第22話 病室のチューリップ

 紫苑高校女子バレー部は、夏休みに入ってすぐにあった高校総体予選、夏帆がレギュラーで出場したもののあっさり初戦で敗退した。アイリも1セットだけ出場したが、流れは止めようが無くストレート負けを喫したのだ。引退試合にしては不甲斐ないものだった。しかし夏休みからは受験体制。ざまあみろと言わんばかりに照りつける太陽を睨みつけながら、補習のためにアイリは朝から自転車を漕いだ。


 バクは暑さを感じないのか、熱気こもるシューズバックの中で大人しい。小学校近くの歩道で、小学生の女の子が二人、ジョウロを手にしてペチャペチャ喋っている。まるで小鳥がさえずっているようだ。あの子たち、ずっと前にここでお話しした子じゃない? アイリは少し手前で自転車を止めた。女の子たちの視線の先には、花が咲いている。


あれって、もしかして・・・。アイリが足で地面を蹴りながらそうっと近づくと女の子が気がついた。


「あ、おねえちゃん!たねくれたおねえちゃん」

「久しぶりねー、お花、咲いたんだ」

「うん!」


 ここを通る度、草花がだんだん大きくなって、蕾が付いているのは横目で見ていたが、立ち止まって観察するまではしていなかった。


「きれいにさいたの、まりーごーるど!」


 女の子が指さす先には、春に渡したマリーゴールドが見事にオレンジの花を咲かせている。しかし咲いているのはそれだけじゃなかった。白に赤がほんのり混ざった尖った花が少し背が高い茎にたくさんついている。


「他にも咲いてるねえ」

「そうなの。どんどんふえちゃって、しらないうちにだれかがたね、まいたのかなあ」

「これって、えーと、確かサルビアだねえ」

「さるびあ?」

「うん、赤とか紫が普通なんだけど、珍しいね、白に赤いアクセントなんて。でもこの色も可愛いねえ」

「うん!」


 女の子たちは持っていた白いプレートにたどたどしい字で『さるびあ』と書き込んで『まりーごーるど』の横に立てた。アイリはほっこりして二人の頭を撫でた。

「お花を大事にする子は優しい女の子になるよ」

「やったー」

「じゃあね、お水やりよろしくね」

「はーい」


 夏休みにわざわざ見に来たであろう二人を残し、アイリはまたペダルを漕いだ。夏の太陽も今度は『ごくろーさん』と微笑んでいるように見えた。


 その日の補習は午前中だけだった。図書室に行こうか、スタバに行こうか迷ってるアイリの元へ、突然夏帆がやってきた。


「津田先輩、朝、小学校の近くの花壇で子供と話してましたよね」

「あ? ああ、知り合いなのよ。春から」

「そうなんですか? 何か言ってましたか、あの子たち」

「何かって、ずーっと前に泣いてたけどね。植えたチューリップが根っこごと抜かれちゃってって」

夏帆は黙り込んだ。アイリはサスケの話を思い出した。

「あのさ、夏帆、違ってたらごめんね。でもちょっと聞きたいんだ」

「はい・・・」

「夏帆って妹さんいる?」

「え?あ、はい、います」

「千春ちゃん?」

「え?先輩、ご存知なんですか?」

「四中の3年3組でしょ?ウチの弟がね、同じクラスで、どうも千春ちゃんの事、好きみたいなのよ。」

「はい・・・」

「姉がとやかく言うことじゃないけどね、その弟が千春ちゃんからお母さんの事、聞いてるのよ」

「あ、病気の事ですか?」

「うん。大変なんだってね。夏帆、偉いと思うよ、部活やりながらお世話もして」

「・・・」

「でも一つだけ気になったんだ、チューリップの話。お母さんの病室に夏帆が持って行ったのが根っこついてたって」

夏帆は下を向いた。

「あんまりないよね、そう言うのって」

夏帆はしばらく沈黙した後、ポツリと言った。


「ごめんなさい。チューリップ抜いたのは私です」

「なるほど」

「本当にごめんなさい」

「お母さんの具合がそれでちょっと良くなったって聞いたんだけど、それはいい事だけど、ヤバイ話だよ、本当は」

「はい、判ってます。警察行きます」

夏帆はアイリの前で頭を下げた。

「ちょっと待って。そこまで言ってないよ。そんなことしたら益々お母さんの具合悪くなっちゃうよ」

「言い訳にしかならないですけど、母はチューリップ大好きで、春だから見たいなあって言って、その時ちょっと危ない状態だったので、お花屋さんに行けなくて、そしたら丁度あそこにチューリップ咲いてたから、暗くなって誰もいなかったし、ごめんなさいって言いながら持って行ってしまいました。小学生の子たちが育ててるって知らなかった」


