17. Into the past
宝満大学病院。平日の午前中にも拘らず、病室に白明学園の生徒が見舞いに来ていた。
「目標達成おめっとさん。これでせっちんも自由の身か……退院したらー、デートしようねっ」
「……」
霧山美里は自前のキャリーケースに腰掛けたまま戯けるが、右腕を首からぶら下げた刹華はベッドで上半身を起こしたまま黙っていた。
「なんだよー。人が大事な授業サボってお見舞いに来たのにさー。ほら、せっちんの好きなガーコちゃんのぬいぐるみだぞー。ここに置いとくねんっ」
美里は憎たらしい顔をしたカラスのぬいぐるみをキャリーケースから取り出し、床頭台の上に置いた。少し高めの焼き菓子の箱が一つだけ置かれていた寂しいスペースが、少しだけ賑やかになった。
「どこの情報だよ。そんなキャラ初めて見たぞ。そもそも、お前は授業をそんなに真面目に聞いてないだろ」
「あり、バレちゃってた? 珍しく二人っきりになれる機会だからさ。この際、はつきんからせっちんのこと奪っちゃおっかなーって。ほら、略奪愛ってやつ?」
「あたしと羽月の関係をなんだと思ってんだよ。ルームメイトなだけだ」
ふざけ倒す美里にうんざりした刹華は、横になり毛布をかけ直した。
「ま、雑談はそのくらいにして、本題なんだけどさ。せっちん、はつきんと何かあったわけ?」
美里の質問に、刹華は答えない。
「はつきんと何かあったっていうか、三百万円ゲットの際に何かあったって感じ? はつきんの様子が変なんだよね。弟くん助かるかもって話なのに時々浮かない顔してるし、せっちんの話振ったらちょっと言葉に詰まったりしてさ」
「……知らねぇよ。気のせいだろ」
刹華のいい加減な返答に、美里は無言のままプレッシャーをかける。一頻り真顔でプレッシャーをかけたあと、美里は嫌らしく笑った。
「今ので分かった。はつきんに隠し事してるっしょ。それがバレバレなもんで、はつきんはそれを察して変な感じになってる、と」
「……なんで今の反応でそこまで分かったんだよ」
「全部当てずっぽ。でも正解だったっぽいじゃん……隠し事、下手なんだよなーせっちん」
刹華の「しまった」と言わんばかりの表情を見て、得意気に笑う美里。刹華は、美里のそういう所が苦手だった。
軽佻浮薄なようでいて狡猾。明るさや誠実さの中に混ざった、人工着色料だらけの洋菓子のような嘘臭さ。
「ってのは嘘。ホントははつきんからぜーんぶ聞いてきたんだけど、さ。でも隠し事の内容までは聞いてないからさー。おねーさん知りたいなー?」
「同い年だろうが。お前にだけは絶対言わねぇ」
毛布を頭から被ってそっぽを向いた刹華を見て、美里はわざとらしく膨れる。
「ふーん。せっちんはウチをそんな風に見てるのかー。『お前にだけは』とか言っちゃうくらい下の扱いなんだー。ほー。ウチは結構仲のいいダチだと思ってたんだけどなー。へー」
無視。絶対的無視。殻に閉じ篭った貝の如く、刹華は反応しない。
と、無理矢理毛布を剥がされた刹華の視界は明るくなる。
「……じゃあ、せっちんがウチに夢中になっちゃうように、いろいろ教えてあげちゃおっかな」
美里はベッドの上に上がると、刹華の上に覆い被さりながら左肩を押さえた。
「……何やってんだよ。降りろ」
「やだ。せっちんが教えてくれるまで、せっちんのこと気持良くさせちゃう」
太腿をなぞる指に、寒気を覚える刹華。
「っ……やめろ……」
しなやかな美里の指が、ゆっくりゆっくりと刹華の身体を上っていく。
「……いい加減にしねえと、ボコすっ……」
「大人しくしないと腕に響いちゃうよ? それとも、毒で無理矢理大人しくさせちゃおっか? あなたの意思で大人しくした方が、幸せだと思うなぁ」
妖艶に迫る美里の指が胸部に迫り、唇が刹華のそれと重なりかけた時、
「わかった! 降参だ! 言う!」
と、音を上げてしまった。
「そっかぁ、残念。略奪愛失敗かぁ」
降参の声を聞いた美里は、そそくさとベッドから降り、定位置のキャリーケースの上に戻った。
「……せめて残念そうな顔してから言え。お前は何処まで本気で言ってんだよ……」
「ん? ミリリンの主成分はハッタリと勢いだぞっ」
かわいこぶりながらのピースサインを見て、こんなふざけた輩に色々奪われかけたと思うと、刹華は頭痛を感じるような気がした。
