反攻作戦
パトリア王国ではプロディートル公爵クナトス殿下を支持する貴族たち、いわゆる「公爵派」が文官としてフローレンティーナ女王の治政を妨げてきた。
これに対して女王を支持してきたのは、軍を中心とした武官である。
彼らにとり文官の長である宰相不在の御前会議は、絶好の反撃チャンスだった。
おまけで軍の作戦にドムス宮内相が難癖を付けるという「大義名分」までくれて、プルデンス参謀長には渡りに舟である。
「前々から宮内相が所管する衛兵に、軍は深刻な懸念を抱いておりました。救国の英雄を暗殺した兇漢に、まんまと侵入されたにとどまらず、手引きした者どころか侵入経路さえ確定できない始末。最近も一部の女官から『王城警備を軍の管轄にして欲しい』との要望が――」
「王城管理に軍が口を挟む権限はありません!」
声を荒らげる太った文官を、痩せた武官は冷ややかにねめつける。
「権限もなく軍の作戦に横槍を入れたのはドムス宮内大臣、あなたです。ならば、その資質を問うのは当然かと」
「王城に軍の部隊を入れるなんて危険極まりない! 謀反の懸念が大ですぞ!」
「先ほどドムス大臣は『ゴーレムが王城を破壊できる』との認識を示されたやに記憶しておりますが?」
「それも危険で、こちらも危険だという話だ!」
「仮にゴーレム部隊が謀反を起こしたとしても、王城警備の戦友が立ちはだかることになります。また王城警備部隊が謀反を起こしたところで、ゴーレム部隊を差し向ければ鎮圧できます。いずれにせよ、現在よりも謀反を防ぎやすくなりますので、ご安心ください」
「双方が示し合わせたら、お終いではないか!」
「兵科も配置も異なる精鋭部隊が同時に謀反するなど、軍そのものが謀反を起こさない限り不可能です」
「とにかく絶対ではない以上、受け入れられません!」
不毛な押し問答に焦れて、ルークスが割り込む。
「それを言うなら『衛兵が謀反を起こさない』も絶対じゃありませんよね?」
「そ、そんなことは、絶対にない」
口では否定するも、宮内相の目は泳いでいた。
追い打ちをかける少年を、参謀長は止めずにおく。
自分が水を飲んで頭を巡らせる間、文官たちの注意を引いてくれると助かる。
そのくらいの軽い気持ちでプルデンス参謀長は任せたので、その後の展開は予想を越えていた。
しばらくはルークスは宮内相と舌戦する。
「現在計画中、あるいは既に進行中の謀反を止めるには、信頼できる部隊で陛下をお守りするのが一番です」
「黙れ下郎!! 国民軍は君主の私有物ではない! 国民の側になければならないのだ!!」
「その国民を半分も敵国に売り渡した人が、国民の側なワケないじゃないですか」
「貴様、不敬罪で処刑してやる!!」
これに、それまで沈黙し続けていたフィデリタス騎士団長が、大音声を上げた。
「ドムス宮内大臣、ルークス卿がいかなる不敬を働いたか、説明を願う!」
一瞬気圧された宮内相だが、苦々しい表情で吐き捨てる。
「たった今『国民を敵国に売り渡した』などと誹謗したのが、貴殿には聞こえませんでしたかな?」
「その発言が『女王陛下に対する誹謗だ』と貴公は認識されたのか?」
「え? 陛下……!?」
的外れな問いかけに、宮内相は混乱する。
騎士団長は重々しい声で続けた。
「不敬罪が適用される王族は、この場には我らが女王陛下しかおられぬ。だがしかし、ルークス卿が陛下を誹謗するなどあり得ぬ話。いったい、誰に対する誹謗と言われるのか?」
「それは本人に――ルークス卿に尋ねませんと」
「問われているのは『貴公が誰に対する誹謗と認識したか』ですぞ」
「それは……!?」
宮内相の全身から血の気が失せた。
ルークスの「国民を売った」がプロディートル公爵に向けられたものだと、会議の参加者全員が理解していた。
もちろんドムス宮内省も。
だが問題発言の常習者も、さすがに王族を名指しはしなかった。
そのためドムス宮内相の不敬罪発言が宙に浮いてしまったのだ。
ここで正直に「クナトス殿下だ」と言ったら最後「自分は公爵が国民を売ったと認識している」と宣言するも同然。
言えるはずがない。
主人への誹謗であり、それこそ不敬罪になってしまう。
だが不敬罪と発言した以上、その対象を説明しなければならない。
脂ぎった宮内相の背中を冷たい汗が伝った。
黙りこくった標的を、プルデンス参謀長が追撃した。
「不敬罪は王族に対する無礼に適用される重罪です。それを『陛下の騎士が犯した』などと、事もあろうか女王陛下の御前で口にする意味、宮内大臣という立場にあるお方なら十分ご存じのはず。よほどの覚悟があっての指摘なのは間違いありますまい。では『誰に対する不敬と認識したか』を説明していただきましょう」
ドムス宮内相は震えながら周囲を見回す。
財務相がうつむくのにならい、文官たちは顔を伏せた。
天を仰いだ宮内相は、目を閉じてから頭を垂れる。
そして蚊が鳴くような声で答えた。
「……陛下に対するものと……誤解いたしました」
フィデリタス騎士団長の声が強まった。
「つまり貴公は、ルークス卿に濡れ衣を着せたのだな!!」
室内に重々しい音が響いた。
騎士団長が足を踏みならした衝撃で、部屋が揺らぐ。
