第2話 目撃









 梅雨が明け、からりと晴れあがった七月の中旬。

 日差しの眩しさと売れはじめたその顔を帽子のつばで隠し、氷川と加賀谷はふたりで事務所に向かっていた。

 加賀谷は顔を隠すために黒いフレームの伊達メガネをかけ、黒のキャスケットを目深に被っている。

 襟のついた白いコットンのシャツのボタンを上から三つ開け、黒のデニムを穿いていた。

 氷川の方は赤いベースボールキャップにお気に入りの赤いフレームの眼鏡をかけている。

 薄いピンク色のリネンのシャツにブルーのデニムを穿いていた。

 時々汗で眼鏡が滑るのか、ハンカチというには大きすぎるタオル地のそれで、必死に顔の汗を拭っていた。

 ふとさらりとした夏風が吹く、夏の日の午後。



 Clouds and wind (クラウドアンドウィンド) 通称 CAW の所属する芸能事務所は地下二階、地上八階建てのオフィスビル。

 そのビル全てがひとつの芸能事務所になっていて、フロアごとに部門が分かれている。

 彼らの所属する音楽部門は彼らが初の所属アーティストとなるため、事務所もかなり力を入れていた。

 最上階にはちょっとしたパーティー会場に使えそうな大会議室とその外に屋上庭園があった。

 その下の七階に音楽部門の事務所やピアノの置かれたレッスン室、小会議室などいくつかの部屋がある。

 メンバーは大抵このフロアのいずれかの部屋に集まり、練習やアレンジなどの打ち合わせ等を行っていた。

 階下には俳優部門のタレントたちの事務所やお笑い部門のタレントの事務所もある。

 表通りに面した側の一階と地下一階にはファンクラブのグッズやタレントたちのブロマイド、写真集など関連グッズが置かれた専門のショップがある。

 タレントたちはビルの裏手側にある事務所専用の正面玄関から出入りしていた。

 ショップの下、地下二階には約二百人が収容できるライブハウスがある。

 週末にはそこでお笑いタレントが何かしらライブを行っていた。


 大手芸能事務所「オオクラプロダクション」は日本で三本の指に入る老舗の芸能事務所である。

 それは戦後、テレビが普及し始めた頃のまだ番組らしい番組がなかった時代に日本に娯楽を、と初めてバラエティ番組を作ったのもオオクラプロダクションの創設者によるものだった。

 二代目に代替わりしてもなおその勢力は衰えず、いまだにテレビ局とは太いパイプを持ち、ゴールデンタイムのバラエティ番組の制作、企画なども手掛けている。芸能方面にとどまらず娯楽施設や映画館などの経営も手掛け、経済界に一大勢力を作り上げていた。

 大倉誠司おおくらせいじはオオクラプロダクションの代表取締役社長でありながら大倉グループの会長でもあった。






「それでは順番にソロインタビューに入りますので、呼ばれた方はこちらの部屋へお願いします」


 ドアノブに手を掛け、開きかけのドアの前にティーシャツにデニムというラフな服装の女性記者がメンバーに声を掛ける。年齢は三十代前半だろうか。今日は雑誌の取材が入っており、事務所でインタビューを受けることになっていた。

 芸能人の活動は朝が遅い。この日も取材は十三時からの開始になっていて、メンバーは各々午前中を過ごしてから事務所へ集合していた。


 控の部屋には既に呼ばれた薬師丸を除き、残りの五人がテーブルを囲むようにしてソファや椅子に腰かけ、各々アンケート用紙を手にインタビューの内容を確認していた。


「……この雑誌ってなんだっけ?」


 そんな中ふと思い出したように呟いた皆川にマネージャーの葉月桜はづきさくらは呆れた顔で声を掛ける。


「何言ってるんですか? ひびきさん、先週ちゃんとスケジュール表、渡してありましたよね? 前もって確認しておくよう、出版社さんにも失礼がないよう、ちゃんと頭に入れておいて下さいとあれほど……」


 葉月の身長は皆川とほぼ同じ。女性としては背が高くすらっとした容姿にショートヘア。軽いウェーブがかかった長めの前髪は黒く、後ろは短く刈り上げられていてる、長い手足に小さい頭。一見するとモデルのようだ。

