第27話「……普通だろ?」
もちろん僕の伝え方の問題が大きいのだろうし、読者諸君の感受性が豊かすぎるせいという理由だって十分あるとは思うのだが、しかしそれでもここで僕は一つ、改めて、弁解の機会をいただきたい。
弁解というか。
釈明というか。
事情説明の機会を頂きたい。
僕だって、何も好き好んでこんな状況に陥っているわけではないのだ。
己の意思で、自らの意思で、
僕は妹と風呂に入ろうとしたわけではないのだ。
加えていえば、別に妹に限った話をするのであれば彼女は服を着用していた。
昼に見て。
夜にも見た。
ホットパンツにノースリーブ姿という夏における女子高生らしい格好——ではないのだけれど。
それでもある意味。
この『風呂場』という状況下においていえば最もふさわしい格好をしていた。
水辺という意味で、彼女は正しい服装をしていた。
つまり——水着を着用していた。
水着姿で。
風呂場にいた。
……まあ。
対する僕はといえば、それはもう完全無欠の一糸まとわぬ姿だったわけだけれど、しかしその描写はこの際全く重要ではないので割愛しよう。
とにかく。
話は十分前まで遡る。
と言ってもだ。
別段、大層なことは何もなかった。
特別なことは何も起きてなかった。
いや、確かにいい年した兄妹が、共に風呂場にいるこの状況一つを切り取ってしまえば、それはもうたいそう以上の、特別以上に何物でもない状況があることは、もはや疑いのないことだとは思うけれど、しかしそういう意味でなく、あくまで僕は『タイミング』の問題だと言いたい。
都合と時機のミスマッチだったと言いたい。
一日中炎天下のもとにいたせいもあって頭からつま先まで、汗まみれに濡れまくっていた僕は、当然、帰宅後にそのまますぐに風呂場に直行。
なんとなくの足取りで向かう廊下の途中に服を脱ぎ散らかしつつ、最終的に脱衣所まで行った僕は、そのままあゆみの勢いを緩めることなく風呂場を開けた。
途端、湯気が膨張して顔に当たる。
目を閉じたそれを受け止め切ると、どうやら風呂が沸いているようだ。
コンコンと。
グツグツと。
風呂がしっかり、湧いているようだ。
蛍かお袋か知らないがとにかくファインプレーである。
僕はシャワーで簡単に汗を流し、頭と、そして体を泡まみれにする。
それらを一気に水で洗い流していざ風呂に入った。
夏において風呂に浸からずシャワーを浴びることさも当然のような風潮のはびこる現代だけれど、しかし、その中でも僕は人生の中たったの一回だって、一日の終わりに風呂に浸かるという行為を欠かしたことはない日本男児だ。
どんな季節であれ、風呂いうものは素晴らしい。
言葉を尽くして、そして尽くしきれないほどに素晴らしい。
当然冬の温泉なんかはその最もな例としてみんなが名前を上げるにふさわしい代物であるとは思うのだけれど、しかし同時に、僕は夏に入る風呂というのだって同等かそれ以上に素晴らしい魅力を兼ね揃えているのだと、ここで声を大にして叫びたい。
汗を流し、夏を感じ、外気よりも暑く熱い湯に浸かって沈みゆく夜空をじっと眺める。
火照った体はまた一段階上の体温上昇を見せ、否応にも自身の代謝は底上げされていく。
腹の底から沸々とエネルギーが溜まってくる。上ってくる。
そして、エネルギーが顔の紅潮にまで影響を及ぼしてきた頃。
また撫でる夜風の冷たさにほのかな心地よさを覚えだした頃。
ようやく、その縁に尻をつけてその火照りを冷ます。
また開け放たれた窓から見える外の光景に視線を向けて、流れ行く積乱雲とその周りに流れる細かな鳥達を見つめて。
そんな夏の訪れを実感しつつ、夏の夜を体感しつつ、
僕は一つ呼吸を吐く。
「…………ふぅ」
——最っ高……。
俺はそのまま目を閉じた。
——ガラガラ
そんな時だった。
唐突に音が聞こえた。
扉があく音。開く音。
自然、視線はそちらに向いて、僕は当然固まった。
蛍がそこに立っていた。
あちらも僕がいることはなかなかに想定外だったらしい。
お袋似のつり目と特徴的な小さい口の両方がひどくまん丸に見開かれていることから、僕はそれを知った。
