最終章 暗黒城~ すべての悲しみを乗り越えて(5)

「あたしたちは負けない! ワンコー、クックルー、行くわよ」

「ワン!」

「コケ!」

 先制攻撃とばかりに、シルクは名剣を振り上げて猪突猛進にダッシュした。

 彼女自慢の攻撃こそ、闇魔界で経験を積んでランクアップした華麗なる剣捌き。ところが、クレオートはそれをいとも容易く弾き飛ばす。

 数歩後退しても、勇猛果敢に立ち向かう彼女だが、二本の剣を巧みに操る魔剣将の前に、何度も弾き飛ばされてしまい、そのパワーの違いは歴然であった。

(こ、これが、魔剣将と呼ばれる所以だと言うの!?)

 名剣を握る両手が痺れてブルブルと震え出し、シルクの表情に焦燥が広がっていく。

 しばらく鍔迫り合いが続いていたが、ついには、クレオートの圧倒的な力に根負けした彼女が、冷たくて硬い床の上へと突き飛ばされてしまった。

「どうだ、シルク? わたしの魔剣の力はこんなものではないぞ」

 クレオートの微笑は唯我独尊そのものであった。この自信こそが、魔剣を手にした者にしか醸し出せない支配者の風格というやつであろうか。

 正義の勇者はシルクだけではない。彼女のピンチを救うべく燃え上がるのは、真っ赤な羽根を羽ばたかせる、火殺魔法のスペシャリストであるクックルーだ。

「オレの必殺炎玉で燃え尽きろぉぉ!」

 このクックルーの火殺魔法も、闇魔界での数々の戦闘により、パワーもスピードも数段に向上していた。

 彼の体よりも数倍はあるであろう炎玉が、空気すらも焦がしながら、今まさに、魔剣将クレオートの真紅の鎧に衝突する……と思いきや。

 クレオートが流れ星のごとく振り払った魔剣の一振り。何と、クックルーの炎玉は、その太刀筋により真っ二つに切り裂かれてしまったのだ。

 そればかりではなく、炎玉を引き裂いた閃光がかまいたちとなって、呆然としているクックルー目掛けて襲い掛かってきた。

「クックルー、危ないワン!」

 無論、ワンコーの補助魔法のレベルも上がっていないわけではない。彼の聖なる魔法が透明なカーテンとなって、迫りくる閃光とクックルーとの間に防御壁を形成した。

 鋭利な刃物と化した閃光は、聖なるカーテンに激突して消滅した。しかし、防御壁そのものも木っ端微塵に粉砕されたところからも、この勝負、引き分けだったと言えるかも知れない。

「た、助かったコケ。サンキュー、ワンコー」

「ふぅ、間一髪だったワン」

 床に座り込んだままのシルク、安堵の溜め息をつくワンコーとクックルー、そして、彼女たちの目線の先にある、これ見よがしに踏ん反り返る魔剣将の笑い顔。

「フッフッフ、さすがは闇魔界で幾多もの試練を乗り越えて、あの魔神すらも倒した勇者たちだな」

 シルクたちそれぞれの能力、何よりも息の合った連携プレーに敬意を表するクレオート。

 だが、所詮は非力な人間ごときでは、魔剣を手にした魔剣将には遠く及ばない。彼は無敵であることを自負し、絶対的な自信を誇らしげに語った。

 いくら敵が強大かつ偉大であっても、逃げることも諦めることもできない。彼女は震える両膝を起こして立ち上がる。

「クレオート、まだ終わってないわ。正義の力を振りかざす人間の力を甘く見ないで」

 名剣を強く握り再び攻撃を仕掛けるシルク。まだ両手に痺れが残っており、本来のパワーを発揮することができないが、それでも不屈の闘志が彼女の心を奮い立たせる。

 クレオートは大剣と魔剣を器用に使いこなしそれに応戦する。さすがは剣士であるが故か、彼女の剣筋をことごとく弾き返すその姿は、魔族ながら天晴としか言いようがない。

 振り下ろされる名剣、それを受け止める大剣と魔剣。さまざまな光を放つ剣がぶつかり合い、割れんばかりの金属音が大広間に響き渡る。

「キャッ!」

 何手にも続いたせめぎ合い、しかし、結果は明白であった。

 またしても力の差で負けたシルクは、弾き飛ばされて床の上に尻餅を付いてしまった。

 苦痛に表情を顰める彼女、その目の前に、魔剣将クレオートの黒光りする剣先が突き付けられた。

「いくらおまえが支配者(ルーラー)であっても、闇の支配者となったこのわたしに勝つことはできん」

 あたしは負けないわ! 名剣を振って魔剣を弾いたシルクは、血気盛んにクレオートのことを睨みつける。

 泣き言も弱音も吐かず、負けん気を見せればそれだけ、彼の表情が卑しい快楽に満たされていった。人間のレベルを超越した神通力を持つ彼女のことが、喉から手が出るほど欲しくてたまらないのだろう。

「相変わらず勝ち気な性格だな、シルク。苦境を乗り越える根気、困難にも立ち向かう闘争心、そのすべてが、わたしのパートナーに相応しい。どうだ、もう一度だけ考え直してみる気はないか?」

