第三章 帝国軍襲来
国境突破
先頃パトリア王国に敗北したリスティア大王国は、新たな大王を戴いていた。
暴君として恐れられたアラゾニキ四世が、敵ゴーレムに捕まり晒されたまま国土を縦断したためだ。
独裁者の破滅を知った民衆が各地で蜂起していた。
鎮めるには元凶となった大王の廃位は必須である。
政府は幼い王太子を大王に即位させ、大王都に残存兵力を集めた。
そこに南西部で国境を接していたマルヴァド王国が「治安維持に協力する」と進駐してきた。
民衆ですら抑えられないリスティア政府は、大量のゴーレムを投入したマルヴァド軍に地方が制圧されてゆくのを、指を咥えて見ているしかなかった。
民衆からしたら、圧政から解放してくれるなら外国軍でも構わない。
リスティア軍の残党を追い払ってくれるマルヴァド軍は歓迎さえされた。
各地の領主たちも暴君の専横と民衆との対立に疲弊しており、リスティア大王からマルヴァド王に乗り変えるのに躊躇しなかった。
こうしてなし崩しに、リスティア大王国は滅びようとしていた。
祖国への帰属意識の有無、それがパトリア王国とリスティア大王国との運命を分けた最大の要因であった。
א
六月二十二日未明、リスティア大王国の西部国境をサントル帝国軍が突破した。
ゴーレム四百基を擁する征北軍六個師団七万が侵攻を開始したのだ。
北のフィンドラ王国を攻略する為に編成された部隊だが、リスティア大王国の大敗を受けて急遽進路を東に転じた。
狙いは滅びかけたリスティア大王国などではない。
その南に位置するパトリア王国の新型ゴーレム、その奪取もしくは撃滅が作戦目的である。
サントル帝国はパトリア王国とは国境を接していない。
進軍するのに「ゴーレムのほとんどを失い、国内騒擾を鎮圧できず、他国軍が進駐までしている」という「通過しやすい国」をルートに選んだに過ぎなかった。
先陣を切ったのは第八十九ゴーレム連隊である。
国境を守るリスティア軍の将兵と僅かなゴーレムを蹂躙、防御陣地を潰した。
突破成功の報告は、朝日と共に司令部にもたらされた。
征北軍総司令官ホウト元帥は白い口髭を指先でしごく。
「上々だな」
恰幅の良い体格で、きらびやかな深紅の軍服で身を包み白馬に跨がっている。
「さすがでございます、元帥閣下。二十年ぶりの戦場とは思えぬ采配ぶりです」
傍らの若い政治将校がお追従を述べる。痩せた神経質そうな風貌だが、口ぶりとは裏腹に目は笑っていない。
彼にうなずき、元帥は次の下知をする。
「第三百八騎兵連隊はゴーレム偵察大隊と共に進撃、大王都ケファレイオを目指せ」
ゴーレム部隊が開いた突破口から、騎馬とゴーレム車からなる連隊が前進する。
その前後を第十一および第三十八ゴーレム偵察大隊計九十基が固めた。
偵察大隊は内骨格を有する軽量型ゴーレムで構成され、騎馬の並足に追随できる。
歩兵を伴わないので迅速に進軍できる構成だ。
リスティア政府に気付かれる前にどれだけ進めるかが、今後の展開を決める。
先鋒部隊が出払ったところで、元帥は次の命令を下した。
「全軍進撃開始!」
先頭を務めるゴーレム部隊の指揮官アロガン将軍が怒鳴った。
「第三ゴーレム師団『
残ったゴーレム二個連隊と本部大隊とが出発する。
先陣を切った第八十九ゴーレム連隊は休息、損傷の修復後に補給路の確保と後方の占領を行う。
早期にリスティア大王国を確保し、そこを足場にパトリア王国に攻め込む流れだ。
敵地なのでゴーレムは道を外れ、周辺を踏み潰しながら国境を東へと進む。
続いて歩兵が道路を行進してゆく。
シノシュはアロガン師団長の命令を、グラン・ノームを通じて各ゴーレムに伝えていた。
通常の指揮命令系統と並行して、グラン・ノームから各ゴーレムへ指示を出すのが革新的なのだそうだ。
ゴーレムを操るノームは契約者からの個別命令を優先するが、それ以外についてはグラン・ノームに従うよう決められていた。
前進命令なら師団長から連隊、大隊、中隊と下り、各小隊のゴーレムコマンダーがゴーレムに命じる。
ただ各ゴーレムの行動順や間隔はグラン・ノームが指示する。
ある程度離れるとグラン・ノームとの意思疎通範囲を出てしまうので、以後は各ノームの位置を大まかに把握することしかできなくなる。
それでもゴーレムの位置を、遥か遠方の指揮官が把握できる意味は大きい。
サントル帝国が編み出したこの手法が他国でどこまで届くのか、確認するのもシノシュの役目だ。
シノシュが乗るゴーレム車の外で女声がした。
「シノシュ、先発した二大隊のノームが意思疎通範囲から出た」
グラン・ノームのオブスタンティアだ。彼女はゴーレム車の脇を歩いていた。