シューズバックの中でバクは大きく口を開ける。いろんな悲しみや哀しみがごっちゃになってる・・・。


「そっか。事情は良く判った」

「でも犯罪です。母は喜んだんですけど、私はずっと暗い気持ちでした」

アイリは夏帆の頭を撫でた。セッターとしては若干敵わないけど、あたしは先輩なんだ。

「夏帆、よしよしだったね。事情を聞くと夏帆を責める気にはなれないよ。でもさ、不思議なことがあってね、夏帆が抜いちゃった次の日に、あたしはあの子たちにたまたま持ってたマリーゴールドの種あげてさ、それが今朝きれいに咲いたんだ。でもその他にもサルビアが咲いたんだよね。あの子たちも知らないって言ってた」

「あ、それも犯人は私です」


バクは悲しみを食べかけて途中で止めた。


「え?もしかして夏帆が植えた?」

「はい。あんまりだと自分でも思ってたので、家にあった球根を次の日の夜に埋めました。それっきりですけど」

「そっか。それがサルビア」

「サルビアって母が病気になってから好きになって、花言葉が『家族愛』なんです。だから縁起いいかと思ってどこかに植えようと思ってました」


そっか。家族愛を罪滅ぼしのために、夜こっそり植えたんだ。


「お母さん、まだ入院続くんでしょ?」

「はい。一進一退で」

「ね、夏帆、明日の朝、あの子たちと会わない?」

「え?」

「だって、夏帆だってあの子たちに直接謝った方が気が済むでしょ」

「ええ、まあ、今更ですけど」

「いいじゃん。そうじゃなきゃ、夏帆、ずっと心の中に後悔を持ち続けるよ。それってトスにも影響しちゃう。来年は1回位勝ってもらわないと」


アイリは笑った。

バクは思い出した。やはりこれだったか、占星術にあった形が変わる失せ物は。やはり進んでいる…不思議な星だよここは。


 翌朝、道路脇の小さな花壇にアイリと夏帆はやってきた。またあの子たちが水をあげている。


「おはよう!」

「あ、おねえちゃん、おはようございます」

二人の女の子は律儀に頭を下げる。

「おともだちですか?」

「うん、まあね」

夏帆はちょっとうつむき気味だ。

「今日はさ、このおねえちゃんから二人にお話があるんだって」

「おはなし?」

「うん。夏帆、言っちゃいな」

「はい」


夏帆は二人の女の子の前に進み出た。


「あのね、私、二人に謝らなきゃいけないの」

「??」

「ごめんね。春にチューリップ、持って行ったのは私です。せっかく二人が一所懸命お世話してお花咲かせたのに、本当にごめんなさい」

夏帆は深々と頭を下げた。女の子たちは戸惑っている。アイリが間に入った。


「あのね、このおねえちゃんのお母さんがね、病気で入院してるのね。お母さんってお花が大好きなんだって。それで春になったからチューリップ見たいって言ってて、それ聞いて、このおねえちゃん、もう時間がないかもって思ってごめんなさいって言いながらチューリップもってっちゃったの。だけど、お母さんはとっても喜んだんだって」

二人の女の子はジョウロを持ったままうんうんと頷いた。アイリは続けた。

「それにね、悪いことだっておねえちゃん判ってたから、次の日にサルビアの球根を植えてくれたの。それが、これ!」

アイリは白いサルビアを指さした。二人の女の子もそっちをポカーンと見た。

「だからさ、おねえちゃんのこと許してあげてくれる?」


 女の子がようやく口を開いた。

「こうかんしたってこと? ちゅーりっぷとさるびあ」

「そう!上手いこと言うねえ」


 アイリは女の子の頭を撫でた。やっぱり優しい子たちだ。夏帆も同様に頭を撫でて

「本当にごめんね」

と涙ぐんだ。


「あの」

もう一人の女の子が夏帆に聞いた。

「おかあさん、げんきになった?」

「ううん、まだなの」

「じゃあ、このおはな、きって、もっていってあげて」


 アイリは目を丸くした。なんていい子たちだろう。

その瞬間、バクもシューズバックの中で大きく口を開けた。悲しみが虹色に変わろうとしている。甘酸っぱい悲しみだ。


「有難う」


女の子は夏帆に小さなハサミを差し出した。

「こうさくのハサミですけど」

「うん」


夏帆はサルビアとマリーゴールドを一輪ずつ切った。

「おねえちゃんのおかあさん、よくなるといいね」

「うん。きっと良くなる。本当に有難う」


 夏帆の手に握られた二輪の花は輝いている。太陽の光だけじゃこんなに輝かない。失せ物は人の心でずっといい形に変わったんだ。あの日、人より機械が優れていると判断した俺はバカだったと思わざるを得ない。シューズバックの中でバクは唇を噛んだ。

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