21.真の狙い

10月12日(Wed)午前9時


 風見新社 社会部副編集長の国井龍一は警視庁のロビーである人物を待っていた。

目的の人物が腹部に片手を当てて歩いてくる。どちらかと言えばスレンダーなイメージの彼女の膨らんだ下腹部はどうにも見慣れない。


「私に何の用?」


今日の小山真紀は機嫌が悪そうだ。口元をヘの字にして眉間にもシワが寄る。国井と会う時の真紀は大抵不機嫌な顔をしていた。

どんなに真紀に不機嫌な顔をされても国井はヘラヘラとした胡散臭い笑顔を崩さない。


『聞きましたよー。おめでただそうで。何ヶ月ですか?』

「6ヶ月。妊娠中で今は捜査に参加してないから私を追いかけてもネタは出てこないわよ」

『いえいえ。今日お伺いしたのは懐妊祝いをお届けしたくて。つまらない物ですがお受け取りください』


 手に提げていた紙袋を真紀に押し付ける。袋を受け取った真紀は中に入っていた茶菓子の箱を隅々まで調べていた。


『そんなに熱心に調べなくても大丈夫ですよ? そんなものに盗聴器は仕掛けられません』

「あなたのことだからネタを獲るためなら何をするかわからないもの。で? ただこれを届けに来たわけではないでしょう。むしろ懐妊祝いなんて口実。早く本題を言いなさい」


真紀は茶菓子の箱を袋に戻して国井を睨み付けた。国井が指をパチンと鳴らして笑う。


『さすが小山さんだ。うんうん、朝から頭のいい美人と話せると気分がいいですね』

「早くして。私も暇じゃないの」

『そうカッカしてるとお腹の子に悪影響ですよ。10年前、小山さんが小平警察署の生活安全課にいた頃に起きた佐久間社長夫妻の殺人事件について話を聞かせてください』

「10年前の……?」


 動揺を顔には出さないよう努めたが、倉持警部と昨日その事件の話をしたばかりだった。

真紀の内心の動揺を知ってか知らずか、口元を斜めにした国井は分厚いファイルの付箋を貼ったページを開いた。


『10年前のこの事件、覚えていますか?』

「ええ。……っていうか、どうして私が小平署の生活安全課にいたことをあなたが知っているの?」


付箋のページには10年前に小平市で起きた佐久間社長夫妻殺人事件の記事がスクラップしてある。


『こちらにもツテがありまして。小山さんが警視庁配属になる前の部署がどこだったか調べるのは朝飯前です』

「はぁ。そうですか。それでこの事件が何?」

『弊社で未解決事件の特集記事を組むことになり、この事件も特集対象に入りました。捜査本部が置かれていた小平署にいた小山さんに当時の話が伺えたらと』


数秒、記事のスクラップに目を通した彼女はファイルを国井に突っ返す。記事には捜査資料を読めばわかることが羅列してあるだけだ。


「あなたも知っての通り、当時の私は生活安全課にいて殺人事件の担当はしていないの。話せることは何もない。以上。早く帰ってください」

『まぁまぁ話は最後まで聞きましょうよ。俺が特集記事の目玉にしたいのは事件そのものよりも、事件後に1週間行方不明になった娘の方なんです』


 国井の口調は低姿勢で穏やか。しかし目には鋭い光が宿っている。どこまでも非常識でジャーナリズムの塊のような男だ。


「なるほど。娘の話を聞き出したくて当時生活安全課にいた私のところに来たのね」

『そういうことです。娘は1週間行方不明になった後にみずから交番に駆け込み、保護された。そこからは生活安全課が彼女の面倒を見ていたんでしょう?』

「あの子が生活安全課にいたのは児童相談所に引き渡すまでの数日だけよ」

『その間に娘の事情聴取も行われたようですが娘は精神的ショックでASDと診断され、会話もほとんど筆談だったとか。娘はそんなに酷い精神状態だったんですか?』