 ふざけないで!と、シルクはクレオートからの悪の誘惑を一蹴した。

 自分のことを育ててくれた大地、海、そして住まう民を裏切り、魔族の仲間に加わるなんてまっぴら御免。彼女の正義感が、憤怒という感情をよりあらわにした。

 これまでの戦闘でも何度も見せてきた不屈の精神。どんなに傷を負っても、どんなに疲労に襲われても、彼女は鍛え抜いた闘争心で這い上がる。

「あたしには、神聖なる天神の大いなる力がある。邪悪なものを打ち消す、神の力が!」

 シルクが名剣スウォード・パールを掲げると、天神の力である黄色い稲妻が刀身からほとばしる。

 眩しい輝きに目を覆い驚愕するクレオート。仲間の一人なら頼りになる力であろうが、敵となったらこれほど恐るべき力はないだろう。

 シルバーのイヤリングの導きにより放たれる、究極魔法である”雷撃破”。彼女が唱えたその呪文により、神の裁きという名の雷がクレオートの全身に直撃した。

「むぅ!」

 魔剣将の象徴とも言うべき赤い鎧が黄色い雷光に包まれた。

 それは肉体を崩壊し、血管まで破裂させるほどの衝撃だ。シルクの神通力を初めて体感し、彼の顔つきが痛みと苦しみで歪む。

 それでも、そこに君臨するのは闇の世界を支配し、この人間界も支配しようと企てる剛健たる魔の剣士。気が遠くなりそうな痛撃を受けても、彼の全神経に宿る戦意は死滅することはなかった。

 耳を覆いたくなるような大声を発した彼。渾身の気合いを一気に放出し、全身に纏わりついていた電流を弾き飛ばした。

(う、うそ。あたしの雷撃が――)

 魔剣将クレオートの野望への執念がそれだけ強かったのだろう、究極魔法をほとんどダメージなく消し去られてしまい、シルクは驚きのあまり動揺を隠し切れない。

 無傷だったとはいえ、彼は呼吸を乱して激しい息継ぎを繰り返していた。それだけ、雷撃の威力が相当なものだったことが窺い知れる。

「素晴らしいぞ……。シルクよ、ますますおまえの力が欲しくなった!」

 ニタリと口角を上げて、クレオートは狡猾な笑みを零した。神の力に対する欲望か、それとも神の力に慄く驚異か、彼は興奮が高ぶりブルブルと身震いしている。

 その一方、シルクも身震いが止まらない。しかし、それは武者震いではなく、恐怖心を煽られた小動物のような震えだ。不安を悟られまいとしても、震えてしまう小さな唇が彼女の心情を克明に表している。

 彼はまたしても漆黒の魔剣の剣先を突き出し、そして断言する。全世界の征服者を倒すことなど、所詮は夢の中の夢、最初から無謀な策だったのだ、と。

「シルク、もう一度だけ尋ねよう。わたしの妃となって支配者の道を進むか、それとも、わたしの魔剣にその美しい血を捧げるか。これが最後のチャンスだ、答えるがいい」

 シルクは口を真一文字にして、静かに首を横に振った。魔族になるぐらいなら、いっそのこと、このまま命を失っても構わないと、彼女の悲壮な決意は揺らぐことはなかった。

 やりたければやりなさい。瞳をゆっくり閉じると、名剣を持ったまま両手を横に伸ばした彼女。それは、死を覚悟した一人の王国王女の潔さでもあった。

「……そうか。やはり、おまえは最後まで人間として生きる道を選ぶのか」

 その時、クレオートの表情に少しばかり暗い影が映った。神の力に固執していたはずの彼だが、心の奥ではもしかすると、シルクの存在そのものに惹かれていたのかも知れない。

「承知した。おまえの望み通り、この魔剣で息の根を止めてやろう」

 これで、豊かな大自然の未来も、人類の夢見る希望も、すべてが暗闇に閉ざされてしまうのか?

 魔剣将クレオートは魔剣を振り上げて、シルクに容赦なくそれを振り下ろそうとした、その瞬間――!

「シルクっ、横っ飛びで逃げろコケぇ!」

 高らかにこだましたクックルーの大声。シルクは指示されるがままに、床の上に横っ飛びでダイブした。

 これこそが、クックルーとワンコー二匹の合体魔法発射のサイレン。彼女たちは密かにサインをし合って、この絶好のタイミングを狙っていたのである。

 クックルーが解き放った紅蓮の火炎、そこに、ワンコーの聖なる魔法が絡み合い、燃えさかる炎の龍に変貌を遂げた。

 大きなうねりを上げながら、大広間の中を猛スピードで突き抜けてくる炎の龍。ターゲットはもちろん、真っ赤な鎧で身を包んだ魔剣将クレオートだ。

「ぐっ!」

 逃げることは不可能か、そう判断したクレオートは咄嗟に中腰になって身構える。

 炎の龍の猛威をまともに食らってしまった彼は、燃えさかる火炎に取り込まれながら、大広間の蔦が絡み付いた内壁へと叩き付けられた。

 龍の姿を模した火殺魔法が跡形もなく消えると、そこに残されたものとは、大きなへこみとヒビが入った内壁、さらにその下で、煤けた鎧を纏ったクレオートがぐったりと蹲っていた。

