第三章 困惑の村~ 誘惑と迫りくる術士の驚異(4)
獄門の熱地へ着いてから、いったいどれほどの時間を費やしたのだろうか?
熱さという猛威を振るう、人工的に造り出されたサウナのような空間。
シルクたちは壺の中身を覗き込むがためだけに、枯れ果てるほどの汗を飛ばし、この灼熱の洞窟の奥深くまで進んでいた。
もし引き返したとしても、二度と地上に戻れないかも知れない。そんな恐怖と不安が付き纏うも、彼女たちは一心不乱に前を向いていった。
シルクはひたすらクックルーのことを元気付ける。声を掛け合うことで、遠のきそうな意識を失わないようにしているのだ。
「ねぇ、あそこを見て! 人が倒れているわ」
陽炎のように揺らぐ地べたの上で、朽ち果てたように横たわる人の姿。
シルクたちが目にしたもの、その倒れ込んでいた人物とは、顔中を汗でびっしょりと濡らし、甲冑のような重たい鎧を脱ぎ捨てた兵士らしき男性であった。
その時、彼女にははっきりと断言できた。この男性こそが、運試しの館まで道案内してくれた、あの兵士が身を案じていた相棒の成れの果てなのだろうと。
苦悶に満ちた表情の男性は、俯せてはいたものの息はあるようで、生死の境を彷徨っているかのようだ。
「だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください」
その男性の肩に手を掛けて、そっと上半身を起こそうとしたシルク。ところが次の瞬間、衣服の上から伝わるあまりの体温の高さに驚き、熱い――!と、そんな悲鳴を上げてしまいそうになった。
もう重篤なのだろう、彼女の腕に添えてきた彼の頑丈そうな腕からは、もう男性らしい力を感じることができない。
閉じていた目をゆっくりと開き、虫の息ながらも、震える唇をかすかに動かしてきた男性。
声にならない途切れ途切れの言葉を聞き取ろうと、彼女は咄嗟に彼の口元に耳を近づける。
「……お、俺がバカだった。たった一つの望みのために、こ、こんな恐ろしい地獄へと……あ、足を踏み入れてしまったのだから」
苦しい息を吐き続ける男性を勇気付けようと、シルクは精一杯声を出して励ました。しかし、彼は黙って聞いてほしいとだけ漏らし、死に苛まれるような必死の形相を浮かべる。
わかりました……。彼女は真一文字に口を噤んで、彼の消え入りそうな一言一句に耳を傾けた。
「……き、きっと、俺を捜している男がいるはずだ。……そいつに会ったら伝えてくれ。ぬ、抜け駆けして済まなかった、死んで詫びさせてほしい。……あと、ここへは絶対に来るな、と」
自責の念と仲間を思いやる言葉を言い残し、男性は目を見開いたまま事切れた。その死に顔はまさに、獄門という地に相応しいほど苦痛に囚われていた。
シルクは大地に跪いたまま瞳を閉じると、天に召されしその男性を弔うように両手を重ねる。そして、閉じることのなかった血走った彼の目に、熱くなったまぶたをそっと覆い被せてあげた。
悔しさに唇を噛み締めて、気丈に立ち上がる彼女。揺らぐことのない目線は、はるか熱地の奥を見据えている。
「行きましょう。この人の伝言のためにも、あたしたちは使命を果たして、生きて帰らなければいけないわ」
シルクはワンコーを背負い、クックルーとともに駆け出していく。
それでも熱気はますます増幅し、逸る思いも駆け足も鈍らせる。しかし、彼女たちは決してそれを止めることはない。
もう迷いようのない細くて長い一本道を、彼女たちは無我夢中になって突き進んだ。
きっと、この突き当りに美しく輝く壺があるはず! 彼女たちはそう確信した。いや、そう願わずにはいられなかった。
長い道のりの末、シルクたちはついに突き当りに差し掛かった。
