海戦

 グライフェン号に限らずパトリア海軍の艦は、中央甲板より船首甲板と船尾甲板とが一段高くなっている。

 波に強く居住性を高めつつも重心を低くするための構造である。

 その艦尾甲板で、若い通信士が僚艦の信号旗を読み取った。

「デルフィナ号より『我に従え』です」

 クランクルム艦長は渋い顔で提督に「いかがされます?」とお伺いを立てる。

 すると恰幅が良すぎる提督は居丈高に言い放った。

「旗艦はこのグライフェン号だ! 我に従え、と再度下命せよ」

 拝命した通信士が中央甲板へと舷側の階段を駆け下りる。

 前後両方からも見えるように、一番高い中央帆柱に信号旗は掲げるからだ。

 そしてその命令は、艦尾甲板を一触即発の空気にした。

 パトリア騎士団の騎士とリスティア解放軍の将官とが、提督と正面から向き合っている。

「フラッシュ提督、これは明白な命令違反ですぞ!」

 プレイクラウス卿がさらに前に出るのを、海兵が二人がかりで押える。

 肥満体のパナッシュ将軍が「これがパトリアの流儀ですかな」と首を振った。

 両者の抗議に提督は肘掛けを拳で叩いた。

「我々には帝国軍と戦う義務と、敵艦の財を得る権利とがある!」

 肩から胸に下げた金モールが揺れる。

「海には海のしきたりがあるのだ。陸の都合を押しつけないでいただきたい」

 険悪な空気の中、双方の中間で舷側に寄りかかる長身の男が言う。

「リスティア解放軍の皆様にはご心配なきよう」

 陸軍のスーマム将軍である。

「我らが司令殿は、この様な無法を許しません。ルークス卿は目先の金より祖国の勝利を重んじる、女王陛下の忠臣ですので」

 それを聞いてフラッシュ提督が笑った。

「ゴーレムマスターが海の上で何ができる? そもそもその新型ゴーレムはどこだ? 積み込めなかった以上は――」

「気を付けろー。衝撃が来るぞー」

 のんびりした声が頭上から降ってきた。

 シルフである。

 同じ台詞を繰り返す。

 スーマム将軍が大音声を発した。

「総員、衝撃に備えよ!」

「な、何を――」

 言いかけた提督は、いきなり前に突き飛ばされ、甲板に転げた。

 向かい合っていた騎士やリスティア軍将官らは逆に、後ろへと放り出される。

 舷側の綱止めを掴んでスーマム将軍は踏みとどまった。

 艦全体が大きく前に傾いている。

 グライフェン号はつんのめったのだ。

 艦首が波に突っ込み、海水が艦首甲板から中央甲板を洗い流す。

 海に落ちまいと、水夫たちは必死に綱や材にしがみついた。

 固定が悪かった樽が倒れて甲板を転がる。

「何ごとだ!?」

 クランクルム艦長が舵輪台に取り付いて怒鳴った。

「裏帆です!」

 誰かが怒鳴り返す。

 三本ある帆柱に全開していた帆が、全て帆柱に張りついていた。

 順風満帆で全速以上を出していた艦が、向かい風に急制動をかけれらたのだ。

「向かい風だと!? バカな! ずっと追い風を――」

 やっと提督は思い出した。

 追い風は自然に吹いていたのではないことを。

 陸軍の将軍が余裕だったわけも理解した。

 急制動をかけられた四隻の横を、帆を畳んでいるデルフィナ号が通過する。

 艦尾甲板に立つ小柄な少年は帝国艦隊を見据え、旗艦に顔さえ向けなかった。


 三隻で進む帝国海軍第十一リスティア派遣艦隊は、南方にパトリア艦隊五隻を発見、迎撃に向かっていた。

 乗り組んでいるリスティア人乗員たちは目を疑った。

 北風の中を、パトリア艦隊はまっすぐ北上してくる。

 風上に向かうには斜めにジグザグと進むしかないのに、まっすぐなのだ。

 しかも、どう見ても順風満帆である。

 艦隊海面もおかしく、世界の一部だけ異なった理で動いているかに見えた。

 互いに追い風を受けた両者は急激に距離を詰めてゆく。

 すると、いきなりパトリア艦隊が裏帆を打った。

 どうやら風の境を越えたらしい。

 急制動をかけられ大きく揺らいだ甲板上は大混乱で、戦闘どころではない。

 帆を畳んだ一隻は無事だが、敵艦を前に畳むなどは降伏したも同然である。

 だのに旗艦の艦尾看板では、帝国から派遣された提督が戦闘開始を命じた。

「世界を革新するために、戦うのだ!」

 革新が何を意味するかさえ分からないリスティア人たちは、サントル人提督の命令に困惑した。

「失礼ですが、まだ大型弩バリスタの射程外です」