(クレオート……)

 床に伏せていたシルクは、そっと顔を持ち上げる。

 ワンコーとクックルーの歓声が耳に届いた気がしたが、それよりも彼女の視線は、内壁にもたれかかり動かなくなった魔剣将のことを捉えていた。

 彼女はゆっくりと起き上がり、ふらつく足つきで、クレオートの容体を確認しようとした。

 彼は生きているのか? それとも死んでしまったのか? どちらにせよ、嬉しいも悲しいも表現できないもどかしさで、彼女の心音が異様なほど激しく高鳴る。

「フッ、やるではないか」

 それは、シルクの耳にかすかに届くぐらいの囁きだった。

 その直後、クレオートの蹲る位置から光線が放たれて、気付いた時には、ワンコーとクックルーが得体の知れない爆発により吹き飛ばされていた。

 爆音と仲間たちの悲鳴が耳をつんざいて、彼女は何が何だかわからないまま唖然とした。

 スーパーアニマル二匹を襲った衝撃波こそ、もう動けないと思われていた魔剣将の、暗黒に輝く魔剣から放出された魔法だったのだ。

「かなりの威力ではあるが、この程度の魔法では、わたしを倒すことはできん」

 クレオートは悠然と立ち上がり、鎧に付着した黒い煤を丁寧に払い落とす。すると、血液のような赤色が生々しくうごめき、彼の鎧が艶やかな真紅に染まっていった。

 今は復活を遂げた彼のことよりも、負傷してしまった大切な仲間たちを気遣う時。シルクは大急ぎで、ワンコーとクックルーのもとへと駆け出していく。

「ワンコー、クックルー、大丈夫!?」

 幸い、ワンコーとクックルーは無事であった。しかし、寝そべったまま立ち上がることができず、呻き声で生存を知らせるのが精一杯だった。

 神聖なる天神の力である雷撃破、そして、彼らの究極の合体魔法、その二つを持ってしても、魔剣将クレオートを打ち倒すことはできなかった。シルクは恐怖心と焦燥感に心を苛まれる。

 やはり、魔剣を手にした闇の支配者は正真正銘の無敵なのであろうか?

 いや、そんなことはない。あの魔神アシュラでも、彼女たちの正義の力の前に降伏した。冷静になってじっくり熟考すれば、いつか勝機を見出し活路も導けるはず。

(……これが最後なら、とことん見せてあげればいい。あたしたちが司る、魔族にはない聖なる力を)

 シルクの頭の中に浮かんだ一つの答え。それは、この人間界に住まう全人類の運命を背負った、支配者(ルーラー)として生まれた少女の大義でもあった。

 あたしたちは負けられない! 彼女の奮起を促す声に弾かれて、ワンコーとクックルーも必死の形相で這い上がる。彼らにも、意地でも守らなければならない世界があるのだ。

「ほう、無駄な足掻きとわかっていても、まだ戦うつもりか?」

「そうよ、無駄とわかっていても、あたしたちは戦い続けるの。命果てるまで、あたしたちは絶対に逃げたりしないわ」

 かつて、闇魔界でパーティーを組んでいた仲間同士が袂を分かち合い、こうして今、生存競争とも言うべき死闘を繰り広げようとしている。

 失笑を浮かべて余裕を見せ付けるクレオート、そんな彼に突き刺さんばかりの目線を浴びせるシルク、そして、彼女をサポートしようと士気を高めるワンコーとクックルー。

 張り詰めた緊張感が漂い、この暗黒城の大広間が静寂に包まれる。まさに一触即発の雰囲気の中、先に沈黙を破ったのは聖なる勇者たちだった。

「行くわよ、みんな、あたしを援護して!」

「了解だワン!」

「わかってるコケ!」

 黄金色の雷光を纏う名剣をかざし、シルクは右足を大きく蹴り出した。

「さぁ、来い、シルクよ!」

 シルクの剣術を二刀流で受け流すクレオート。やはり、剣術ではこの二人の実力差は明白だ。

 しかし、そのハンデを補うのが仲間たちのサポートである。弾かれて後退する彼女の代わりに、クックルーご自慢の火殺魔法が加勢に入った。

 そうは行くか! クレオートは素早く剣を振り回して、襲い掛かる炎をかき消していく。畳み掛けてくる攻撃など、彼にしたら子供騙しのようなものだ。

「てやっ!」

 クレオートが魔法を防御している隙に、シルクの鋭い剣捌きが炸裂する。それでも、彼は全身に目が付いていると思わせるほど、俊敏に反応しそれを剣で受け止める。

 一進一退で繰り返される剣術と魔法の攻防。彼女たちにとって消耗戦にも見えるこの戦法だが、実際はそうでもなかった。それはどうしてか?

