宵闇の街

「さて、と」


 キーファは銀狼騎士団に所属する騎士である。夕暮れ刻、身支度を整えた彼は、屋敷の戸口で見送りに立つ弟妹を振り返った。


 騎士団からも街の見回りのための人手を出すことになり、キーファもその任に駆り出されることになったのだ。


 日頃は片方の肩で束ねている長い髪を今は三つ編みにし、背中に流している。騎士団の制服をきっちりと着込んでいるのに夜遊びに行くようにしか見えないのは、本人の纏う軽薄さのためだろうか。


「もう遅いから、絶対に出歩かないこと。外は危ないからね。殺人鬼がうろついているんだから」

 妹に向かって何度も念を押すキーファに、カイは呆れつつ頷いた。


「分かってるって、兄さん」

「僕はお前にじゃなくアストに言ってるんだよ」

「はいはい」


 不平を鳴らすキーファをカイは軽くあしらう。いつまでも続きそうな二人のやり取りに、隣に立つアストルードが口を挟んだ。

「キーファ兄様、……気をつけて」

「うん、アストも」


 キーファは表情を一転させるとやわらかく目を細めてにこりと笑い、最後にもう一度カイを振り返る。

「それじゃあ僕は行ってくるけど。くれぐれも、アストのこと頼んだからね」

「いいから早く行きなって」


 半ば追い出すようにキーファを扉の外へと押しやり、静かになった家の中で、カイはやれやれと苦笑した。

「……まったく。兄さんじゃあるまいし、アストは夜遊びなんてしないよ」


 キーファはアストルードに対して甘いところがある。甘いどころか、過保護にすぎるとカイは思う。


 アストルードは彼らの血のつながらない妹だ。彼女がまだ五つの頃、彼女の両親が亡くなり、父が引き取った。十年前のことだ。


 キーファは突然出来た歳の離れた妹に、最初は距離を取っていた。

 彼女がとても内気で、家に来た当初はほとんど口も利かずにいたから、どう接していいのか分からなかったのかもしれない。それが今ではカイが呆れるほど、アストルードを溺愛している。


 ──今年で十五、だったかな。


 人間であるアストルードは、ハーフエルフであるカイやキーファと比べて成長が早い。出会った当時、カイよりずっと幼かった少女も、十年が経った今では彼と同じくらいの年頃となっている。背も随分と伸びたし、大人びた顔をするようになった。男であるカイが背丈を抜かれることはさすがにないだろうが、もう数年もすれば、見た目の年齢は彼を追い越すだろう。種族の違いというのはそういうものだ。彼女のほうが先に老い、そして先に死ぬ。もっとも、その頃にはアストルードは誰かの元に嫁いで、この家を出ているだろうが。


 ──結婚か……。また兄さんがうるさそうだな。

 キーファの溺愛ぶりからすると、どんな相手であっても歓迎などされないだろう。アストルードが嫁ぐときのことを想像して、カイは今からげんなりする。


「……カイ?」

 アストルードに声をかけられ我に返ったカイは、無言で立ち尽くしていたことに気づき、なんでもないとかぶりを振った。


「アストはどんな人と結婚するんだろうって考えてた」

「結婚?」

「うん。もしアストが結婚することになったら、兄さんは大騒ぎするんだろうなって思ってさ」

 カイが言う。カイの言葉からその様子を想像したのか、アストルードもくすりと笑った。


「ちなみに、アストはどんな男がいい?」

「わたしは……、カイやキーファ兄様のような人がいいかな」

「僕はともかく、兄さんみたいな男はやめておいた方がいいと思うよ」

 本心からつい口にすると、アストルードは首を傾げた。


「キーファ兄様は優しいし、とても素敵だと思うけど……」

「まあ、それは否定しないけどね」


 弟であるカイの目から見ても、キーファは美男子だ。輝く黄金の髪に、空を映したような碧眼。いかにも貴公子然としたやわらかく甘い美貌は女性たちの人気を集めている。キーファ自身それをよく理解していて、恋人には事欠かないし、多くの浮き名を流している。恋愛方面では奔放すぎる、言ってしまえばたちの悪い男だ。

 アストルードはそんな彼の遊興ぶりを知らないから、理想の男のように見えるのだろう。


「……キーファ兄様、何もないといいけど」

 キーファの身を案じるように、アストルードは窓の外へと目を向ける。


 そうだね、と頷きながら、カイもまた窓外へと視線を転じた。

 じきに一日を終える王都には、濃密な夜の闇が広がっていた。

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