そこは円形状に区切られた小部屋であり、ドロドロとした褐色に染まった溶岩がそれを取り囲むように流れている。
小部屋の中央に置かれた台座に、ふと目を奪われてしまうシルク。それもそのはずで、その台座の上には、黄金色に瞬く徳利型の壺が飾り立ててあったからだ。
「見て、ワンコー、クックルー。きっと、美しく輝く壺ってあれじゃない?」
燃えるような溶岩からくる熱気のせいで、シルクたちの視界は正直なところぼんやりとしていた。
もしかすると、これは幻覚なのではないか? そう感じさせてしまうところだが、瞬きを繰り返した彼女たちの目には、それが、美しく輝く壺であるとはっきり明瞭に映っていた。
「すごい、本当に輝いているワン」
「やったコケ。とうとう見つけたコケ」
ゴールに辿り着いたことによる達成感、そして満足感。シルクたちは顔を揃えて、ここまでの努力を労うような安堵の吐息をついた。
ワンコーも幾分かパワーが復調し、ようやく彼女の温かい背中から降りることができた。それでも、四つん這いの手足はまだフラフラしている状態だ。
「あの壺の中身を覗き見たらいいのよね」
シルクが警戒しながらも、黄金色の壺のもとへとそっと歩み寄り、徳利型の丸い輪郭に手を掛けようとした、まさに瞬間だった!
「姫、ダメだワン! その壺から離れるんだワン!」
「えっ!?」
小部屋中にいきなり轟いたワンコーの叫び声。彼はこの瞬間、美しく輝く壺の背後から、邪悪なる怪しい気配を感じ取っていたのだ。
張り裂けんばかりの警告により、シルクは慌てて後方へ身を翻した。
クックルーもびっくりした顔をするも、すぐに表情を引き締めて神経を尖らせていた。
その数秒後、緊迫した空気を突き破るように、台座の下から真っ白な蒸気が噴き出した。そこから降ってくる水滴の熱さで、彼女たちはジャンプしながら避難する。
「ま、まさか、魔物が潜んでいたというの?」
シルクの予想を裏切らんばかりに、蒸気の向こうから薄っすらと見える魔性の影。
その妖しきおぼろげな影から、不気味なほどにせせら笑う声が漏れてくる。
「グフフ、ここまでやってこれるとはなかなかのものだな。これは、久しぶりにおいしいご馳走にありつけそうだ」
「あなたは、何者!?」
霞のような蒸気が晴れてくるなり、シルクの視界に飛び込んだのは、まさに魔界からやってきたであろう邪悪なる魔物の姿であった。
たてがみをなびかせるライオンの顔を持ったその魔物は、体格もよく威風堂々としており、二本脚で起立する姿勢からも威厳を感じさせる。これまでに出会ってきた魔物よりも、高位な魔族なのかも知れない。
「俺様の名は獄門鬼。キサマたちのような欲に駆られた人間どもを待ち受け、我が魔族の生け贄にするために、ここで待ち構えている者だ」
「え、ということは!」
シルクの表情に驚愕の二文字が浮かび上がる。
ガゼルという奇術師の口車にまんまと乗せられた。そんな結論に辿り着いた彼女、始めから半信半疑ではあったものの、人間たちを救う希望が水泡に帰したことに、少なからずショックを隠し切れない。
言葉を失ってしまった彼女を嘲笑し、獄門鬼と名乗る魔族は、この美しく輝く壺に纏わる種明かしを語り始める。
「運試しの館におられるガゼル様は、我が魔族の中でも高貴なお方。村にやってくる冒険者たちを言葉巧みに騙し、この地へ迷い込んだバカなヤツらを、この地を牛耳る俺様たちが始末する。これもすべては筋書き通り、グフフ」
これまでに、壺のある台座まで辿り着いた人間はほんの一握りだと語る獄門鬼。
灼熱地獄に迷い込んだ者は誰一人生還することもなく、魔物の餌食になるか、もしくは、体中が燃えるように焼かれて朽ち果てるか、そのどちらかだ、と。