 シルクとクックルーの勇姿に降り注がれる、青白く光る聖なる魔法。それは、ワンコーが休みなく唱え続ける、気力と体力を復活させる回復魔法であった。

(なるほど、これがチームワークというやつか。だが、このわたしに傷を負わすことはできん)

 形勢的に不利な情勢であっても、クレオートにはまだ、王者の風格らしいゆとりがあった。

 闇の支配者としての証し、さらに魔力すらもパワーアップさせてくれる魔剣を入手し、神的存在になったと自負する彼、ところが、その自意識過剰がやがて、ただの自惚れであると気付くことになる。

 シルクの名剣が鋭さを増し、クックルーの火殺魔法の速度が上がる。人間界の生物とは思えない急速な進化に、クレオートの表情に焦りが見え隠れし、回避動作にも無理が生じてきた。

「そこよっ!」

「何っ!?」

 名剣スウォード・パールの研ぎ澄まされた一閃が、クレオートの真紅の鎧を掠めた。

 擦った程度だけに痛みはなかったが、彼は反射的に、シルクのことを二刀流の剣で突き飛ばしていた。

 床の上に倒れ込んでしまった彼女が慌てて振り返ると、そこには、掠り傷が残った鎧に手を宛がう、妖しく微笑する彼の卑しい顔があった。

「ほう、ついにわたしに触れるまでに成長したか。フッフッフ、殺すのがますます惜しくなる」

 その時、クレオートは鎧に宛がう手のひらに違和感を覚えた。

 何やら湿り気のある感触――。彼はそっと手を離すと、食い入るようにそれを凝視する。

 それは真っ赤な鮮血だった。掠り傷からゆっくり滴る血液が、まるで血の海のような真紅の鎧を伝って床の上へと落ちていく。

 シルクの雷撃破や、ワンコーとクックルーの合体魔法にも耐えて、傷も汚れもすべて修復してきたはずの鎧が、ここに来て初めて深手を負って痛みを訴えていた。

「そ、そんなまさか。鎧の魔法が解けてしまったというのか……?」

 かなりショックなのだろう、クレオートは愕然とし、過去に見せたことがないほど狼狽える。

 彼の身を守っていた赤き鎧は、特殊な魔法で保護されていた。しかし、最後まで諦めないシルクたちの攻撃により、その頑丈な身が剥がされてしまったようだ。

 無敵と思われていた鎧にできた小さな綻び。そんな些細なきっかけが、彼女たちにとって一発逆転の火種となるのだ。

 これこそ起死回生、颯爽と立ち上がった彼女は、自信がぐらつき、自尊心が崩壊していく彼に向かって名剣を突き立てた。

「灯台下暗し。これは人間界にある言葉よ。あなたは自らの力を過信するあまり、足元にある小さな脆さに気付くことができなかった」

 シルクは威勢よく言い放つ。闇の使者に永遠なる命などない、今こそ、正義の鉄槌の裁きを受けよ、と。

 もし人間であれば、精神的破壊により戦意喪失し、心を取り乱してしまうところだが、無限に蔓延る魔族のトップを極め、魔剣を手にしたただ一人の支配者はこれぐらいで失望したりはしない。

 鎧から流れる血を優しく撫でる魔剣将クレオート、突如、彼の表情が鬼と化した。それは、鎧もプライドも傷つけられたことに対する憎悪、それとも憤慨か。

「シルクよ、わたしを本気で怒らせたようだな。この忌々しい傷の報いは、その身を持って償ってもらおう!」

 クレオートは二刀流の一つ、大剣ストーム・ブレードを投げ捨てた。

 ただ一つ残した魔剣を頭上に掲げて気合いを溜める彼。すると、この暗黒城の大広間の天井に、どこからともなく暗黒に包まれた靄が現れ始めた。

 大広間を揺るがすほどの凄まじい威圧感、そして、覆い尽くしてきそうな邪悪なるオーラ。シルクは不穏な事態を察知し、すぐさまワンコーとクックルーのもとへと退避した。

「も、もしかしてこれは?」

「姫、間違いないワン、これは暗黒魔法だワン」

「おいおい、魔神の時よりも、暗雲が大きくなってるコケ!」

 暗黒魔法――。それは、魔族の中でも高位であり、かつ卓越した能力と魔力を司る者にしか操れない究極奥義。

 大広間全体を埋め尽くすどす黒い暗雲。邪悪のパワーの最高峰とも言える暗黒魔法が、シルクたちを恐怖のどん底に叩き落とそうとする。

「まずいわ、あれほどの強大な暗黒魔法をまともに受けたら、あたしたち、本当の闇の世界へ引きずり込まれてしまう」

 逃げる術はない、もちろん、魔法でかき消すパワーも残ってはいない。シルクたちは愕然としながら、ただじっと、渦を巻きながら広がっていく暗黒空間の暗雲を見上げることしかできなかった。

 巨大な暗黒の渦の下で、黒色に輝く魔剣を掲げたままのクレオート。勝利を確信したのか、その表情は気が狂うほど悦びに満たされている。

「ハッハッハ、シルク! 魔族における最高にして最強の極意。わたしの暗黒波で地獄の中を彷徨うがよい!」

 クレオートはついに、究極奥義”暗黒波”を解き放った。

 暗黒魔法により真っ暗闇に包まれていく大広間。絶望の淵に立たされて、どうすることもできず足を竦ませるシルク。ワンコーとクックルーも震えながら、彼女の足にすがりついている。

