第14尾【ピーマン、嫌いです】
「……ここは……何処でしょうか……」
涼夜は周囲を見回したが、視界に映るのは一面の闇。そこには地面も空もなく、ただ闇が広がっていた。涼夜は歩行を試みる。
景色は変わらないが、どうやら歩く事は可能なようだ。——ひとまず、あてもなく歩いた。
暫く歩くと、目線の先にキラリと光る何かが映る。涼夜の眼鏡に反射した光は次第に近付いて来る。自然と歩みが早くなり、同時に鼓動も活発に。闇の中、ただ一点の光に向かって彼は走った。
届かない、届かない、走れど走れど、光は遠退くばかり。やがて、息が上がる。
「結愛ちゃんは……? さ、捜さないと」
涼夜は再び走った。
声が響く。リョウヤ君、リョウヤ君、と聞き慣れた声が彼を呼ぶ。
「結愛ちゃん! 何処に!?」
リョウヤ君、リョウヤ君、リョウヤ君、
声、鳴り響く声。しかし、届かない。焦りを隠せない涼夜は立ち止まり、大きく深呼吸。乱れた心を静水のように落ち着かせる。
「まずは落ち着きま——」
『涼夜君!』
瞬間、心の臓が跳ねる。
「……ゆ、結衣……?」
『涼夜君、こっちだよ!』
「結衣!? 何処にいるんです? 結衣!? 助けて下さい、私一人では力不足で……エモフレだって、君の作品なんだ! 私じゃあの世界を広げられない! それにっ……結愛ちゃんのことも……私では……」
『ワタシハ、ココニイルヨ?』
「……え?」
その時、涼夜は、見た——彼女の姿を
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
涼夜の顔を、柔らかな果実が包む。
小さなベッドで二人抱き合い眠るのは、高遠涼夜と、九尾の娘。
涼夜はゆっくりと目を開けた。
目が合う。
大きな翡翠色の瞳で涼夜を見つめるキュウの頬は薄紅色に染まる。
「キュ……」
少し照れくさそうに瞳を泳がせるキュウに、涼夜は言った。
「……結衣……?」
キュウは瞳を細くしたが、答えない。
部屋には涼夜とキュウ、——時は結愛のお泊まり保育の日に遡る。時刻は早朝、五時。
外はまだ薄暗い。静寂に響くのは時計の針の音と二人の呼吸、聞こえる筈のない、鼓動。
お互いありのままの姿で向き合う。
「君は結衣、なのですか?」
キュウは一度瞳を逸らし、改めて目を合わせる。そして首を横に振る。翡翠の瞳に小さな波。
「すみません……自分のした事を正当化する為に、今の言葉は、忘れてください……」
罪悪感に苛まれる涼夜を見つめ、哀しい表情を浮かべていたキュウは、思いついたかのように涼夜の唇を奪う。彼女の舌が、涼夜の唇に触れ、侵入する。絡まる舌に溺れかけていた涼夜は、ふと我に返り彼女の肩を掴む。
「……キュウ、だ、駄目です……もう……やめましょう。君の心を弄ぶような事をしてしまい、すみません。ですが、もう、過度な接触は……私は彼女を、裏切って……」
涼夜は彼女の肩を強く握り、唇をはなす。二人を辛うじて繋ぐ光の糸が切れ枕を濡らした。
キュウは瞳に涙を浮かべ、反面、満足げに微笑んだ。そして起き上がり涼夜の頬に触れる。
頬を撫で、瞳を閉じさせる。涼夜は抵抗せずに瞼を閉じた。——闇に、旋律。
「キュウ、キュキュ〜、キュウキュキュ〜」
緩やかなリズムで胸を叩く左手。
頭を撫でる右手。
涼夜は程なくして眠りについた。
それを確認したキュウはすっくと立ち上がり部屋を後にする。リビングからベランダに出て朝の澄んだ空気を大きな胸に吸い込んだ。
空は晴れ。彼女の足元には、俄雨。
その後、彼女は涼夜へのスキンシップをやめた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
時は進み、八月の二十三日、——日曜日。
いつものようにリビングで集まりテレビを見る涼夜と結愛、そしてキュウ。
ローテーブルの上にはキュウの作った昼食が並ぶ。勿論、きゅ○りのキューちゃんも。
