ったのだった。別にそこまで頑張る必要はないのだが、勝負となると血が騒いでしまう。


 例年、陸上部なのに下位をさまよっていた各部対抗リレーで優勝するというのは近年まれにみる珍事だった。男子の方も6位と大健闘である。それもこれも宇嘉効果だった。少しでも頑張って宇嘉の賞賛の視線の欠片でいいから欲しい。その欲望がチームの団結を生み、バトンパスの工夫でタイムを圧縮した。


「それはようございました。それで圭太さまの反応は?」

「もちろん一緒に喜んでくれたわよ。ゴール後ひざが崩れそうになったのを支えてもらったし」

 その感触を思い出すように宇嘉は肘にもう一方の手を添えて撫でた。


「失礼ですが、少々体がなまってしまっておいででは?」

「そんなことは無いわよ。世界新記録を更新しない程度に調整しながら走るのが大変だったってだけ」

「それは出過ぎたことを申し上げました」


「まあいいわ。確かに少し鍛錬を怠っていた部分はあります。せっかくの休暇中ということで甘えすぎたかもしれません」

 石見はためらいがちに切り出す。

「……その休暇ですが、もう残り期間が少なくなってまいりましたね」


 宇嘉は大きなため息をついた。

「分かっているわ。もう2か月で今年も終わるものね。でも大丈夫よ。まだ、クリスマスにバレンタインという風習があるわ」

「そうですね。お命じ下さい」

 暗に強硬手段も辞さないということを伝える。


 その意味を悟って不満そうに頭を一振りした宇嘉は話題を変える。

「そういえば、山吹はどうしたの?」

「今日は非番ですので」

「また飲みに出歩いているのね?」

「はい」


 そこへ玄関の戸が勢いよく開いて鼻にかかった声が聞こえてくる。

「山吹。ただいま帰宅いたしましたあ」

 しばらくすると真っ赤な顔をした山吹が部屋に入ってくる。

「あれ? こんなとこでなにしてるんれす?」

「見りゃわかるでしょ。マッサージよ」


 宇嘉が眉を顰める。

「さすがに飲み過ぎよ。まるで酒甕に落ちたような匂いをしてるじゃない」

「えへへ。分かりますう? 今日は3軒梯子しちゃいましたあ」

「酒臭い息を吐きかけないで」


 山吹は気にせず、ニヤッと笑う。

「そんなことより、今日はいいことあったんですよ。なんだと思います?」

 二人が相手にしないでいてもマイペースに懐から何かを取り出す。

「じゃーん」

「……」


「ねえ。ちょっとは反応してくださいよ。本当にいいものなんですから。後でお嬢様、ぜえったいに私のこと褒めますよ。いいですか。なんと、越巻温泉の招待券です。人気でなかなか予約の取れないやつっすよ。すごいでしょ~」

 そういって手にした紙切れをヒラヒラさせる。


 胡散臭そうに石見が手に取って見てみる。

「どこで拾ったのよ?」

「違うわよ。この間飲んだ秋誉覚えてる? あれをお店で注文したら、なんか三角くじが引けて、特賞が当たったんだから」


 越巻温泉は山奥のいわゆる秘湯だ。道のどん詰まりにある1軒宿があるきりで、日帰り入浴はやっておらず宿泊しないと温泉に入ることはできない。お肌がすべすべになるという美人の湯であり、某芸能人が紹介してからというもの1年先まで予約で埋まっているとの評判だった。


 お忍びで旅行に来るという需要があるので、広大な庭に点在する露天風呂付の離れはお互いに離れている。しかも露天風呂はよくある大きめの甕で二人入ればいっぱいということもない。声を忍ばせればお風呂でも色んなこともできてしまうのだった。


 秋誉の酒蔵は越巻温泉に割と近い。どうも近隣の人気の温泉地にあやかってファンを増やそうという企画のようだった。最近は海外での日本酒人気が高まっているとはいえ、昔に比べればお酒の選択肢が増えたせいで、名前が知られないとなかなか売れないようだ。


「お嬢様。これで圭太様を誘えますよ。ホテルだとちょっと生々しすぎますけど、温泉なら体を癒すためとでもなんとでも理由をつけられるじゃないですか」

「ちょっと、あんた。これ本物なの?」

「本物れすよ。なんなら酒蔵のサイト見てみたりゃいいにゃない」


 中座して戻ってきた石見がその間に夜着に着替えていた宇嘉に報告する。

「どうやら、この飲んだくれのいうことは本当のようです。お嬢様、どうなさいますか? 泊りとなるとそれなりに誘うのはハードルが高いですが、連れ込んでしまえばあとは煮るなり焼くなり好きにできます」


「そうねえ……」

「次の間つきのお部屋なので私たちはそちらに控えておりますので、その点はご心配いただかなくても大丈夫です」

「あ、見てろっていうなら見てますし、一緒に参加しろというなら……」


 石見が先ほどのマッサージの時に使用していたタオルを丸めて山吹の口に突っ込む。

「馬鹿は私の方で押さえておきますのでいかがでしょう。なかなか行けないというプレミアム感を前面に出す作戦で」


「ドリームランドのときとあまり変わり映えがしませんね」

「確かにそうですが、あの時とは圭太様との距離感が違います。最近の様子を見るにかなりお嬢様のことを憎からず思っているご様子。ここは勝負どころではないでしょうか? せめて手を握り接吻をするぐらいまではこの好機に!」


 一つ屋根の下でそこまですれば後は成り行きでなんとかなります。もう一人の酔いどれが言うならともかく、石見が真剣な表情で訴えかけてくる勢いに宇嘉は押された。さっきはまだイベントがあると言ったもののそこから体を重ねる関係に進むにはやはり時間が必要だ。実は宇嘉も内心焦っていた。

「分かりました。なんとかやってみましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る