 今日も動きやすい服装を心掛けているのか、シンプルな黒いパンツと襟のついた白いコットンのシャツという清楚なスタイル。顔も素顔に近いナチュラルメイクで飾り気がない。だが色白のキメの整った肌と漆黒の瞳、すっとした鼻筋に艶やかな赤い唇はそのままでも十分美人の中にはいるであろう。コンタクトレンズが苦手で眼鏡を愛用している、そのフレームもシルバーの線の細いもので控えめな印象を受ける。アクセサリーらしいものと言えば、左右の耳に一つずつ金のビアスが髪の間から光っていた。持っている鞄や筆記類などもシンプルなものが多い。身の回りの品が彼女の性格を物語っていた。

 そのさっぱりした性格と見た目の大人びた雰囲気からメンバーよりも年上に見られがちだが、実のところメンバー最年少の皆川と同い年である。

 葉月が皆川に小言を言い終わらぬうちにその横から素っ頓狂な声が上がった。


「おいおい、キョウ何言ってんの? かの有名な音楽雑誌『アリーナ・パス』じゃないか!」


 椅子から半分腰を上げ、千葉が信じられないと目を丸くして皆川に食って掛かる。

 今日の千葉の服装は夏本番が始まったとは到底思えないほどにめかし込んでいた。

 黒の革ジャンに大きなロゴが入った白のティーシャツ、黒のダメージジーンズに腰にはシルバーのチェーンが下がっていて、さながらロックミュージシャンのようである。さすがにびょうのついた皮手袋まではしてはいなかったが、気合が空回りしたそのスタイルを横で真野が眉をしかめていたのに千葉が全く気付いていなかったのは彼にとって幸いと言えるだろう。


「オレさぁ、憧れの音楽雑誌『アリーナ・パス』に俺のインタビューやグラビアが載るなんて信じられなくてさ、もうテンション上がっちゃって昨夜なんて全然眠れなくてさぁ……」


 千葉の興奮をよそに皆川は座っていたソファにさらに背中を深く沈め、両腕を上げて伸びをすると同時にあくびをしながらぼやいた。


「だってさ、もう何社インタビュー受けたか覚えてないんだよ、もう、訳わかんない」


 着ているティーシャツの裾をパタパタと煽り、暑くて仕方ないといった風にテーブルの上のアイスティーを一気に飲み干す。


「「はぁ!?」」


 千葉と葉月が同時に声を上げた。


「おいおい、ドアが開いてるんだから声、抑えろよ」


 真野が釘を刺す。

 薬師丸がインタビューを受けている隣の部屋を繋ぐ扉は開けられていて、中の様子は覗き見ることが出来るようになっている。

 セキュリティーやプライバシーの問題等、記者とタレントを密室に二人っきりにすることは良しとされていなかった。

 グラビアの撮影はスケジュールの都合で後日になっているため、今日は雑誌の記者だけが来社していた。


「響さん! しっかりしてください!」


 声量を抑えながらもその語気は強い。葉月は座っている皆川の横へ詰め寄り、頭の上から小言を降らせた。


「いいですか響さん、今日はまだ二件残ってるんです。最初からそんなやる気のないようじゃ……」


「まあまあ、葉月、落ち着いて」


 目くじらを立てた葉月を真野がなだめる。


「真野さん! 響さんってば自覚が足りなさすぎます!」


 彼らがデビューしてからというもの、アカペラという技法が一躍脚光を浴び、一大ブームを巻き起こしていた。

 楽器を必要としないアカペラは音楽を始めてみたいと思っている人にもとっつきやすく、合唱とは違い各パートにひとりいれば成立するので少人数で楽しめて、なおかつ楽器が不要と言う事で場所を選ばない、いつでもどこでも出来る手軽さがブームを起こした要因になっていた。

 多くの大学のアカペラサークルに入部希望者が殺到し、氷川の在籍しているサークルでは部員数が三倍に増えたとのこと。(氷川はまだ卒業出来ず休学中。加賀谷と真野と薬師丸は無事卒業。皆川に至っては退学届けを出してしまっていた)籍はあるもの、実質サークルには参加出来ない氷川は名誉部員として名前だけが残っていた。