涼夜が味噌汁をすする前で箸を止めたのは結愛。
結愛は唇をへの字にしてキュウを見上げた。結愛の皿にはピーマンが残されている。
キュウは首を横に振る。
「キュキュ! キュンキュキュ!」
キュウは人指し指を立てて頬を膨らませた。まるで子供の好き嫌いを叱る母親のように。
「結愛はピーマン嫌いです」
「キュキュ! キュン!」
睨み合う二人を横目に涼夜はピーマンを口に放り込む。キュウはピーマンを箸で掴み結愛の口元へ運ぶ。当然、結愛は口を閉じて抵抗。
あまりにしつこいキュウに対して、遂に限界がきた結愛はバンと立ち上がりジト目に涙を溜めて言い放つ。
「もう! いらないです!」
「キュ〜、キュキュキュキュ!!」
これには珍しくキュウも反論する。とはいえ、キューしか言わないのだが。
「キュ、キュウちゃんは、ゆ、ゆ、結愛のママじゃないです! そ、そこまで言われる
「結愛ちゃん? それを言うなら筋合い——」
「どっちでも煮込んだら同じです! リョウヤ君だって……ほ……も、もういいです!」
結愛はリビングを駆け出し寝室へ閉じこもってしまう。キュウは手を伸ばしたが、すぐに耳を折り曲げシュンとした。今、結愛の言いかけた言葉に涼夜も頭を掻いた。実に堪える一撃だった。
「キュウ、少し無理矢理過ぎたのでは?」
「キュウ……」
「気持ちはわかりますが。私なんて、結愛ちゃんに好きなものしか食べさせてないですし。なんだかすみません」
落ち込むキュウに苦笑いを浮かべる涼夜。残されたピーマンを集めて食べるキュウ。
沈黙が部屋を占拠する。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
八月三十一日、月曜日、午前十一時も半ばを過ぎた頃、涼夜はリビングにてパソコンと向き合っていた。キュウは夕飯の支度に洗濯と家事に追われている。そんなキュウの表情は曇り気味だ。
あれから一週間、結愛と仲直り出来ずに今に至る訳で。とはいえ、眠る時は抱き枕にされている。しかし後ろ向き限定で。
「キュウ、じきに機嫌もなおりますよ。結愛ちゃんだって、ほんとはキュウに謝りたいと思うのですが、知っての通り、素直じゃないので」
「キュウ、キュ……」
「ほんと、誰に似たのやら。機嫌を損ねると大変でしたね、あの人も」
「キュキュ?」
「あ、いえ、こちらの話ですよ。それより、キュウ、いつもありがとうございます」
「キュウ?」
キュウは目を丸くした。
刹那、涼夜のスマホが鳴る。着信だ。
画面に映し出された文字は、夢咲第二保育園。
涼夜は眉をしかめ電話に出た。
出るなり金切り声を上げたのは担任の明日花だった。その様子からして只事ではないと察した涼夜はなるだけ落ち着いた口調で明日花を落ち着かせる。
なんとか落ち着きを取り戻した明日花の言葉を聞いた涼夜は声を荒げた。
「結愛ちゃんが熱を? はい、あ、はい、すぐに迎えに行きますので、はい、それでは」
「キュ?」
「結愛ちゃんの体調が優れないみたいです。すぐに迎えに行きますので、キュウは家で待っていてください」
キュウは首を横に振った。エプロンを外し胸を張り頬を膨らませる。
『私も行く、異論は認めない』的なポーズ。
激しく二つの果実も揺れる。キュウは尻尾の穴の微調整をし、涼夜に振り返る。
「はぁ、わかりました。一緒に行きましょう。しかし、姿は消しておく事。キュウはふとした瞬間に姿が見えてる時ありますからね? この前の買い出しだって安売りの野菜を見つけた瞬間、一瞬出て来てたの知ってますからね?」
「キュキュ!?」
「キュウ、君は普通ではないのですから、その辺りの自覚は持って下さいよ? さ、準備を済ませたらすぐに向かいましょう」
こうして二人は体調不良の結愛を迎えに行く事となった。
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