「……聞いて後悔する類の話だと思うけど、本当に良いのか?」
「構わん構わん。パーッとやっちゃって」
そのテンションで受けられる話なのだろうかと、刹華の溜息が病室に響いた。
「……なるほどね。そりゃ確かにテンション下がるわ」
病室の空気が話す前よりも数グラム重くなったように刹華には感じられた。
「聞く前から嫌な感じはしてたけどさ……ウチも片棒担いじゃった訳だし、結構クるなぁ。せめて、せっちんが火神から騙されてると信じるか、冤罪が晴れるように祈るか……」
そう。これは火神の居場所を見つけて二人に報告した美里にとっても他人事ではない。
「はつきんに黙ってたのは、はつきんが嫌な思いしないようにってことだった訳ね。いやー奥さんに優しいでござるなー刹華氏ー」
「茶化すのをやめろ。真面目な話をしてんだろ」
「少しでも明るくなんないかなって……ウチだって結構、メンタルにキてんだよ」
重苦しい空気に、二人は口を開けなくなった。風が荒々しく窓を叩く音が、妙に耳に障る。
「ごめん、ウチ帰るわ……話してくれて、ありがとね」
キャリーケースから跳ねるように立ち上がると、美里はツカツカと出て行こうとする。
「……悪かった。こんな事になっちまって」
その背中に向けて刹華が詫びると、美里は振り返って無理矢理笑う。
「あんたが謝ることないじゃん。せっちんもはつきんも悪くないし、どうせウチも明日にはケロッとしてるって」
だが、美里が笑っていたのはそこまでだった。
「でも、あんたのその心の傷は……何が癒せるんだろうね」
数日後の夕方、刹華に見舞いの客が来た。
「先生に聞いたんだけどね、せっちゃんは仕方がない理由だったから、期末テストの再テストをしてくれるんだってー」
葛森ゆうりは穏やかに笑う。いつも通りに。
「……再テスト受けても、赤点だろうな」
「じゃあお勉強しないとだねー。せっちゃん、本当は出来るのにやってきてなかったから、ちょっと大変かもだけど……」
困ったように笑うゆうり。本当は出来るという根拠は、刹華にとって不明瞭なものだった。
ふと、視線を動かす。先程、床頭台に置かれた一キロ近い大量のグミは、可愛らしいバケツのような容器に入っており、妙な存在感を放っている。
「あとねー、聞いたよー? 指名手配犯逮捕したんだってねー。弟さんが病気なのがはーちゃんだったんだって後から知って、驚いちゃったよー。せっちゃん大活躍で、何もしてない私もなんだか嬉しいよー」
「……そうか」
見ないフリをしていた胸の痛みに意識を向けてしまう。ズキズキと痛むそれは、恐らく薬や手術で治る類のものではない。
「せっちゃんが表彰式を辞退したから、はーちゃんが警察で表彰されてたよー。表彰式のはーちゃんも、すごく堂々としててかっこよかったんだー」
「……そうだろうな」
羽月はそういった場面も得意そうだよなと、刹華は黙ったまま考えた。折り目正しくも無い癖に、恰好つけることも帳尻合わせも得意だから、来年は生徒会役員にでもなるんじゃないか、などと。
「あ、そうだ。ここだけの話なんだけどねー、栄花さんが最近少しだけ優しくなったよー。まだ時々グズって呼ばれちゃうけど、今までみたいに苛められてる感じがなくなったんだー」
「……グズって言われたら言い返せよ」
「それは難しいよー。私ドジだから……」
話が途切れる。いつもなら刹華が気にすることではないそれを、妙に気にしてしまう。
「……学校はどうだ?」
沈黙を遮るために、拙い雑談を切り出す。
「んー、いつも通りだよー。みんな元気にやってるかなー」
ゆうりの返答は、いつもの通りにおっとりとしている。
「……でも、せっちゃんがいないと、私はちょっと寂しいかな」
「……悪い」
ゆうりの寂しそうな目から、刹華は思わず目を逸らしてしまう。なんとなく、責められているような気がした。ゆうり以外の誰かに。
「あ、別にせっちゃんが悪い訳じゃないから、気にしないで。せっちゃんはいいことをしようとして怪我しちゃったんだし。むしろ、寂しがってる私が悪いっていうか……」
沈黙は、何度でも訪れる。何の話をしたらいいのか、刹華には分からない。
「……せっちゃん、何かあったの?」
心配そうに、ゆうりがぽつりと疑問を漏らした。
「ずっと、何かあったって顔してる。少し落ち込んでる?」
