5.予想が外れるときもある

 約束の時間に十分ほどの余裕を持って移動していた彰は、住宅街の入り口付近で二宮とばったり出会うことになった。


「早いな。準備の方は?」


 足を止めて問うと、


「万端だよ。とりあえず篠原さんの家まで行こう」


 淡白な答えを返して二宮はさっさと歩き出した。横に付いて歩きながら、彰は疑問を口にする。


「万端って、分かれる前とあんま変わってない気がするんだけど」


 二宮の装備に二時間前と変わったところはほとんど見受けられない。道具を入れるカバンを持っている訳でもなく、着の身着のままといった感じだ。


 あからさまに不審な目を向けても、こちらに向き直った二宮は飄々とした態度でジーパンのベルトとシャツの胸ポケットを指差す。


「準備って言ったって、これとこれを持って来るだけだからね」


 胸ポケットに引っ掛けてあるのは黒いマジックペンのようだが、ベルトに取り付けてあるのは一目では何なのか判別が付かなかった。


「何だこれ」


 二宮のベルトには銀色のリングが取り付けてあり、そのリングにぶら下がって揺れているのは縦一五センチ、横五センチほどの白い紙の束だ。まるで暗記ペーパーを大きくしたものをベルトに通して身に付けているかのように見える。


「お札。仕事道具だよ」


 紙の束から一枚抜き出して手渡してくる。受け取った彰はそれを目の高さまで持ってきて、しげしげと眺めた。


「ふーん。これがねぇ~」


 裏返してみると、何語なのか判断できない文字が筆で紙いっぱいに記してあった。


(こういうの見ると、少しは『陰陽師』って感じがしないでもないけど)


 札の束を左手側に着けているのは、二宮が右利きだからか。おそらく胸にあるペンは札に何かを書くためにあるのだろう。などとあんまり意味のない推察をしながら彰は札を返そうとしたが、まだ沢山あるからいいよ、と言われたのでとりあえず持っておくことにした。


 それからは特に会話もなく、黙々と歩き続けた。


 表面上では何でもない風を装っていた彰だが、胸中では未だに不安やその他諸々がぐるぐると渦を巻いていて、とても世間話に興じられる気分ではなかったからだ。二宮もそれを察してくれたのか、話しかけてはこなかった。


 菜央の家のある通りに差し掛かったところで、彰はあるものを見つけた。


「あれって……」


 篠原家の門の前に車が一台停めてある。あれは確か、自分たちと入れ違いに訪ねてきたお客さんが乗っていた車だ。ということは、客人はまだ篠原家にいるのだろう。近づいて車中を覗いても、やはり誰も乗っていなかった。


 これは出直すべきか。そう思い、二宮の方を向こうとしたら、彼がさっさと門を開けて敷地内に入っていくのが見えた。


「え、ちょ……二宮?」


 お客さんがいるんだから邪魔しちゃダメだろ、と言う間もなく、結局その後を追って彰は篠原家の門をくぐることになった。すたすたと歩く背中に彰が追いつくのを待たずに、二宮は玄関の前に立つ。そのまま躊躇いもなくインターホンを押した。


「不味いって二宮。お客さんいるんだから」


 察しがいい彼なら言うまでもなく気付いている筈なのに、一体どうしたのだろうか。困惑ぎみの彰の言葉に二宮は反応を返さない。代わりに真面目な顔付きでぽつりと言った。


「おかしい」


「は? 何が?」


「誰も応対に来ない」


 そう言われてはっとした。インターホンを押してしばらく経ったのに、何の音沙汰もない。お客さんが来ているのだから、誰かしら家にいるのは間違いないのだ。


「今は手が離せない、とか?」


「どうかな」


 硬い声で言って二宮は来た道を引き返す。どうするんだろうと付いていくと、二宮は門の前で立ち止まり、お札を一枚手に取った。胸ポケットから取り出したペンのキャップを外し、札の真っ白な面にさらさらと文字を書いていく。


『 この門、人の目に留まること能(あた)わず 』


 持ってきたのはマジックペンではなく筆ペンのようだ。書き終えた二宮はペンをしまい、札を胸の前に持ってきて目を閉じる。


 すると、次第に札全体がぼんやりと薄紫色の光を帯びてきた。二宮は目を開け、箱に封をするように門の中心に押し付ける。札はぴったりと門に張り付いた。


 彰はその光景に目を剥いた。思わず感嘆の声が漏れる。


「すっげぇ……。え、今これ、何をしたんだ?」


「人払いだよ。簡易だけど、これで一・二時間は関係ない人間は入ってこない。池永、さっきあげた札をちょっと貸して」


「お、おう」


 門に張り付いた札から視線を外し、上着のポケットにしまってあった札を渡す。二宮はそれに筆ペンで、


『 悪しき力、害なすこと能わず 』


 と書いて返してきた。


「持っててくれるだけで効果はあるから。絶対に手放さないでね」


 二言目をことさら強調してから二宮は玄関まで歩いていく。もう一度インターホンを押し、相変わらず応答がないのを確認して玄関から二歩離れ、そしてジーンズのポケットからカードを一枚取り出した。


「出て来い、与一」


 たちまちにつむじ風が巻き起こり、鎌鼬三兄弟の長男、与一が姿を現す。


「あっしに御用ですかい、旦那?」


「うん。与一、この家から何か感じない?」


 問われた与一は篠原宅を振り仰ぎ、ふうむと顎に前足を添えて唸る。どうやらこの仕草は与一の癖のようだ。


「これはなんとも。良くない気が大量に漂ってきてやすねぇ。家の外でここまでだと、中は大変なことになってるんじゃありやせんかね?」


「やっぱりそうか……」


「おい、どういうことだ? 話聞いてるとなんかやばそうなんだけど」


 彰は堪らず会話に口を挟んだ。これくらいなら大丈夫と言っていた二宮の表情は、ここに着くまでと違って真剣味を帯び、篠原家を見つめる眼差しは鋭い。


 二宮の張り詰めた様子を見ると、なんだか胸騒ぎがした。菜央と菜央の両親は大丈夫だろうか。


「前と明らかに様子が違う。何かあったみたいだ」


「何かって何だよ?」


「それは分からないけど。一筋縄じゃいかなくなったのは確かだね」


「マジかよ。じゃあ、これからどうするんだ?」


「それはもちろん」


 二宮はにっこりと笑い、


「強行突破だね。与一、頼む」


 と、とんでもないことを言い出した。


「承知しやした」


 主の命を受けた与一はしゃりんと鎌をすり合わせ、あっという間にドアノブの周りを長方形に切り取った。鍵の部分と分離されたドアが、内側に少しだけずれる。


「よし、じゃあ行こうか」


 与一をカードに戻した二宮は、強行突破という言葉に似つかわしくないほど気軽な感じで家の中へ入っていった。


 あっけにとられながらそれを見送った彰の口から、ははは、という乾いた笑いが零れる。呆然と立ち尽くした彼は、引き攣って上手く動かない顔の筋肉を使ってこう呟くのだった。


「二宮って、意外とアグレッシブなんだな……」




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