異世界転移したら、チートになったのは俺の一張羅でした
上崎 秋成
第一部 『それを貴方が救うのならば』
第一章 『月虹少女と一張羅』
プロローグ 『その紳士、アルマーニにつき』
カリア・ケロス連合王国 某所 秘密裏のパーティ会場
チン、と小さく、グラスの音が響いて消える。
和やかなパーティー会場。集まったのは、縫製の未発達な、けれども十分に華美な形に誂えられたドレスを着込んだ男女たち。
管弦楽の穏やかな曲目が流れ、人々が談笑し、踊りに興じる空気の中で、互いにグラスを捧げ持つ集団があった。
総勢六名。ちょうど、三対三の小集団に分かれる形だ。
「それでは」
一方の中央、ひとりの美姫が言葉を発する。長い髪は冷えかけた溶岩のごとく深紅に染まり、その両脇には、黒金色の小さな角が伸びている。
海のような瞳を納めた少女の貌は、どうしてか、深い緊張の紅に彩られていた。
「カリア・ケロスとジャルダンの提携の証として――」
少女は自身の指を持ち上げ、グラスの上へと掲げて一息。
自身の爪で親指の腹を切り裂き、一滴の血を水酒の中へと零してみせた。
水色の酒――アルコールと魔術溶媒の混合液に、青黒い血の華が咲く。
「『誓いの血酒を今ここに』」
呪句。力ある言葉とともに青黒い華は赤く染まって、水酒を桜色の水へと変えた。裏切りを許さず、口にした者たちを魔術で縛る強い契約。そのための儀式であった。
「まずは私が」
美姫が一口、その水を飲む。次いで後ろに控えた二人に、同様に水を飲ませる。
「さあ、ジャルダンの長、クロウ。次はあなたが証す番です」
差し出されたグラスに向けて、クロウと呼ばれた男が右手を伸ばし、
――手に取る直前、広間の窓が砕け散る。
「何事ですっ」
割れた窓から飛び入ったのは、武装した黒ずくめたち。
怒号と悲鳴が飛び交うなかで少女が問うと、ねっとりとした男の声が周囲の空気を凍らせた。
「何事もクソもねえよなぁ?」
切れ長の眼にボサボサの髪、ひょろりと伸びた両の手足に長い槍。
紋切り型な黒ずくめたちと一線を画す、特徴的な風貌の男であった。
「“帝国”の――」
みなまで彼女が言い切る前に、おっと、と男が言葉を遮った。
「悪いがお喋りしている暇はないんだなァ。その血酒、クロウ君に飲ませるわけには行かないんでねェエ」
にやりと笑う。それは勝利を確信した笑み。
「誰か、誰かある!」
「もう死んでるよおっ」
衛兵を呼ぶ少女の声に応えつつ、男は槍を構えて少女の元へと踏み込んだ。
「悪ィな!」
突き出された槍の穂先は過たず彼女の胸へと滑り込み――
「…………は?」
――明後日の方向を鋭く穿った。
「アポなしの訪問というものは」
同時に響くテノールボイス。
それはその場七人のいずれに類する声でもなく。
静かであるのに、いやに響く深い声音で。
「時に相手に熱意を伝える有効な手段たり得る」
からんからんと、金属音。
必殺の槍を弾かれた当の男も、殺されかけた少女の方も、等しく音の元を見る。
それは、大理石の床に転がる、金属製の万年筆だ。
「なに、若い営業が時々かます『やらかし』だ」
周囲の驚愕どこ吹く風という体で、テノールボイスが言葉を続けた。
こつ、こつ、こつと悠然と歩を進める音。
「――だが」
「……っ!」
槍の男が声へと向けて視線を飛ばす。見るべきは自身の槍を弾いた原因などではないと、今更ながらに気付いたからだ。
かくして、そこに男が見たのは。
「レディの胸ぐらめがけて棒を突き込む行為まで、看過できるものではないね」
うっすらと縦縞のあるブルーグレーのアルマーニ。
ベストを着込み、ぴっちりと合わせられたシャツの上には、牡丹色の長めのタイが結ばれていて。
右手には手帳を広げ、左の手にはバックル止めの革の鞄を握り。
白髪をたたえたその相貌には、銀縁眼鏡が輝いて。
そう。近世もかくやと言うべきファンタジー極まる世界の中を。我々の言うところの――『ビジネスマン』が闊歩する、ある種異様な光景であった。
「ア……」