 何より事務所側の力の入れようが半端なく、アカペラを前面に出したバラエティ番組までも制作を予定している。もちろん、彼らの冠番組として今はまだ水面下で準備が進行していた。

 彼らの人気は日増しに上り、数ある音楽雑誌のほぼ全てに記事が何かしらの形で掲載されていた。今日も雑誌の取材があと二件、続けて入っている。今回の取材の全てが次に発売予定のシングルについてのものだった。アカペラで、しかも二枚同時リリース。火がついたばかりの人気に更に拍車をかけることは間違いなかった。


 「葉月、キョウには俺から言っとくから、ほら、スタッフが呼んでるぞ」


 部屋の入口に立っていた若い男性スタッフが申し訳なさそうに葉月に歩み寄る。


 「葉月さん、衣装合わせの件で連絡が……」


 声を掛けるタイミングを見失っていたスタッフを真野がフォローする。葉月は渋々男性スタッフと連れ立って控えの部屋を出ていった。

 残されたのはメンバー五人。真野は大きなため息をひとつつくと皆川にこぼした。


「キョウ、葉月の言う事ももっともだぞ。俺たち一応芸能人の端くれなんだからな。俺らの行動で事務所に迷惑とかかけたりしたら……どうなるか、それぐらいは……分かるよな?」


 真野の声は後半につれてどんどん低くなっていく。

 

「……分かったよ、真野さんには敵わねぇもんな」


 観念した様に皆川は姿勢を正し、まだ空欄の残っていたアンケート用紙の続きを記入し始めた。

 その向かいには氷川と加賀谷が並んで座っている。ふたりは目の前の騒動には目もくれず、ひたすら真面目にアンケート用紙を埋めていた。

 しかし、順調だった加賀谷のその手がふと止まる。

 

「ん? 加賀谷、どうかした?」


 その変化にいち早く氷川が気づく。

 困ったような悩んだ顔をした加賀谷は小さな声で答えた。


「ん。ちょっとね……あ、いや、なんでもないよ」


 一度は言いかけたそれを、加賀谷は周りを見て引っ込める。

 加賀谷の見ていたアンケートの内容を、氷川は自分も同じ用紙で確かめた。


「……あっ!?」


――加賀谷、まだ答えづらいのか……。


「加賀谷、無理すんなよ?」


 氷川の気遣いが加賀谷の曇った顔を幾分か晴らした。


「うん、悠一ありがとう」


 加賀谷が軽く微笑む。その顔を見て、氷川もふんわりと笑った。


「あー! もっと喋りたいのになー! 全然足りひんて!」


 ドアの陰から声が先に部屋に入ってくる。薬師丸が軽く肩を回しながら出てきた。

 

「やっくん、何? 準備体操?」


 その様を見た皆川がぼそりとツッコんだ。

 さらに肩を回し、腕を軽く振ると嬉しそうに薬師丸が答える。


「そうそう、今から登板なんやー先発なんやでー。……ちゃうわ!」


「ぶぶっ! ノリツッコみかよ!」


 千葉が嬉しそうに乗っかってくる。

 こうなるとこの二人は歯止めが効かない。どんどんくだらない話をはじめて脱線し放題になる。


「……また始まったか」


 真野がやれやれとあきらめ顔で立ち上がる。

 控えの部屋とインタビューを行っている部屋の境の壁に沿う様に長い台が置かれていて、その上には数種類のドリンクサーバーやポットに、軽くつまめる菓子などがカゴに盛られて置かれている。