地面を介してノームと連絡を取る都合でゴーレム車には乗らない。
それ以上に師団長のアロガン将軍が「精霊嫌い」という理由の方が大きいが。
ゴーレム師団の将兵はゴーレムコマンダー以外にも精霊士が多い。むしろ師団長や連隊長ら非精霊士の方が少ない。
そんな「精霊使いの部隊」の指揮官を精霊嫌いが務めてしまえるのも、帝国の悪弊だとシノシュは考えている。
無論、大衆風情がそのような不遜を考えているなど、おくびにも出さないが。
「パトリアのグラン・シルフ使い、風に愛された少年との対決ですな。土に愛された少年シノシュ殿」
と向かいに座る女が話しかけてきた。
四人が向き合うゴーレム車、シノシュは前列右側、隣は若い副官のサーヴィター、その向かいがアロガン師団長、そしてシノシュの正面が政治将校のファナチである。
将官用ゴーレム車は通常より大型だが、アロガンの巨体では女性の細身でさえ狭く、壁と挟まれている。
神経質そうな女性将校を待たせないようシノシュは返答をした。
「新型ゴーレムがどれほどかは知りませんが、我が師団によって撃滅されるでしょう。歴戦のアロガン将軍の下知を伝える任に当たれるのは幸運です」
模範的な回答ができたはず。シノシュは内心の怯えを飲み込んで平常を装った。
政治将校は正規の軍人ではない。
世界革新党から派遣された「監視者」である。
表向きは「革新の教えで士気を鼓舞する任務」になっている。
だが実態は将兵の言動を見張り、党に不都合な発言をした者を摘発する役割だ。
彼女に睨まれたら最後敵国の間諜にされ、国中に周知されたあとで死刑になる。そして家族は連座で労働収容所行きだ。
シノシュは全神経を集中して模範的大衆を演じていた。
そんな少年を、瞳孔が開ききった彼女の目は偏執的に観察している。
「ルークス・レークタに興味はない、と?」
「自分はゴーレムコマンダーではありませんので、彼のゴーレムにぶつけるゴーレムはありません。職分を果たすことで世界の革新に貢献する所存です」
「立派ですな」
と無感情にファナチが切り捨てた。
アロガンの巨体に嫌気が指した彼女が別のゴーレム車に移れば良いのに、とシノシュは思わざるをえない。
だが彼女はシノシュを怪しんでいるのか、一向に下りようとしない。
他の二人も発言をチェックされるのだが、市民階級なので処罰はされないだろう。
彼女が目を光らせる対象は大衆であるシノシュだけだ。
お陰で少年は常日頃以上に神経を使うことになった。
目立つ大衆には心を休める暇などないのだ。
帝国軍が国境を突破した事態を、正午を過ぎてもマルヴァドの進駐軍はおろかリスティア政府も掴めなかった。
征北軍はグラン・シルフを擁しており、周辺のシルフを動員、各国のシルフによる偵察や連絡を妨害していた。
通りすがるシルフもことごとく
「お前は人間と契約しているシルフか?」
と同輩に呼びかけられたシルフが振り返った。
「いいや。契約なんてしていないよ。なんでそんな事を聞くんだ?」
「グラン・シルフのトービヨンに言われてな」
「契約シルフなんか探してどうするんだ?」
「他国の軍や政府の人間と契約しているシルフを通すな、できれば動きを止めろ、と言われているんだ」
「他国って、ここはどこの国だ?」
「さあな。ただ言われたのは『サントル帝国以外』だ」
「俺はどこかの国の政府だとか知らないよ」
「そうか。邪魔したな」
離れていく両者。
誰何されたシルフは、行き先を南に転じた。
彼の下を多数の巨大ゴーレムが歩いていることを知らせるために。
その男性シルフは嘘は言っていない。
確かに彼は人間と契約をしていなかった。
ただ「ルークスの友達」なだけなのだから。
א
デルディは夢を見ていた。
悪夢だった。
自分のゴーレムが、テロンが操る七倍級が真っ二つに折られたのだ。
あり得ない。
戦槌で深く抉り、核を破壊する以外にゴーレムを撃破する方法はない。
だのにデルディのゴーレムは、胴体が折れ千切れてしまった。
ノームの意思に反して。
絶対にあり得ない。
しかし起こり得ないはずの事態が起きてしまったのだ。
折れて倒れたゴーレムの背後に、細身のゴーレムが立っている。
新型ゴーレムのイノリだ。
巻き起こった砂塵を通して、槍の穂先に灯る炎が見えた。
ルークスのイノリが、デルディとテロンの努力を吹き飛ばしてしまったのだ。
(なぜだ!?)
デルディにとってゴーレムこそが力だった。
その力が、世界を革新する正義の力が、圧倒的な暴力によって折られてしまった。
(なぜ世界はこうも理不尽なんだ!? いや、理不尽だからこそ革新せねばならないんだ! 貴族が支配する歪んだ世界を、私が正すんだ!!)
