第二話 ナナミに耳が生えてきた日

▽まえがき▽


《耳なしについての伝承・民話・説話》


☆ポーラポーラ地方(教会に伝わる文書より)


 使徒さまカチューンには、耳と尻尾がありません。耳を太陽の神さまの元へ、尻尾を風の神さまの元へ置いてあるからです。


 使徒さまはいつでも、太陽の神さまの声を聞き、風の神さまの吐息に尻尾を揺らしているのです。


 使徒さまは、空飛ぶ船に乗り、いつも私たちを見ています。私たちの生活を見守って、神さまに伝えてくれます。時々船から降りてきて、為になる事を教えて下さいます。


 使徒さまの多くは私たちと違う言葉を使い、違う服を着ていますが、神さまと違い触れる事ができます。


 使徒さまは、神さまと私たちの、間にいる方々です。




☆ミョイマー地方の民話


 耳なしの船が低く飛ぶ日は良い事がある。探し物が見つかったり、待ちわびた手紙が来たり、腰が痛いのが治ったりする。


 時々降りて来た耳なしが、迷っていたりする。道を教えてあげると幸せになれると言われている。甘い物や酒、賑やかな歌や踊りが好きだが、悪戯いたずらもする。昔は祭りがあるとたくさんの耳なしが降りて来て、一緒に歌ったり踊ったりしたという。




☆サラサスーン地方の壁新聞の記事より


 茜岩谷の北西部に、足を踏み入れてはならない土地がある。その地は鳥も動物も近寄る事さえしない。時折り耳を折りたくなるような大きな音がしたり、恐ろしい大きな黒い影が行き交ったりするという噂がある。


 耳なしの群れを見たという証言もあり、聖地として見る人もいるが、忌み地として恐れる人も多い。どちらにせよ、他に何もない荒地なので、足を踏み入れる者はほとんどいない。




☆ザトバランガ地方(英雄譚の一部抜粋)


 ある日、大きな空飛ぶ船から耳なしが降りて来て、たくさんの家畜や人々を連れ去った。火を吹き、鉄の塊を撒き散らし、たくさんの人々を殺した。残された人々は、悲しみと恐怖で立ち上がる事も出来なかった。


 多くの村が襲われた。空飛ぶ船が見えると、人々は家の中で抱き合って震えた。


 ある時、耐えかねた人々は大きな決断をした。力を合わせ、耳なしと戦う事を決めた。


 各村から、選りすぐりの戦士が集められ、耳なしの言葉を話せる、黒猫が率いた。


 やがて全ての空飛ぶ船を壊して、戦士たちは帰って来たが、黒猫だけは戻らなかった。


 黒猫は英雄と呼ばれたが、誰も名前すら知らなかった。




☆パスティア・ラカーナに広く伝わる昔話


《耳なしクロル》日本語訳=二ノ宮ハル


 むかーしむかし、ある村に、仲の良いネコ耳の若い夫婦がいました。二人は結婚して何年もたつのに、なぜか子供ができませんでした。


 二人はいつか子供ができた時のために、たくさんのおもちゃやポンチョを作って、早く子供ができますようにと風や太陽の神さまに祈りました。


 ある日、森に狩りに出かけた二人は、ケガをした小さな男の子を見つけました。 額から血を流し、大きな声で泣いています。


 二人は男の子を大急ぎで連れ帰り、ケガの手当てをしました。


 男の子はすぐに元気になりましたが、自分の名前も覚えていないようでした。そして、二人にはわからない言葉を口にしていました。


 二人は男の子に『クロル』と名前をつけ、一緒に暮らしはじめました。『クロル』は春の最初の日に吹く風の事です。二人がずっと待っていた子供につけると、決めていた名前です。


 クロルは二人の子供になり、元気に暮らしました。すぐに言葉を覚え、村の人にも可愛がられて育ちました。


 クロルは時々『ねぇお母さん、どうしてぼくには耳と尻尾がないの?』と聞きました。


 お母さんは『もうすぐ生えてくるから、心配しなくて大丈夫よ』と優しく笑いました。


 お父さんは『耳も尻尾もなくても、クロルは俺たちの大切な息子だ。それに、クロルはとても頭が良い』と誇らしげに言いました。


 そして二人ともそのたびに、クロルをぎゅーっと抱きしめてくれました。


 クロルは二人と同じ真っ黒いネコ耳が生えてくる日を、楽しみにして暮らしました。


 ある日、村の入り口に、空飛ぶ船が降りて来ました。船は低く飛ぶことはあっても、地面まで降りてくる事は滅多にありませんでした。村の人やお父さん、お母さんと一緒に、クロルも見に行きました。


