05 魔王、夢見がちの理由を知る。

「これで、ひとまず終わったな……」


 完全に陽が沈み、一日の業務が終了した魔王はシャワーを浴びた後、再び執務室に戻った。濡れた髪をタオルで拭きとりながら、ソファに腰を下ろした。朝早くから会議に出たり、部屋の掃除をしたりしていたからか、珍しく瞼が重い。うっつらうっつらと船を漕いでいると、開けていた窓から柔らかな風が吹き込んできた。その風から誰かの笑い声が聞こえてくる。


『聞いた? アマリリスたちがあの子に連れて行かれたんですって?』


 それは中庭の花たちだった。

 その声は微睡に沈みかけていた魔王の意識を引き上げた。


 クスクスと笑いながら楽しげに話す声が、まるで幼い少女のようだった。

 もう日が沈んだというのに、彼女たちのおしゃべりは止まらない。


『あら、そうなの? 通りで静かだと思ったわ。おしゃべりなのに声が聞こえないもの』

『でも、あの子に連れて行かれるってことは何に使われるのかしら? 屋敷の中って言ってたから、もうアマリリスたちは…………』


 しんとして会話が途切れた。そして、誰かが口を開いた。


『祈りを捧げましょう。根絶やしにされたアマリリスたちのために』

『はい、みんな。黙祷!』


 再び沈黙が流れた瞬間、屋敷の中から大きく息を吸い込む音が聞こえた。


『私たちは根絶やしになんてされてないわよーーーーーーーーーーーーーっ!』


 屋敷から外に向かって放たれた怒号が魔王の耳を貫いた。あまりにも大きな声にソファから滑り落ちそうになった。


(アイツら、あんな声が出るのか……)


 すっかり目が覚めた魔王は痛む耳を擦りながら、花たちの会話に耳を傾ける。さらに聞こえてきたのは憤慨するアマリリスたちの声だった。


『勝手にあの子の材料にしないでくださる⁉』

『そうよそうよ!』


 アマリリスたちが文句を垂らす声を聞いて、他の花々たちはも「えー」とどこか楽し気に言う。


『だって、あの子に連れて行かれるって言ったらねぇ?』

『葉はむしられ、花弁は乾燥させられ、根はりつぶされる運命って決まってるし~』

『そうそう第二の生は薬品の材料になってるわ』

『この間のマンドラゴラがいい例よねぇ?』

『ねー?』


(アイツら好き勝手言いやがって……)


 魔族や人間には自分たちの声が聞こえないことが分かっている奴らは、いつも喧しく会話を楽しんでいる。今朝のアマリリスたちもそうだが、人の行動を観察してそれをネタに話して暇つぶしをしているのだ。


 普段は草木や動物の声を聞かないようにしているので久しく忘れていたが、毎日こんなに喧しく会話をしていることに驚いてしまう。


『でも、屋敷にいるってことはあのお姫様は見えないの?』

『お姫様の部屋は、ここよお~~~~~~!』


 隣の部屋のアマリリスが大声を上げた。

 その声を聞いて、花たちが歓声を上げる。


『そ、そこは……!』

『あの子のお部屋の隣……!』

『きゃーーーーーっ! お姫様とあの子が物理的に急接近してるわーーーーっ!』


 よくやった、アマリリス!

 今、屋敷で話題が持ち切りの人物の傍にいるなんて植物界の快挙よ!


 そう草花がアマリリス達を褒めたたえた。


 動けない花たちにとって、今話題の中心である人物の周りにいるのは、すごいことなのだろう。花たちの会話が色恋にませた少女たちのように喧しく、耳を塞ぎたくなる。


『まさか! 一夜にして進展が!』

『あの子も隅におけないわ!』

『早く自分のものにしちまえ…………』


 バタンッ!

 魔王は窓を閉めた。


「ほんっと……喧しいな……っ!」


 昨日、来たばかりの姫は彼女たちにとって話題の種だ。あのおしゃべりな花を屋敷内に置けば、彼女の動向が分かるだろうとアマリリスを置いたのだ。実際、彼女の行動は筒抜けで、居場所は把握できたが、自分まで話の種にされてしまった。屋敷にいる人間が少ないのも原因だろう。


(これは考えものだな……もう少し考えた方がいいか……)


 ドドドドドドドドッ!


 何かが崩れ落ちる物音がし、魔王はその大きな音にぎょっとした。その音は隣の部屋から聞こえたと分かると、慌てて隣の書斎に足を運んだ。


 勢いよくドアを開けると、そこには本に埋もるようにして倒れている姫がいた。アイスブルーの瞳が「あ、やべ」と言わんばかりにこちらを見上げていた。


「……何をしているのですか?」


 魔王が呆れた顔をして、ポケットにしまっていたホイッスルと鳴らす。すると、床に散らばっていた本達が本棚に戻って行った。乗っていた本がなくなり、姫は魔王の手を借りて起き上がった。


「ありがとう……助かったわ」

「いえ……一体、こんな夜更けに何をされて……?」


 魔王は立ち上がった彼女の姿を見て言葉を失う。彼女はドレスではなく、ミントグリーンのネグリジェを身に着けていた。フリルとリボンが控えめにあしらわれたネグリジェはゆったりとしているが、彼女の細い手足が強調されていた。適当に用意したものとはいえ、意外にも彼女に似合っていて驚いた。


(てか、なんでコイツは寝間着で……恥ずかしくないのか)


