第2話



「ブレスレットよ!ブレスレット!よ・く・み・て!」


晴香は声を荒げる。両手に握った拳をぶんぶん振っている。

利乃はそんな晴香の仕草一つ一つが古臭いと日頃から思っていたが、口に出すことはもちろん無かった。


「首輪なんてあげるわけないでしょ!犬ちゃんじゃないんだから!」


「首輪にしてもいいんじゃない?お兄ちゃんたまに子犬っぽいところあるし。」


満足そうにリボンに触れながら奈々は食卓の椅子に座りなおす。

小学校も最終学年となった奈々の傾向として、最近はよく茶々を入れるようになった。


「ごめん母さん!そんなつもりで言ったわけじゃないんだ。考える前に言葉が出ちゃって!ありがとう、ブレスレット。大切にするよ。」


口を尖らせ、しょげた表情を浮かべる晴香をなんとか笑顔にしようと利乃は慌てて手首にブレスレットを通す。

ズッシリとした重みと艶消しのグレーが途端に存在感を醸しだした。

素材はおそらく重量感からしてプラスチックではない。

初めて付けたアクセサリーは利乃を少しだけ大人びた気持ちにさせた。


「ん・・・。利乃、奈々、二人とも良く似合っているわ。素敵よ。」


先程の拗ねた表情は何処かへ飛んでいったように晴香は微笑んだ。

近頃、目元に少しだけ皴ができた事を利乃は知っていたし、仕方がない事なのだが、その事実が少しだけショックだった。


利乃と奈々の父親であり、晴香の旦那である公生こうせいが他界してから約3年の間、晴香は一人で二人の子供を育てた。

利乃は当時小学生で、墨のように真っ黒でブカブカな礼服を始めて着た時に感じた、心が落ち着かない気持ちは今で尚、公生の写真が置かれた仏壇を見ると蘇ってくる。


母親だけで子育てをする大変さを利乃と奈々は痛いほど知っているが、二人の前での晴香はいつも笑っていた。


そうやって晴香は母親をやってきた。


だから二人は晴香の事が大好きだった。


「やばい!もうこんな時間だ。そろそろ行かないと!」


奈々はパステルカラーのスマートフォンを取り出し時間を確認すると目の前にあった唐揚げを小さな口に詰め込み立ち上がった。


「出かけるの?」


晴香が言う。


「うん、海岸の花火大会。友達4人で行く約束なの!」


「慌てちゃだめよ!お小遣いは?」


「あるー!お兄ちゃんと違って貯めてるからー!」


既に自分の部屋に向かった奈々の声が聞こえてくる。

確かに利乃は貯金が苦手だった。返す言葉も浮かばなかった。


「利乃は?」


「え!あるよ、僕も貯めてるし!」


利乃の額には汗がじんわりと浮かぶ。冷や汗というのだろうか。


「ちーがーう。行かないの?花火大会。」


「あぁ。うん、行くよ。」


「カ・ノ・ジョ?」


「チ・ガ・イ・マ・ス。違います。真璃だよ。」


「真璃ちゃんかぁ。今日を期に利乃もオ・ト・ナになるんだねぇ。子が親元を離れてゆくのってこんな気持ちなのかしら。あぁ。お母さんの事は忘れても、お父さんの事は忘れないでね。」


「どんな想像してるのさ、帰ってくるよ。花火を観終わったら。」


利乃は晴香の冗談に呆れつつ自らも時間を確認した。


「おにいちゃーん。途中まで一緒に行こー。」


外行きの服装に身を纏った奈々はさっそく晴香からもらったリボンを着けている。薄白いワンピースは奈々がとても気に入っている服だと利乃は聞いていた。


「じゃあ、行ってきます。」

「まーす。」


「二人とも待って!はい、お小遣い。無駄遣いしちゃだめよ?」


晴香はそういって小さな封筒を二人へ差し出した。


「いいよーお母さん。私は、お兄ちゃんと違って本当に貯めてるしー。」

「僕だって・・・貯めてるし・・・。」

「ほんとー?」

「あ、あぁ。」


口ごもる利乃に対して畳み掛ける奈々。


「いいから持っていきなさい!ほーら、二人とも早くいかないとお友達待たせちゃうわよ!」


「ありがとう!お母さん!よかったねー。お・に・い・ちゃん!」


奈々がからかいながら言うと、晴香は困り顔をしながらもクスッと笑った。


「・・・母さん。ありがとう。」


利乃と奈々が玄関に座り、並んで靴を履いていると、背後からズッシリと圧迫される感覚が背中を伝った。

振り返ると、晴香が二人を抱きしめていた。


「どうしたんだよ母さん。」

「あつーい。」


奈々はそういいながらもとても嬉しそうだった。


利乃の首元にそっと回された晴香の腕は肉付きが悪く、その先にある5本の指は白く細く軽く握りしめたら折れてしまいそうだった。


「二人ともお誕生日おめでとう。私のもとに生まれて来てくれて本当にありがとう。私の宝物達。」


利乃は気恥ずかしさから身体を振りほどこうとしたが、晴香の抱きしめる強さは想像よりも強く、抗う事をすぐに諦めた。


「変なのー。」


奈々がそういうと、晴香はゆっくりと二人の身体から腕を離し


言った。




「いってらっしゃい。」


晴香の瞳は澄んだ深海のように透き通っていて、その中の青は光が差し込んだように綺麗だった。


海のように潤んだ瞼の内、涙の理由を、利乃はまだ知らなかった。

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