LIVING TIME

青月クロエ

一章 閉ざされた世界

第1話 閉ざされた世界①

 夕陽を浴びて輝く金の髪に、束の間目を奪われていた。

 そいつはあたしを羽交い絞めにして口を塞いでるっていうのに。こめかみに銃口を押しつけてるっていうのに。

 そいつはあたしを高級そうな黒い車の助手席に放り込むと、猛スピードで車を発進させた。








(1)


「ラナは今日店にいないのか??」 

 チリコンカーンとフリホレスをテーブルに運んできたのがあたしだと気付くと、男はあからさまに落胆してみせた。

「……あっ、えっと……、は、はい……。ラナは休み……なの」


 ふーん、と軽く返事をすると、男はあたしの顔も見ずに料理に手を付け始める。口にこそ出さないけど、『冴えない年増に用はない』とか絶対に思ってそう。

 まぁ、あたしもラナみたいに気の利いた会話なんてできないしね。だから、そそくさと男の席から離れていく。


「おい、テイタム!俺の分の飯はまだなのか?!」

 狭い席間を通り抜け、他の客の料理を運ぼうと厨房へ向かっていたら、また別の客から怒号を浴びせられた。

「……あっ、ご、ごめんなさい!!す、すぐに、も、も、持っていきますぅ!!」


 男の怒鳴り声は大嫌い。

 いつも怒ってばかりだった死んだ父を思い出すのだもの。

 びくびくと肩を震わせて、あたしは焦る気持ちのままに自然と歩調を速める。


「あいたっ!」


 焦る余りにカウンター席の角に脇腹をぶつけてしまった。あたしがぶつかった角席でチリコンケソを食べていた若い男があからさまに眉根を寄せてくる。

 スエードのウエスタンジャケットにワイシャツ、ネクタイを締めているので保安官に違いない。あたしは首を竦めながら謝り、やっとのことで厨房の中へ足を踏み入れた。


「テイタム。後の料理は俺が運ぶから、やっぱりお前は厨房で料理を作るのと皿洗いに専念してくれ」

 料理の皿をトレイに乗せようとした時、背後から店主の声がこう言ってきた。

「あっ、え……」

「料理を運ぶ動きが鈍くさすぎて見てらんないんだよ」

「……はい……」


 店主はあたしを厨房の奥へと押し込むと、あたしの手からトレイを奪い取って料理を客の元へ運んでいく。落ち込みつつ、あたしは料理に使うインゲン豆を鍋で煮込みながら皿を洗い始める。

 伸ばしっ放しのジンジャーブロンドの緩い巻毛を雑に一つにくくっただけの、そばかすが目立つ顏――、紛れもない自分の顏が薄汚れたシンクに影となって映り込む。疲れの色ばかりが浮かぶ濃緑のつぶらな瞳、痩せこけた頬も含めて、自分でもうんざりしたくなる程にみすぼらしいったらありゃしない。

 これでおどおど、もたもたした給仕しか出来ないのだから、店主があたしを厨房に引っ込めたのは正しい判断だと思う。思うけどさ!

 本当ならさ、あたしが厨房で料理を作って、ラナがそれを運んで客とおしゃべりするのが通常運転なのよ。ラナが休みじゃなかったら、あたしだって心置きなく自分の仕事だけに集中できるのに……。


 ……そうよ、仕事を休んだラナが全部悪いのよ。

 あたしが苦手な給仕を任された挙句、客や店主に文句を言われるのもラナが休んだせい!

 大体、若くて見た目も愛想も良くてお喋り上手で……、まぁ、誰の目から見ても明るくて健康的なブロンド娘だけど……、まぁ、仕事もテキパキこなすのも認めるけど……。でも、皆があの娘をこの店の看板娘だと言ってチヤホヤするから、ちょっと調子に乗っていい気になってんのよね。

 客や店主への口の利き方がどんどん横柄になってきているし、周りの目を盗んで仕事も上手にサボるんだから。なのに、皆こぞって『若いから、可愛いから、仕事が間に合うから』って甘やかしたりして。


 はっきり言って気に入らない。

 私だって、こんなに頑張っているのに!!