「仮にも陛下の騎士を、女王陛下の眼前で誹謗するなど言語道断! 陛下への侮辱も同然である! それこそ不敬罪に該当しよう!!」
宮内相は蒼白になって震えあがった。
騎士団長が立ち上がる。発せられる覇気が周囲を威圧した。
「主君への侮辱には剣で応えるのが騎士の習わし。お覚悟されよ」
騎士団長が剣に手をかけるのを見て、宮内相は失神した。
そこでやっと、当の主君が止める。
「フィデリタス騎士団長、忠義は嬉しく思いますが、ここは私に任せてください」
「御意」
一礼して騎士団長は着座した。
宮内相が侍従に介抱されるのを待ってから、フローレンティーナ女王は宣告した。
「ドムス宮内大臣は酷くお疲れです。しばらく休養が必要と考えます」
「陛下!? 私はまだ――まだ働けますぞ」
太った文官が食い下がるが、女王は取り付く島もない。
「九年間、人知れず約束を守り続けた私の忠臣が『私を誹謗した』などと誤認した理由が、他にあるのですか? 話の流れからしても、あなたは正反対の誤解をしています。主君の前で騎士を誹謗するという『重大な不敬』を働いた理由が、疲労以外にあるならそれを説明してください」
言えるはずがなかった。
「……休養を……拝命いたしました……」
宮内相は椅子に崩れ落ちた。
ルークスに発言させただけで難関を攻略でき、プルデンス参謀長は内心で喝采していた。
だがしかし、武官による反撃は宮内相で終わりではなかった。
プルデンス参謀長は戦果拡大を目論む。
「恐れながら陛下に奏上いたします。衛兵の問題は後回しにはできかねます。若い女官に
「確かに緊急を要しますね」
うなずいて女王陛下は速断した。
「本日付で衛兵は解体、以後の王城警備は軍に任せます」
魂が抜けていたドムス宮内相が、跳ね上がった。
「その様な重大事、拙速に決められる話ではありません!」
女王は目を細めて問いかける。
「ドムス大臣、あなたは衛兵による女官への猥褻行為を、どう処理したのですか?」
「処理以前に、初耳でございます」
これにフローレンティーナは眉根を寄せた。
「不思議ですね。十日も前に私は聞いていますが、宮内大臣であるあなたは聞いていない、と?」
「……は、はい」
「女官長に対処するよう申しつけましたが、それも報告されていないのですか?」
「ただちに調査します!」
「あなたは休養中です。代理を立てて衛兵を解体させなさい」
待ち構えていたプルデンス参謀長が奏上する。
「今後は軍が警備をする都合上、宮内相代理は軍の経験者がよろしいかと」
参謀長が女王に渡した書類には三名の候補が書かれていた。
全員が女王派であることは言うまでもない。
女王が選んだ者を宰相が認可して大臣人事は決定だが、それを宰相代理が渋った。
「代理に組織の解体をさせるなど、前例がありません」
文官お得意のサボタージュである。
しかし、その程度の抵抗は織り込み済みだった。
女王は作戦どおりに対応する。
「なら代理は取りやめ、正式に宮内大臣を交代させましょう」
その場にいた武官から、フローレンティーナ女王はドロースス子爵を指名した。
九年前のリスティア戦で奮戦したのが仇となり、併合時に追放されたパトリア北部の領主である。
五十近くで年齢的に問題なく、家柄も十分、何より領地を奪われた苦労への報いにもなった。
封建貴族にとって領地は何よりも大切である。
収入源であるだけでなく、貴族としての格や発言力を決めるからだ。
そんな大切な領地を、敵国に通じて奪ったプロディートル公爵以下の文官たちを、子爵は深く恨んでいる。
また領地奪還の立役者であるルークスに、子爵が好意的な点も女王として望ましかった。
それだけに、文官にとっては一番嫌な人選である。
「正式人事は、書類が整ったところで宰相閣下に――」
なおもゴネる宰相代理に、プルデンス参謀長は完成書類を突きつける。
宮内相交代は事前に計画されていた、と文官たちは悟ったが時既に遅し。
宮内相の交代と衛兵の解体、王城警護大隊の創設、他部隊からの人員抽出と、あっという間に新体制が提案、可決される。
代理とは言え宰相出席の御前会議での決定を、後から覆すのは事実上不可能だ。
入念に準備していた武官に、無警戒の文官は完全に不意を打たれた。
宰相が欠席した時点で文武の勝敗は決していたのだ。
これで王城内の大掃除ができる、と武官たちは満面の笑み。
対する文官たちは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
「謀ったか……」
悔しげに財務大臣が言うが、もはや負け犬の遠吠えでしかない。
悄然となる文官たちの中で、デリカータ女伯がつぶやいた。
「会議は文官にとっての戦場だろうが。そこで武官に完敗か。情けないねえ」
「他人事みたいに言わないでいただきたい!」
老齢の王宮工房長が叱るも、ゴーレム班長はそっぽを向いたままでいた。
上の人事がどうなろうと、やることが変わらない彼女にとっては、上司の言うとおりに他人事だから。
自分の晴れ舞台をすっぽかした宰相が泣くなら、むしろ喜ばしいくらいであった。
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