ジャーナリストとして優秀な国井は抜け目のない人間だった。今もICレコーダーを隠し持って会話を録音しているかもしれない。

マスコミ、特にこの男には迂闊に情報は与えられない。真紀は慎重に言葉を選ぶ。


「健康状態に問題はなかったけど誰とも口を利かなかった。生活安全課で保護している時も黙々と学校の宿題をしたりしていたわ」

『ほぉ。宿題ねぇ。……現在の娘のことも調べましたよ。施設から里親に貰われ養子縁組をしたそうで、名前は佐久間芽依から清宮芽依となっています』

「養子縁組の話は聞いてる。国井さん。特集で何をやるかはそちらの自由ですが、無神経に被害者遺族の心とプライバシーを傷付けることのないように。失礼します」

『ああっ! ちょっと小山さーん。まだ話には続きがあるんです』


 国井に引き留められた真紀の形相が怒りに歪む。


「続きぃ? あのね、何度も言うけど私も暇じゃないのよ」

『あと少しで終わります。娘の清宮芽依は今はハタチ、大学生になっています。彼女がどこの大学に通っていると思います?』

「なんでもいいからその思わせ振りな言い方止めて」

『はいはい。清宮芽依が通っている大学は、なんとあの明鏡大学なんですよねー。しかもと同じ学部、同じサークルの先輩後輩でした』


真紀は国井の真の狙いが読めた。


「そういうことか。未解決事件の特集とか言っておきながら本当に私から聞き出したかったのは浅丘美月のことね」

『事件の話も勿論ありますが、はい、仰る通りで。小山さんは浅丘美月と面識がありますよね。2年前の明鏡大学准教授の殺人事件も5年前の静岡の連続殺人事件も、浅丘美月が関わった事件の捜査担当には小山さんがいました』


 2年前の事件はまだわかるが、5年前の静岡の殺人事件まで国井は引き合いに出してきた。確かにどちらの事件にも真紀は捜査で関わっている。


『浅丘美月は一般人ですので公には名前は伏せられていますが、我々ジャーナリストの間で彼女はある意味有名人です。浅丘美月は犯罪組織カオスのキング、貴嶋佑聖のお気に入りの女ですからね。彼女は実は貴嶋の愛人なんじゃないかって噂もありますよ』


それは真紀にとって不愉快極まりない話だ。

浅丘美月が貴嶋の愛人なんてこと有り得ない。

どこをどう情報操作すればそんなくだらない事が言えるのか。火のないところにも煙を立たせる人種がマスコミだ。


「浅丘美月はカオスとは何の関係もない」

『俺の情報網を甘く見ないでほしいな。2年前の貴嶋が逮捕される直前に貴嶋と浅丘美月は接触していた。貴嶋の逮捕とカオス壊滅から2年になりますが、貴嶋やカオスのことは大雑把なさわりだけで詳しい情報は世間に公表されないままだ。報道の人間として遺憾でなりません。俺には真実を国民に伝える義務があり、国民には真実を知る権利がある。違いますか?』


 報道の人間だけあって国井は口が上手い。だがジャーナリストの国井が伝える義務があり、国民が知る権利があるのなら警察官の真紀には守る義務がある。


守秘義務。警察官としての立場を守り情報漏洩を防ぐだけでなく、事件関係者のプライバシーを守る義務でもあると真紀は心得ている。

浅丘美月のプライバシーは誰にも侵されてはならない。彼女は誰にも傷付けさせない。


「私が言えることはひとつ。浅丘美月はカオスとは無関係です。それとこれ、お返しします」


茶菓子の紙袋を国井に戻して真紀は踵を返す。こんな男からの懐妊祝いは欲しくもない。


『元気な赤ちゃん産んでくださいね。矢野真紀さん』


 含み笑いを浮かべて国井は真紀の本名をフルネームで囁いた。真紀は振り返らずにそのままエレベーターに乗り込んだ。

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