滅多に訪れないお客様を目の前にして、彼は嬉しそうに口角を上げて牙を光らせる。しかも、うら若き乙女の来訪者だけに、快楽と興奮がより掻き立てられていたようだ。
「……それじゃあ、そこにある壺を覗いても、誰の願いも叶わない、そういうことなの? ひどいわ」
「グッハッハ、当然だろう? そんな夢みたいな話が容易く叶うとでも思ったのか?」
この地で死んでいった人間を嘲るように、獄門鬼は大声を上げて高笑いしていた。
断じて許すことはできない――! シルクは震える拳を強く握り締めて、怒りと憤りをあらわにする。
ワンコーもクックルーも、ぶしつけな嘲笑に不快感を示し、その表情は憤怒に染まっていた。
ところが、彼女たちの憎しみが増大するごとに、獄門鬼の顔色は悦びの色に満たされていく。まるで、人間が放つ憎悪感を自らの糧にするかのごとく。
「グハハ、もっと怒るがよい。それこそが我が魔族の快楽となる。さて、せっかくのお客だ。俺様の遊び相手にでもなってもらおうか」
「あたしたちは魔物になんて屈しない。全力をもってあなたを倒す!」
シルクは熱くたぎるその手で名剣を握り、邪悪なる魔族に敢然と立ち向かう。
パートナー的役割を担うスーパーアニマルたちも、それぞれの役目に就こうと戦闘態勢を整えた。
「いい、ワンコー、クックルー。相手はかなりの強者よ。絶対に油断したりしないでね」
未知なる強大な敵と対峙して、迫りくる威圧感に警戒を強めるシルクたち。
まず先手を打ったのは、マッチョマンのような全身を真っ赤に染め上げて、筋肉隆々の両腕を突き出した獄門鬼の方だった。
「俺様の炎で燃え尽きろ、火柱だぁ!」
その直後、シルクたちの足元から、天井を突き破らんばかりの火柱が立ち上った。
それを瞬時にかわした彼女たちだったが、真っ赤な炎の勢いに慄いてしまい、熱された地べたに尻餅を付いてしまった。
それは想像をはるかに超える火殺魔法の威力。誰よりも驚いていたのは、火殺魔法のスペシャリストであるクックルーだ。
「あ、あのやろう! オ、オレの得意魔法を放ちやがったコケ」
こんなものは、ほんの小手調べ。獄門鬼は不敵に笑ってそう言うと、もう一度火殺魔法を仕掛けてきた。
その火柱は驚くことに、シルクたちを追いかけるように地を這ってきた。
彼女たちは慌てて立ち上がると、横っ飛びでその魔法の直撃を回避する。
しかし、まるで炎の精のごとく、どこまでも追い詰めてくる火柱。その勢力は衰えるところを知らない。
逃げ続けていても勝ち目はない。彼女は意を決して地面を蹴り上げると、敵の頭上目指して高々と跳ね上がる。
空中で体を巧みに捻らせた彼女は、いつもの必殺技、閃光を織り成す縦断切りの体勢を取った。
今まさに、彼女が名剣スウォード・パールを振りかぶろうとしたその瞬間、獄門鬼の獣の眼がギラリと光った。
「バカめ、そんな軟弱な攻撃が、この俺様に通用すると思うかぁ!」
獄門鬼の振り上げた逞しい右腕が、空中を舞うシルクの腹部に襲い掛かった。
それを避けようとした彼女は、必殺技の構えを解くしかなく、攻撃から防御の姿勢に切り替える。
緊急回避により直撃こそ免れたものの、彼女は体勢を崩したまま地面に着地するしかなかった。
たった一つのわずかな隙を突くべく、獄門鬼が自在に操る業火の魔法攻撃。彼女は逃げる術もなく、いくつもの火柱でできた輪の中に閉じ込められてしまった。
その業火は渦巻きながら回転を始めると、輪の中心がみるみるうちに狭まっていく。それは言うまでもなく、灼熱の渦の中で幽閉されているシルクが、燃えさかる炎に包まれることを意味していた。
「ひ、姫! まずいワン、このままでは姫が……」