「ひ、姫、どうするんだワン? このままじゃ、オイラたちは……」

「また闇の世界に行くなんて冗談じゃないコケ……」

 シルクはそっと呟く。あたしの手を握って、と。

 半信半疑な顔を向け合うスーパーアニマル二匹。しかし、彼女の真剣な表情が、この窮地を救う救世主にように思えてならなかった。

 ワンコーの片方の前足と、クックルーの片方の羽根が今、彼女の両手とがっちり繋がれた。

 静かに瞳を閉じた彼女は瞑想に入り、暗闇の中でも光瞬くシルバーのイヤリングに囁きかける。

(イヤリングに眠りし女神よ。この美しい人間の世界を守るため、人類の未来を救うために、あたしに天神の力をお授けください)

 暗黒波は禍々しいオーラを放ちながら、手を取り合うシルクたちを覆い隠していく。

 彼女の心の声を聴き、シルバーのイヤリングが激しく振動する。リング状のイヤリングに亀裂が入り、数ミリほどの小さい欠片が暗黒の渦へと吸い込まれていった。

 その数秒後……。暗黒波の脅威は、彼女たちを聖なる光とともに完全に飲み込んでしまった。

 大広間を闇の空間に変えてしまった恐るべき暗黒魔法。それが次第に黒き霧となって薄らいでいくと、床の上には、横たわる彼女たちの哀れな姿だけが残っていた。

「シルク、おまえの生まれ持っての能力は素晴らしかった。だがな、魔剣を手にしたわたしに勝てる者など、どの世界にもいない。わたしこそが、全世界の偉大なる支配者なのだからな」

 伝説の支配者(ルーラー)であり、人類の救世主でもあったシルクたちは、志半ばで、口惜しくも天命を全うしたのだろうか――?

 人間界に住まう人類はこのまま魔族の前にひれ伏し、闇に包まれた地獄の中を、当てもなく生き長らえる運命なのであろうか――?

 戦いは終わった、さらばだシルクよ。魔剣将クレオートは勇者の健闘を称えながら、黒き魔剣を腰元に仕舞おうとする。

(ん?)

 クレオートの伏し目がちの視界にふらっと入ってきたもの。

 彼がすぐにそれを見返すと、そこには思ってもみない、いや、あってはならない事態が待っていた。

 艶やかな髪の毛も乱して、着ていた武闘着もボロボロ。輝きを失いつつある名剣スウォード・パールを杖にして、歯を食いしばりながら起き上がろうとする一人の勇者がいた。

 そればかりではない。彼女の仲間たちも、みすぼらしい毛並みを逆立てて、呼吸を荒くしながら必死に立ち上がろうとしている。

「ど、どうなっている! 暗黒波をまともに受けて、どうして生きていられるのだ?」

 その驚き様は尋常ではなく、征服者の地位を揺るがすほど、クレオートの両足は震え上がっていた。

 真紅の鎧からの流血、究極奥義の暗黒波を駆使しても邪魔者を排除できなかった非常事態、そのあるまじき現実が彼の理性を狂わせて、闇の支配者としての自尊心を打ち砕いていく。

 満身創痍でふらつきながら起き上がったシルク。肩で息をしていても、彼を睨みつける眼力は決して失われてはいなかった。

「……これが、神聖なる天神の力。イヤリングに眠る女神が守ってくれたわ。自分のことを犠牲にしてまでもね」

 シルクの耳にぶら下がっていたはずのシルバーのイヤリング。それは今、彼女の手の中にあった。

 リングの形は跡形もなく破損しており、手の中にある貴金属はすでに輝きを失っていた。それはつまり、もう女神の声が届かないことを意味していた。

 女神の声が聴こえなくなったシルクなど、ごく普通の少女と同然。クレオートは顔を引きつらせながら、狂気に満ちた声でせせら笑った。

「この死に損ないがっ! わたしの魔剣の餌食になるがいいっ」

 クレオートは魔剣を振りかざして襲い掛かる。それを迎え撃つ、名剣を振りかざしたシルク。

 嘘偽りで騙して人の心を弄び、両親や仲間たちを殺害した功罪は死を持って償うべし。彼女の心はこの上なく激高していた。

「あたしは、どんなことがあっても負けないわっ!」

 シルクの振り払った剣筋が迫りくる魔剣を弾くと、次なる二の太刀がクレオートの真紅の鎧を駆け抜けた。

 衝撃のあまりに後退を余儀なくされる彼。眉を顰めて歯軋りするその顔には、焦りという名の冷や汗が滲んでいた。

 気力も体力も残されていないはず、それなのに圧倒的なパワーとスピード。それがますます彼の思考回路を狂わせてしまい、動作すらも鈍らせてしまう。

 魔剣将を甘くみるな! いきり立って猛襲を続ける彼だが、その振り乱した攻撃のすべては、冷静沈着な彼女の名剣に一つ残らず弾かれていった。

「あ、ありえん! ま、まさかこんなことが……」

「クレオート、もうあなたは無敵なんかじゃない。あなたが、あたしたちの正義の力に屈する時が来たのよ」

「や、やかましい、わたしに敗北などありえんのだぁっ!」

 完全に冷静さを失ったクレオートは、シルクの機敏な動作にすっかり翻弄されている。魔剣を振り回しても振り回しても、虚しく空を切るばかりであった。

 彼の精神状態が崩壊の一途を辿っていたのは間違いない。それはなぜなら、彼の焦点はまったく合っておらず、まるで見えない敵と戦っているように見えなくもないからだ。

「グアア、キ、キサマ、この期に及んで……! キサマはもう死んでいるのだ、だ、だから出てくるんじゃない……」

 クレオートは何やら意味不明な言葉を口にした。

 いきなりのことに呆然としてしまうシルク。名剣を下に垂らして、彼の不可解な様相を観察していた。

 悶え苦しみながら絶叫している彼、その身に何が起こったというのだろうか? それが、ただならぬ異変であることは火を見るより明らかだった。

(……姫)

