水面下の味方

「ワーレンス!! 今のは何だ!? 意図的な暴力は許さんぞ!!」

 教師のマルティアル叱りつけるも、ワーレンスは悪びれずに言ってのけた。

「敵のゴーレムがルールを守ってくれるとは限らないでしょ?」

 次の瞬間、彼の巨体が宙に舞い上がった。頭の下に地面が見え、真っ逆さまに叩き付けられた。

「ならば、敵のゴーレムマスターがシルフの力を使わぬとも限るまいな!」

 うずくまったルークスの頭上に、風の大精霊インスピラティオーネが現れていた。まなじりを吊り上げ、突風を纏っている。

 圧倒的な力を前にワーレンスの高慢さはたちまち萎れた。

「ち。精霊に助けてもらわなきゃ何も出来ないカスの癖に」

 その捨て台詞をグラン・シルフは聞き逃さない。シルフはささやき声をも運ぶのだから。

「ほう、この学び舎は精霊使いを育てるものと思っていたが、その格が扱える精霊ではなく腕力で決まるとは知らなんだ」

「い、今は土精科の選択科目だ。ノームと契約できないカスはいちゃいけないんだ」

「貴様と契約したノームは随分と薄情だな。契約者の危機に際し、来る気配も無いとは」

「の、ノームはシルフと違うんだ!」

「それは初耳。だが我が友の土精は我と同じ意見のようだぞ」

 ルークスの前に、小さな土精オムが立ちはだかっている。ノンノンは小さな体で精いっぱい両手を広げ、ルークスを守ろうとしていた。

 インスピラティオーネの言う「精霊使いの格」の違いを見せつけられ、ワーレンスの嫉妬が爆発した。

「このゴミが!」

 ワーレンスが戦槌を拾ってノンノンに振り上げたとき、ルークスの声が飛んだ。

「インスピラティオーネ、ノンノンを!」

「承知」

 先程より強烈な突風が叩き付けられる。ワーレンスは風の壁に弾き飛ばされた。

 地面を何度も転がり、止まった所を教師のマルティアルが押さえ付ける。

「ルークス、傷を手当てしてこい。誰か、水場へ連れて行ってやれ」

 アルティが肩を貸そうとしたが、ルークスは立ち上がるよりノンノンをすくい上げる方を優先した。

 ルークスが精霊をとても大事にするのはアルティも知っているが、これには心穏やかざるものがあった。

(少しは自分を大事にしなさい)

 井戸へ歩く最中、アルティの頭に記憶が再現されていた。

 ワーレンスが突風に吹き飛ばされた様と、同じ光景を過去に見た事があるのだ。

 初等部の頃、アルティは貴族の女生徒に目を付けられた。陰湿なイジメに反発したら、向こうは手下の男子複数をけしかけてきた。

 その時ルークスが契約精霊のシルフを複数・・呼び出し、男子らを吹き飛ばした事がある。

 ルークスが精霊に他人を攻撃させたのは、アルティが知る限りあれが初めてだ。

 今もそうだが、ルークスが他人を攻撃するのは誰かを守る時だけである。

 自分への攻撃には無頓着で、ルークスは嫌がらせにほとんど反応しない。

 見かねた精霊が反撃を買って出るのが常である。

 ルークスの、自身への無関心さがまたアルティには心配の種だ。

 井戸からは水が溢れ、透き通った肌の美しい娘が井戸縁に腰掛けていた。しなやかな手弱女ぶりも見事な水の精霊ウンディーネのリートレである。彼女もまたルークスの契約精霊である。

「まあルークスちゃん、痛そう」

 リートレは水を布の様に手に持ち、ルークスの顔に当てて腫れを冷やし出す。

 頭では分かっているが、四大精霊の三属性と契約しているルークスにはアルティも劣等感を抱いてしまう。学園の教師でも二属性がやっとなのに。

 ましてや大精霊と契約しているなど、この国では王城にいるお年寄りだけである。

(これでノンノンがノームに成長したら、史上初の四大精霊全属性制覇だわ)