 しばらくすると船から、変わった服を着た、耳も尻尾もない人が出てきました。


 耳のない人は、クロルを探しに来た人で、クロルはその人たちの仲間だと言いました。


 お父さんとお母さんは、クロルを連れて行かないでと頼みました。クロルも行きなくないと泣きました。


 耳のない人は、手から火をき、クロルのお母さんの髪を焼きました。そして泣き叫ぶクロルを乗せて船は飛び立ってしまいました。


 お父さんとお母さんは、ポンチョを脱ぎ捨てると真っ黒い山猫アパ・トスカの姿になり、船を追って走りました。手足に精一杯の力を集め、爪から血を流しながら、走りました。


 どこまでも、どこまでも。力尽きて倒れるまで、空飛ぶ船を追いかけました。


 クロルが、船の窓から身を乗り出して叫びました。


「お父さん! お母さん! きっと帰ってくるから!」


 クロルの叫び声は、風に流され、遠い山にこだましました。



本編『お父さんがゆく異世界旅物語』より抜粋





▽△▽




 空を見上げるごとに太陽が勢いを増し、雨が降るたびに湿度が増していく。


 ミョイマー地方は、短い春をあっという間に通り過ぎ、夏に向かっているらしい。


 蒸し暑いなんていう感覚は忘れかけていたな。サラサスーンは乾燥地帯だし、ひとつ前の旅は砂漠だった。暑さと寒さは昼と夜で交互にやってくるので、衣服は日差しをさえぎる事、風を通さない事が重要だった。


 おまけに厚手の毛織物で出来ているポンチョは、寝具にも敷物にもなる。最初の頃こそ着るのに気恥ずかしさがあったけれど、今ではすっかり心の戦闘服だ。羽織はおるだけでビシッと気持ちが引き締まる。


 だが今の季節のミョイマーでは、重くて暑苦しい。ナナミ指導の元、全員自分のポンチョを優しくもみ洗いの上、陰干かげぼしした。しばらくはお役御免だろう。


 ナナミは離れて暮らしている間に、俺たちの分のミョイマー地方の民族衣裳を作ってくれていた。縫い物の嫌いなナナミがよくもまあと思うが、ルルや患者さんに教えてもらいながら、少しずつ完成を目指したらしい。


 ミョイマー地方の服は、薄く肌触りの良い布で出来ていて前合わせだ。裾は長く膝あたりまであるが、脇に腰までの深いスリットが入っている。ズボンはゆったりしていて、長さはまちまちだ。中国の武闘家の衣装や、ベトナムのアオザイに似ている。


 くるみボタンまで手作りだ。どれだけナナミが、俺たちと会える日を待ち望んでいたのか。袖を通すたびに、待たせてしまった日々に胸が痛む。


 ハナの分のズボンには、急遽きゅうきょ尻尾穴が開けられた。


 ナナミは俺とハルに『耳なし用の耳あて』も作ってくれたので、すっかり違和感なくミンミンの街を歩く事が出来るようになった。


 もっともミョイマー地方では、耳なしは幸せを呼ぶ妖精さんか、ラッキーアイテムのような扱いだ。ハルなどは、街を歩くだけでお菓子を貰えると喜んでいた。


 俺たちがナナミの家族で、ようやく再会できた事は、この街の多くの人が知っている。今更耳なしだという事を隠すつもりはなかったのだが、当のナナミが、


『耳なしの耳を出して歩くなんて、パンツをはかないで歩くみたいなもんよ! 絶対にダメ!』と、ゆずらなかった。


 一体何があったんだ?


 ちょっと心配になった。


 ナナミに耳と尻尾が生えてきたのは、今から三ヶ月ほど前の事らしい。俺たちがミョイマー地方に向けて旅立った頃だな。ある朝目が覚めたら、生えていたらしい。ハナと同じだ。


 俺たちはさゆりさんの前例があったから、ハナに耳が生えてきた時も驚くだけで済んだ。だがナナミとその周囲は、大騒ぎになったらしい。無理もない。


 ルルによる身体検査や診察の結果は『一般的なヒョウの人との相違点は見られない。ケモノの姿となった際も問題ない』というものだった。


 その検査、ハナも受けた方が良いか?


 ただ、不思議な事に俺たちが旅の途中でかかった『赤ん坊熱』に似た発疹はっしんが、薄っすらとではあるが、見受けられたとルルが言っていた。赤ん坊熱は男の子にしかうつらない、子供の病気だ。


 発疹は二、三日後にはきれいに消えたらしい。


 ミンミンの街の人は、ナナミの変化を好意的に受け止めてくれたらしい。『耳なしが俺たちの仲間になった!!』『きっともう空には帰らずに、ずっと居てくれる!』といった具合だ。なんともポジティブな人たちだ。


 実際ナナミも『もう地球には戻れないかも知れない』と思ったと言っていた。


 ハナとナナミが同じ種類の『ケモノの人』となった事は、なにか原因があるのだろうか?


 離れた土地で、全く別の生活をしていた二人が、同じ『ユキヒョウの人』になった。実際は雪豹ではないのかも知れない。俺の知っている動物の中では、一番雪豹に似ているというだけだ。実際この世界に雪豹がいるのかどうかもわからない。


 さゆりさんが初めて会った時に、この地の人との同化の原因について『この人(カドゥーン爺さんの事)と夫婦になったせいか、食べ物なのか、時間経過なのか……』と言っていた事を思い出す。


 ナナミの身体に表れた『発疹』が気になる。さゆりさんやハナに耳が生えてきた時も、その発疹があったとしたら……。


 病気……なのだろうか。


 だとしたら、何故――。


 俺とハルは『耳なし』のままなんだ?

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