短編の標本箱

夏野篠虫

孤独な気球

 あの穴はなんだろう?

物心ついた頃、記憶の始まった時からそう思っていた。


私の住む場所はいつも夜だった。

そして、暗い空には、大きくて空より黒い穴が開いている。

真っ黒で、先が見えない。この世界で最も大きな穴。

あの先がどうなっているのか、何かあるのか、何もないのか、誰も知らない。

 

 この場所には、私の乗る気球とこざっぱりとした草原、そこに大きな舗装道が一本。景色のど真ん中を貫いて、地平線の彼方まで抜けてゆく。

その道路の延長線上に黒穴が鎮座する。

両側はひたすらに爽やかな草の海が広がっている。


私は夜空に浮かんだ気球に乗って、ずっとその景色を眺めていた。

いつかあの先に行ってみたい。人であれば誰しも興味を持つだろう、未知への好奇心がうずいていた。



でも、ある時、気付いてしまった。

穴以外にも不思議なことが山ほどあった。


どうして私以外に誰も居ないのか。

どうして気球に乗っているのか。

どうして周りに何も無いのか。



私は、気が狂いそうになった。

この世界は、孤独と違和感で構成されていた。

なんでそれに気付かなかったのか、否、なぜその事実に気付いてしまったのか?

気付かなければ、今まで通り暮らせたのに――



その時だった。

今まで永遠にも等しいほど夜が続いたこの世界が、一斉に照らされた。

目が潰れるかと思うくらい、光と色が眩しかった。


青空には、くっきり輪郭が浮かび上がった穴が見えた。

やはり穴の向こうは黒一色だ。


そう思ったら、穴の中心から、丸いゴマみたいなものが近づいてきた。

点のようだったが、徐々に大きくなっていくそれは、


穴をぴったり埋め尽くすサイズの目玉だった。





――――――「はい、大丈夫ですよ。」

カーテンで仕切られた、薄暗い部屋。

デスクの前に座る白衣の人物と、その向かいに座っているのは、ついさっきまで眼前の真新しい機器を覗いていた男性。


「えー、特に眼球や視力に問題はありませんね。健康そのものです。」

「そりゃ良かった。ありがとうございます。」

医者と男性が話す。

「じゃあ、これで検査は終わりなので――」

「あ、一つ気になったことがあるんですけど、」

男性が言った。


「視力検査の気球って、女の子乗ってましたっけ?」



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