第25話「僕はいつから行けばいいんだ?」

 家路。

 意外に距離のあったその道中ではあるものの、しかしその時間が時計一周分もかかってしまったのは間違いなくこの隣にいる犬と猿のせいであることは言うまでもない。

 ということで。

 どこか見覚えのある道と、そして見覚えのある駄菓子屋と、そして周りの木々たちを見送って。

 僕は家にたどり着いたのだった。


「ありがとうな二人とも、迷惑かけた」


「別に全然お礼を言われるほどじゃないわ」


「ですね。多分一人だった方が全然早く着いたでしょうし」


「……なに? 私のせい?」


「別にそんなことを僕は一言も言っていないのですが? でもそう言うってことは、きっとあなたの中に何か心当たりがあるんでしょうね」


「言い方ってものがあるでしょ。私ぐらいあんたたちに迷惑かけ続けられているとね。親でもそう言う雰囲気が伝わってくるの」


「はっ、雰囲気とか言い出しましたよこのクソ女。これだから感情的になって言葉を尽くす努力をしない単細胞と話をするのは疲れるんです」


「感情的になることの何が悪いの? あなたは頭が大変お悪いようですので知らないとは思いますけど、あなたみたいな変に論理武装して普通の人間とのコミュニケーションを円滑に保とうとしない人間を、世間では社会不適合者って言うの。知ってた?」


「あの、すいません。失礼を承知でお聞きするのですが……万年二位の若葉さん? あなた私にテストで勝ったことが一度だっておありでしたっけ?」


「テストの点数だけで人間の価値は決まらないわ。人間は総合力よ」


「はっ、そう言う台詞は勝者が言うから初めて成り立つ台詞で、あなたみたいな『敗者』がどれほど喚こうとそんなの全て言い訳にしか聞こえませんね。あーヤダヤダ。惨め悲惨見てられないです」


「なんですって?」


「別に僕は何もおかしなことは言ってませんが?」


「は?」


「あ?


 そんな感じで止める間もなく喧嘩を始めたこの二人。

 一体どんなタイミングでそれが始まったのかすら分からない惚れ惚れするほど素晴らしい導入だった。

 さすが長年の付き合いだと称賛の声すらあげたくなるものだけれど、しかしどうしてその長年の時間をこの喧嘩の解消に当てなかったのかが心底わからない。

 だから現在進行形でなおも続いているその紛争への仲裁を——


「あれ、お兄?」


 後ろから声がかかった。

 聞き覚えのある声……というか今朝に聞いた声。

 振り向く妹が——蛍がいた。


「何してんの家の前で? てか今帰ってきた感じなん? ……およ? なんで若ちゃんと田中先輩まで一緒に……? ……ん、何事だこれ? 何してんのお兄」


「あー……うん。僕も全くつかめてない」

 とりあえず。

 そんな目につく疑問をかたっぱしから口に出してくれた蛍のおかげで、やはり自分が今いる状況は相当におかしいものであることを、ここでようやく再確認できたのである。

 


 そういえば記憶の欠落について特別蛍には何も語ってもいなかった。

 と言うわけで、事の詳細と記憶想起のランダム性、さらに未だその全貌を鮮明に思い出すには至っていない、と言う以上三点のことを大体五分ほどでまとめた僕である。

 特別関心もないのだろう。

 手に持った棒アイスを口から出し入れしつつその話を流し聞いた蛍は、それでも最後には「ふーん、なるほどね」と、何かに納得を持った感想を一つ口から吐き出して、そして二、三言、若葉と談笑をして、そしてそのまま家の中に消えていった。

 何を『なるほど』と思ったのかは全く僕の知るところではないが、それでも彼女は彼女なりに僕との久しぶりの邂逅に対して思うところがあったからこそ、その相槌だったのだろう。

 そういえば出会い頭にいきなり『私のこと忘れてないだろうな』と言うなかなかに確信めいた言葉をかけられていたことを僕は思い出した。


「やっぱり記憶がないってのは色々と不便ね。こうやって道ひとつも満足に帰れないんだもの」

 大丈夫? 道覚えた?