 真野はそこから小分けにされたクッキーの袋をひとつ取り、アイスコーヒーをポットからカップに注ぐ。

 その時、すぐそばにあるドアの陰から記者が顔を出した。


「次は……加賀谷さん、お願いします」


「はい」


 加賀谷が腰を上げた時だった。


「あの……」


 氷川が申し訳なさそうに、頭を軽く掻きながら立ち上がる。


「氷川さん何か?」


「俺も一緒にしてもらってもいいですか?」


「構いませんよ、インタビュー自体はお一人ずつになりますけど……じゃあお二人でどうぞ」


 先に記者が部屋へ入る。

 そのあとを続けて加賀谷が、半歩後ろを氷川がついていく。


「悠一どうしたの?」


 ふと後ろを振り返り、首を傾げて不思議そうに訊く加賀谷に氷川はにっこり笑った。


「まあいいから。面倒じゃん、まとめてやったら時短だし。ほら行った」


 軽く加賀谷の背中を押し、氷川は二人で部屋へと入った。

 ドアを右手にして加賀谷が、その隣の奥に氷川が座る。テーブルをはさんで反対側に記者が座わった。

 部屋はそれほど広くはなかったが、ドアが開いていても大声でなければ隣の控えの部屋には聞こえそうにない。

 また控えの部屋の雑談も同じようにインタビューを行っている部屋へはさほど気になる音量にはならなかった。

 インタビューはまず次のシングル二枚についての意気込み、聞きどころから始まった。


「まずは……サードシングルについてですが……加賀谷さん、聞きどころは?」


「サードシングルは僕のソロから始まるんです」


「加賀谷さんの伸びのある高音、とっても素敵ですよね」


「ありがとうございます……でもとても緊張しちゃうんです」


「アンケートにもそう書かれてますよね。レコーディングは順調だったんですか?」


「もう、無我夢中でした」


 はにかみながらもきちんと受け答えしていく加賀谷。

 順調にインタビューは進んでいく。加賀谷の横に座る氷川はただ黙って、時には頷きながら聞いていた。


「それでは……次からはパーソナルデータに入ります」


 こくんと加賀谷がひとつ頷く。


「加賀谷さん、出身は?」


「武蔵野です」


「千葉さんと同じ高校に通ってたと伺いましたが」


「はい、そうです。ハジメさんは僕のテニス部の学年がひとつ上の先輩です」


「千葉さんが Clouds and wind (クラウドアンドウィンド) に加入したのは加賀谷さんが絡んでると聞きましたが?」


「そうなんです。僕が誘いました」


 少し目を伏せて、ふっと笑う。一瞬の間の後、顔を上げて話を続けた。


「実は在学中はあんまり親しくはなかったんです。二年の夏休みに引退した三年生の追い出しコンパをやったときにカラオケでハジメさんの歌う声を聞いて、上手いなぁって。その時一回聞いただけなんですけど」