 ふと、シルクは懐かしい声を耳にし、前後左右に頭を振り回した。

 聞き覚えのある、懐かしくて優しくて、そして頼りがいのある男性の声。それは紛れもなく、闇魔界でいつも影ながら支えてくれた、あのクレオート本人の肉声だ。

(クレオートなの? どこにいるの!?)

 声の発生源がわからないまま、シルクは心の中でそう叫び、クレオートの面影を探した。

 彼女の切なる想いが届いたのだろうか、またしても、クレオートの声が聞こえてきた。しかも、目の前で頭を抱えて苦しんでいる魔剣将の口元から。

「姫、どうかお願いします。魔剣将と名乗るわたしを、どうか倒してください……!」

「クレオート。ど、どういうことなの、それは?」

 真のクレオートからの嘆願はどう考えても支離滅裂で、これにはさすがのシルクも戸惑うばかりだ。

 しかし、何者かと戦いながら苦痛にあえぐ彼、その切羽詰まった声が、この事態の緊迫さを表していた。

「姫、どうか早く……! わたしの精神を、ま、魔族に取り返される前に」

 この肉体も精神も、魔剣将と名乗る邪悪な者に憑依されている――。真のクレオートの告白は衝撃的なものだった。

 クレオートの四肢を自在に操る魔族、彼は生まれし時より体を持たない霊体であった。

 そのため、闇魔界の支配者となる野望を抱いた彼は、魔剣を奪い取るには強固な両手足が必要と考え、そこで選ばれたのが、彼により闇魔界に誘い込まれたクレオートだった。

 生きたままの状態で乗り移られた誇り高き剣士は、野望を実現するその時までシルクに同行し、彼女を守護するという使命を、強い怨念により植え付けられてしまっていた。

 こうして、肉体と精神を奪われてしまったクレオートだが、闇魔界で出会った彼女に忠誠を誓った紳士としての誇りは、魔族ではない人間としての彼本人だったのだという。

「えっ! そ、それじゃあ、あたしに話してくれた過去のことも、みんな……」

「そう、真実なのです。魔族が乗っ取っていると見抜かれないよう、姫と一緒にいる間だけは、本来のわたしの精神だったのです……」

 シルクの心が激しく揺さぶられた。そればかりではなく、頬に火照りまで感じている。

 そこにいる人が、あの、想い焦がれて愛してしまった人。この人生を終えるまで、そばに付き添ってほしかったクレオート本人と知ったから。

 だが、彼女は感情のままに喜ぶわけにはいかない。意識は彼でも、その肉体には、禍々しい邪悪な魔族が乗り移っているのだ。

「う! うぐぐ……」

「ク、クレオート、しっかりして!」

 クレオートは頭を抱えて一層苦しみ始める。もはや、シルクの心配する声も届かないほどに。

「姫、わたしの中にいる魔族を、その剣で断ち切ってください! さ、さもないと、魔族がまたわたしの精神を……」

 そんなことをしたらクレオートが死んでしまう! シルクは涙目になって髪の毛を振り乱した。

 またこうして遭えたのに、やっと真実を知ることができたのに、そんな無慈悲で残酷な仕打ちなどできるはずがない。一人の少女の純粋な心は絶望と悲痛に苛まれる。

 このまま野放しにしたら人間界を救うことはできない。一人の人間として、生まれ故郷を守るためには自分が犠牲になるしかない。彼が熱心に訴えるその叫びも、にわかに、どす黒い魔族の声に戻りつつあった。

「できない! あたしにはできない、クレオート!」

 シルクは駄々っ子のように泣きじゃくった。大粒の涙を飛ばしながら、彼女はひたすら泣き喚いた。

 名剣を持つ手も震えてしまい今にも落としそうだ。両足もガクガクと震え出し、今にも跪いてしまうだろう。それほどまでに、彼女は悲しみに打ちひしがれていたのだ。

(あ、あたしは……。あたしはどうしたらいいの?)