 家にとっとと消えてしまった蛍を見ていた僕に、純粋な心配を含んだ声をかけてくる若葉。

 学校から二人で帰っていた時とは違ってだいぶ緊張は薄い。

 その要因としてきっと学が果たした役割はとても大きいのだろうけれど、しかし彼女はそれを頑として認めることはないだろう。


「ああ、うん。もう大丈夫。ありがとうな、若葉。このお礼は必ずするよ」


「そんなのいいわよ。別に何も負担になんかなってないし。困った時に人を助けるのは当たり前じゃない?」


「それを言うなら助けてもらったお礼を返すのだって十分当たり前だと思うけどな」


「ふふっ。そうかもね。……じゃあそうだなぁ。何か仕事でも手伝ってもらっちゃおうかしら」


「……できれば肉体系は遠慮したいところだな。暑いし」


 夜だと言うのにまだまだ暑いこの季節。

 外に放っておくだけでもこうやって額から脇から、とめどなく汗がにじみ出てくる。 

 こんな季節の炎天下に肉体労働……なんてそんなのほとんど自殺行為そのものだろう。

 そんな僕の希望案件にまた、若葉は可愛らしく微笑んだ。


「ふふっ。昔は随分体動かすのが好きだったのにね。ちょっと意外」


「そうか? そりゃあれから七年だ。それぐらい時間が経てば、ちょっとは誰だって変わるだろ」


「そうかな? ……うん。そうかもね」

 意味深に少しだけ考えるような間を開けた後、深く頷いてみせた若葉は、すぐにまた目を細め、微笑んで口を開いた。


「安心しなさい。あなたに肉体労働なんてさせる気ないわ。記憶がないって言っても、別にそれって特段能力そのものまでが落ちているわけではないんでしょ?」


「ああ」


「じゃあ、あなたに手伝ってもらいたい事務仕事はたくさんあるわ。ほんともう嫌になっちゃうほどにね」


「僕はいつから行けばいいんだ?」


「締め切りがもうすぐなの。だから、できるかぎり早くがいいわ」


「わかった。じゃあ早速明日から行くよ。場所は学校でいいんだよな?」


「いいの? 久しぶりに帰ってきたんだから何かやることとか……」


「それを記憶のない僕に言うか?」


「ふふっ、それもそうね。じゃあ明日からお願い。好きな時間に来て。私はいつでもあの部屋で待ってるから」


 微笑みながらそれだけ言った若葉は、そのまま手を上げて。

 そして門から外へと去って行った。

 ……と思ったら、なんか帰ってきた。

 小走りで。息急き切って。顔を赤らめて。

 再びこっちに向かってきた。


「ご、ごめん、一つ聞き忘れてたことあった」 


「どうした」


「あのさ」


「おう」


「希の……記憶のことでひとつ聞きたいんだけど」


「ああ」


「私とのことってさ、その……どれぐらい思い出したのかな……って。ちょっと聞きたかったりするんだけど」


「思い出した?」


「う、うん」


「……あー」


「…………」


「えっと……じゃあ、多分隠しててもいずれバレるだろうと思うから本当のところ言っちゃうと……」


「……うん」


「ごめん。全然思い出してない。さっき言ったように、お前のことも海斗のことも、それにさっき会った学のことも、まだみんなに会った当日ぐらいのことしか思い出してないんだ」

 すまん、と、普通に申し訳ないと言う気持ちから自然に僕の頭は下がった。


「え、あ、い、いや! そんな、謝らないでいいから! むしろ、私の方が——」


「……?」 


「あ、いや……えっと…………むしろ、私の方がごめんねって。ほら、変なこと聞いちゃってさ」


「あ、うん」


「そ、それじゃあ! 今度は本当に! じゃあね!」


 それだけを言って。

 若葉は何か、誤魔化すように逃げるように玄関扉から出て行った。

 そういえば学の姿がないことに今更ながらに気づいた。

 まさか本当に若葉を見送る気などサラサラになくて、だからもうとっとと家にでも帰ってしまったのではないか。

 そんなわずかな不安を持って視線を辺りに散らばらせるも、しかし当然案外近くに彼はいた。

 隠れるように。こちらから身を隠すように。

 壁によりかかって、学は何か、空を眺めていた。 


 その口には——白い棒のような、何か。

 それは——

 僕が目を凝らしたタイミングちょうど。

 二人は家から立ち去った。

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