「待ってろ! オレの炎であんな火柱なんて蹴散らしてやるコケ」
獄門鬼に負けず劣らず全身を赤く染めるクックルーは、羽根を広げて無数の火の玉を放出する。
火の玉はハイスピードで淀んだ空気を貫きながら、火柱の渦が躍る地面へとぶつかっていく。すると、えぐられた土が砂煙のごとく舞い散って、その業火の勢力をどんどん弱体化させていった。
「ワンコー! 今のうちに、シルクを救い出せコケ」
「了解だワン!」
火柱の勢いが弱まった隙間から渦へ飛び込んだワンコーは、気を失いかけているシルクを救出しようとする。
彼女の武闘着の袖に噛み付き、必死になって引っ張り出そうとする彼。だが、業火の熱さはあまりにも凄まじく、救いに来た彼まで気絶してしまいそうになるほどだ。
それはもう死にもの狂いになりながら、彼はどうにか彼女を救い出すことに成功した。
かすかな呻き声を上げるシルク。火傷を負っているものの、どうやら、最愛のご主人様は無事だったようだ。
クックルーは彼女たちの無事を確認するなり、これでも食らえと言わんばかりに、強大なる炎使いに敢然と立ち向かう。
「オレの火の玉乱れ撃ちをお見舞いしてやるコケ!」
余裕綽々の笑みを浮かべる獄門鬼に向かって、クックルーはパワーの続く限り火殺魔法を解き放った。
それをまったく避けようともしない獄門鬼。無数に飛び交う火の弾丸は、彼の大きな図体に全弾ヒットしていった。
弾ける破裂音が鳴り響き、煙幕がもくもくと小部屋の中を覆い尽くす。
その煙が静かに晴れていくと、そこには、何事もなかったかのように腕組みしている、ふてぶてしく仁王立ちする魔物の姿だけが存在した。
火殺魔法を自由自在に操作する獄門鬼には、クックルーの渾身の魔法など、微塵にもダメージを与えることはできなかった。
「グフフ、残念だったな。俺様には炎など通じん。キサマなど丸焼きにして食ってやるわ!」
これこそが火殺魔法だ! 獄門鬼は大きい拳を突き出して、クックルーの倍以上の火の玉を投げつける。
これにはさすがのクックルーも、襲い掛かってくる火の玉地獄から逃げるのが精一杯だった。
丸焼きにならずに済んだ彼ではあったが、迫りくる魔族の脅威に戦意を喪失し、鳥肌を立ててすっかりお手上げの状態であった。
一方その頃、ワンコーは残り少ないパワーを出し惜しみせず、ご主人様であるシルクの治癒に当たっていた。
「姫、がんばるんだワン! オイラの回復魔法で、必ず治してあげるワン」
「ワ、ワンコー。う、嬉しいけど、あまり無理しないで。あ、あなたはまだ、体力が回復し切っていないのよ」
「大丈夫だワン。姫の背中で休ませてもらった分、お返ししてあげるワン」
ワンコーの懸命な治療が続く中、たった一匹で敵と戦わざるを得ないクックルー。
獄門鬼という、これまでの魔物とは桁外れな能力を持つ相手を前にして、彼は戦うどころか、悔しくも逃げ惑うことしかできなかった。
打つ手がなく、もはやなす術もないクックルー。
気が遠のきながらも、魔法を唱えるしかないワンコー。
そして、揺らぐ意識の中で、ひたすら火傷の苦痛に耐え続けるシルク。
彼女たちは今、これまでに経験したことのない”全滅”という危機に直面していた。
「どうした、キサマたちの力はこんなものか? ならば仕方がない。そろそろお遊びもおしまいにしようか」
獄門鬼は両方の手のひらを重ねると、その両手に力を込めながら、気味の悪い呪文を念じ始める。
大きく開いた両足を踏ん張った途端、地べたがみるみるひび割れていき、そこから真っ赤なマグマが噴き出してきた。
金属すらも溶かしてしまいそうなそのマグマを、足元からどんどん吸い取っていく獄門鬼。まるで、灼熱のパワーを最大限まで蓄積していくかのように。
