第3話 仇敵、闇より来たりて

「様子を見てくる。ユイはマニュアル通りにお願い」


 散弾銃M3を持ったユリナがそう言って駅務室を出て行く。さっきとは打って変わった、鬼気迫る表情で。

 ユリナは普段九ミリ拳銃と狙撃銃PSG1を持ち歩いているけど、それに加えて散弾銃も。多分、屋内だと狙撃銃が不利だからだと思う。

 セレクターを倒すには心臓を撃ち抜くか、もしくは頭部を完全に破壊しなければならない。

 が、実際は前者の方法が取られることが多い。というのも、セレクターの頭部を完全に破壊する方法は非常に限られているからだ。

 さっき出会ったタサキさんがやっていたのがその一つの方法で、至近距離から散弾銃を使う。

 でもそれはセレクターに最接近するということであり、危険度も跳ね上がる。もし這い寄る途中で気付かれたら……と考えると、あまり取りたくない方法のはず。

 だから、ユリナがセレクターを倒す時は大抵前者の方法だ。心臓を銃で撃ち抜く。

 ここにはそのための装備がいっぱいある。



 ユイは立ち上がると、急いで部屋の奥にあるスペースに向かう。そこは、大小様々な銃や爆薬が置いてある、武器庫のような場所だった。ユイが初めて来た頃と比べると大分充実している。それこそ戦争ができるくらいに。

 ユリナが作成した「敵襲時 対応マニュアル」の内容を思い起こす。

 確か、最低限の水と食料にライト、武器と弾薬をまとめておけば良かったはず。もし、ここを捨てなきゃいけないような状況になったらそれらを持って逃げる。そういう内容だった。

 ユイはマニュアル通りに武器や弾薬を集め始める。鞄の容量の関係上、持ち歩ける数は限られている。よって、その作業に時間を要することはない。


「えっと、ショットシェルと七・六二ミリ弾、よし。手榴弾、よしと。これで全部かな」


 ユイは一つ一つ指差して確認する。自分の不手際でユリナの手を煩わせることはしたくない。そう思って丁寧に確認をしていたユイだったが、一つ抜けがあることに気付く。


「あっ、ユリナの宝物がないや」


 そうだった。非常時には必ず持ち出すことになっているやつがあった。

 ユリナの宝物。宝物とはいっても、宝石とかアクセサリーとかではなくて、ある特殊な弾薬だったはず。ユリナは「前に大切な人から貰った」と言っていたっけ。

 宝物といえば、ユリナの履いている反重力シューズもそうだ。履くと自由自在に重力を操れるようになる魔法のような靴。あれも大切な人から貰ったって言ってたかな。

 ユリナの大切な人。誰だろう。家族? 友達? それとも……。

 ユイはそこまで考えて、自らの思考を遮断した。

 やめよう。考えていると、心の中が嫌な感情で包まれてしまう。

 少なくとも、今はそんな状況じゃない。暗然とした思いに沈んでいる場合じゃないのだ。



 ユイは二人分の鞄を準備して、駅務室前でユリナを待っていた。

 もし、さっきの爆音が仕掛けた罠によるものだとすると、大した問題にはならない。人間なら間違いなく死んでいるし、セレクターなら再生が追い付かないほどの重傷を負うはずだ。ユリナがそんな状態のセレクターに手こずるはずはない。

 問題は、他の場合。例えば、武装した人間が手榴弾を使って爆発を起こしたりとかだと、かなり厄介。ユリナは対セレクターのエキスパートだけれど、対人戦に対する備えは最低限しかしていない。

 当然、わたしもだ。もし、自衛隊経験者などが攻めてきたらあっという間に制圧されてしまうだろう。

 仮にそうなったとしたら、ユリナは、ユリナはどうなってしまうだろう。わたしの前からいなくなってしまうのだろうか。もう会えなくなってしまうのだろうか。ユリナも、他のみんなのように消えてしまうのだろうか。

 ユイは先程よりも強く、ひたむきに願った。ユリナが無事であることを。

 


 そんなユイの心配とは裏腹に、ユリナはすぐに暗闇から現れた。出ていった時とは真逆の、穏やかな表情で。


「セレクターだったよ。下半身が吹き飛んでたから、そのまま引導を渡してあげた」


 淡々と抑揚のない声でユリナはそう言った。まるでゴミが落ちてたから捨ててきた、みたいな言い様だった。


「じゃあ、もう安心なの?」

「そうだねー。今あたしたちがいるA地区にはセレクターが少ないから、この音で集まってくることもないだろうし」

「……良かったぁ」


 ユイはほっと心を撫で下ろす。こんなに心が緊張と緩解を繰り返す日も中々ない。しばらくは平穏な日々であってほしい。ユイはそう願った。


「あたしのこと、心配してた?」


 そんなユイを見てユリナが口を開く。その表情は憂いを含んでいて、ユイを思う気持ちが滲み出ていた。


「もちろんだよ。だって、もしユリナがいなくなっちゃったら、わたしは……わたしは……!」

「……大丈夫だよ」


 そう言ってユリナはユイのことを抱きしめた。優しくもしっかりとした力で。

 ユイは一瞬何が起きたのか分からなかった。より正確には、分からなかった。ユイの脳は思考を放棄し、ただ身を委ねることを勧めた。

 むしろ考える必要なんてなくて、今この時を感じられればそれで十分なのかもしれない。

 