「……別に何もねえよ。寝てばっかで身体が鈍りそうだってだけだ」
その返答を聞いても、ゆうりは納得していない様子だった。
「……よかった……せっちゃん、いなくなったりしないよね?」
「……何処にも行く訳ねえだろ。なんなんだよ」
「……今のせっちゃん、気がついたらいなくなっちゃいそうで、ちょっと怖いの。どこか遠くに行っちゃうんじゃないかって……」
「猫かなんかと一緒にすんなよ。退院したら学校に戻るから、心配ねえよ」
ゆうりの顔を見ると、目から涙が落ちそうになっていた。
「……ごめんね、変なこと言っちゃって。沢山楽しい話をしに来たはずだったのにね」
涙を拭って笑うゆうりを見て、刹華は痛々しく感じていた。
自分の表情は、もっと酷いのかもしれないと思った。
某日、病院ロビー。疲れた表情の人々が俯き、散歩帰りの老人が孫と話し、患者衣を着た男が看護師に説明を受けている。そのロビーで、大画面のテレビでニュースが流れていた。
四津沼市教会放火殺人、火神真也容疑者自殺。
火神は留置所で目を離した隙に首を吊って自殺した。警察の所持品検査が甘かったのではという責任問題に発展しているが、警察は間違い無くチェックをしたという。
「どうせ死ぬなら一人で死ねよ……」
俯いていた男は、独り言を呟いて去っていく。その二人分横の席で、鬼ヶ島刹華は震えていた。ニュースを目の当たりにして、心を激しく乱されていた。
自分の行動で、他人が死んだ。もしかすると、罪がない人間が死んだ。人を助けるつもりで、人を突き落とした。
追い詰めてしまった。あたしが死なせた。あたしが突き落とした。
あたしが、殺した。
横の席に誰かが座る音がして、刹華はやっと我に返った。
「
刹華の横に座ったのは、栄花リオンだった。
「ほら、尻尾を振って喜びなさいな。栄花リオン様が態々お見舞いに来て下さったと」
「……人を負け犬みたいに扱うな。あたしは負けてねぇ」
本当に負けていないのか? あたしは、リオンではない何かに負けている。得体のしれない何かに、負けそうになっている。
「聞きましたわよ。指名手配犯を捕まえたとか。しかも、それを捜索するする為に烏丸さんと夜間徘徊を繰り返していたそうじゃないですか。今回の結果はハッピーエンドだったかもしれませんが、そういった危険な行動は謹むべきですわ」
「……あれがハッピーエンドに見えるのかよ」
刹華が一瞥したのは、ニュースが流れるテレビ。
「……だから、危険なのですわ。道から外れた者の最後など、碌なものでは無いのですから。関わると巻き込まれかねないでしょう」
後出しジャンケンをされたように感じて腹が立ったが、刹華には反論することが出来なかった。
「……別に貴方を糾弾する為に来た訳ではありませんのよ。先程も言いましたが、今日はお見舞いに来ましたの。こちらがお見舞いの品ですわ」
リオンは刹華の膝の上に一枚の書店専用プリペイドカードを放り投げた。
「……本なんて読まねえよ」
「鬼ヶ島さん、貴方はもう少し教養を身に付けた方が良いと思いますの。病院内に小さな書店がありますから、本をお読みなさいな。退屈凌ぎにもなるでしょう?」
「しかも一万円分じゃねえか。こんなに要らねぇよ」
刹華は日頃見慣れないゼロの数を見て、カードをリオンへと投げ返す。
「貴方の無教養、一万円程度でどうこうなるものでもないですわ。そう考えれば、少な過ぎると不平を申し立てても構いませんのに。謙虚ですこと」
「……喧嘩売ってんならさっさと帰れよ。一緒に入院したくはねえだろうが」
青筋を立てながらの刹華の威圧に、リオンは笑った。
「……少しは、元気が出ましたか?」
今まで刹華に見せたことがない、穏やかな笑みだった。
「詳しくは聞いていませんが、貴方が塞ぎ込んでいたせいで、烏丸さんがお見舞いに来るのを躊躇っていましたのよ? 全く。ルームメイトに気を遣わせないように。いいですわね?」
「あ、ああ……」
思いもしなかった気遣いに、刹華は虚を衝かれた。
「では、
リオンはカードを刹華の膝の上に置くと、その場を後にした。言葉が出ないままその姿を目で追っていると、リオンがとある人物に言葉をかける姿を見た。
鬼ヶ島刹華は、烏丸羽月と目が合った。
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