槍の男が小さく震える。それは彼――壮年の『ビジネスマン』が、彼らのなかでどう呼ばれ、そして恐れられているのかに思い至ったからだった。
「『
「いかにも」
槍の男が漏らした言葉に、ビジネスマンは小さくうなずく。
「私は君たちの言う『アルマーニ』を――」
「あああああああああああっ!?」
ビジネスマンが言い切る前に、雄叫びを上げた槍の男が肉薄する。
「やれやれ。挨拶も出来ないのかね」
「うるせェ死ね!」
突き出された鋭い槍の一撃に、けれどもビジネスマンは慌てない。
「まず一つ、……当たり前だが、パーティーに刃物は厳禁。まあ、火器もだがね――『
スパン、と一撃、閉じた手帳の背で打ち据える。それだけで、迫っていた槍の穂先が、その持ち手ごと虚空のどこかに消えてしまった。
「――!?」
「ああ、転送させてもらったよ。
持ち込み禁止の物品は、得てして没収されるものだ」
両眼を細めたビジネスマンに、今度は拳を突き込む男。
けれどもそれは彼の頭を打ち据えることなく、あっさりとスーツの袖に通された屈強な腕に絡め取られて、そのまま後ろに極められてしまう。
「あぁああ、痛ぇ、離せよジジイ!」
バタバタともがく男だったが、ビジネスマンはびくともしない。
「言葉遣いもなってない。それに、パーティーなのに何だねこの傷んだ靴は。アメリカならレストランにも入れやしない」
どん、と軽く突き放されて、つんのめる男。もう一度殴りかかるべく振り向いた途端、彼は異常な事態を見てしまう。
「『
ビジネスマンがが呪句を唱えつ――鞄から巨大な槍斧を取り出す様をだ。
装飾過多な巨大な槍斧だ。それは決して、実用を念頭に置かれたものではないはずだった。
けれども彼はそれを軽々と、まるで棒きれのように
「ひィ」
「とりあえず、」
大きく振りかぶって――
「ドレスコードを勉強してから来たまえ」
衝撃。
槍の男は、飛び込んだ広間の窓から真っ直ぐに……外へと打ち出されたのだった。
・
ビジネスマンは休息を無駄にはしない。
それが、荒らされて台無しになったパーティ会場であったとしてもだ。
「……ふぅ」
カップを下ろして小さく一息。
パーティー――の体を装う二国会談――を襲った黒ずくめたちは、思いのほか大人しめの集団であったということらしい。
片付けられるべきは飛散したガラスの破片と、一部の倒れた机だけだということだ。こればかりは、無為に食事がゴミにならずに済んだことを喜ぶしかない。
もったいない精神というのは、幾つになっても抜けないタチであるらしい。
「ありがとうございました」
ふと、背後から声がかかった。
声音から相手が誰かは容易に想像できたので、倉井は振り向きざまに胸に右手を当ててみせ、恭しく頭を下げる。
角度はおよそ三十度。この世界の最敬礼は、存外と浅いものなのだという。
「相変わらず律儀な人ですね。私はただの王女であるのに」
「王であるか王女であるかは構いません。いずれも王族であり、王国式の敬礼は一つですから」
「そういう所ですよ、クライ」
クライ。
倉井とはややイントネーションが異なる、英単語に近い発音。今ではこうとしか呼ばれない辺り、この国の言語にとっては、それが最も適した音であったらしい。
目の前に立つ紅髪の美姫は、さも嬉しそうに朗らかに笑む。
「ジャルダンとの血酒の儀は」
「ええ。きちんと執り行われました」
晴れやかな顔。責務から解き放たれた、少女らしい柔らかな顔。けれどもそれをまた引き締めて、王女は遠く西を見やった。
「これで、西へと向けて動けます」
「左様ですか」
「忙しくなりますよ、クライ」
頼りにしている――そう言外に伝える王女に、倉井は再び、三十度頭を下げた。
「王女様の仰せのままに」
正当な理由が存せぬ限り、ビジネスマンは上下の立場を重んじる。
最敬礼は、倉井の態度の表明であった。
さて。
なぜ、『ビジネスマン』倉井肇は、こんな世界にいるのだろうか?
その
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