 その当時を思い出したのか、穏やかな眼差しで昔を懐かしむ。


「それをずっと覚えてたんですか!?」


 記者の驚いた声が響く。さすがにその答えには氷川も驚いた。


「そういや、いきさつなんて聞いたことなかったなぁ」


 黙って聞いていた氷川も思わずつぶやいてしまった。


「あ、すみません。勝手に喋っちゃって」


「大丈夫ですよ。でも氷川さんもご存じなかったんですね」


「ええ。加賀谷の記憶力もあれだけど、その記憶に残るほどのハジメの声って……」


 ふと考え込むように腕を組む。


「その頃から強烈なインパクトがあったんだなぁと思うと……ハジメらしいというか、なんというか……」


「ぷっ」


 氷川の横で加賀谷が噴き出す。思わず緩んだ口元を手で覆い隠したが時すでに遅し。

 つられて記者も笑いだしていた。


「ふふっ、ハジメさんて変わってないんですね」


「そうですね、高校生の頃と見た目は多少変わっても、中身は全然あの頃のまんまで……」


 加賀谷が答えたとたん、ドアの向こうで大きなくしゃみが部屋中に響き渡った。


「へっくしょい!!」


「ハジメくん、そないな恰好しとるから。汗が冷えて風邪でもひいたんとちゃう?」


「いや、これは脱ぐわけには……っくしょん! 俺のこだわり……はーっくしょん!」


 氷川たちは千葉のその神がかり的なタイミングの良さに思わず大笑いをした。


「ハジメ、持ってるよなぁー! 笑いすぎて涙出たよ」


 氷川が眼鏡を外してハンカチで涙をぬぐう。そのままそのハンカチで眼鏡のレンズまで拭きだした。

 加賀谷は大きく深呼吸をして息を整える。

 記者は今の一連の出来事をしめたとばかりに書き留めていた。


「あー可笑しかった……。それでは次の質問ですけど……あれ? 空欄になってますね」


「あ……えと」


 それまで和やかだった加賀谷の顔に曇りが生じる。

 テーブルの上にあった手を膝の上に乗せ直し、ぎゅっと握りしめた。


「家族構成、教えて頂けますか」


「……」


 その時、膝の上で硬く握られていた加賀谷の手が微かに震えた。

 テーブルの下で加賀谷のその手を、隣からそっと氷川が自分の手を重ねる。


――頑張れ、加賀谷。


 前を向いたまま加賀谷が軽く頷くとその手の震えがすうっと引いた。


「両親が武蔵野の実家にいます」


「そうでしたか」


――悠一……ありがとう。この為に……。


 加賀谷の緊張が解け、インタビューはまた和やかな雰囲気で進み始めた。


 だが。

 そのテーブルの下でつないだ手を見ていた人物がいた。

 誰にも見られていないと信じていた二人にとってそれは誤算だった。

 氷川の加賀谷を思いやったあたたかい行動が、その目撃者の中に小さな火種を点すきっかけになるとは。この時の二人には知る術もなかった。

 そして目撃者自身がその火に自分の身を焦がすことになることも。今は誰も知らなかった。





「お疲れさまでした」


 インタビューが終わり、記者が声を掛ける。

 それを合図に二人は立ち上がり、深く一礼をして部屋を出た。


「お疲れー。なんか途中メッチャ盛り上がってなかった?」


 皆川が三杯目のアイスティーを飲みながら訊いてきた。


「ああ、偶然の産物というか……。多分雑誌に載るからそれ読んだら分かるよ」


 氷川は思い出し笑いをしながら答える。

 その横で加賀谷は笑いたいのを堪えていた。


「何なにー? なんかズルくない? 俺にもそれ、分けてよ?」


 話に割り込んできた千葉を見て、二人は笑い出した。


「ぷぷっ! 見てのお楽しみ……てかさ、ハジメってなんか憑いてるよね」


「ついてる? オレそんなにラッキーボーイ?」


「ハジメさん、そっちじゃなくて……」


「まぁ、いいっか」


 顔を見合わせて笑う二人。

 不思議でならないといった千葉をよそに二人はドリンクサーバーへ飲み物を取りにいく。

 その傍にある小さなテーブルで既に戻っていた葉月が大量の書類を振り分けていた。


「あ、悠一さん、加賀谷さん、終わったんですね。ちょうど良かった」


 書類を改めてまとめ、胸に抱えると部屋の中央へと持っていく。

 メンバーが囲んで座っているテーブルの真ん中に抱えていたそれをばさりと置いた。


「皆さん、次の取材の資料です。こちらのアンケート用紙に目を通しておいて下さい。あと軽くイラストも頼まれているのでこちらのはがきサイズの用紙にテーブルの上にあるカラーペンでイラストを……」


「イラスト!? 何だよそれ」


 最後まで聞かずに真野が驚いて葉月に訊ねる。


「『アーティストたるもの多才であるべし』これは社長のお言葉です。皆さんも色んな感性を磨いて……」


 最後ませで言わせず氷川が葉月の言葉に被せてきた。


「ええー! 俺ら歌手、だよな?」


 思わず氷川が真野に同意を求める。


「確か……悠一ってものすごく絵心ないよな……」


 天井を仰ぎながら皆川が呟いた。


「……そうだね。……残念だよね」


 伏し目がちに加賀谷が答える。


「こればっかりはしゃーないなー」


 既に何か落書きを始めた薬師丸は楽しそうに色を塗っている。


「悠一さん、固まってないで何か描いて下さい」


 葉月に促され氷川が渋々イラストらしきものを描き始める。

 控えの部屋はそれを見た他のメンバーのツッコミや笑い声で賑やか極まりない。

 楽しそうな笑い声はいつまでもいつまでも響いていた。


 (ちなみこの時氷川が書いたのは猫。どう見ても猫に見えない不思議生物だった…)




 夏の日の午後。まだまだ暑くなり気温も上がり続ける。

 その気温と同じように彼らの人気が次の二枚のシングルで沸点に達するのをまだ誰も知らない。

 しかし着実にその時はやってくるのだった。





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