 戸惑い、逡巡し、迷走する心に自問自答を繰り返すシルク。

 その直後、鼓膜に響く怒鳴り声が背後から襲ってきた。慌てて振り返る彼女。

 弱気なご主人様に発破を掛けたのは、言うまでもなく、彼女のことを最後までサポートしてくれたワンコーとクックルーだった。

「姫、しっかりするワン! 姫は人類を守る救世主なんだワン」

「シルク、クレオートの努力を無駄にする気かコケ!」

「あ、あなたたち……」

 そうだ、シルクは人類を救える唯一の救世主、かつ伝説の支配者(ルーラー)なのだ。

 闇魔界で仲間として付き添い、いつも勇気付けてくれたクレオート、彼はここでも、魔剣将という闇の支配者と戦っているのだ。そう、忠誠を誓ったシルクという王女を守るために。

 すべての人類のため、仲間たちのため、そして、親愛なる彼のために、彼女は萎えそうな心を奮い起こし、名剣スウォード・パールを握る手に力を込める。

(クレオート、あたしは、あなたにいつも救われてきた)

 シルクは静かに目を伏せる。すると、まぶたの奥に、闇魔界での思い出が蘇ってくる。

 冥界橋で初めて出会い、抱きかかえて命を救ってくれたこと――。

 悲劇の塔の頂上を目指す途中、身を挺して守ってくれたこと――。

 歓喜の都を救うために、一緒になってがんばってくれたこと――。

 狂信の村で告白してくれた過去、胸に身を埋めてくれたこと――。

 いつもそばにいてくれて、励ましてくれて、時には叱ってもくれた頼れるパートナー。

 好きだった、大好きだった。優しい顔も、凛々しい目元も、穏やかな声も、その何もかもが……。

(……あなたの勇姿を、あたしは絶対に忘れない)

 真っ赤に腫らした目元から溢れる涙を、シルクは武闘着の袖で拭き取った。

 曇っていた視界に映るのは、悶絶したまま悪魔と死闘を演じているクレオート。残り時間はもう少ない。彼が彼でいられなくなる前に、魔剣将の霊体を断ち切らねばならない。

 彼女は疲労の両足に鞭を打ち、名剣を従えたまま一気に駆け出した。

 拭き取ったはずの大粒の涙が、キラキラと輝く銀色の線を描いて彼女の頬へと伝い、やがて、千切れるように落ちていく。

(あなたの勇気を、あたしは絶対に無駄にはしない!)

 ワンコーとクックルーも固唾を飲んで見守る中、シルクの全身全霊をかけた一撃が振り下ろされる!

「てやぁっ!」

 名剣が織り成した研ぎ澄まされた一閃が、クレオートの真紅の鎧を縦断した。

 神聖なる天神の力がなくても、彼女の剣術の威力は計り知れないものだった。それを証拠に、クレオートの肉体を守り続けてきた鎧が、真っ直ぐな剣筋を残しながらパックリと割れてしまった。

 そして、あらわになった胸元にできた真っ赤な切り傷。そこから血が噴き出し、クレオートは断末魔の叫び声を上げながら膝から崩れ落ちていった。

「おのれぇ~! わ、わたしの、こ、ここまでの苦労がぁ~」

 それは一日天下というやつか。魔剣をその手から離し、無念をその場に残したまま、魔剣将と名乗る魔族はクレオートの肉体の中で息絶えた。

 横たわるクレオートの全身から、黒い影がゆらゆらと霧散していった。それと同時に、邪悪な気配もどこかへ消え去っていった。

「クレオート!!」

 シルクは名剣を投げ捨てると、すぐさまクレオートのもとへと駆け付ける。

 真っ赤な兜の下にある顔を覗き込む彼女、すると、その表情はとても穏やかで、口元までも緩んでいるように見えた。

 まだ生きているかも知れない! 彼女は胸に耳を宛てて心音を確かめる。すると驚いたことに、微弱ながらも彼の鼓動は動いていたのだ。

 彼女は必死になって呼びかける。彼の名前を声が嗄れるほど叫び続ける。それに気付いたワンコーとクックルーも、大急ぎで彼女たちのところへ近寄っていった。

「クレオート、目を開けて、お願いよっ!」

 クレオートの肩を揺らしながら、シルクは瞳に涙を浮かべて祈り続ける。

 残り少ない魔法パワーを駆使し、クレオートに回復魔法を掛け続けるワンコーも、下がった目尻に薄っすらと涙が滲んでいる。何もしてあげられないクックルーも、クチバシを閉じ切って悔しそうだ。

 切なる祈りと魔法の効果だろうか、瞳こそ閉じたままだったが、クレオートの唇がかすかに揺れた。その振動する唇から、彼女に向けた感謝のメッセージが告げられる。

「……ひ、姫。ど、どうも、ありがとう、ございます」

 震えながら伸ばしたクレオートの右手を、シルクは両手でしっかりと握り締める。

 その右手をそっと頬に宛てる彼女。ほのかに伝わる温もりは、間違いなく血の通った人間の暖かさだった。

「クレオート、あたしこそお礼が言いたい。本当にありがとう」

「い、いえ、わたしは、し、使命を果たしたまで。最後まで、姫をお守りすることができました……」

 自国の王女を見殺しにした過去、それに心を蝕まれてきたクレオートは、ようやく安堵の時を迎えた。

 憑依した魔剣将のおかげでもあるが、シルクという王国王女に従事できたことを、彼は誇らしく思えていたに違いない。

「がんばって、クレオート! あたしたちが助けてあげる」

 シルクはクレオートを励まし蘇生措置を施そうとした。しかし、ワンコーの魔法でも彼の傷口は一向に塞がらない。しかも血流も止まらず、真っ赤な血だまりだけがそこに広がっていく。

