16.再捜査
小山真紀は警視庁地下二階資料室の扉を押し開けた。この資料室にはこれまで警視庁が担当した過去の捜査資料、特に未解決となっている事件の資料が保管されている。
「
埃っぽくカビ臭い部屋の中央には簡素な机と椅子があり、見慣れた猫背の背中が小刻みに動いていた。
背中の主は振り返って小難しい顔を緩める。
『小山ー。妊婦がこんなカビ臭い場所来てもいいのか?』
「少しくらいなら大丈夫です。それにこの部屋、学校の図書館っぽくて好きなんですよ」
真紀はふっくらした下腹部を庇うように彼の隣に腰掛けた。倉持の手で開かれた捜査資料のページに彼女は視線を落とす。
「またこの事件の捜査資料見てるんですか?」
『ああ。今年で10年だ』
「10年……もうそんなに経つんですね」
倉持が見ていたのは10年前の2001年10月に小平市で発生した社長夫妻殺人事件とその娘の誘拐事件の捜査資料だった。
『長年刑事やってると
「倉持さんがこの事件を語る時はいつもそう言っていますね。惨いだけじゃない、何かあるって」
『そう感じるのは多分この手形だろうな』
捜査資料の右ページには事件現場の写真が数枚貼り付けてある。血の海が広がるリビング。元はベージュ色だったカーペットが血を吸って赤く染まっていた。
倉持が指差した写真は血に染まっていないカーペットのベージュの部分。そこも少し赤く染まってはいるが、赤色の箇所が何かの形に見える。
それは人間の手のひらの形。じゃんけんのパーをするような手のひらの形の血の跡がカーペットにくっきり残されていた。
手形は平均的な大人のサイズよりも小さい。
『小学生だった娘の手形だろう。事件発生当時、娘は殺害現場となったリビングにいたんだ』
「娘は犯行の瞬間……自分の親が殺される瞬間を目撃していた可能性が高いと捜査本部も見解を下していましたよね」
殺害現場に残された子どもの血の手形はもみじの葉に似ている。刑事として数々の惨状を目にしてきた真紀も、これほどゾッと寒気のする現場は見たことがない。
『ASDになるのも無理ない。せめて娘から犯人の手掛かりが聞ければよかったんだがな。精神的ショックと、犯人に脅されたのかはわからんが娘は一言も口を利いてくれなかった』
「娘の芽依は事件当時は10歳ですね。ということは今はハタチ……」
『施設に入った後に養子縁組をしたとは聞いている。新しい家族のもとで元気に暮らしていてくれたらいいが……。今ならあの子も何か話してくれるんだろうか』
倉持は捜査資料のページを閉じて眉間を揉んだ。長時間細かな文字を見ているとさすがに目が疲れる。
「この事件、私が調べましょうか?」
『いいのか? お前も忙しいだろ?』
「今は捜査に参加していませんし、毎日書類整理も退屈で。それにこの事件には私も縁があります。事件の時、私は小平署の生活安全課にいましたから」
『そうだったな。小平署の生活安全課……小山は娘とも接触があったよな』
「はい。だから気になって。この事件は私の中でもいつまでも未解決のままです。お願いします。産休前の最後の捜査、やらせてください」
慈しみのこもる手つきで真紀は膨らんだ下腹部を撫でる。来年には会える我が子を思いながら、小山真紀刑事の未解決事件の捜査がスタートした。
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