だがデルディの思いは暗闇に飲み込まれてしまった。
デルディが我に返ったのは、暗い部屋だった。
ベッドに寝ている。
シーツの下は
夢を見ていたようだが、どこまでが現実でどこから夢か判別がつかない。
駐屯地での出来事は全て夢のような気もする。
「目が覚めたようね」
女性の声に首を起こすと、水音がした。
窓際のたらいに
水の精霊は契約者を呼んだ。
見覚えある中年女性が入室してくる。
デルディはナイトガウンを知らないので、ずいぶんと厚着だと誤解した。
女はここが「寮の救護室」だと言う。
知らぬ間に運ばれたらしい。
救護士はデルディの具合をウンディーネに確かめさせ、自分は食事を持ってきた。
空腹は感じていなかったが、冷めたシチューを口に運ぶ。一口飲み込むと、急に胃袋が空隙を埋めるよう訴えてきたので、少女はパンをむさぼりシチューを平らげた。
「その分なら明日は学園に行けそうね」
と救護士が言う。
「駐屯地で何が起きた?」
「覚えていないの?」
「あれは夢だったのかも。戦槌が飛んで来て、ゴーレムが……真っ二つにされた」
「なら大丈夫。夢じゃないから」
その答えにデルディは深く失望し、体の重みが倍加した。
悪夢であればどれだけ良かったか。
「私はどうなる?」
「さあ。寮には何も知らされていないから。今夜はここで寝なさい。もう夜も更けています」
どこで寝ても大差ない。ここは敵地なのだから。
デルディは気を引き締めたが、横になるやすぐまた悪夢へと戻っていった。
翌朝、食事も救護室で済ませたデルディは、学園へと送り出された。
ほとんどの生徒は既に登園しており、寝坊などで遅れた生徒が走っている。
今さら遅刻を気にするのもバカらしいので、とぼとぼとデルディは歩いていた。
いきなり後ろから突き飛ばされた。地面に倒れる。
「この怪我、お前のせいだぞ!」
頭の上で怒鳴られたが、デルディは目も向けない。
(私は正しい。世界を革新するんだ。歪んだ世界で太る連中に負けるか)
蹴った上に唾まで吐き、やっと襲撃者は学園へと走っていった。
素行が悪い者はだいたい登園が遅い。
中等部五年のワーレンスもその例に漏れず、巨体を揺すって走っていた。
前方にデルディの痩せ細った姿を見つけ、怒りをたぎらせる。
「テメエのせいで死にかけたぞ、こら!!」
と出した手が途中で止まった。
彼女の制服は土埃まみれで、寮からの僅かな間に何度も転ばされたのは明らかだ。
片足を引きずっていて、遅刻は確定だった。
ワーレンスの
「俺は、テメエに言いたいことが山ほどある! だが、テメエの足に合わせちゃ俺まで遅刻する! だから、テメエは俺の文句を聞きやがれ!」
異様に軽い少女を小脇に抱えて駆け出す。怒鳴りながら。
「戦槌を投げるなんて! ちくしょう! 今度ルークスにやってやる! じゃねえ!」
言語能力が低いワーレンスは、順序立てて話すことができない。感情が引き出した言葉を叩き付けるだけだ。
「テメエ、分かってんのか!? あれが真っ直ぐ飛んできたら、俺たちは死んでいたんだ!! ちくしょう! お前は見たか!? あの一瞬!! 新型ゴーレムが、倒れながら腕を上げたところを! ちくしょう!! あれで戦槌が転がったから、俺たちは助かったんだ! 分かるか!?」
むきになって何を言いたいのか、デルディにはまったく分からない。抱えられたまま走られたので、激しく振り回されて目が回っている。
「テメエはルークスを、俺の命の恩人にしやがったんだ!!」
「!?」
(そんなバカな!!)
ルークスは貴族、世界の敵である。平民を守るはずがない。
すぐに「貴族の生徒もいた」と自分を納得させた。
「これでもう、俺は奴を殴れねえ!! 騎士だろうが、知ったこっちゃねえ!! けど、命を助けられた!! 恩人を殴るなんて、出来るか!! テメエは、俺がルークスを殴る、邪魔をしたんだ!! 責任を取れ、こんちくしょう!!」
酷い言いがかりである。
この大柄な生徒はルークスに敵対的なので利用できそうだったが、こんなにバカでは話にならない。
恩などという古い考えで自分を縛るなど、愚か者のすることである。
それでデルディに文句を言うのだから救いようがない。
正門を潜る二人を、壮年職員が止めた。既に始業の鐘が鳴り始めている。
「またお前か、ワーレンス・マリシオス!」
生活指導のドミナーリ卿である。文官などの名誉騎士ではなく、戦場にも出た本物だ。パトリア騎士団には入れなかったが。
「俺じゃねえ! こいつを運んでいたんだ!」
ワーレンスは投げるようにデルディを解放した。
担がれて振り回されたので、頭がクラクラする。デルディはその場にしゃがみ込んだ。
「さっさと救護室に運びやがれ! 俺は、講義だ!」
「放課後は反省室だ。分かっているな!?」
「分かるか!!」
背中で答えてワーレンスは学舎へと入っていった。
痩せこけた少女を残して。
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