幸いなことに、彼女がストライプの水着を着用しているのでまあ大事には至っていないけれど。
しかし、それが要因となって逆に大事に至っているような気もするのは、なんだろう、僕の見識の問題なのだろうか。
しばらくの無言が過ぎて。
そしてようやく彼女の口が開かれた。
「……え」
その疑問詞と思しき音に特別反応を返すわけもない。
僕としてはむしろこちら側こそ現状に対する説明を求めたい立場なのだ。
まだ彼女が全裸というならわかる。
それはきっと風呂に入ろうとして、そして同時に僕と不幸にも鉢合わせになってしまったが故の現象に過ぎないし、兄妹としてはままあることだろう。
「あ、お兄入ってたんだー。ごめんごめん、間違えちゃった。じゃあ出たら言ってねー」
で、済むだけの話なのだ。
それだけの話なのだ。
しかし——。
今回に関してはそうじゃない。
そういうわけじゃない。
なぜか風呂場に入ってきた妹は水着で。
髪は後ろに結われていて。
そして、まあ今気づいたのだが、なぜか片手にシュノーケリングを持っている。
これは…………おかしい。
そんな思考が巡り巡って数秒後。
蛍はようやく我に返ったような表情になった。
その口が開かれる。
「えっと……」
「…………」
「……なんで、お兄がここに?」
「…………」
「…………」
「汗かいたから」
「うん」
「シャワー浴びて」
「うん」
「今、風呂に、入ってる」
「うん」
「……普通だろ?」
「……うん」
よかった。どうやら僕は間違ってはいないらしい。
「えっと……」
「…………」
「じゃあ、あの……蛍さん」
「あ、はい」
「あなたは……一体ここで何をしようとしてるんですか?」
「…………」
気まずそうに視線をそらして、目をそらして。
そして無言で佇む彼女。
「あ、えっと……私も、汗かいたからシャワー浴びようと思って——」
「お前ポニーテールで髪洗うの? 何それ、罰ゲーム?」
「お風呂もついでに沸かしてだからそのまま入っちゃおうと——」
「え、水着で? え何、趣味? 性癖?」
「えっと……買ってみたばっかで! だからどんなもんなのかなって確かめ——」
「ほう。シュノーケリングまで準備して入念だな。まさかそんな前準備が必要な機材だとは思えないけれど」
「…………」
「…………」
…………。
何か、別に何も糾弾する気などなかったのだが……。
こういう時、きっと気を使えるやつや空気が読めるやつなんかは黙ってその場から立ち去るなどしてこの場をごまかすのだろうけれど、いかんせん僕は普通に性格が悪いだけなので、ほとんど無意識にこういった発言が出てしまった。
こういうところが僕の友達が少ない要因の一つなのだろう。
まあ、別に直すつもりも治すつもりないのだが。
「…………えっと」
そのまま手を前に交差して指を遊ばせつつ、しばらく言い訳を必死に言葉を尽くして語った蛍は、しかし最終的に観念したように大きなため息をついた。
「まあ……いっか。お兄だし」
「あ?」
「いんや……別になんでも」
それだけ述べてまた大きなため息をついた蛍。
僕としては、いい加減この『考える人』みたいなポーズが色々と辛くなってきたので、だから早くここから出て行って欲しいのだが……。
「あの……さ」
「おう」
「このことは……誰にも言わないで欲しいんだけど」
「どのことだよ。お前が水着で風呂に浸かって悦に浸る変態だということか?」
「は? 違うし、そんなわけないじゃん。死ねば?」
「…………」
なんでいきなり冷たい視線を向けられたのは定かではないけれど、しかし血の繋がった妹に死を推奨されるのはなかなか精神的にくるものがあることを、僕はこの歳になって初めて知った。
その痛みをごまかすため。
また、態勢維持の限界のため。
僕は蛍に聞く。
「じゃあ——なんだよ。一体お前は僕に何を黙っていて欲しいんだ」
改めて出したその問い。
また、ためらいつつ視線を外にそらしながら、
そして蛍は言った。
「私——海中の絵が描きたいの」
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