第34話 帰宅

 圭太にとって長い休みが今日終わる。たっぷりと逢瀬を楽しんだ遥香を敏郎はターミナル駅まで送って行っていた。玄関での別れ際に、遥香は圭太に言葉のナイフを刺していくのを忘れない。

「夏休みにまた来る時には、圭ちゃんのカノジョさん紹介してね」


 腕を組んで出かけて行った両親を見送り、圭太は玄関の上がり框に座り込む。すっかり脱力していた。両親と同じ屋根の下で生活するだけなのにどうしてこれほどまでに消耗しなければならないのか。気を取り直して、自分の部屋に戻った圭太はしばらくすると隣家でガタゴト音がするのに気が付く。


 どこに行っていたんだろう? 圭太は疑問に思うと同時に、4月末までの約束が結局どうなったのかが気になりだした。言葉通りに解釈すれば、もう二人の関係は清算されているということでいいはずだが、それはそれであまりにドライする気もしてしまう。


 隣家に尋ねて行って直接聞こうかと思って階下まで降りてきたものの、わざわざ聞きに行くのはどうかと躊躇ってしまう圭太であった。こちらから聞きに行くということは、延長を望んでいるような感じがしてしまうのではないか。確かに涼介の頼みごとを考えると1カ月ほどは延長する必要があると言えばある。


 ただ、人数合わせのためにそうするのも誠実さに欠けるような気がするし、元々は関係解消を望んでいたんだし、と圭太の心は定まらない。動物園の熊よろしく廊下を何度か行ったり来たりした挙句に、白鳥の件がどうなったかということを聞くことを理由に会いに行くというところで心の折り合いがついた。


 いや、先日の件が気になっちゃって。無事だったんだ。そうか。良かった。それでさ、4月末までという……。頭の中でシミュレーションをする。あくまで、休み前のことが気になったということをメインにして、ついでに、自分たちの関係をどう考えているのかを聞く。さりげなく、さりげなく。


 で、宇嘉が終了を宣言すればそれはそれで良し。ためらいを見せるようなら、とりあえず1か月延長で様子を見るということにして、ドリームランドの件を切り出すとしよう。友達に頼まれちゃったし、良かったらどうかな、というスタンスなら問題にはならないだろう。よし、これで大丈夫だ。


 予行練習が終わったところで、玄関に行き履物を選ぶ。サンダルでもいいのだが、ちゃんとスニーカーを履くことにした。別に意味はない。遥香に言われて身に着いた習慣だった。圭太が鍵を開けて、ドアを開ける。先ほどまでの予行練習をしながら顔を上げると宇嘉が立っていた。


 横からの夕日を浴びて陰になっている顔は少しやつれているような気がしたが、相変わらずの美しい笑みを浮かべる。

「こんにちは。圭太」

「ああ。こんにちは」


 突然のことに圭太の頭に描いていたシナリオは頭から抜け落ち、挨拶の言葉を言ったきりセリフを続けることが出来ない。宇嘉は手にしていた紙袋を圭太に押し付ける。

「はい。お土産」


「お土産……?」

「そう。ちょっと、京都まで行ってきたの」

 渡された紙袋には京都の定番お土産の名前が印刷されていた。

「もうちょっと気の利いたものを探したかったんだけど時間が無くて」


 宇嘉が顔を伏せる。

「ゴメンね」

 小さな声の呟きに、圭太は慌てて声を出した。

「謝ることはないよ。それに……」


 圭太は急いで思考を巡らす。

「俺、このお菓子好きなんだ」

 その声に顔をあげた宇嘉の顔がパッと輝く。

「なら良かった」


 想定とは異なるシチュエーションで始まった会話でリズムが掴めないでいた圭太もようやく頭が回るようになる。

「京都に行ってたんだ? お休みになってから居ないなとは思ってたんだけど、連絡の取りようが無くてさ」


「あ……。そうよね。私もうっかりしてた」

 バッグからスマートフォンを取り出した宇嘉と圭太は連絡先を交換する。

「用があったら10秒で来れちゃうんだけどね」

 そう言いながら、つま先立ちをして存在を主張する宇嘉だった。


「そう言えば、あの時は置いて帰っちゃってゴメン」

「ああ。あのお馬鹿さんのこと?」

 宇嘉はフフと笑う。

「なんか仲間が出てきて大変だったって、市川さんから……」


「え? お休み中にあの子と会ったの?」

 心の中のざわめきを隠しながら努めて平静を装って宇嘉は質問する。

「うん。涼介と映画見に行った時に偶然あってさ。たい焼き食べながらちょっと話をしたんだ。意気地なしって罵られたよ」


 宇嘉は圭太に最後まで言わせずに腕をつかむ。

「私も食べたい」

「え?」

「圭太と市川さんだけ食べたなんて嫌。私も圭太と一緒にたい焼き食べる」


 有無を言わさぬ宇嘉の態度に圭太はお土産の袋を玄関に置いて家を出た。歩き始めるとピタリと宇嘉は圭太の腕に自分の腕を絡める。ほぼ1週間ぶりに圭太成分を摂取する気満々だった。布地越しに感じる温もりとうっすらと漂う香りに、宇嘉は陶然とする。


 三河屋でたい焼きを購入して圭太がテーブルに腰を落ち着けると宇嘉は当然のように圭太の横に座ってその細い体を圭太に預ける。圭太に勧められて宇嘉はたい焼きを一つ手に取って頭の方から一口齧った。圭太も会話の間を取るためにぼんやりと口に運ぶ。やたら密接してくる宇嘉の髪から淡く甘い香りが漂い落ち着かない。


「一緒だね」

 宇嘉の嬉しそうな声に我に返ると至近距離から見つめてくる瞳を見出してしまい圭太の心拍数は跳ね上がる。

「な、何が?」


「食べ方。尻尾じゃなくて頭から食べてるのが一緒だね」

 確かにお互いのたい焼きの頭の部分に歯形が残っている。

「こういう小さい事でも不和の原因になるのよ。カレーにラッキョウと福神漬けのどちらを合わせるかとか、目玉焼きに醤油かソースかみたいなね。まあ、私たちは相性ばっちりってことよね」


「ああ、うん」

 気おされぎみに答える圭太も、さすがに宇嘉の意図するところは理解した。宇嘉としては圭太との関係の継続と発展を希望するのは変わっていないということなのだろう。幸せそうな宇嘉の姿を見て、圭太に関係解消を切り出せるはずも無かった。涼介の伏し拝む姿も脳裏にちらつく。


「あのさ」

「なあに?」

「涼介がドリームランドの4名用チケット持ってて、試験休みに前川先輩と俺達と一緒にどうかって言ってるんだけどさ」

 宇嘉の目が大きく見開かれた。


 


 

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