 ユイの耳元でユリナが囁く。


「大丈夫。あたしは絶対死なないから。だって、約束したじゃん。ユイと一緒に、この世界で生きるって。

 この先何があってもあたしとユイはずっと一緒だよ。だから、安心して。ユイ」


 熱い。その時ユイが感じたのは熱さ。目の奥から、喉の奥からこみ上げてくる熱さ。その熱さがユイの全身を包み込んで、結晶としてユイの目から零れ落ちていた。

 ああ、そうか。わたし、泣いてるんだ。

 さっきは我慢できたのに、ついに泣いてしまった。

 ユイは涙を堪えることもなく、ただただ泣き続けた。

 そんなユイに、ユリナはやさしい抱擁で答える。

 二人の間には、穏やかな時間が流れていた。



 涙を拭ったユイは改めてユリナに向き直る。

 ユリナもまたユイの前に立った。

 そして、ユイはユリナの肩越しに見た。セレクターの顔を。


「……っ! ユリナ! 後ろ!」


 ユイは力の限り叫んだ。この状況をユイは知っている。この後何が起こってしまうかも。

 しかし、叫びを聞いたユリナの行動は冷静だった。


「……へぇ」


 セレクターが行動を起こすより早く、ユリナは腰を落とした。

 ユリナの頭上でカツン、とセレクターの牙が音を立てる。

 それと同時に、ユリナはユイを抱きかかえて、飛んだ。

 反重力シューズのおかげで、普通ではありえない推進力を得た二人。一瞬でセレクターから距離を取ることができた。


「隠密行動を覚えたんだ、やるじゃん。でも、それだけじゃあたしは殺せないよ」


 セレクターに向かってユリナが言い放つ。

 対するセレクターは、またあの癇に障る叫び声を上げた。

 それが合図だったのか、背後の闇の中から次々とセレクターが現れた。

 ユリナが散弾銃に付けてあるフラッシュライトでセレクターを照らす。一、二、三、四。全部で四体ものセレクターがいた。

 こちらの様子を窺いながら、集団でじりじりと距離を詰めてくる。その様子はさながら猟犬のようだった。


「嘘でしょ……セレクターは集団行動をしないはずじゃ」

「基本的には、ね。でも、たまにこいつらみたいな例外がいるんだよ。

 ……もう、次から次へとやめてほしいなー。そんなにあたしを殺したいの?」


 ユリナの声からは全く焦りの色が感じられない。銃を向けたまま、冷静にセレクターたちの様子を観察していた。

 セレクターの前進に合わせて、二人は一歩ずつ後退する。いつの間にか、二番ホームに至る通路に追い詰められていた。


「ユイ、後ろの方どうなってる?」


 問われたユイは鞄からフラッシュライトを取り出して、背後を照らす。特に何も変わったところはない。


「何もないみたい」

「りょーかい。それじゃあ、ユイ。あたしの手、しっかり掴んでて」

「えっ?」

「いいから、早く」


 急かされたユイは、戸惑いながらも急いでユリナの手を握りしめた。

 その瞬間、二人は後ろに飛んでいた。いや、後ろに落ちていた。

 世界を一気に九十度傾けたかのような、不思議な状態。

 反重力シューズの効果で二人は横向きに重力を受けたのだ。

 それにより、二人は一瞬で通路の端に到達する。


「すごいや……これが反重力シューズ」

「ふふん。すごいでしょー。あたし自身だけじゃなくて、あたしが触れているものの重力も自由自在なの」


 ユリナは得意気にそう話す。そうか、こんな事もできるんだ。ユイは反重力シューズの力に胸を膨らませた。


「さ、追い付かれる前に早く行こ?」


 ユリナの言葉にユイは首肯し、二人は急いで階段を降りていく。



 階段を降りると、そこは地下鉄のプラットホームだった。

 ホームは対面式二面二線。今、ユリナとユイがいる側が二番線で、O地区方面の電車が発着していた場所だ。

 地下鉄のホームというのはただでさえ暗いのだが、現在は電源がほぼ死んでいるせいで墨をこぼしたかのような暗闇に包まれていた。

 二人は手持ちのライトで周りを照らし、敵がいないことを確認する。

 どうやら何もいないようだ。


「敵影はなーし。さて、どっちへ逃げるかだね」


 ユリナが問うたのは、線路のどっち側に逃げるかということ。

 東側に行けば、C地区、J地区を経由してS地区に。

 西側に行けば、F地区を経由してO地区に辿り着く。

 ユイにとっては、SもOも未知の場所だ。それならば、ユリナが知っている地区に逃げた方がいい。ユイはそう思って、


「ユリナに任せるよ。わたしはあまり詳しくないし」

「おっけい。じゃあ、西側に行こう。Fには食料や物資もいっぱいあるはずだから」


 そうして、二人は線路に降りた。セレクターが追い付いて来たのはそれと同時だった。

 ユイたちが降りてきた階段から、ぞろぞろとその姿を見せる。


「もう、ゆっくりでいいのに……って、一体増えてない?」

「増えて……るね」


 確かにユリナの言う通り、セレクターの数は五体になっている。さっきの四体に加えて、一体。恐らく先頭を歩いているのが新しいやつだ。

 よく見てみると、新しいやつの見た目が周りのセレクターと異なっていた。普通、セレクターは両腕がどす黒く、それ以外の部分は真っ白になっている。だが、この新しいやつは両腕に加えて両脚もどす黒い。このタイプは初めてだ。

 ユリナもそのことに気付いたらしく、須臾の間怪訝な顔を見せた。しかし、その顔はすぐにユリナらしからぬ感情に支配される。


「あ、あいつは……!」

「? どうしたの、ユリナ?」

「あの時、リサを殺した……あのセレクター!」


 ユイはユリナの言っている意味を汲み取れず、少しの間戸惑ってしまう。

 あの時?

 リサ?

 だが、考える間もなくユイは現実に引き戻される。


「逃げよう、ユイ」

「う、うん」


 ユリナに手を引かれて歩き出すユイ。

 逃げ出した二人に気付いて咆哮を上げるセレクター。

 二人は先の見えない暗闇の中へと、足を踏み出していった。

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