第178話:大きな大きな樹の下で 12

 誰かがこの場で生活している生活感はありつつも、その生活風景が人として常軌を逸していそうな部屋内部を横目にしながら、吸い込まれるように長い通路を歩き続けて辿り着く。

 

 進んだ先の終点には、大きな扉があった。

 まるで異世界の魔王の屋敷にありそうなほどに大きな扉ではあるが、装飾そのものはされていない、鉄の扉であれば動かすことさえ億劫になりそうなほどに重そうな扉だ。

 触ってみると、鉄で出来ているわけでもなく材質も鉄というより、つるりとした柔らかな感触を与えてくる材質で出来ているようで、その触り心地は軽そうな印象を与えてくる。


 その扉の重さは、今の冬にはさほど関係はない。重ければ力の温存はしたいものの糸や布で切り開けばいいだけだし、軽ければそれに越したことないと、当たり前のことしか思うことはない。


 扉とは別に。

 冬の脳裏に警鐘のようにソレがわかってしまって、軽く困惑しているというところもあった。


 その扉の先にいる。

 それはなぜか理解出来てしまっていた。


「……」


違和感を覚えながらも、冬はその扉に手をかける。


「――っ?……あっ――」


――かけた瞬間、目の前に砂嵐が流れた。





 ̄ ̄  zizi


    ̄ ̄  zizi


  ̄ ̄  zizi




セピア色のノイズ混じりの世界。

その世界には、二人の男がいた。


一人は見窄みすぼらしい白い貫頭衣のような服を着た小さな少年。

その少年が、見据える先にいる男を睨みつけて会話をしているようだ。




<お前が、我の最愛で理想の伴侶をこうも醜くした者か>

<醜い……? 誰が? 貴方が? そう考える貴方が醜いんじゃないかな?……貴方の理想ってなに? 理想の伴侶なのであり最愛なのであれば、醜いと感じてもそれさえも愛することが最愛なんじゃないかな?>

<……ふん>

<人を見た目で判断しちゃダメだと思うよ? 幾ら貴方が偉かろうが、幾ら貴方が僕達を作り上げた人だろうが。そんなことしているから先が見えないんでしょ? だから貴方の計画も頓挫するんでしょ?>

<……口がよく回る>

<僕はね、貴方が創りだしたからここにいる。でも、意志を得て作り出されたからこそ、貴方にそのように言われるのは悲しいよ。それは貴方に作られたみんな。母であるスズだって、そう思ってるはずだよ>

<我に向かってよく言うもんだ>

<そりゃ言うさ。だって貴方のその態度が。人を人と思わないその態度が。今のこの状況を作り出したんでしょ? 貴方がもっと僕達に優しければ、に、誰もついてこないよきっと>






       <そうでしょ? 『縛の主』>







「――っ!?」


 冬は、ぐっと力を込めて扉を押そうとしている体勢のままで固まっていた。

 思い出してはいけないような、そのような感情さえも湧き上がって来るほどに鮮明に目の前に映し出された映像。 

 扉に触れて何かを見た。何かを思い出した。


 扉がキーとなったわけではない。

 恐らくは扉の先。

 またはここに来てからいつかは思い出すかもしれなかったことが今このタイミングで蘇ったのか。

 どうして今になってそんなことが溢れ出したのか、冬には分かるはずもない。

 

 分かることは、ただ漠然とした恐怖を感じていること。

 その恐怖は、自分の知らない何かがここにあり、自分と自分の周りにあることに気づいたことで現れたものだ。


 時折、自分よりも自分を理解しているようにも思える周りの仲間達。

 自分だけが知らないことを周りが知っている。


 それは冬が情報に無頓着であり、情報屋の香月店長に頼りっきりだったことも原因ではあるが、今はそのような上辺の情報――知らないということを言っているわけではなかった。

 情報屋から仕入れられる情報は、裏世界の情勢や、手配帳ビンゴブック黒帳簿ブラックリストの相手の居場所等の情報、その他、様々な雑務における情報がほとんどであり、個人の情報について、ましてや殺人許可証所持者の情報等は枢機卿が管理しているから例外はあるが知られるわけがない。


 なのに、冬の周り――姉や義兄は冬以上に冬のことを知り尽くしているような発言をすることがあった。


 自分には秘密がある。それは少しずつ彼等が教えてくれた。

 だけども、隠しておいたほうがいいこともあるのだろう。

 いつか頃合が来れば、ゆっくりとではあるが全てを知ることも出来るのだろう。 


 そう思っていた。

 だから、知ろうとはしなかった。


 なのに、今このように、記憶が勝手に溢れ出す。


 体から抜けていく力。

 ぶるぶると震える手。いや、体全身が震えている。


 それは、自分と言う存在が実は偽りなのではないかとさえ錯覚してしまったからこその恐怖なのかもしれない。


 なに? 今の記憶はなに?

 僕と会話をしていたのは『縛の主』? あれが?

 僕がどこで?



 思い出したのは今回だけじゃない。

 前も似たようなことを思い出したことがある。

 あの時の自分は、かなり幼かった。


 友達を求める小さな子供。

 話し相手が欲しい小さな子供。

 共にはしゃいで走り回って楽しみたい小さな子供。


 それほどに幼い子供だ。


 幼い自分がここにいるのは分かる。

 なぜならここが自分の生まれた場所だから。


 そんな幼い自分。

 白い貫頭衣を着た自分――まるで奴隷のような姿をした自分。

 

 そんな格好をした自分が、『縛の主』と会って、対等に話している?


 先程の過ぎった記憶の中で、『縛の主』は髪をオールバックに纏めた中年だった。

 スーツ姿であれば表世界を普通に歩いているサラリーマンとどう見分けがつければいいのかとさえ思える程に普通。

 だがその普通な印象が、酷く歪に思える。そんな男だった。 


 冬にはそんな男と会ったという記憶はない。


 だから、この場所が記憶になくても、失われた記憶がそこにあって、ここに辿り着いたから少しずつ思い出しているなんて都合のいいことを考えた。


 何かを自分は知っている。

 でもそれはまったく記憶にない。

 これもまた型式による記憶封じなのか。

 だとしたらあの時――姉が解除をした時に全て解除されたのではなかったのか。

 それとも、姉さえ知らない何かが自分の中に眠っているのか。


 自分の中に、自分の知らない秘密がある。

 その秘密を知っているのは自分じゃない。自分だけが知らない。

 上層はどうして破壊されていた。何があった?

 ここに何があるのか。何をしていたのか。 

 何が自分の中に眠っているのか。



 ぐるぐると脳裏によぎった記憶に、考えもぐるぐると回る。




「……いや、今はそれよりも、この先です」



 ぶんぶんと頭を振って目の前のことに集中する。

 改めて扉の先へ向かうために、ゆっくりと扉を押す。


 今度は記憶が漏れ出すような気配もなく、力を込めて押してみると、ぎいぃーと大きな扉が簡単に内側へと押されていき、目の前が開かれて部屋の中が露になっていく。

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