絶体絶命

 ソロス川南岸堤防上のパトリア軍本陣には、敵軍と共に絶望が押し寄せていた。

「下流域からのゴーレム隊、前進速まりました」

 参謀からの報告に、ヴェトス元帥は目を閉じた。

「今まで支えてくれた彼の奮戦には、感謝しかない」

 月が出て下流域の様子が見えた。

 迫り来る三十近いボアヘッドの、正面に女神が駆け込んだ。そして先頭のボアヘッドの攻撃を誘い、槍で突いて撃破した。

 味方に歓声が上がるも、敵は残骸を踏み越えて攻めてくる。

 一度攻撃した女神は、後退して穂先に火を灯していた。

「なるほど、ああいう手間が必要なのだな」

 堤防上や河川敷の大型弩が絶望的な抵抗をしている。だが盾を破壊する程度で橋への到達は防ぎようがない。

 河川敷の大型弩の操作兵は悲惨だ。支援型の投石を作業ゴーレムの盾で必死に防いで矢を放つが、全てを防げず次々と倒れる。そしていよいよ敵が迫ると持ち場を離れるが、その時はゴーレムの盾も無い。堤防を昇る者も、上流に走る者も、大半が石の雨に打たれて倒れた。

 橋のたもとでは、やっと第一波のボアヘッド三十基が片付いたところだ。

 味方の撃破は八基で済んだが、四基が大破して動けず、九基が腕のどちらかを失って補修が必要である。やはりボアヘッドの損害が多い。

「ゴーレム大隊は補修に専念せよ。ゴーレムを失ったノームは、橋に取り付かせよ」

 敵の本隊が渡ってきた所で橋を落としてしまえば、損害を与えると同時に進撃も阻める。

「上流域からの五十五基はいかがされます?」

 副官が尋ねる。

「渡河し終えるまでは大型弩に任せる」

「下流域は?」

「このままスターテ将軍とルークスに支えてもらう」

 つまり切り捨てである。

 敵と同数をぶつけてもゴーレムを消耗するだけだ。

 下流域からの敵が先に橋に来る。その間に補修をして戦力を回復したゴーレム大隊で迎撃する。それまでに少しでも減らしてくれれば、数的優位を得られる。

 上手く行けば、上流からの五十五基が到着する前にこちらも片付けられる。

 ただし、そのとき何基残っているかは定かではないが。

 じわりじわりと敵の圧力で潰されてゆくのを、幕僚たちも感じていた。

 勝利の女神も新兵器も、圧倒的に不利な戦局を覆すまでには至らない。

 あとはもう、少しでも長く時間を稼ぐだけである。

 将兵たちの命を代償にして。


 穂先を炙るために距離を取ったイノリに、支援型のボアヘッド数基が槍を投げてきた。

「!?」

 ルークスが指示していないのにイノリが向きを変えて大きく避ける。

 投槍が六本、まばらに河川敷に突き立った。

「どうしたの? あんなの当たりやしないのに」

 投槍は敵の集団に向けて面で攻撃する武器で、特定の目標に当てる精度はない。

「恐かったです……」

 ノンノンが怯えている。

「主様、前回の戦いでイノリは槍に貫かれました」

「ノンノンちゃんだけじゃなく私たちも凄く恐かったの。もし体の中心だったら、ルークスちゃんが無事じゃなかったから」

「あのときは鎧を外していたじゃないか。でも今は、アルタスおじさんたちが作ったこの鎧があるんだ」

「でも……でもです」

「よし、なら証明しよう」

 イノリを敵部隊の左側面、小隊編成で支援型が来る側に回らせた。

「支援型は投槍を一本手に持ち、背中の左右に二本ずつ装備している。今、一本投げた」

 近づくと支援型の一基がこちらを向き、投槍で突いてくる。

 ルークスは敢えて回避させず、正面から突きを受けさせた。

 鎧の左胸に当たった投槍は表面を滑って左に逸れ、たわんだ木製の柄が折れた。

「ほら、投槍なんて恐くない」

 イノリを敵の右に回り込ませ、火炎槍で右脇を横突きする。直後、ボアヘッドの頭が吹き飛び崩れた。

「剥き出し部分なら刺さるくらいで、鎧を貫ける武器じゃないんだ」

「分かったです」

 停止したイノリに再び投槍が投げられるも、もう避ける必要はない。

 ルークスは精霊たちから恐怖を拭った。


 その間もボアヘッド隊は前進している。

「主様、橋付近の敵を倒しても、味方のゴーレム部隊は動きません」

「補修を優先したか。気の毒に、こちらの部隊は見捨てられたんだ」

 大型弩の操作兵は、支援型の投石には作業ゴーレムに盾を持たせて何とか持ちこたえている。

「酷いわ。ルークスちゃんもいるのに」

「イノリはどこへでも行けるじゃないか。今は、少しでも早く敵をやっつけよう」

 イノリは敵の前に回り込み、先頭の重装甲型ボアヘッドに対峙する。

 上から振られる戦槌を火炎槍の柄で逸らして敵の右側に回り込み、横から突きで撃破する。

「十三!」

 崩れた残骸に後ろの通常型ボアヘッドがつまづいて転んだ。戦槌を握ったまま前に倒れる。

 その先端が鎧を掠めたときイノリに軽い衝撃があった。

 ボアヘッドは地響きを立てて地面に倒れ込んだ。

 後ろに下がったイノリは火炎槍に次の松明を付けようとして――

「ルールー! 松明が無いです!!」

 イノリの視線を下に向けさせた。

「松明の袋が無い!?」

 ルークスは悲鳴をあげた。

 腰に付けていた袋が無くなっているのだ。

「主様、転んだゴーレムです!」

 戦槌の先が松明の袋をむしり取っていた。

