3.火傷の痕の男

 ――今夜もあの夢を見た。


赤い吹雪 ゆっくりじんわり広がって水溜まりになる

見下ろす先には動かないふたつの人形

ゼンマイの切れた人形


物悲しいメロディをふたりで口ずさんで歩く帰り道

温かい手のぬくもりを今も覚えている

握り締めた手。その手の甲には大きな火傷の痕……



       *


10月8日(Sat)午前6時


 まだベッドにいたい衝動と戦い、芽依は起き上がった。

今日は10時から本屋のバイトだ。バイトの後は小池と映画を観に行く約束がある。


(何着ていこう。映画観るだけだからあまり気合い入れた服だと意識してると思われちゃう)


クローゼットから服を引っ張り出して鏡の前で悩み、結局いつもバイトに行く時よりは少しだけ洒落たブラウスとジーンズ、ロング丈のカーディガンを羽織った服装に落ち着いた。


 勤務終了時刻は午後6時、その後に映画ならば夕食も……と小池は考えているだろう。母には夕食は友達と食べてくるとだけ伝えて家を出た。


約束してしまった以上、今さら断れない。映画が楽しみなことには違いなく、小池には悪いが合コンに行くよりはマシだと思ってOKした。

しかし男と一緒に映画を観るのもその後に食事をするのも芽依には苦痛だった。気が重い今朝は自転車を漕ぐスピードも遅くなる。


 朝礼でも今日の小池は普段とは様子が違っていた。妙にソワソワしている。

午前中は芽依はレジ業務、小池はバックヤードで作業と担当が分かれていて正直ホッとした。


 昼休みには母の手作り弁当をいただく。昨夜の夕食の余りの肉じゃがが入れてあった。

二日目で味の染みたじゃがいもを美味しそうに頬張る芽依を年上の同僚女性が眺めている。


「清宮さんのお弁当いつも美味しそうだよね。清宮さんの手作り?」

「母の手作りです。私はこんなに料理上手くないですよ」

「お母さんの手作りかぁ。いいなぁ。私は上京組だからしばらく母親の味ってものを食べてないのよ」


 そう言って同僚女性はコンビニのサンドイッチの封を開けた。


 芽依にとっての母親の味はこの肉じゃが。ハンバーグもコロッケもサバの味噌煮も、料理上手な母の料理はなんでも好きだ。

芽依は両親が大好きだった。二人がいけなければ今の彼女はいない。

彼氏でも友達でもなく、両親とずっと一緒にいたい。彼らはひとりぼっちだった芽依の手を握ってくれた人達だから。


 突如、頭に激痛が走る。――夕暮れに染まる公園、赤い葉っぱ、ひとりぼっち、揺れるブランコ、水彩絵の具とクレヨン……


「どうかした?」

「……お手洗い行ってきます」


 笑って誤魔化して芽依は席を外した。トイレに駆け込んで痛む頭を押さえる。

物悲しい童謡のメロディが流れると同時に浮かぶ風景。ひとりぼっちの少女の手を繋ぐ温かい手。その手の甲には大きな火傷の痕があった。


(お兄ちゃん……)


誰かさんが、誰を見つけた……?

誰が見つけた?

誰を……見つけた?


        *


 午後の業務は2時から店内整理と在庫チェック担当になった。小池はレジ担当、今日は彼と担当が重ならずホッとしている。

芸術系の棚の整理をしている時に男に話しかけられた。


『この本を探しているんですが、置いてありますか?』


血色がなく色白の、スーツを着た長身の男だ。彼が差し出したメモ用紙を受け取った時、右手の甲が視界に入った。

心臓が大きく脈打つ。


『あの……』

「あっ……失礼しました。こちらの本ですね」


 慌てて男の手から視線をそらした。在庫表とメモに書かれた書籍名を照らし合わせて本を探す。男が探している本は美術書らしい。


「お客様、当店ではこちらは取り扱っておりませんが……」

『そうですか。この本を売ってる本屋がなかなか見つからないんですよね。あとはネット注文になるか……』


落胆した様子で独り言を呟く男の顔をじっと見る。もう少し、あと少し、男と一緒にいたいと思った。


「お取り寄せもできますよ」

『じゃあ取り寄せしてもらえますか?』


取り寄せができると告げると男は無表情を崩さずに嬉しそうに笑った。どうして芽依には彼が笑ったように思えたのか……この人の笑い方を知っている気がするからだ。


取り寄せの必要事項記入のために男をレジに案内する。接客中の小池が芽依の動きを見ていた。予約票記入の前に念のため小池に確認に行く。


「小池さん、扱いのない本の取り寄せなんですけどいいですか?」

『いいよ。取り寄せ作業は前に教えたよね。覚えてる?』

「はい」


 芽依は取り寄せの予約票を持って男に駆け寄る。彼はレジ前の児童書コーナーの手書きポップを見下ろしていた。


「お客様、こちらにお名前と連絡先の記入をお願いします。電話番号は商品入荷のご連絡をするためのものですので確実に繋がる番号でお願い致します」

『はい。えっと……あのポップってここの店員さんが作ったものですか?』


細長い指先で男が指差したのは折り紙で作った赤い落ち葉とクレヨンで描かれたドングリとイチョウの絵。それらが児童書コーナーを秋色に彩っていた。


「恥ずかしながら私が……」

『ああ、あなたが……。絵、上手ですね。折り紙の落ち葉も綺麗にできてる』


感心して頷いた男が予約票に記入を始めた。彼に褒められるとくすぐったい気分になる。


『どれくらいで届きます?』

「出版社に問い合わせをしてみないとわかりませんが、1週間から2週間以内には」

『わかりました』


ボールペンを置いた男が顔を上げた。切れ長の双眸と目が合ってまた心臓が跳ねた。


『……では』

「ありがとうございました」


 彼は表情を変えずに踵を返す。芽依は店を去る広い背中に頭を下げた。

予約票の名前の欄には赤木奏と記入してある。連絡先は携帯電話の番号だ。


(赤木……奏……綺麗な名前……)


 芽依の隣に立つ小池が予約票の記入漏れがないかチェックしている。彼女はまだ興奮が鎮まらない心臓を押さえつけた。


『美術書の取り寄せは珍しいね。あのお客さんはデザイン関係の人かな』

「……取り寄せ作業してきます」


小池のチェックが入った予約票を持って逃げるようにバックヤードに下がった。心臓の鼓動の速さを小池に気付かれたくない。


 男の右手の甲の火傷の痕を見た時から鳴り止まない鼓動。どうして、どうして?

赤木奏……彼はもしや……

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