 ……なんてことは、心の中で思うだけ。

 口や態度に出す程、あたしは子供じゃない。


 あたしは、ただ大人しく厨房の隅で黙々と料理を作る。ただそれだけをこなせればいい。そうして食堂が閉店する午後五時までやり過ごし、毎日の食い扶持を稼げさえすればいい。

 美しくもなければ賢くもなく、若くもない、そこら辺にいくらでも転がってる平々凡々、いや、それ以下かもしれないあたしは今の生活への変化を求めるつもりなんか一切ない。



 閉ざされた狭い世界の中からはみ出さないよう、恙無く生きられればそれでいい。



 沸騰した鍋の蓋が、湯の圧でコトコトと音を立てて持ち上がる。

 我に返ったあたしは静かに火を止めた。









(2)


 閉店作業を終えて食堂近くのバス停でバスに乗り込む。

 あたしが働く食堂はダウンタウンヒュージニアという、州で一番大きな都市にある。そこからバスで約一時間、あたしが住む田舎町ショーシャ―ナへ戻っていく。


 秋が深まり始めたこの時期は日が暮れるのも早い。

 徐々に辺りが薄闇に染まっていくにつれ、景色も巨大な建物群から広大な小麦畑や牧草地帯へと変わっていく。やがて、終点のショーシャ―ナのバス停へと到着する。

 バスから降りたあたしは、赤松の木々に囲まれた細い田舎道を西に向かって歩いた。約一〇分後、小麦畑の奥にぽつんと立つ、石造りのサイロが併設された二階建ての木造家屋、あたしとママが住む我が家に到着した。


「……ママ、ただいま……」

 玄関を開けた先――、あたしのすぐ目の前にママが立ちはだかっていた。

「お帰り、テイタム。遅かったじゃない、待っていたのよ」

「……あ、うん。ごめんなさい、今日は店の片付けにちょっと時間掛かっちゃって……」


 ママは眼鏡の奥からあたしと同じ濃緑の瞳を光らせ、あたしの頭のてっぺんから爪先まで何度も視線を往復させてくる。背丈はあたしの方がうんと高い筈なのに、全身から放たれる威圧感が物凄いからママのがあたしよりもずっと大きく見えてしまう。下手に言い訳すれば、たちまち厳しい言葉が飛ばされるのが分かり切っている。あたしは黙って頭を垂れる。

 無言を貫くあたしに対して何か言いたげにしつつも、「そうなの。じゃあ、今日は疲れたでしょう??食事はもう出来ているから、早く台所にいらっしゃい」とだけ言い残し、ママはあたしに背を向けて台所へと去っていった。


 なんで二十八にもなって、ママに行動を干渉されなければいけないんだろう。

 いつになったら、ママは子ども扱いをやめてくれるのか。

 でも、あたしがママにそうされるのは仕方ないのも事実だったり。

 だって、行き場を失い途方に暮れていたあたしを、嫌な顔せず呼び戻してくれて面倒を見てくれるのだから。


 溜め息を押し殺して階段を上がり、自室の扉を開ける。

 扉の正面には格子付きの窓と小さな机と椅子、左側にはクローゼット、クローゼットと向かい合う形でベッドがあった。

 さっさと下へ降りて行かないとまたママに怒られてしまう。急いで鞄を椅子の背もたれにかけると、机上の写真立ての中の人物と目が合った。

 

「……フランキー……」


 ブルネットの髪に優し気な顔立ちの青年、あたしの、大事な、大事な夫フランキー。思わずあたしは、写真立てを手に取り食い入るように彼の瞳を見つめた。


 ねぇ、フランキー。

 あんたはどうして、あたしに黙ってあんなことを仕出かしたのさ。

 あたしが、あんたがいなけりゃ何にもできない女だって知ってただろ??

 あんたは、閉ざされた世界の中で唯一、あたしの拠り所だったのに――


 もう何十回、否、何百回目かもしれない問い掛けを――、無駄なことだと分かっていながら、あたしはそれでも写真の中の夫に滔々とぶつける。


 あと、二十三年。

 あと、二十三年もあんたがいない世界を、あたしは生きていかなければいけない。


 でも、待ち続けると決めたのは他の誰でもない、あたし自身。

 だって、あたしみたいな女を理解してくれる男は、後にも先にもあんたしかいないに違いないから。




「……あぁ、それでも苦しいなぁ……、なーんてね……」


 写真立てを元の位置に戻すとあたしは部屋を出て、ママが待つ台所へ向かうべく階段を降りて行った。




 ――人生そのものに諦念を抱いていたあたし。人生を揺るがす衝撃的な出会いが突然訪れるなんて、この時のあたしは夢にも思っていなかった――

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