遭遇
太陽が西の地平線に消え、昼の最後の明かりが空からにじむように消えるころ、街から人の喧騒が消えていく。中心部や歓楽街はまだしも、裏通りや街外れといった場所からは人の気配が完全に消え去る。数ヶ月前には想像すらしなかった光景だ。
暗がりの中を進むのは、殺人鬼にかけられた賞金を狙う者、あるいは城や神殿からの要請を受けた騎士や戦士くらいのものだ。
灯りを掲げて歩を進めるロイズはそんな騎士のひとりであり、同道しているキーファもまた、ロイズと同じ銀狼騎士団に所属する騎士だった。一向に手がかりすら掴めない殺人鬼への対処のため、騎士団からも人手を出すことになった。その結果として、こうして見回りをしているのだ。騎士団長ヴァストークの、「暇な奴は全員駆り出す」との言葉通り、彼ら以外にも多くの騎士が同様の任に当たっている。
二人は誰もいない通りを歩いていた。目抜き通りから西に折れ、やや狭い道を並んで歩く。
「ったく、こんなのは衛士の役目だろ。俺たちの仕事じゃないよな」
愚痴を漏らしつつ、ロイズは周囲に気を配るのを忘れはしない。
「ああ、まったく。本当に勘弁して欲しいよねえ」
応じるキーファもまた、のんびりとした口調とは裏腹に真剣な表情だった。
王都を騒がせる件の殺人鬼について、分かっていることはないに等しい。ただひとつ確かなのは、相手は相当に腕が立つということだ。警戒するのは当然だった。二人の掲げる灯りが石畳に影を落とす。今夜は王都のあちこちで、同じように灯影が揺れているのだろう。
「そういえば知ってる? どうにもここのところ、風体の良くない連中がギエフにやって来てるらしいよ」
「……ああ、団長がそんなことを言っていたな」
ヴァストークとのやり取りを思い出しながら、ロイズは頷いた。
「だが、そっちは衛士が対処するだろ。王都の治安維持は衛士の本来の務めだ」
「うーん、どうかな。血の臭いをぷんぷんさせてるような連中だから気をつけたほうがいいって、ちょっとした評判になってるんだよね」
どこで聞きつけてくるのか、おそらくは夜遊びの成果なのだろうが、キーファは情報通だ。やれやれと、ロイズは大袈裟に息をついた。
「魔剣騒ぎが落ち着いてきたと思ったら、今度は殺人鬼。まったく、次から次へと忙しいことだ」
「この騒ぎが魔王の呪いかもって噂も案外、本当かもしれないね」
「馬鹿馬鹿しい」
冷たい夜の空気を吸いながら、二人は人気のない道を歩き続ける。
月が見えていた。夜の中の白い笑みのように。
と、なにかが聞こえた気がしてキーファは歩みを止めた。ロイズを制し、耳を澄ます。
今度はしっかりと聞こえた。短い、それだけに生命の危険に晒された者が発する悲鳴が。
顔を見合わせ、二人は駆け出した。悲鳴の聞こえた先、ひとつ先の角を急いで曲がる。
そこには、闇を切り出したような影がひとつ、立っていた。全身を黒の装束で覆い、顔も同様に黒布で隠し、二つの目だけを覗かせている。
──男だ。
人相も、表情すらも瞭然としなかったが、ロイズはそう直感する。
男は右の手に装飾のない槍を握り、その穂先は紅く濡れていた。そのまま視線を下へと滑らせれば、足元に男が倒れている。胸元を夥しい血で塗らして。
「──貴様が!」
叫びと共に、剣を抜いたロイズが突進する。男は流れるような動きでロイズの剣を躱し、攻撃は空を切った。
そのロイズの影から、剣を腰溜めに構えたキーファが勢いをつけて突き込む。が、その切っ先が触れるよりも早く、男は消え去った。音もなく飛び上がると、美しい放物線を描いて後方へと着地する。
地面を滑りながらキーファが突進の勢いを減殺する間に、男は槍を構え直す。
「……者達よ、己の愚かなる所行を悔やむがいい……」
「何?」
雨のそぼ降る夜を思わせる、芯から凍えるような冷たく暗い声だった。凍気を絡ませたような冷え冷えとした、聞いただけで陰鬱になるような声を受け、キーファが剣を構え直す。
その間に、ロイズは地面に倒れ伏す男の元へと駆け寄った。だが、すでに手遅れだった。袈裟掛けに切り裂かれた胸部からは、白いものが覗いていた。痙攣する身体にすでに力はなく、命の火が消えゆこうとしているのは明らかだった。ほどなく、死の闇が彼の目をふさいた。
「くそっ!」
怒りのこもった叫びが夜の静寂を叩いた。喉の奥から低い唸りを発しながら、ロイズは夜の中に淡然と立つ男を睨みつける。すぐ脇の小径に灯された松明の光が、男の輪郭をおぼろに浮かび上がらせていた。
と、脇の道から一筋の銀光が男の頭部をかすめて飛び去った。騒ぎを聞きつけてやって来たデライラが矢を放ったのだ。
「加勢する」
瞬時に状況を見て取った彼女は、短く告げるとそのまま彼らの間に飛び込んでくる。手にした弓は、未だ放たれた矢の反動で震え続けていた。
一瞬の間があり、黒一色だった男の頭部に別の色彩が生まれた。矢が覆面を引き裂いて、その隙間から紅い頭髪がこぼれ落ちたのだ。
だが、見えたのはそこまでだった。素顔が露見することを怖れたのか、男はさっと身を翻し、逃走に移る。
「待て!」
デライラとキーファがその後を追って闇の中へと消える。少し遅れて、ロイズも彼らに続いた。
夜はまだ、終わってはいない。
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