あの歌が彩る日々を
セナ
第1話旅立ちの歌
あの決断は絶対に間違いじゃなかった。
それだけは確かだった。
後になって振り返れば、「ああしておけば良かったのに」なんて思うこともあったけど、それさえも含めて、間違いじゃなかった。
今なら、そう言い切れる。
今日、俺は仕事を辞めた。
別に、ブラック会社とかだったわけじゃない。寧ろ、周りからは辞めたことを咎められるような仕事だった。
特別国家公務員、陸上自衛官。
そこを3任期満了で退官した。
仕事が嫌いだったわけじゃない。それどころかやりがいを感じていた。
そういう話をすると、どうして、と訊かれる。
まぁ、そうだろう。
実のところ、俺は最終学歴が卒業じゃなかった。一応、高卒の認定は得ているけど、履歴書とかの学歴の一番下に『卒業』という文字を記すことができなかったのだ。
で、それ以降に行った専門学校でも「中卒ですか」と訊かれた。因みにこの専門学校は自分があまりに馬鹿だったから中退する羽目になった。その後にした就職活動や自衛官になってからも書類上で中卒扱いにされていたことがあり、その度に高卒の認定を得ていることを説明して回ったほどだった。
そして、陸曹になるかどうかを考えたとき、自分がやり残したこととして、きちんと学校を卒業することが浮かんだのだ。目にかけてくれていた上司や先任曹には申し訳なかったけど、任期満了で退職を決断したのだった。
勿論、辞めるときには20代も半ばに差し掛かっているわけで、今更学費で親には頼れない。そういったわけで貯金はしっかりとやった。就職するときに車も必要になると思って中古の軽だったけど買った。
所属する部隊と同じ県内にある短大の社会人入試制度を利用したわけなんだけど、私立だからか学費がちょっと高かった。隣の県に公立の短大があって、行きたい学部もあったけど、社会人入試制度の利用条件に学校の所在する県の住民票を有していること、なんて条件があったから断念した。
自衛官には『指定場所に居住する義務』というものがあるので、在職中に結婚したり幹部になったわけでもない身としては勝手に住民票を写すわけにはいかなかったのだ。因みに、独身の隊員の場合は幹部を除けば駐屯地や基地の中の寮、営内に住むことが定められている。結婚した場合や、2曹以上に昇進した場合には外に住むことが認められるようになる。
仕事を辞めて進学なんていう選択肢を取れる俺が結婚なんてしているはずもなく、当然営内に住んでいたのだ。
まぁ、そのお陰で引越しの荷物が少なくて済むのだが。
で、そろそろ現実に戻ろう。何せ、これから部隊長に退職する旨を申告せねばならない。
「申告します。陸士長、
「同じく、
「平成25年3月27日付けをもって、任期満了退職を命ぜられました」
これについてはいつになっても緊張する。階級が上がったときとか、何回かやったけど、やっぱり慣れない。
「6年間の勤務、ご苦労でした。これからの人生も頑張るように」
部隊長が気さくな方なのがよかった。
「敬礼」
一通り済んでしまえば後は退出するだけだ。
そして、この後には全体の朝礼で紹介されて、そのまま外での見送り行事になる。
朝礼でも同様の紹介をされて、同期を代表して一言だけコメントをした。その後は営門までの見送りだ。ここについてはちょっとばかりわがままを聞いてもらった。
折角、というとあれだが、この日の見送りは俺と同期の根古屋士長だけだ。なので、根古屋士長にも断って好きな曲をかけてもらうことにした。放っておくと流行のアイドルの曲が使われるのはわかりきっていたからだ。正直、あまり好きじゃなかったのだ。
「ネコちゃんは地元に帰るんだっけ?」
「うん、そっちは進学だったよね」
待ち時間の間に少しだけ話をする。というか、普通に話をできてる自分に少しだけ安心する。目の前にいる根古屋士長こと根古屋舞、名前からして女性、WACだ。この人のことを好きだった時期があるのだ、俺には。あのころのことを思い出すと羞恥心で死ねるのでこのくらいにしておくが、そんな相手と普通に話せるというのは安心できる。引きずってはいないんだ、と。
「ああ。やっぱり、学校をちゃんと卒業したいって思ったから」
「ふうん。ま、頑張ってね」
「お互いにね」
向こうは地元の企業に就職したらしい。北陸の方らしいからもう会うこともないんだろうな、と思う。向こうも同じことを思ってるんだろうな。
「そろそろ行くから、準備して」
待っている所を上官に声をかけられたので制帽を被り、外に足を踏み出した。
響くのはBIGMAMAの『君想う、故に我あり』だ。つい先日出たばかりの曲だけど、聞いてすぐに自分の見送り時の曲にしたいと思ったのだ。