 魔王は平静を装うように視線を逸らすと、読書スペースであるソファとテーブルが目に入った。


「なんだ……これは?」


 テーブルの上にはこれでもかといわんばかりに山積みにされた本が置かれ、ソファに座れば姿が見えなくなってしまうだろう。

 彼女へ目を向ければ、気まずそうにしている目を逸らされた。


「読み終わった本……片付けようと思ったら崩れてきたの……」

「ミイラ取りがミイラになってどうすんですか?」

「本に埋もれて死ねるなら本望かなって思ったりもしたわ」

「開き直るな」


 テーブルに乗っている本が全て読み終わったものなら、すごい読書量だ。読書好きだとは思っていたが、ここまでくると筋金入りだ。魔王はホイッスルを鳴らし、本を全て片付ける。


「本は逃げませんので、ゆっくり読んでくださって構わないんですよ?」


 彼女はしばらくこの屋敷に留まらなければならない。まだ時間はいくらでもあるのだ。そんなに慌てて読む必要はない。


「いやよ、ゆっくり読んでいる暇なんてないわ」


 アイスブルーの瞳をキラキラと輝かせて姫は本棚から一冊の本を取った。


「だって、この中に理想の王子様がいるかもしれないんですもの!」

「は?」


 目を輝かせる姫に、魔王は「何言ってんだ、この女」と目を細めた。


「理想の王子様……ですか……?」


 魔王が少し戸惑いながらそういうと、姫は手に取った本を魔王に突き出した。それは世界中の童話や逸話、それもお姫様や王子様が良く出る話を集めた本だった。


 この手の話はお姫様のピンチに王子様が駆け付け、悪者を退治しハッピーエンドを迎えるのがセオリーだ。小さな女の子は誰しもが憧れる話。


「そうよ! 物語に出てくる王子様のような人が迎えに来てもらうことが私の夢なの! いつも本を読みながら私を迎えに来てくれる人を想像するのが私の生きる糧なのよ!」


 それを聞いて思わず、魔王は長いため息をついた。


(なんだ、この夢見がちは……)


 呆れ切った魔王を見て、姫は頬をパンパンに膨らませて怒る。


「何よ! 私はお姫様なんだから王子様が迎えに来るのは当たり前でしょう!」

「現実とフィクションを混同するんじゃない」


 どんな経緯で結婚が決まったかは知らないが、隣国の王子が「もっと王子様らしくなって出直してこい」と殴られる未来が見えてしまう。


「だって、現実の王子様なんて会ったことないもの。会ったこともない相手にどうときめけというの! 乙女は常にときめきと刺激を求めているの! それに政略結婚とはいえ、もっとドラマがあっていいと思わない?」

「ドラマ……?」

「そうよ!」


 彼女は本を抱いて高らかに言った。


「婚約相手が魔王に攫われ、それを助けに行く王子。魔王との死闘の末に、王子は魔王に勝利し、お姫様とハッピーエンドを迎える! そのぐらいの波乱はあっていいと思うわ!」

「思わねぇよ」


 そのシナリオだと確実に魔王は王子に殺されるであろう。そんなシナリオはお断りだ。

 しかし、よく考えれば彼女の言うドラマは今の状況にも似ている。


「何よ、未来も結婚相手も何もかも決められているんだから、少しぐらい憧れを持ってもいいでしょ?」


 アイスブルーの瞳が不機嫌そうに見つめているが、その目には諦めも含んでいるようにもみえた。彼女の境遇を考えれば、魔王も思うところもある。


「そんなドラマに憧れるなら、部屋から脱走せずに大人しくしていればいいものを……」


 ため息交じりにそう言い、魔王は呆れた目で姫を見下ろす。


「蝶よ、花よと育てられた私が、一室に閉じ込められていたらストレスで死ぬわ!」

「二階の窓から脱走するような女が、か弱いわけがないだろう……あいだぁっ!」


 魔王の足を姫が容赦なくヒールで踏みつけ、魔王はその場にうずくまる。


「お姫様はか弱い。それがデフォルトであり、セオリーよ」

(チクショウ……この夢見がちゴリラめ…………)


 痛みに耐えながらも、文句の一つや二つ言ってやろうかと思ったが、諦めた魔王はため息を漏らした。


「はいはい、姫はカヨワイですよ……」

「よろしい」


 投げやりでいった言葉だったが、それを聞いて姫は満足げに頷いた。


「あ、そうだった」


 思い出したようにネグリジェの裾をさばき、まるでお姫様のように一礼をする。


「流星の魔法使い、いいえ、魔王様。私の我儘で書斎を解放してくださり感謝いたします」


 その優雅な振る舞いは、童話に登場するお姫様そのものだった。しかし、彼女の素を知っている魔王は首を横に振った。


「そんな取って付けたような礼はいらん」


 そういうと姫はいたずらっ子のように、べっと舌を出す。


「もっと猫を被っているべきだったわ」

「あれだけ暴れておいてよく言うな、お前……」

「でも、感謝しているのは本当よ? こんなに早く対応してくれるなんて思ってもなかったもの。ありがとう、魔王」


 そう言って、「さぁ、読むわよ~」と意気込む姫を見て、魔王は執務室に戻ろうとする。


「あ、そうそう。ねぇ、魔王」

「まだ何かあんのか?」


 姫の呼び止めに鬱陶しそうに振り向くと、彼女は微笑みながら言った。


「敬語で話すより、そうやって砕けて話した方がずっと魔王らしいわよ?」

「…………余計なお世話だ」


 魔王はそう言って、書斎を後にした。

 執務室に戻り、椅子に座った魔王は机に突っ伏してため息も漏らした。


「なんだあの女…………」


 あの笑顔も、夢見がちなところも、まるで変っていなかった。あの破天荒ぶりに同一人物かどうか何度も疑がったが、どうやら彼女は本物らしい。暴力的な部分が大きく出てしまっているが本質的に夢見がちなのだろう。


「全く、扱いにくい女だ……」


 魔王は引き出しにしまった書類を取り出す。その書類の文面を見て、魔王は静かにため息をもらいした。

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