全身が鮮血よりもはるかに赤く染まり、さらに、たてがみにも揺らめく炎を纏った彼は、狂気に満ちた究極の獅子へと変貌を遂げた。
その圧倒的なエネルギーに恐怖し、クックルーはもう声すら上げることができない。
ワンコーの手厚い介護を受けていたシルクは、ようやく体を動かせるまで意識を回復していた。ところが、邪悪なる敵が放つパワーを感知し、その表情から血の気が引いてしまう。
「す、すごいパワーだわ……。あたしたちはもう、ここで終わってしまうというの?」
シルクは震える声で自問自答した。戦う心が萎縮してしまい、名剣を手に取ることすらできない。
ワンコーもクックルーもただ怯えるだけで、彼女の後ろへ逃げるように身を引っ込めてしまった。
「オ、オイラたち、死ぬのかワン?」
「バ、バカやろう、オ、オレは死ぬなんてまっぴら御免だコケ!」
すっかり及び腰となるスーパーアニマルたち。攻撃手段のない彼らのことを、責めたり咎めたりなんて誰にもできるはずはないだろう。
だからこそ、自分だけは諦めるわけにはいかない――! 人間たちの未来と希望のために、冒険隊を率いるリーダーとして、シルクは萎えていく闘志を奮い起こそうとする。
(こんなところで、志半ばで負けられない。きっと、どこかに逆転できる秘策があるはずだわ)
シルクはこの窮地を脱するべく、持ち合わせる限りの知恵を振り絞る。
とにかく冷静に、とにかく落ち着いて、彼女は焦る心の中で、計り知れない動揺と葛藤していた。
彼女が思案に暮れている間にも、獄門鬼の炎のパワーはますます膨れ上がり、今にも爆発しそうなほど強大化していた。
「グフフ、もう少し骨があると思っていたが、いやはや残念だ。どうやら、ガゼル様の見込み違いだったようだな」
遊び相手にもならないシルクたちに興ざめし、獄門鬼は嘆くような独り言を漏らした。
最大限までパワーを蓄えて、まるで真紅の阿修羅と化した彼は、この空間すら焼き尽くすほどの火炎を呼び起こし、彼女たちを一網打尽に粉砕しようとする。
緊迫感に包まれた、まさにその次の瞬間だった。
彼女の記憶の片隅から浮かんできたもの、それは、凍てつく氷のように透き通った、青白く輝く水晶の残像――。
(そうだ、魔法石があったんだ!)
シルクはすかさず、武闘着のポケットに仕舞っておいた魔法石を握り締める。すると、彼女の火照った手のひらに、痛くなるほどの冷たい感触が伝わった。
「さぁ、この俺様の地獄の業火で焼かれるがよい!」
「これでも、食らいなさーい!」
獄門鬼が放り投げた火炎と、シルクが解き放った氷の水晶玉が空中で対峙する。
火炎は充満する熱気を取り込みながら、溶岩の塊のように膨らみ肥大化していく。
魔法石の氷石は眩く輝きながら、氷柱のように尖った氷の剣を象っていく。
雌雄を決するかのごとく、ついに、炎の溶岩と氷の剣が激しく衝突した。
「キャァッ!」
激しい爆風に全身を叩きつけられたシルク。
その身を吹き飛ばされながらも、パートナーの二匹の盾になろうとした彼女は、彼らの上へ覆いかぶさることで精一杯だった。
炎と氷がぶつかり合い、大爆発を起こした後、しばらくの時が流れた……。
そこはまるで、宇宙空間と言えるほどに静まり返っていた。誰が生きているのか、誰が死んでいるかもわからない、沈黙と無の境地。
「……う、うう」
伏せていたシルクは痛みを感じて、まだ生きていることを実感した。
ワンコーとクックルーもそっと目を開けて、無事だったことに安堵の吐息を漏らす。
彼女たちはゆっくりとその場に起き上がる。すると、背後から漂ってくる、ひんやりとした冷たい寒気を感じた。
恐る恐る振り返った、彼女たちの目に映ったものとはいったい――?
