紕う一粒チェリー

(本文)

君とよく使っていた言葉も文字も、もう使わなくなる。

よく使ってた顔文字を忘れた。

笑顔をどんな文字で表していたか。

予測変換から君の名前が消えた。

きっと人間の喪失とは、指の先から失くなってゆくんだ。


言葉を吐いて新しい夜を吸う度に、だんだん君が外に出て往く。

せめてこれ以上出ていかないようにと、唇をきつく結んだ。

また朝が来る。

頭の中の君が完全に沈黙するまで、あと何夜なのだろうか。


くるたび紕う八月二十九日




(注解)

2018年から、いやもしかしたら気づかないだけでその前からも、八月二十九日は人との別れが多い月だった。その人本人とだったり、その人との想い出とであったり、その人の思いとであったり。

なんにしたってどういう形であれ、わたしにとって八月二十九日とはそういう日であって、きっとこれからもそうなんだろうと思ってしまう。


例えるなら。

夏を迎える度に、かごの中身が増えて往くのだ。かごの奥深くにはもう使わない玩具があって、ときおりそれを掘り起こしては懐かしむのだけれど、その姿は滑稽で、「こんな姿あなたに笑われるのかな」なんて事切れに笑って、諦めたみたいに目尻を指先で払う。


例えるなら。

夏がもうすぐ息絶える最後の日に夢を見るのだ。夢の中でわたしとあなたは、夏の夕暮れ、背伸びした猫の背中みたいな坂を足を棒にしながら登っていって、頂上で達成感に溢れたその横顔を気づかれないように盗み見しようとしたら、布団の上で夏の暑さに目が覚めてしまう。


きっとこれからも、かごは増えるし、横顔は見れないままなんだろう。

夜明けの度に少しずつ奥深くに消えていくあなたに、自分の唇の上下がまるで口づけでも模すように、静かに結ばれた。

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