 ついに、血の逆流が彼の口元まで届いた。それに戦慄を覚えて、彼女の表情が瞬時に青ざめてしまう。

 お姫様の手の中で死ねるなら本望――。クレオートの絞り出す声はもう、今にも途切れてしまいそうだ。

「死んだらダメ、生き抜くのよ!」

 シルクは黒髪を振り乱しながら慟哭する。

 愛していた両親を失い、そしてまた、愛すべき大切な人までも失ったら――! この時だけは、誇り高い王女ではなく、十五歳の早熟な少女の涙声であった。

 その時、クレオートの右手の指がピクッと動き、彼女の泣き腫らした目元に触れる。

「……一国一城の王女が。……こんなところで、泣いてはいけません」

 クレオートはそう囁き、泣きべそをかいた少女を慰めた。

 最後の最後まで紳士だった彼は、やり残したことをすべてやり終えた安らぎの中で、シルクに抱きかかえられながら永遠の眠りについた。

 だらりと下がる右手の重さを感じた瞬間、彼女は割れんばかりの大声で絶叫した。

 ワンコーとクックルーも忸怩たる思いで顔を俯かせた。人間界の未来を守るための人柱になってくれた仲間に、彼らは黙ったまま感謝の思いを綴った。

(……クレオート、さようなら)

 鼻を啜る音だけが響き、異様な静けさに包まれる暗黒城の大広間。クレオートの死を悔やみ、跪きながら悲しみに暮れるシルク。

 励ましの言葉も慰めの言葉も見つからず、ワンコーとクックルーは顔を見合わせて困り果てる。それほどまでに、彼女の失意は計り知れないものだった。

 その刹那、不気味な黒色の光を放ち、奇怪な声で呟く諸悪の根源がこの沈黙を破る。

 宿り主を失い、新しい宿り主を求めて宙に浮かぶのは、闇の支配者が手にできる唯一無二の証し、そう魔剣であった。

『我、征服者に力を与エル魔の剣也。汝、新タナ征服者を求ムナラバ、我を手ニセヨ』

 それにすぐに反応したワンコーとクックルー。手を伸ばせば掴めそうな位置で浮遊する魔剣を、ただ呆然と見つめるしかない。

「ま、魔剣がまた誘ってるワン」

「お、おい、どうするんだコケ」

 ワンコーとクックルーの顔に動揺の二文字が浮かび上がる。

 ご主人様に助けを求めようとする彼らだが、肝心の彼女は肩を落として憔悴し切ったままだ。

 ――で。

 ――ないで。

 ――ざけないで。

 シルクの口からかすかに漏れてきた独り言。それが次第に聞き取れるほど大きくなり、ついには、彼女とは別人のような野太いしゃがれ声に変わっていた。

「ふざけないで」

 シルクはわなわなと身震いしながら立ち上がる。目元どころか、顔全体を紅潮させているその表情は、女の子とは思えないほどの激怒に染まっていた。

「お父様もお母様も、お城の人や街の人も、クレオートさえも……。あたしから何もかも奪っておいて、我を手にしろですって? ふざけるのもいい加減にしてよ」

 そもそも魔剣が存在しなけば、闇魔界も成り立たなかった。闇魔界が存在しなければ、こんな悲劇も起こらなかった。

 シルクは悲壮なる思いで名剣スウォード・パールを拾い上げる。そして勇ましく立ち向かう。一人の少女にとって、抱えきれないほどの悲しみを振り切るために。

「こんな悲劇は二度とご免よ。あなたを破壊し、すべてをここで終わらせる!」

 名剣を目一杯振りかぶったシルク、涙をグッと堪えたまま、魔剣に焦点を合わせて一気に振り下ろす。

 ところが、彼女の名剣は虚しく空を切った。

 すぐさま天井を見上げる彼女、すると、天井高く舞い上がった名剣が、嘲笑うように黒い妖光を点滅させていた。

『我は、憎シミ、恨ミ、妬ミ。負の感情を持ツ者がイル限リ、滅ビルコトハナイ』

 薄気味悪い声でそう告げた魔剣。その直後、光のごとき速度で、暗黒城の天井を突き破り姿を消してしまった。

 頭上から細かい破片がパラパラと落ちてくる。それを避ける動作もなく、シルクはただ茫然自失とし、口を真一文字に締めながら天を仰いでいた。

 穴の開いた天井から青空が覗いていた。きっと闇の支配者が滅んだせいなのだろう、暗黒城の上空に蔓延っていた魔族の軍団は跡形もなく消滅していた。

「…………」

 襲い掛かってくる脱力感と虚無感。シルクは意気消沈とし膝から崩れ落ちた。

 そんな彼女のそばへやってくるワンコーとクックルー。彼らも疲れがどっと出たのか、その隣でへたれ込んでしまった。


 闇の支配者、魔剣将は死んだ。シルクたちにとって、長い冒険の旅がようやくここに終着した。しかし、それは一時の平穏平和の訪れに過ぎない。

 この世に負の感情を抱く者がいる限り、魔剣は滅びることはないのだろう。その悪しき二つが交錯した時、再び、恐るべき密約が交わされるのかも知れない。”我を手ニセヨ”、と。

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