「ど、どうなってるの、これ?」
「す、すごいワン」
「おいおい、こんなことってあるのかコケ」
燃えたぎっていたはずの火炎が、どういうわけか、原形をとどめたまま凍りついていた。
そればかりではなく、氷石から変化した氷の刃は火炎を貫くばかりか、青白いサーベルのごとく伸ばした剣先で、獄門鬼の胴体までも串刺しにしていたのだ。
その獄門鬼すらも、まるでライオンの銅像のように氷結している。これを言い換えるなら、魔法石という奇跡が起こした氷の芸術作品のようであった。
シルクたちはただ唖然とするばかりだ。
それはきっと、氷漬けにされてしまった炎使いも同様だろう。それを証拠に、彼の青白く変化した表情は苦悶と絶望に満ちていた。
「姫、これはチャンスだワン! 必殺技でアイツを叩くワン」
「そうだ、シルク。この氷が解けちまったら元も子もないコケ!」
「うん、任せて!」
シルクは天高く舞い上がり、名剣スウォード・パールで大きな一撃を繰り出した。
その渾身の一太刀により、獄門鬼は断末魔の叫びすら上げることも叶わず、粉々に砕け散った。
無数に分かれた破片は四方八方に飛び散り、小部屋を覆い尽くすマグマの中に落ちて、跡形もなく蒸発していった。
「あたしたち、勝ったのね」
シルクはホッと胸を撫で下ろし、ワンコーとクックルーと辛勝の喜びを分かち合った。
もしも、氷の魔法が閉じ込められた魔法石を持っていなかったら――。最悪な結末を回想してしまい、彼女は恐怖心に身震いした。
幸運の勝利はそう何度も続くことはない。彼女たちはさらなる強敵を迎えるべく、闘志みなぎる気持ちを引き締めるのだった。
「よし、この壺を持ってここから脱出しましょう」
「え、どうしてだワン? オイラたちにはもう、その壺なんて用はないんだワン」
あら、そんなことはないわ。シルクはそう言って、ワンコーに麗しのウインクを披露した。
「この壺を持って、さっきのガゼルって男にところに戻ったら、さぞ、びっくりするでしょう?」
お土産も持たずに戻ってしまっては、まるで灼熱の熱地から逃げてきたと思われてしまう。
それならば、この壺を持ち帰り、魔物の化身であるガゼルに見せ付ければ、彼の鼻をへし折ることができ、しかも、化けの皮を剥がすことも容易だろうと、シルクはそう考えていたわけだ。
「なるほどな、それは名案だコケ」
クックルーもニヤニヤ笑って、シルクの打算的策略に賛同していた。
彼が同感するなら自分もだと、ワンコーも締まりなく笑って遠吠えを上げるのだった。
「それじゃあ、ガゼルの館まで帰りましょう!」
「了解だワン」
「行くぜコケ」
美しく輝く壺を抱きかかえたシルクたちは、まだ熱さが残る灼熱の小部屋を脱出した。
人間たちを言葉巧みに騙し、望みを抱きながら滅んでいく様を弄ぶ陰湿な悪魔。それに憤りを覚えて、彼女はその表情に激しい嫌悪感を浮かべていた。
待っていなさい、ガゼル! 残忍で狡猾な魔族の名前を心の中で叫んだ彼女、息を切らせながら、いざ決戦の戦地へと足を速めるのであった。
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