 起きあがったボアヘッドがその袋を踏み潰す。

「ど、どどど、どうしよう?」

 パニックになったルークスに、インスピラティオーネが語りかける。

「主様、松明なら味方の陣地にありましょう」

「そ、そうだね。もらいに行こう」

 ルークスは堤防の上にある陣地に走った。グラン・シルフを通じて意思を伝える。

「松明を集めてください」

 十数本がすぐ集まったが、それを入れるポケットなど無い。

 一本つまんで火炎槍に填め、堤防を駆け下りる。

「このままじゃ敵を止められない」

 ルークスの口から弱音がこぼれた。

 アルティが、フォルティスが、アルタスらゴーレムスミスや職人たちが力を合わせて準備してくれたのに、自分のミスで台無しにしてしまった。

 松明が欠かせないなら、それを確保する手段を二重三重にするべきだった。

 それを怠ったせいで、袋を奪われただけで攻撃力を失ってしまった。

「僕は戦史から何を学んだんだ? 僕のせいで、敵を通してしまう。味方が……殺されてしまう……」

 ルークスの心に悔恨と恐怖、そして自己嫌悪とが噴きだし渦巻いた。

 しでかした失態の重大さにルークスは潰されそうになる。

 その時、穂先で炎を上げるカリディータが叫んだ。

「このぐらいの鉄、松明なんか無くても真っ赤にしてやるぜ!」

「だ、ダメだーっ!!」

 ルークスは叫んだ。

「燃料が無い所で力を使ったら、サラマンダーは消えてしまう!」

「精霊の一体や二体でオタオタすんな!」

「ダメだ――」

 ルークスは松明が燃える火炎槍を、敵に突き刺せずにいる。

「――誰も死なせたくないんだ」

「それは人間相手に言う台詞だろ?」

「死なせたくないのは精霊もだよ!!」

「あたしは、ノンノンを消そうとしたんだぜ。精霊を殺そうとした。そんな奴だ」

「だからって死んで言い訳が無い! 死なせたくないんだ!!」

「焦れってえな! あたしなんかに気兼ねして、お前は人間を見殺しにするのか!?」

「君は、人間を助ける為なら精霊を犠牲にしてしまう奴なんかと、友達になったのか、カリディータ!?」

 その叫びはサラマンダーの胸を貫いた。

 なぜルークスは、とカリディータは思った。

(用が無ければほったらかしにする癖に、何でこんなに嬉しい事を言いやがるんだ)

 自分がルークスと友達になったのは、彼がそんな人間じゃないからだ。

 だが、だからこそ、彼の力になりたかった。

 こんな熱い思いに応えないなんて、サラマンダーの名折れではないか。

「ビビるな! あたしと契約したなら、あたしの力を使い尽くせ!! あたしの炎を燻らせる奴なんかと契約した覚えなんてねえ!!」

「で、でも!」

「お前に、人間を見殺しにさせるなんてこと、あたしにさせんな!!」

 ボアヘッドの投石で兵が倒れる。

 それを見たルークスの心が張り裂けそうに痛んだ。

(僕が失敗したせいで……)

 ルークスの苦しみが分かるだけに、カリディータの感情が爆発した。

「ノンノン! 槍を突き刺せ!! 松明なんていらねえ! あたしの炎だけで、ゴーレムを吹き飛ばすくらい穂先を熱してやる!」

「え? え?」

 言われてノンノンはオロオロする。

「ダメだ、ノンノン!! 絶対にやるな!!」

「でもでも、ルールー」

「ダメだ……」

「ルールー、泣いているです」

 ルークスの両頬を涙が伝い落ちている。

「ダメだ……敵を攻撃したら……その都度、陣地に戻って、一本ずつ松明を……」

 その決断は十四才の少年には重すぎた。その間に死ぬ兵の命が積み重なるのだ。

 責任を負わねばならない義務など、何一つ無いにも関わらず。

 戦うと決意したが為に。

 そんな事を友達にさせるなど、カリディータにはできなかった。

「契約解消だ、ルークス」

「――え?」

 ルークスは何を言われたか理解できなかった。

「あたしは、お前を泣かせる為に契約したんじゃねえ。だから契約は終わりだ」

「カリディータ……」

「これであたしはまったく無関係なサラマンダーだ。どこで燃えようが燃え尽きようが、あたしの勝手だ。さあ、遠慮無くゴーレムを槍で刺せ」

 彼女の意図を察し、ルークスの胸が詰まった。

(できない。できないよ!)

 しかし少年に考える時間さえ与えず敵は迫ってくる。イノリを間合いに捉えたボアヘッドが戦槌を振り上げた。

「く!」

 ルークスはイノリを動かした。火炎槍の柄で攻撃を逸らし、敵の右に回り込む。

 横から突きをボアヘッドの右脇に見舞う。

 頭が吹き飛びボアヘッドが崩れる。

 松明が無くなった穂先でなお炎が燃えていた。

 カリディータが、己を燃やして穂先を炙っているのだ。

 力を使い尽くしたとき、精霊は消える……

 味方の残骸を踏み越え、敵が迫る。

 通常型ボアヘッドは戦槌を振り上げた。

 イノリは敵の攻撃を柄で逸らす。慣れた動きで敵の右側に回り込む。

 ルークスは絶叫した。

「カリディーターっ!!」

 その声が届き、サラマンダーの娘は微笑んだ。

(そんな声は人間の娘に聞かせるもんだぜ)

 そしてイノリはボアヘッドの右脇に、炎を上げる火炎槍を深々と突き刺したのだ。

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