営門までの道のりはそんなに長くない。でも、そこに詰め掛けている人たちの多くはお世話になった人ばかりだ。配置になった初年度に色々あって複数の部署を回った俺だったからこそ、関わりを持った人は多い。
殆どの人が「元気で」や「頑張って」という言葉をくれる。中には本気で期待してくれた人もいるからちゃんと頑張っていこうって思うんだ。
まぁ、俺と根古屋士長のことも知ってる人も何人もいるわけだけど。
昔の話だからわざわざ語る人もいないけど。
最後に営門の前で部隊全体で万歳をしてもらって、それに敬礼で応え、一旦は営門の外に出る。対外的にはこれで戻らない、ということになるし、絵図としてはいいんだけど、現実にはそうも行かない。各種物品の返納、特に今着ている制服の返納がある。その他にも営内に置いている私物の完全撤去、自衛官であることを示す身分証の返納と色々あるのだ。
「ネコちゃんは何時くらいに出るの?」
「昼過ぎくらいには出るつもり」
「わかった。こっちもそれに合わせられるようにする」
別にデートするわけじゃなくて、同期が集まって最後の見送りをするからだ。根古屋士長の場合はこのまま飛行機に乗るから空港まで全員で見送りに行くわけだ。
一緒に退職する身なのに見送りとは如何に、と思わなくもないけど、教育隊から苦楽を共にし、同じ釜の飯を食った仲間の旅立ちを見送らないのは間違ってる。
見送り行事の後は自分の所属していた部署に顔を出し、何故か胴上げしてもらって、それから物品返納に奔走した。何せ教育隊で確認のために開封してから一回も使用していない外套とか色々あったわけで。
「おし。確かに全部だな」
補給担当の合田1曹の許しを得て、お世話になりました、と頭を下げて、最後に総務に向かう。ここで身分証と車の許可証を返納する。こうして、俺は陸上自衛官江波衛陸士長から、一般人江波衛になる。
総務の安田二曹は俺の一番苦しかった時期に一番迷惑をかけたけど、一番お世話になった方だ。なんだかんだで色々と話すことも多く、ガンダムの新作が発表されるとそれについて語り合ったこともある。
そんな安田2曹ともこれでお別れだ。
「色々ご迷惑をおかけしました」
「これから頑張れよ」
頭を下げ、最後は硬く握手をし、肩を叩かれ、もう一度頭を下げて退出した。本当に、これで終わったんだ。
じゃ、後は出るか。
営門のほうにもお世話になった事務官の方がいるし、今日の警衛隊の人たちにもちゃんと挨拶していかないと。
外に止めていた車に乗り込み、少ない荷物を確認して走り出す。営門で待っていた事務官の方と今日の警衛隊の方々に頭を下げ、車を発進させる。もう、俺にここに戻る権利はない。それを惜しいと思う気持ちがないわけではないが、それを選んだのは自分自身だ。それを後悔しないためにもこれからを全力で生き抜く、やり抜くんだ。
まずは、後悔しないためにネコちゃんの見送りだ。
ネコちゃんの見送り後、俺はそのまま引越しに移行する。行き先は同じ県内で車で1時間くらいの距離のところだ。
「じゃ。また会えたらまた会おう」
俺は同期たちに手を振って空港の駐車場を後にする。
こうして俺は公務員の立場を手放した。
次からは学生になる。
ちょっと不安はある。
ああ、説明してなかったな。
俺が入ったのは短大、その中でも栄養士の学科だった。同級生の大半が女の子になる。これを知ってる同姓の同期たちは「ハーレムじゃねえか」と羨むけど、こちらからすれば結構びくびくしてる。
何せ、現役の子たちは8つも下、つい先日まで学生服に身を包んでた子ばかりだ。
気にし過ぎと言われればそれまでなんだけど、事案の気配しかしない。一瞬でもそう考えてしまうともうそんな気にはなれない。
それに、そもそも好きな子が別にいるしね、俺。
後書のような何か
私の経験、そのまま物語に出来るんじゃないかと5年くらい経ってから漸く思い至ったので小説化します。
今回のサブタイトルはdoaの旅立ちの歌でした。以前は自分の退職の見送り時には必ずこれにしようと思っていた曲だったのですが、収録されたCDを既に梱包してしまっていたこと、実際に聴いた君想う、故に我ありに惚れてしまったため、これとuntil the blouse is buttoned upにしました。大分経ってからライフイズミルフィーユを使わなかったことを後悔したパターンでした。
8/3修正 人名にルビを振りました。後書部分にタイトルの由来を追加しました。
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