 またアルティには「精霊を使う」という言葉がルークスには当てはまらないと感じている。

 精霊は契約に基づき精霊使いの命令に従う存在、そう学園では教えている。

 だがルークスの契約精霊たちは命令無しで動く事があまりにも多い。そもそもルークスが命令する事が稀である。

 今もリートレは呼ばれずとも現れ、指示されずに治療をしている。

 インスピラティオーネも「ノンノンを」と言われただけで小さなオムを助けた。

 そのインスピラティオーネが常にルークスの側にいるのも、指示されたからではなく自発的なのだ。

 自発的に動く契約精霊について、教師たちは眉をひそめている。

 たびたびルークスは注意されているが、聞く耳を持たないので、これもまたアルティの心配の種となっていた。


 被害者を離したところで、教師のマルティアルは加害者のワーレンスを引き起こした。

「戦場には審判も教師もいない。助けてくれるのは戦友だけだ。お前は『自分は戦友に卑怯な真似をする人間だ』と学園中に宣伝するつもりか?」

「ゴーレムを使えない奴なんか戦友になる訳がないだろ」

「戦友がゴーレムコマンダーだけだと思ったか? 軍にどれだけ精霊士が配属されているか、お前は知らないのだろうな。ルークスが兵役についたら、即司令部だ」

「まさか、あんな軟弱野郎が司令部?」

「シルフは偵察や連絡に必須だ。そしてグラン・シルフは敵のシルフを封じられるから、戦局を左右する切り札となる。ヴェトス元帥はルークスの卒業を待ちわびているぞ」

「まさか……」

「いずれ彼は情報収集や連絡を仕切る立場になるだろう。お前は将来の参謀にとんでもない真似をしたんだ」

「……仕返し、されるのか?」

 ワーレンスは震えだした。

 貴族のように後ろ盾が無い平民は、上官から睨まれたら生きてはいられない。

「それは分からん。だが、お前と一緒になるのを嫌がる奴は出るだろう。巻き添えを恐れる心理は止められない。そして戦場での疑心暗鬼は正常な判断力を奪う。積極的な排除に走らなくても、消極的に『見捨てる』という行為は割と簡単にできてしまう。何しろお前は『戦友に卑怯な真似をする人間』なのだからな」

 戦場での経験があるだけに、非常に説得力があった。

「お前は今日、自分が死ぬ確率を飛躍的に高めたんだ。ルークスは一切関与しなくても、だ。ましてや彼が仕返しを心に秘めたら、どうしようもないな」

「ど、どうしよう?」

 ワーレンスは視線を泳がせる。

 しでかした事の大きさを生徒が十分に思い知った頃合いを見て、マルティアルは提案した。

「謝るしか無かろう」

「でもあいつだって精霊をけしかけたじゃないか」

「お前が肘撃ちなんかしなければ、その後の事も起きなかった。何故あんな真似をしたんだ?」

「だって、あいつが……」

「お前に何かしたのか?」

「……騎士団からの誘いを断ったりするから」

「騎士団? そうか。どうも生徒たちの血の気が多いと思っていたが、そんな事があったのか。なるほど。騎士団から誘われたら、そりゃ断るだろうな」

「え?」

「何にせよお前には関係ない話だ。彼の人生だし、お前は騎士団の一員でも何でもない。まったく無関係な第三者じゃないか」

「でも……」

「気に食わなかった、か?」

「ええ、まあ」

「気に食わないから痛い目遭わせてスッキリした、か。その代償として残りの人生を棒に振るとは、随分と割に合わない事をしたものだな」

「ま、まさか大事おおごとになるだなんて」

「大事にならないようにするには、小さいうちに終わらせるしかない。今謝れば、この場で終わる事だ。意地を張って将来に持ち越せば、お前が戦死する確率は飛躍的に高まる。どちらを選ぶかは、お前次第だ」

 ワーレンスは助けを求めるかの様に左右に顔を向けた。

 そしてがっくり項垂れた。

 元より何かの覚悟があってやった事ではない。マルティアルの言う通り、割に合わない。

「謝ってくる」

 ワーレンスは大きな体を小さくして井戸へと向かった。

 見送る教師は安堵の息をついた。

「少しは恩返しが出来たかな」

 かつての上官の息子への、言われなき敵意を少しでも減ずる事が出来たなら御の字だ。

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