 艦長がそう言うも、提督は聞き入れない。

「バカ言うな! 偉大なるアンシティ始祖皇帝陛下は、水平線上の敵艦を撃沈されたのだぞ!」

 サントル帝国が海に達したのは、ほんの二十年前なのに「百年前に海戦で勝利した」と提督は言ったのだ。

 艦長が言葉を失ったので、代わって副長が助言する。

「残念ながら我が艦は、帝国軍艦ほどの性能は持ち合わせません」

「百年以上も遅れとるとは。所詮は蛮民か。そんな艦隊を指揮する羽目になろうとは、なんたる不運か」

 ふて腐れて提督はクッションの効いた椅子で身じろぐ。

 暴君で悪名を鳴らしたアラゾニキ大王も無茶をやったが、初めて海を見た人間に艦隊指揮を任せるほどの間抜けではなかった。

 だが侵略してきた帝国軍には、海軍の者は皆無だった。

 軍港を占領し、軍艦を接収する作戦だったにもかかわらずだ。

 素人に振り回され、乗員たちはすっかり疲弊していた。

 そうと知らぬ当人は、舵輪前に据えた豪華な椅子にふんぞり返っている。

「ん? 何だ?」

 提督が目を細めた。

 前方に細い縦線が見えるのだ。

 艦隊のかなり前方、海面から灰色の空へと黒い線が延びている。

 下から上へ、上から下、また上へと視線を動かしているうちに、線が太くなった気がする。

 特に上へ行くほど太くなり、細身の漏斗のように見えた。

「あれは何だ?」

 問われて艦長は気付いた。

 帯のように見える黒線の正体を察したそのとき、艦が急制動をかけられた。

 提督は前に放り出されて甲板に額を打ち付け、目から火花を散らす。

 艦が大きく前後に揺動しているので立ち上がれない。

「何が起きた!?」

 四つん這いの姿勢で提督が怒鳴ると、舷側で綱に掴まる艦長が答えた。

「裏帆を打ちました。急に風が変わって――いえ、敵シルフの妨害です」

 帆柱の後ろ、帆の裏にシルフが何人も立ち塞がって、風を遮っていた。

「貴様ら、邪魔するな!」

 提督が怒鳴るもシルフたちは「どこ吹く風」と無視をする。

 リスティア人艦長が声を震わせた。

「まさか……風に愛された少年か? 彼が、ルークス・レークタがあの艦隊に!?」

 シルフたちがクスクスと笑う。

「そうともよ」

「おいらたちはルークスの友達さ」

「ルークスの邪魔するあんたらの、邪魔しに来たんだわ」

 提督が排除を命ずるも、艦長は首を振る。

「不可能です。我が艦には三体しかシルフがいません。艦隊合計で十に満たない数で、彼が契約する百を超すシルフを相手になどできません。ましてや彼は――」

「百以上も契約しただと!? 寝言もいい加減にせい!」

 がなる提督の頭上に巨大な女性が現れた。

 帆柱より高い位置に屹立するのは、半透明で背中に透明な羽根を生やした女性である。

 他のシルフとは桁違いな圧迫感を与え、周囲を睥睨した。

「グラン・シルフのインスピラティオーネである!」

 風の大精霊は大音声を響かせ、他の二隻にも聞かせる。

「我が主、ルークス・レークタの名に於いて命ずる。降伏せよ! さもなくば、風の力で船をバラバラに砕く!」

 風の力が何を意味するか、誰もがわかった。

 艦隊正面の黒い帯は、天に届く竜巻と化していたのだ。

 あれに呑まれたら、大型艦だろうと「バラバラにされてしまう」のは無学な水夫にさえ理解できた。

 さらに艦隊の左右、後ろにも黒い帯が立ち上っている。

 動きを止められた帝国艦隊は完全に包囲されていた。

 海水を吸い上げる竜巻により、塩水の雨を浴びせられたリスティア人は残らず完全に戦意を失った。

 唯一、この状況が絶望的であると理解できない提督だけが吠えている。

「戦え! グラン・シルフを殺せ!!」

 しかし大自然の驚異そのものである大精霊に逆らう船乗りなどいない。

 達成不能な無謀な命令に従ったのは、護衛を兼ねた政治将校だけだった。

 弩を頭上に放つも、矢は瞬時に風に吹き払われる。

 次の矢を番えようとした政治将校に、水夫たちが襲いかかった。

 殴りつけ、縛り上げる。

「貴様ら、反逆罪は死刑だ!」

 喚く提督も棍棒で殴り倒され、無数の素足に蹴られ、踏みつけられた。

 指揮官がいなくなった艦尾甲板で、リスティア人艦長が帽子を脱いだ。

「降伏します」

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